第24話「恩義を受けた側は、それを忘れることはない」

「はぁ……」


 ここ数日の中では、最も大きいため息を吐く。


 白久グループの本社から帰宅する車の中で、さっきの話をずっと頭の中で考え込んでいた。


 朔也に言われた、いずれ来る選択の時。それがまさか、こういう形で迫られるとは思っていなかった。


(そりゃ、そうだよな)


 配信を見ている人のほぼ全員が、俺が白久さんと共にあることをよしとしない。


 当然だ、彼女はダンジョンストリームのアイドルなのだから。


 最初期の覚醒者で、ダンジョンストリームの黎明期を支えた彼女がいなければ、ダンジョン攻略がこれほど盛り上がることはなかった。


 そう考えている人はすごく多い、俺自身もその内の一人なのだから。


「俺の存在が、彼女に迷惑になるとしたら……」


 あの人の提案を受け入れて、自分から身を引くべきだ。


 それが最善のはずなのに、なぜかそれを受け入れられない自分がいる。


 この数日間、ずっと自分で自分のことがわからない。


 ビーッ! ビーッ!


 そんな思考を吹き飛ばすアラートが、車内に鳴り響く。


「ダンジョン発生のアラート? ……しかも、大規模ダンジョンだって⁉︎」


 俺のことなんて後だ、今はダンジョンを攻略することが最優先。


「すみません、今すぐ行先の変更を」


「なりません」


「なっ! なんでですか!」


「三峰様をダンジョンに近づけるなと、旦那様からご命令を受けておりますので」


「そんな馬鹿げたことを言ってる場合じゃ」


「それに、この近辺にダンジョンが現れたと言うことは、おそらく晴未様にも同様の通知が届いているでしょう。そうすれば晴未様は間違いなく、ダンジョンへ向かわれる。そこであなたと鉢合わせすれば、あなたの力を頼みとするでしょう。そうなればあなたは、旦那様との交渉を反故にしたということになります」


「それは……」


「ですので、今はこのままお屋敷までお戻り下さい。それに、心配には及びません。晴未様の強さは、あなた様が一番ご存じのはず。すぐに戻られますよ」


「……くそっ!」


 行き場のない怒りを、車のドアにぶつけた。


 本当にいいのか、それで。


 親父を探すという目的も、彼女を助けるという約束も、こんな形で台無しにしてしまって、いいのか……。


「……なんだ?」


 ポケットにしまっていたスマホがバイブする。


 画面には、見たことのない番号が表示されていた。


「出ていただいて構いませんよ」


 執事さんの許可を取って、通話開始のボタンを押す。


『……もしもし、三峰様、ですか……』


「その声は、中川さん?」


『はい……中川です』


 声の主は確かに中川さん、しかし何か様子がおかしい。


「なにかあったんですか?」


『実は……晴未様が……』


「白久さんがどうかしたんですか?」


『ダンジョンに……連れ去られた可能性が……』


「連れ去られた⁉︎」


 一体なにを言っている?


「どういうことなんですか⁉︎ 白久さんが、連れ去られたって」


『私は今……ダンジョン発生箇所のすぐそばにいまして……発生の余波に巻き込まれ……』


「なんっ……中川さんは大丈夫なんですか⁉︎」


『はい……瓦礫に当たって腕が折れた程度です……』


 それは、程度と言うべきなのか……。


 いや、命に別状がないのならなによりだろう。五年前は、それで多くの人が命を落としたのだから。


『今は治療を受けていますが……。それよりも不可解なのが、ダンジョンがある場所から発生したように見受けられまして……』


「ある場所から?」


『はい……。晴未様はつい先程まで、影森様のお部屋を訪れていたのですが……』


「……は? なんでそんなところに白久さんが」


『実は……三峰様を糾弾する記事の発信源が影森様であることがわかり、晴未様がそれを止めるために』


「な、ん……」


 じゃあ今朝から慌ただしく動いていたのは、そのため?


 もしかして、今朝の朔也との話が、聞かれていた……?


『問題は……ダンジョンのゲートが影森様のお部屋付近から発生したということです』


 奴の部屋から、ダンジョンが発生した?


 まるで意味がわからない。


「本当なんですか、それは」


『はい……事実です』


 中川さんの言葉から嘘は感じない。事情はともあれ、彼女が見たと言うのだからそれが事実だと今は考えよう。


「それで、白久さんがダンジョンに連れ去られたと」


『先程影森様の部屋を確認していただきましたが……散々なありようながら、誰もいなかったとのことです』


「ひとまず状況はわかりました。俺もすぐに向かいます」


『ありがとうございます……』


 通話を終了して、急いで執事さんに事態を伝えて、目的地を変更するようにお願いした。


「いえ、なりません。晴未様のお命よりも、旦那様のご命令の方が優先されますので」


「なっ⁉︎」


 しかし彼は聞く耳を持たない。


「人の命が、それもアンタの主人の娘の命がかかってるんだぞ!」


「晴未様は、本来であれば白久家にくることはありませんでした。ですので晴未様のお命は、白久家の中では最も軽い存在であることをご理解ください」


「なん……」


 いくら妾の子だからって、そんな扱いは酷すぎるだろ。


「ですので、あなた様をここからお出しすることはできません。どうかこのままそこにお留まりください」


「っ……!」


 このわからずや。


 いっそ暴れて、無理矢理にでも車を止めてしまうか?


 いや、それで事故でも起こしたらなんの関係もない一般人にまで迷惑がかかる。


 じゃあ、このままなにもできずに、引き下がれと言うのか……?


「……!」


 隣の座席に立てかけていた竹刀入れが、俺の肩にぶつかってきた。


『いいか匠、その剣でお前の手の届く範囲の人を助けてあげるんだぞ』


 あの日、親父に言われた言葉が蘇る。


 いつだって困難に立ち向かい、平然と笑顔を浮かべながら帰ってくる。


 そう、俺が目指すべきは、あの背中だ。


 そのために、こんなところで足踏みをしていていいはずがない。


 何より、俺が約束を違えてしまったら、どの面を下げてあの親父に約束を守らなかったことへの説教ができる?


「……なら、こうしましょうか」


 静かに決めた決心を示すように、竹刀入れから刀を取り出し、ゆっくりと刀を鞘から引き抜く。


「な、なにを⁉︎」


 ルームミラーから俺の行動を見ていた執事さんも、さすがに刀を見て慌て出す。


「あなたは俺に剣で脅され、仕方なく車を止めるしかなかった。これでどうです? これならあなたは決して命令に背いたわけじゃない」


「しかし、旦那様のご提案は……」


「なら言っといてください、『あんたは俺が自分で噂をどうにかするって可能性を無視してる。俺の憧れた剣士は、この程度の逆境は真っ二つに斬り伏せるだろう』てさ」


「…………なるほど、わかりました」


 ようやくブレーキに足を乗せて、ゆっくりと車が停車していく。


「悪いね、執事さん」


「いいえ、私はあなたに脅されて、車を止めざるを得なかった。そういうことです」


 きっと心の奥ではこの人も、迷っていたんだろうな。


 でも命令には逆らえない、苦しい立場なんだろう。


「それと、私が今更言えたことではありませんが。晴未様のことを、どうかよろしくお願いいたします」


「任されました」


 頭を下げる執事さんを背にして、ダンジョンが発生した場所へと急行した。



     *



「中川さん!」


 ダンジョン発生現場は、すでに機動隊と自衛隊によって囲まれている。


 その中で、真っ先に向かった先は救護テント。


 中川さんは、その中の簡易ベッドに寝かされていた。


「三峰、様……」


「ああ、身体は起こさなくて大丈夫です。そのまま寝ていてください」


「申し訳、ございません……」


「それで、白久さんがあのダンジョンに連れ去られたというのは」


「あくまで可能性でしかありません。ですが、おそらく影森様も一緒かと思います。ですのでどうか……」


「はい、必ず助けて戻ってきます。だから中川さんは、ここで休んでいてください」


「ありがとうございます……」


 ゆっくりと瞼が閉じていく中川さん。


 彼女のことを近くの看護師にお願いして、テントを出てダンジョンのゲート前に行く。


 そこにはすでに、通知を受けて駆けつけてきたダンジョン攻略者が、二十人近くいた。


「みんな、ちょっと聞いてくれ!」


 そこに集まった全員に届くように、声を張り上げた。


「ゲッ⁉︎」


「あいつは……」


「殺人未遂のタクミか?」


「左腰の剣、間違いないよ」


 俺の顔を見るなり、嫌そうな反応を示す攻略者たち。


 そんな反応をされることくらい、わかっていた。だから気にせずに、言葉を続ける。


「みんなの知ってる白……ミハルさんが、このダンジョンの発生に巻き込まれて、向こう側へ連れ去られた可能性がある。だから俺は、彼女を助けすために先行する。みんなに、その協力をしてほしいんだ」


「……は?」


「なに言ってんだこいつ」


「ミハルさんが連れ去られただって? なにを馬鹿なことを……」


「ホラ話にしたって、出来が悪すぎる」


「だいたい、仮にそれが事実だとして、なんでそんなことをお前が知ってるんだ?」


「嘘じゃない! 彼女のお付きの人が目撃したんだ。その上で俺は、その人に彼女の救出を頼まれた。だから頼む! 力を貸してほしい」


 頭を下げて、頼み込む。


「冗談じゃねぇ、なんで俺たちがお前なんかの言うことを聞かなきゃならないんだよ」


「それに、それが事実だっていうなら、余計お前に任せられるかよ」


「そうだそうだ、俺たちが助けに行く方がいいに決まってる!」


「お前みたいな奴のことを、誰が信じるかよ!」


 しかし俺の言葉は彼らには届かない。


 それどころか、あの記事に書かれたようなことだけでなく、俺が彼女とこれまで一緒に行動していたことや、剣士であること。


 ありとあらゆる方向から、俺に対する罵詈雑言が並べ立てられる。


(……結局こうなるのか)


 何度目だろうか、この流れは。


 俺に白久さんのような人徳がないからこうなるのか?


 それとも……。


「……ならいい、俺は一人ででも彼女を連れ戻す。ダンジョンの攻略はアンタたちだけでやってくれ」


「はぁ? ふざけんな」


「はいそうですかって、俺たちが言うとでも思ったか?」


「協力して欲しいんだったら、お前が先に俺たちに協力しろよ」


「時間がないんだよ! だから俺は……」


「それはお前の理屈だろ! なんで俺たちがそれに付き合わなくちゃいけなんだよ!」


「この……」


 分からずや、喉の手前までその言葉が出たかかった時──


「お互いちょっと待ちな」


 ──背後から聞こえてきた言葉に振り返ると。


「アンタたちは……」


「よう、スチームダイナの時以来だな」


 あの時に一緒だったレイドメンバーが、勢揃いしていた。


「お前ら、こいつのこと色々言ってるけど、お前ら全員でかかってこいつ一人に勝てるか? 無理だろ。グレイストーカーをぶっ殺したあの化け物にも、この間俺たちが対峙したスチームダイナにも、こいつはたった一人で戦ってみせたんだぜ? そんな芸当、他に誰ができる?」


「そ、そんなの今は関係ないだろ!」


「そんなことはないさ。確かにこいつの言うことが事実かはわからない、けど一騎当千のやつが、自分から前に立ってくれるって言ってるんだぜ? 構わないじゃないか、こいつが先に行ってくれれば、俺たちは楽ができる。その上こいつが失敗したら、俺たちは漁夫の利を得られる。それでいいじゃねぇか」


「おい」


 ちょっとは言い方を考えろ。


「でも、アンタは失敗しないだろ?」


 バンッと背中を叩かれる。


「……当然だ」


「なら、決まりだ。全員、それでいいだろ?」


「「「…………」」」


 納得はできていない様子だが、彼らが主張したことに対する反論を、誰もあげられない。


「それじゃあ、今日も頼むぜ。ダンジョン界最強の剣士さんよ」


「なんだよ、そのダサい二つ名は、やめてくれ。……でも、ありがとう」


 あの時のことが、こんな形で帰ってくるなんて、夢にも思わなかった。


 これも、白久さんのおかげだろうな。


「じゃあ、行こう」


 だから今は、彼女を助けるためにダンジョンへと進む。



     *



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