盗難

「盗み」があると言うことは、当然ながら「盗んだ犯人がいる」ということになる。


「名前を盗む、か……」

 そんな犯人がいるとしたら、一体どんな犯人なんだろうか。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら、魚沼はささやか通りにある御用達の弁当屋「ほがらか弁当」に向かっていた。

 ボリューミーなのにリーズナブル、が売りのこの店は工場や土木作業などで働く人がよく買いにくる。昼過ぎには定番商品はほぼ無くなってしまうので、買うと決めた日は事前に予約をしている。そして今日も予約をしておいた。


「あれ……?」

 頼んだ弁当を受け取ったとき、魚沼は違和感に気づいた。おかずが何か足りない。けれど、店の主人は次々とくる注文に対応するので忙しく、とても声をかけられる状況ではない。

 今日のところはうっかり忘れてしまったのだろう。仕方がない。魚沼はそう自分を納得させて店をあとにした。


 ちょうどそのすぐあとだった。


「無くなったんです!店の果物が盗まれたんです!」

 弁当屋の向かいの交番から悲痛な女性の声が聞こえた。


「盗み」というワードに少し敏感になっていた魚沼は、そのまま耳をそばだてた。


「落ち着いてください。一体何がなくなったんですか?」

 なだめるような警官の声が聞こえた。

「果物ですよ!うちは果物屋なんだから」

「いや、だから果物ですか?」

「えっと……、あれ、何だっけ……?えぇと、でも無くなったのは確かなんです!」

 話を聞いていた警官は大きくため息をついた。

「具体的に何が盗まれたのか分からないと、こっちも探しようがないんですよ。思い出したらまた来てください」

「でも……」と困り顔の果物屋を警官は追い払うようにあしらった。

 

 果物屋のしょんぼりと帰る様子は、どことなく水越を思い出させた。

 

「――ったく、最近こういうの多いよな。盗まれたもんくらいちゃんと覚えておけよ」

 果物屋が去った交番で対応した警官がぼやいた。


 最近多い?盗まれたものを忘れる……?


「あの――」

 魚沼は警官に声をかけた。

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