呪われマーグの足泣き子.9


 あの夜、何をしてたかなんて、私には関わり知らない事。あの女を部屋の奥まで連れ込んで、何したって関係無い。

 けれど、ずっと壁の奥から、二人のプロダク語が聞こえた。レクーヴァで使うレクレ語なんかじゃなかった。幸せそうで、心地良さそうで。

 全部がバカらしくて、まともに考えるのはやめて、硬い床の上で横たわった。

 光が閉じたまぶたに当たり始めて、少し暖かい日光に目覚めると、シルバがそこにいて、何気ない顔をする。

「行こう」


 私を背負い上げて、草原を歩いた。

 行き当たりばったりの様に、けれどいつも何処かに向かっている。初めはあてがあるのかと思っていたのに——得体の知れない何かとさえも考えてしまう。

 どこへ行くのだろうと。貴女は、私の失った足の代わりに、連れていくのだろうと。

「ミネアに、帰っていいのかな」

 途端に、貴女は細やかに言った。

「ミネ……ア?」

「きっと、この先にあるの。みんなが……家族が待ってる。そう信じてる。信じていられる」

 私に向けた筈の言葉は、私じゃない何かに安心させる様にも、ただ消えていく様にも聞こえた。

「全部……許して。家族に会うのも、人を殺すのも裏切るのも、死ねない事も、許して。それなのに連れて行く事も、愛する事も、拒絶する事も……チョコレートだけ食べるのも、許して」

 それでも、分からない。

 貴女のことを、シルバを、どう分かろうとすべきか分からない。

 でも、今まで感じていた違和感を——知ってしまった。

「………。ね、ぇシルバ。人間だよね、爪があって……なのに、なんで、あなたの胸に、心臓の音はしないの……?」

 貴女は歩いた。

 それでも歩いた。

 私の手を、じっと握って。


 そして歩いた、深い谷で。

 葉に覆われた、谷の中で。

 銃声が鳴った。

 シルバは、近い木の後ろに隠れてライフルを持った。私はただ背負われるだけ。すぐに音は谷の正面から、続けて発砲し始める。

「……あれ。なんで……?」

 貴女は影から、双眼鏡で見た。しばらく覗き続けて、声を出していた。

「ネフレア軍と……ネフレア軍?」

「え?」

「……違う。レクーヴァ軍もいる。左が緑一色で……じゃ右がネフレアを離反してる?」

 ばん、と衝撃音に——銃弾が木へと向かって、風を切る。

「シルバっ!」

 双眼鏡が壊れて、血が舞う。消えていく声が、私が感じる温かみが失っていく。すぐに物陰へ隠れて、貴女は木に崩れ掛かる。

「……助けて。もらえる、かな」

 その頬に赤い何かが流れて、匂いが私の鼻を裂いた。

「——っ」

 私に顔を見せようとしない。だけど手に、双眼鏡に付いた血は流れる。

「……何回、人を殺めたっけ。いち……に……? そうだ、自分……そっか、そうだ、今まで土の中で、あの時も殺せなくて、結局……」

 どうする事も出来ない無力感が私を苦しめる。死んでいく事に、見つめる事しか出来なくて、シルバの背中を、ただぶん殴って、それだけしか、出来なかった。

「……また。何で、また。なんで。こんな、人って……死ぬのが、早いの」

 より近く、貴女の心音はそれでも聞こえる事は決して、無くて。ゆっくりと遠ざかって。

 私の身体は、また誰かに背負われた所で意識が途切れた。


 記憶が再び始まったのは、薄暗い屋根で目覚めた時。

「ああっ!」

 揺るいだ感情が息を伝い、私は跳ね上がる。呼吸を続けて、小さく、心を落ち着かせて、目を下にやる。手を流れたシルバの血は、無かった。

「大丈夫、ですか」

 私はベッドの毛布から顔を上げて、その人を部屋の扉の前に見た。端麗で細い目の、緑の軍服姿はレクレ語で言う。

「——あれ。大丈夫じゃない?」

「合ってる……よ」

 少し拙いけど、話すには支障も無い、キレイなレクレ語。付け加えて、不安にさせない様に言葉を続ける。

「別に、その。ネフレアのやり方に反抗し、レクーヴァへ逃れる道中でして。貴方の様な、部隊と切り離された兵士を集めていて」

「いいよ。いいって」

 無茶苦茶ではあったけれど、分からないほどでも無く。気力も湧かず、嫌って程に、だけど元気付けようと、軍服は言った。

「キュリオー。キュリオー・コンプトです。ミドルネームはトー。貴方を助けて、だから、まあ。なんだろ。命の恩人って言ったら安っぽいかな……」

「そんな言葉、知ってるんだ」

「他にもいるんです、レクーヴァの。元々は両親が言語学やってて、あと、ネフレアとレクーヴァのハーフらしく。でも、やっぱその……。どういう人であれ、貴方みたいな白技人にだって、みんな名前は付いてるじゃないですか。僕にだって——」

「僕? 一人称を僕って?」

 突然そんな事をキュリオーが言ったのだから、なんだか面白く、堪らなくなった。

「え、ダメ?」

「いや、いやいやイヤね……レクレ語の一人称は色々あって、はそういう幼い感じを出すのに使うの」

「……友達がよく面白がると思ったら。後で言葉責めにしてこないと」

 それでもまた、失いそうな気がしてならない。マーグの様に、些細な事ですぐに居なくなりそうで。

「あ、折角ですから……僕が乗せてみんなの様子、見るのはどうです?」

 でも、きっと、何度もそうはならない筈だって。私の頭は振り切った。

「いいよ。乗せてって」

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