ずっと貴女と心臓と.8


 あの日、私は生き永らえた。飛び交う銃弾と、誰かの悲鳴に、錆びた匂い。血塗れの人狼が、赤い血液を流すマーグが、私の目を見て、言った。

「死んじゃったら……悲しむよ、メドウ」

 あの人は、ネフレア兵から逃がす為に私を守って——目の前で、骸の一つになった。五日間も下敷きにされて、喉は乾いて……頭は滅茶苦茶。そんな時に貴女は、私に張り付くマーグを剥がして、変わらない顔で、モノ珍しい目をした。

「……いき、してる」

 何かを考える事も出来なかったのに、不思議と手だけは伸びる。どうしてなんて、分かりもしない。貴女が水筒の水を私に飲ませた時も、嬉しいかさえ分からない。

 私のすべてが何もかもを、分からないと否定し続ける。


「君の名前は、なに?」

 気が付けば、貴女の背中を見ていた。ただの気休めでも、その言葉は、何かの一線を越える直前から引き留める。

「……メ……ドウ」

「メドウね。うん、良い名前」

 少しだけ。ほんの僅かだけ。頭が軽くなって、小さな隙間の中から、声を形にする。

「マーグ。マーグ……。なんで、私……?」

 貴女の言葉が、黒いモヤを、頭を晴らす。私が……私は。貴女の背中を思いっきりに殴って草原に落ち、感情任せに力を入れて、走った。

「マーグっ——うァ!」

 なのに歩くどころか、足は地面を触れもしない。何度も幾度と、苦しみは皮膚に涙を流し、けれど出来たのは叫び泣いて、地面を叩く事。

「何でッ、なんで! なんでっ——歩かせてよ、向かわせてよ! こんな理不尽に会って、一度だって二度だって私の望み通りに! させてよぉッ!」

 つま先から足首まで、足と身体の繋がりも、蹴りつけた痛みも、感覚は否定してくれるのに、それでも立ち上がる試みは何一つと成功せず、哀れになって、惨めになって。溢れる情に、貴女の声は後ろに響いた。

「メドウ……」

 既に、何が起きたかなんて知っていたけれど。背中を回して、上半身を起こして、そんな事ないって、私の確かにあった足は——あると言い聞かせたところで、既に消えていたのに。

 ずっと、受け入れる事を拒んでいた。無くなった足も……あの人も。

「マーグが、君を庇ったの?」

 私は、こくりと頷く。

「……あなたは、……誰」

 貴女の変わらない顔は、変わらないまま、貴女は答えた。




 記憶とコンパスを頼りに、歩く道中。夕暮れ時は訪れて、冷たい空気も運んでくる。ただ歩き続ける事も変わり目に、背中にいるメドレが右肩から指差した。その先の森に、扉が開けっぱなしの一軒家があったの。

「シルバ……あれ。木々の辺り、見えない?」

 立ち止まった足は、再び歩み始めて、見えない紐が引っ張る様に誘い込まれた玄関の前、とすんと私は、背負う荷物の多さに押し倒れる。

「大丈夫、なの?」

「だいじょ、ぶ……じゃない、疲れた……」

 何とか立ち上がって、扉の中へと床は軋む。心許ない光が、窓の外ではもう直ぐ落ちる。四つの椅子が囲むテーブルに、枯れた花の花瓶が上に。その奥の暖炉に、影の中で光った目を見た。怯えて縮こまり、ライフルを向ける、緑の軍服姿。

「……だ。ぃ……」

 兵士のプロダク語が、ほんの僅かに聞き取れて、引き金は撃つ。カチ、と音は鳴って、空間に広がった——だけだった。

 兵士は焦って、引き金を撃とうとする。幾ら人差し指で弾いても、部屋は静寂を保つ。じっくりと見つめて、私はふと……興味を持ち始める様になった。

「……ダメ。かな」

「ダメって、なに?」

「ここで待たせちゃダメ?」

 メドウがその返事に迷って、言う。

「いいけど……」

 水筒を持たせて、彼女を壁側にそっと座らせる。狭い暖炉の中に目を向けて、姿勢を低く、そして近づく。

「寂しいの。満たして、ほしい」

 求めてしまうモノは、もう兵士という隔たりでその女を守る事は無かった。私のあるがままに、独善的な愛が突き動かし襲い始める。入り込むモノが私に満たし、満たされて。ぞくりと刺してしまう感覚に、身を委ねた。

「えッあ、シルバ……は、ぁ?」


「またか?」

「したモノはどうしようもないでしょ」

「いや。まあ、そうだな。幾ら何でも人前でそれは節操せっそうが無さすぎるな。しかし、何というか……話の中のお前は、人と出会う毎に変わってないか?」

「………。……なんでだろうね。それでも、ミネアに……家族に会いに行く事だけが、全く変わらないの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る