空飛びの羽.7


 暗がりに紛れて、ガードラの後を行った。静かに草が軋み、影になる車両の側から、ライフルを持った兵士が眠気を堪える様子を一瞬だけ見る。

 声を潜めて、彼女は鋭い瞳で、

「ここで待っててくれよ」

 ナイフを手に、車の後ろに回った。目線の外から近づいて、見張りの背後を取り、首を掻き切り、声を塞いで胸を刺す。腕を垂らした兵士を地面に置くと、ガードラは来る様に合図をした。

 テントとテントの狭苦しい合間を、左右から聞こえるいびきや寝返りにひりつき、息をするのは目当てのキャンバスの中へ踏み入れた時。私はテーブルの地図を手に、小さく折って肩掛けのザックへ入れる。

「後は車で逃げるだけだ」

「……でも、動かしたら音が出ない?」

「急げばいい。簡単だろ?」

 余裕げなガードラの横をするりと抜けて、車へ向かおうとし、私は寸前に声が喉の直前に留まり、そして固まった。

 テントの外へ顔を出した瞬間。兵士は目を丸く、そして見つめる。偶然の悪戯はその震えつく口に叫ばせ——拳銃の数発が胴体をえぐった。

「——やっぱもっと急げッ」

 ガードラの言葉に我を取り戻して、遅れて走る。銃声を中心として村中が騒ぎ立てる間に、道を戻った先、車の後部座席へ私は飛び乗り、振り返って叫び、ライフルを構える。

「早くエンジン掛けてっ!」

 ガードラが後部の蓋を開けると、ミシミシと軋む音を車体は鳴らし、しかし次第に高く、エンジンはけたたましく回転し、

「逃げるぞ——」

 すぐさま運転席へ移り、彼女はハンドルを握り締めてエンジンに雄叫びを上げさせ、土埃を散らし車輪は蹴った。

「——こんなとこは御免だ!」

 慌てふためくネフレア軍の兵士へ引き金を引くも、硝煙と弾丸が去り行く軍用車両へ空気を切り、私の左頬にも一つ掠める。けれども暗闇が村を飲み込むにつれて、銃弾の雨は勢いを無くし、ついに消えていく。

 ようやく終わった。ライフルを肩に掛け、一息をつく。何気ない所作であったのに湧いてくる命の実感が、私をへたり座らせた。

「……死んで、ない?」

「まさか。クランクも一発で動いたんだ……運がいいから死んでないって事だ」


 それから、エンジンの音色を奏でて走り続け——やがて朝には、木の横に車が止まって、周りに草原が広がっていた。

「生きてっかー?」

「ぁう。ねむぅ……」

 あくびを鳴らし、私は目を擦る。身体中を打撲された痛みに、優に眠れもしない。後部座席にザックを下ろして、大地に足を付ける。腕をを広げて、胸に涼しい空気を吸う。

 身体を鳴らし終えて、車体のボンネットを平たい机代わりに、ガードラはネフレア軍の拠点から盗んだ地図を広げた。赤い印のコルニル空港を、幾つかの青い印が囲む。

 周囲の地形を図にしているその広さは、ミネアへの帰り道も含んでいた。

「ネフレア軍の作戦か?」

「多分、このコルニル空港を襲うって事。今日の昼過ぎに……」

「そこに仲間もいるって訳だ。急いで向かえば間に合いそうだな。こっちは飛行機にまた乗って、アンタは、多分。仲間の元に帰れるさ」

 彼女はそう言った。……きっとそれは、信じていた友達の為に。けれどもそうなる筈は無い。私はその事をよく知っている。

「帰る、って。なんで?」

 ただ友達のままでは居られない。ネフレアに、ミネアに帰る事。……生き埋めにされる為に戻ろうなんて、耐えられはしない。

「……は、なぜって。生きる為だろ? ここで留まってる訳にも行かない、それにこのクソな戦争を終わらせないと——」

「また塹壕の中でスコップを持つの? 抜け出してきて、また戻るの? そんな事は君が自分を、自分の家族の事を知らないから言える事でしょ」

 私は、ライフルを持つ。重み掛かった滑らかな質量をぎっしりと掴んで、銃口をガードラに構える。

 二人きり……この草原で、たった二人。どれほど響く音でも、今は私とガードラだけ。その意味は、苦しい思い出の一つになり得る事。

「ちょっと、待てって、落ち着けよ」

「ただ帰りたいだけ、故郷に……ミネアに、離れ離れになった家族に、会いたいだけ、だから……だからね。ごめん」

 引き金に指を掛けて、撃鉄は撃った。銃声は何度も、側の木が揺らぐ程に響いた。私は——

「……冗談、もキツい……な」

 空を見ていた。いつの間にか。身体から感覚を失って、重力に落ち、血を流す。白々しいくらい、雲は無常に時と浮かぶ。

 細やかに震えた息は風に、エンジンの動く音に掻き消され。私の耳に残された風切りが、虚しく流れ……。

 

「そうして、私は小説にも、映画にも出ず、ガードラ・ウィボン・シャイルの記憶に残り続けたのでした……」

「……なんだって?」

「これね、運命的なめぐり合いっていうか……ずいぶん昔に知ったけど、ガードラ自身が戦争の事を小説にしてたの。それを映画にした、更にそれのリメイク映画がサブスクにあってね」

「だからか! 何となくその名前に聞き覚えがあると思ったら、『空飛びの羽』の主人公だな」

「そういう事」


 まあ……こういう事は生きて話す事だから。

「……あぁ。また、死んでない」

 吸血人というのは、ちゃんと死ぬ事も出来ない。そんな生き方のせいで、生きてきたのだから。

「帰ろう、ミネアに……」

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