白き世界の日.3
ネフレアでレクーヴァ軍が張る前線から、少し後ろの塹壕で土を掘り起こす事が私の役割だったの。泥塗れになって、スコップで土を掻き上げて、靴が破れる度に予備の靴に履き替える日々。部隊の間でここ数日、戦友との話は塹壕足の事だった。
「また塹壕足が出たって、シルバ。靴とか大丈夫?」
「ちゃんと見てるよ。念入りに確かめて、変な所も無い。メイラーは?」
「見張り番は気楽ー。ネフレアももうちょっとで和平条約を飲むかもしれないって話だし、あと少しすれば帰れるかもね」
嬉々として赤毛のメイラーは言った。その子はその塹壕で出来た吸血人の友達。私とは反対に、彼女の手には爪が無かった。
「帰る……帰れるのかな」
「家族と何かあったの?」
「別に、いい家族。物理的な意味で帰れるか怪しいだけ。みんな若いし、みんな見た目良いし。兄さんは大真面目に格好いい。ただ長い事会ってないから、今頃どんな顔か想像つかないの」
「いやぁ、アタシは付くよ」
気兼ねもなく私は聞くと、メイラーが想像した顔は、頭に思い浮かべたのより期待外れだった。
「どういう顔?」
「劇場の上でスポットライトに照らされて、言うの。『どうか、この胸を鎮めてくだされ』って妻に。シルバの顔はその顔だよ」
「——何かあるなら、はっきり言って?」
「いやなに、幼い顔にそれは無いと」
いいよ。いいけど。いいけども。続けるよ。
塹壕を掘り進めて、数日立った。その日の私は、変な気分だった。掘り進める事への嫌気が指して、抜け出したいと思い始めて……哨兵を入れ替える間に、私は塹壕を出て、少し遠くの森の中で一人になった。
それで、ほんの少し……そのほんの少し。木を背中に、地面に下ろして、ナイフを取った。満ちたくてたまらなかった。もう片方の手で指を使い、胸にナイフを立てて——
「待とう。一体何を?」
「そういう
「それがなんだ」
「
「……つまりはシルバ。そういう
胸にナイフを刺して、更に片方の指を潜らせて、とても人前では言えない様な事をする。ミルクを淹れた黒い珈琲を掻き混ぜる様な気分が、苦痛もなく、息を乱れさせる。
何度も、何度も、私には戒めを、骨の隅々、つま先まで、自分の意思でずっと冒涜的に、でも神聖的に、揺れ続けた身体がついに感覚を麻痺させて。
自然の中に鳴いた小鳥が飛ぶと、心地の良い余韻で——露わになれた。
「リアリティというより、リアルだな。絶対本には書けない内容だ」
「やってる事はおかしいよね。それをやったのは私なんだけども……」
ずっと、青くて涼しい天気の空を森の中で見た。こうして見続けていられるのは久しぶりで、和らぐ感覚で満ちながら、小さく息を出す。するとここにはいないはずの心配げな声が、木の後ろでした。
「シルバ……?」
足音はゆっくりと近づいた。視界の中で彼女喉を詰まらせて、唇は微妙に震え、驚愕にメイラーは途切れる言葉を口にする。
「シル……バ、これ……ぇ、何が、あったの」
それもその筈。私をずっと人間だって、そう思っていたから。まだ頭が鈍くて、それでその状態で、思い浮かべたままに言った。
「心地良い事……したくて。ずっと嫌だった、から」
「いやっ、それどうなって、とにかく戻って治さないと!」
そして持ち上げた腕で、入れた傷からナイフを引き抜いた。私は溢れ出す液体に息を荒げて、メイルーがまた悲鳴を抑えたの。
「やだ。戻らなくたってこれ、ほっといても治るよ」
「ダメって! 行かないと!」
私を持ち上げようとする赤毛の彼女を、全身で引き込んで、がんじがらめに動けなくした。その子の体温は軍服の上からでも暖かくて、私は更に抱きしめた。
「ちょっとなんでっ何してるの本当に——」
束縛を逃れようとするメイルーは、けれど手も足も出ない、でももがく。
その時、森の外で響いた。爆発……そして空を見上げると塹壕のある上で、爆撃機が遠く、影を落とす。何機と続く爆撃機に、私は次第に覚めて、喜びが湧き上がったの。
「いい。こんな時に、丁度良かった……」
「……?」
「大丈夫、ここには落ちないよ。落とし終わってすぐに、ネフレア軍が通り過ぎれば、帰れるの……そしたらミネアに行ける」
「な、なに、ミネアって?」
「……あっち側が、自分の故郷。ミネアがどうなってるのか、知りたいの。知ってみたいの——」
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