百の出会い、一の消失.2

 

「それで、どこからだっけ?」

「家から出て、風に導かれる所を」


 そうだっけ。えっと……。

 それから、また……私は歩く。ずっと歩く。時には空を見上げ、時には道の向こうから来たネフレアの軍から身を隠して。そしてまた、私は倒れた。

 水たまりで目を覚ましてから、数日。思う様に動けなくなって、次第に意識は遠ざかる。ふと……家族の顔が頭に浮かんだ。その中でも特に、兄は心残りだった。帰りたい、あの家に戻りたい。だけど、心と真逆に目は閉じた。


「兄か。そいつと会った事あるのか?」

「……ちょっと想像と違って。何ていうか、普通の人とシコウが違ってた」

「どういう?」

「言い難いけど——そっちの意味で男寄り」

「話の中で踏み入ったんだな、結構?」

「………。まあ……ね」


 そして久しぶりに……。照明の灯りを見た。上からぶら下がった、揺れる火のカゴ。この部屋に数少ない灯火に照らされる私は、寝床の中。誰かが助けてくれたのか、小さな頭痛に悩みながら、起き上がって、ドアノブを捻った。

 開けた先は、窓から照らされた小綺麗な空間。肩幅狭く、調理場には鼻歌を歌う背中と、何かを煮込む姿。

「誰……なの?」

 私の声の方を、青眼の男が見る。どこか若々しさの面影を思わせるのに……綺麗な人で。他人である筈の私に、彼は心からの親切を込めた。

「腹が空いてると思うけど、もうちょっと、そこのテーブルで待ってて」


「ネフレア人か?」

「まあ、ね」

「なら相当、善良な心を持っていたのか」


 彼が出したスープは、微妙な味だった。決して褒められないけど、喉に通せない理由じゃない。なのにどうしても上手く飲み込む事は出来なくて、癒える筈の心に生じた突っ掛かりから、思わず口を開いた。

「どうして、なの……?」

「………」

「レクーヴァの兵士、なのに……助ける義理もないのに」

 それで……言ったの。自分と同じ人だ、って。彼の両親は戦争が始まる前から、どこかに消えて以来、一人で過ごしてると。そういう境遇きょうぐうが、私とどこか似通っている、そう語ったの。


「随分奥深いな。これが嘘の話でないと、泣かせられる所だ」

「じゃあ泣けば?」

「いいや、感心が上回る。小説作家になればいいんじゃないか、お前?」

「なったよ」

「マジか。印税はどうだった?」

珈琲コーヒー一年分くらい」

「……いいさ、別に。ちょっとした興味本位だしな」


 そうして残った食器を片付ける彼の為に、せめてものお礼として手伝いをした。何もしないで後悔したくないが為に、私が彼と過ごした少ない時間、どこかこういう事を……家族を望んでいたのか、兄の姿が重なって見えた。

 家を出る最後、私は彼に、コラグーの町は何処かを聞いた。そこが、レクーヴァ軍の占領した場所だから。

 そうして……歩いて。また、何日も。今度は確かな目的を持って、やっと……通りかかったレクーヴァの軍が見えて。零れ落ちそうなモノが、頬を伝わった。


「終わり?」

「そう」

「そうか。でも、まあ……なかなか面白いな、オチは味気ないと言った所だが」

「嘘っていうのは、特に頭を使うからさ。落とし所に困ってね……」


 長い永い、窓の外で訪れる夜。暗闇の世界で、レクバト首都の眩しいビル群と街並みが、絶えず照り輝く。レクーヴァ帝国の、言わば発展を表すかの様に。遠く離れたこの寝室からつまらない事を考えて、コジューンが邪魔をする。

「シルバ、今日は無しか?」

「今日はいや。運動しない日もあって然るべきでしょ」

「そうか」

 ダブルベッドの中で恋人同士が交わす、後でそれに及ぶ様な呆れた会話。決して、付き合ってなんかいない……その最たる理由は好みの違い。

「なあ。嘘つきは悪い人になる、と言われた事はあるか?」

「ない」

「俺はあった。実際、そうだ。実体験も混ぜれば丸めやすいと学ぶ頃には、騙す事にも慣れて——嘘のつき方も知った」

 大真面目に彼は言って、私の手を、そして爪をなぞる。向かって面とすると青臭さを感じない、大バカに無愛想な若い顔が待っている想像が浮かぶ。

「そう。話のどこが嘘か、分かるの?」

「いや全く、何が嘘かは分からない。だから次の可能性を考えた。これが事実を入り交えた嘘であるなら、——俺が人間と考えるシルバは。シルバ・スタンは、百年前のイベラ戦争を生きた何かだと」

「………。そっか。知りたい?」

「その訳をな」

「分かったよ。こういう事、他人にするのは……コジューンが初めて」


 百年前。そう……今年で百年経った。映像、著書、果てに見聞。それまでにイベラ戦争を題材に、或いは体験を元に扱われた世界。異端の排除——絶滅を掲げられた戦争は、今も思い出に残っている。

 私にとって地獄はそこに無かった。真に苦しめたのは……私自身だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年9月29日 18:30

シルバ・スタンの刻 雨沢白田ー @catphilia3156

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画