第一章四話 漆原美月

 彼女を前にしてまず選ぶべきはそう、対話だ。

 それも飛び切り気を遣わなけらばならない。

 少しでも彼女の気を損ねれば世界は、人間社会は終わりを迎える。

 難易度ルナティックのギャルゲーという表現が近いだろうか。


 「一週間ぶりだな、美月」


 彼女を観察しながら言葉を紡ぐ。

 震える瞳、美月はがさごそと布団から取り出したナイフをゆっくりと自身の手首に押し当てた。

 彼女、漆原美月は……メンヘラであった。


 だが、まだ大丈夫だ。

 まだ血は流れていない、ならまだ可能性はある。


 「悪かった、ずっと会いたかったんだが、なかなか時間が取れなくて……」


 彼女は目をふせるとまたたく間に手首を切り裂いた。

 失敗だ、最近彼女の基準が厳しくなっている気がする。

 げんなりする気持ちを抑える。


 「いいわけしないで!!」


 まあ、ヒントをくれるだけドラゴンよりはましだが。


 

 『時間遡行、開始』



 三秒ほど巻き戻ってきた。

 かける言葉を慎重に吟味する。

 今度は間違えない、と気合を入れる。

 もし俺が少しでもいい加減なそぶりを見せれば直ちに美月は自傷する。

 それ即ちリセ案件だ。


 「悪かった」


 ゆっくりと頭を下げる。

 いいわけをするなと彼女は言った。

 ならここは余計なことをいうのは慎むべきだろう。


 「……何で会いに来てくれなかったの?」


 暗く、昏い美月の瞳がゆっくりと俺をとらえる。

 ここで間違えれば、俺は死ぬ。

 それくらいの覚悟でもって頭を回す。

 だが……どういえばいいんだ?

 普通に学園生活を満喫してました、なんて言えるわけがない。


 誤魔化すしかない。

 それに本音を話しているうちは美月は癇癪を起さない。

 よし、これでいこう。

 胸に大きく空気を吸い込む。


 「今度、デートしないか?」


 美月は呆けた面をしている。

 感情の隙間、俺への怒りという感情を一瞬忘れさせ、その間に怒涛の情報量で美月の頭をパンクさせる。


 「美月のこと(性格以外)は大好きだし、今までずっと美月は国の管理施設に入れられてただろ?だから一緒に外をみて(できれば精神的に成長して)欲しいんだ。突然のことだからもちろん美月の予定に合わせるよ。今日でも、明日でも、来週でも、再来週でも!」


 これは……勝ったな。


 呆けた顔から、表情を戻した美月はゆっくりと考え込んだ後、微笑んだ。

 

 「で、どうして会いに来てくれなかったの?」


 ……ダメみたいですね。

 数年前まではこんな感じに誤魔化しておけばどうとでもなったのだが、美月も成長している、ということだろう。


 こんなところで幼馴染の成長を実感するとは……

 黙り込んだ俺を見てポツリとこぼした言葉は……

  

 「……誤魔化さないでよ」


 まるで俺が悪いみたいな言い方だが、実際俺が悪いのだろう、彼女の中では。

 美月の取り出したナイフがキラリと光る。

 ゆっくりとその柔肌に凶器が突き刺さるのを眺めながら異能を発動する。


 

 『時間遡行、開始』



 ドアを開けたタイミングまで戻ってきた。

 とにかく次だ、どうにかして説得するしかない。

 そうして俺は説得を重ね……


 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行、開始』

 『時間遡行……』


 異能をふるうこと約三百回、なんとか説得を果たしたころには太陽はすっかり顔を出していた。

 ようやくだ、ようやく解放されると気をゆるめていたのがよくなかったのだろう。


 ――通知音――


 いくらか穏やかになっていた部屋に緊張が走る。

  

 「ねえ、今の、誰?」

 

 美月の瞳がどんどんと暗くなっていく。

 俺は失策を悟った。

 だが、ここから『時間遡行』はしたくない。

 俺は度重なる乱数(幼馴染の機嫌の揺れ幅)を乗り越えてここにいるのだ。


 ならしかたない、これしかないだろう。



 『時間遡行、開始』


 

 通知音が鳴る五秒ほど前に戻ってきたすばやくスマホを取り出し、通知を切っておく。

 これなら問題ないだろうと気を緩めて……


 『連絡先、みせて』


 声に反応して顔を上げればそこにあったのは闇一色。

 美月の昏い瞳が俺を覗き込んでいた。

 スマホを見られれば、あれやこれやと指摘して、機嫌が悪くなるのは目に見えている。


 『時間遡行、開始』


  

 そう、極めて単純なことだったのだ通知音が鳴る前に戻ってきた俺は。


 

 『時間逆行、開始』



 己の異能でもってスマホのデータを破壊した。

 もちろん連絡先も消えた……泣


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