第一章三話 またか
この事象は既知であり、見飽きるほどに重ねた過去のものだ。
つまり、仕事の時間だ。
『時間遡行、開始』
遊びに行きたかったが仕方がない。
三時間ほど時間を巻き戻した。
睡眠時間が削られてしまった、そのせいで寝不足である。
起き上がって時計を見ればまだ朝の五時だ。
空はまだ暗い、だがこの程度の暗さなら十分に視界は確保できるだろう。
少なくとも遡行する前、あの瞬間のまるで世界の全てが黒く塗りつぶされたような状況よりはましだ。
「行くか」
てくてくと歩いて女子寮に向かう。
今回の終末に関してはもう三度目である。
解決方法もすでに確立している。
だが気分は晴れない、面倒くさい。
「なんで俺がカウンセラーの真似事なんか……」
声にしても状況は変わらない。
休日の朝五時から女子の家を訪ねるという行為に思うところがないわけではないが、多分起きているだろう。
三階まで階段を上ってたどりついたドアの前で逡巡する。
彼女と関わるのならあらゆることが致命的になりうる。
決して彼女の気を悪くさせないように慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「ピンポーン」
まぬけな音が響き、そして……
空が、暗くなった。
世界を塗りつぶすような黒、黒、黒
どうやら失敗したらしい。
『時間遡行、開始』
三秒ほど巻き戻して考え直す。
この極めて常識的なインターホンを鳴らす、という行為はどうやら彼女からしてみれば気に食わないものだったのだろう。
なら、どうするか。
ドアノブに手をかけ、ひねってみる。
金属同士がこすれあう音が静寂に響く、そらは暗いが彼女の異能が発動した様子はない。
鍵はかかっていなかった。
どうやらこれが正解らしい。
ゆっくりと部屋に立ち入り、靴を脱ぐ。
彼女との付き合いは既に十年を超えているが、いまだに何を考えているのかわからないことが多い。
だからこそ慎重にいくべきだ。
ドラゴン退治の時のような適当さではいけない。
彼女はおれに深く考えることを望んでいる。
少しでも彼女をないがしろにしようとしたり、軽んじたりしようとすれば、即座に彼女の異能が発動する。
彼女はどこにいるのだろうか……
考える必要がある……
下手に動けば、彼女の異能がただちに空間を塗りつぶすだろう。
あの黒に少しでも触れると記憶を蝕まれる。
それが異能の知識であった場合、ひどいことになる。
俺はもうそれを経験していた。
ゆっくりと歩き出す。
決して彼女を驚かせないように、しかし存在を示すように。
向かうのは……寝室だ。
彼女ならそこにいるだろう。
十年来の幼馴染のことは少しは理解しているつもりである。
ノックをするべきだろうか……
扉の前に立って思案する。
さきほどはインターホンを鳴らしたせいで彼女の異能が発動した。
ならノックをするべきではないのでは?
だが年頃の少女の部屋にノックもなしというのはさすがに……
覚悟を決めてノックする。
優しく驚かせないように、こんこんこんと。
――静寂――、まさか間違えた?
いや、そんなことはありえない。
彼女の異能が発動した様子はない。
ならばここで選択すべきは……
沈黙、そうだろう、これしかない
彼女が言葉を発するまで待つ。
そうして待つこと数分。
「祐也、入ってきていいよ」
「ああ、失礼するよ」
ゆっくりと扉を開いたその先には……
静かに上り始めた太陽に照らされる黒髪とそれと同じ色の瞳。
短い人中と小ぶりな鼻、薄い唇はぴったりと閉じられているがその存在を艶っぽく主張している。
未だ成長途中の少女を思わせる彼女こそ……俺の幼馴染にして異能規模『世界』の異能を持つ『漆原美月』だった。
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