勇気

 「ねぇ、北見先生って……付き合ってる人とかいるのかな?」

 突然の質問に千弦は目を見開いて「な、なんで?」と聞き返す。今では行きつけになっているカフェ店内、目の前に置かれた甘いカフェラテをじっと見つめながら無意識に出ていた言葉だった。

 「え、あー、あのね。北見先生ってバッグに可愛いキーホルダーつけてるでしょ?恋人とお揃いとかかなって」

 ニヤニヤと笑う千弦は「もしかして、好きになっちゃった?」と言った。図星をつかれて頬と耳が熱くなっていく。誤魔化そうとしても、勘の鋭い千弦にはきっとバレてしまう。

 「私のことはいいから。で、いると思う?なんか知ってることある?」

 「はいはい。今はいないと思うよ。キーホルダーの事は何も知らないけど、彼女に関しては雄介ゆうすけもいないって言ってたし」

 雄介とは千弦のバンド仲間で北見先生の弟。いないと聞いて心の中にあったモヤモヤが消えていった。カフェラテを飲み干すと、荷物を持って席を立った。この後、千弦は付き合いたての彼氏とここで待ち合わせをしている。

 「じゃあ、私は行くね。あとは彼氏と楽しんで」

 そう言って、背を向ける。すると、「待って」と千弦に腕を軽く掴まれた。千弦はどこか心配そうな目で「難しいよ?」と言う。何が言いたいのかは分かっているつもりだ。別に今すぐ告白をしようなんて考えていない。

 「大丈夫!ただ勇気を出すだけだから」


 店から出ると、手に持っていたスマホが震える。画面を指でスライドしてからスマホを耳にあてた。

 「もしもし、どうしたの?」

 「今スーパーにいるんだけど、今日は一緒にご飯食べられそうだから何か作るね。食べたいものある?」

 姉の声の後ろからはちょうど混んでいる時間帯なのか、少し賑やかな音が聞こえてくる。

 「うーん、ハンバーグが食べたい!それと……帰ったらメイク教えて?」

 「メイク?どうしたの、急に――」

 姉の言葉を遮って「話はあとで。じゃあ、よろしく」と言うと、すぐに電話を切った。

 建物と建物の間から覗く橙色だいだいいろの空を背に歩き出す。少し冷えた風が肌に触れて、秋の陰に隠れている冬の存在を感じた。


 メイクを練習して、服装にも気をつかうようになってからは苦しかった恋が少しずつ楽になっていった。突然メイクした姿を見せるのは恥ずかしくて、まずはリップから始める。次に薄めのメイク、その次に流行りのメイクを試してみたり髪型を研究したり、試行錯誤しながら可愛いと言われるように頑張った。

 半年経って、やっと先生の口から欲しかった言葉が出てくる。

 「そういえば最近、なんか雰囲気変わったね」

 「そ、そうですか?」

 気が緩むと口角が上がって喜んでいるのがバレてしまう。

 「……もしかして、好きな人でも――」

 それ以上は言わせないように言葉を被せた。

 「可愛くなったと思いますか……?」

 私の言葉で先生の動きが止まる。困らせることはわかっているけど、ずっと聞きたかった。先生は一呼吸置いた後に「うん。可愛くなったね」と優しく微笑む。たとえ、その言葉がお世辞であったとしても嬉しかった。自分のやってきたことは間違っていないと思うことができた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る