トリックアアト症候群
納骨のラプトル
トリックアートに用心せよ
「被告人、前へ」
そう言われて、俺は立ち上がる。右手に控える無表情な弁護人も、左手に控える背の高い検察官も、まっすぐに立っていた。
「あなたは、後藤俊哉さんで間違いありませんか」
「はい、間違いありません」
ただそう言っただけなのに、一気に場が重々しくなる。間違いなく、俺はこの裁判で裁かれることが決まっていることを再認識した。全く納得がいかない。
「では、検察官。罪状についてお願いします」
「はい。被告、後藤俊哉は、八月十四日――つまりちょうど二週間前、この加水町におけるいわゆる『グラフィティ』と呼ばれるアートの施された壁を、無作為に破壊したものであります。」
「被告人、この件については間違いありませんか」
「いいえ、無作為に破壊したわけではありません。私が破壊したのは、トリックアートの描かれた壁だけです」
俺は、まっすぐに裁判官を見つめてそういった。
「壁は破壊したんですか?」
「はい。私の知る限りで、トリックアートの描かれた壁をすべて破壊しました」
裁判長は一つため息をついて、検察官に一つ目配せした。
「では、被告人は着席を」
俺はできるだけ静かに着席して、まっすぐに無表情な弁護士の方を見た。その弁護士は相変わらず全く表情を変えないで、ただまっすぐに検察官の方を見ていた。
この弁護士に依頼したのもこの無表情さ故だった。俺は自分のしたことを何も間違ってないと思っているし、この弁護士はその理論を十分に汲んでくれた。正論を突き付ける際に、無表情であること以上の武器はないだろう。
「では、今回の事件について詳しくお伝えします。被告人は八月十四日に、計三か所のグラフィティをハンマーを用いて破壊。これらの壁には、全てトリックアートが描かれていました。当件について、検察としては器物損壊として取り扱っている次第です。現場の被害も大きく、特にレンガ壁に描かれたものはレンガの倒壊が著しく、交通規制を行って撤去作業を行う必要がありました」
俺はその話を左耳だけで聞き流して、弁護士の方だけを見ていた。
「では弁護人は立証をお願いします」
弁護人はその顔を一切動かさず、腰からだけ立ち上がった。
「はい、弁護人としては被告人の減刑を主張いたします。被告人と度重なる面談や精神鑑定を行いましたが、彼に今回の犯行を犯行として認識する能力が極めて欠如しているという結論が出ました。こちらが証拠になります」
そう言うと、弁護士は数枚の紙切れを配って回った。精神鑑定の記録であった。
「つまり、彼は自分の信条に則って、彼が許せないと考えたトリックアートのグラフィティを破壊して回り、その上で法の知識がなく現在に至ったと言えます。もちろん彼の信条がどうであれ、器物損壊は事実としてありますから、無罪ということにはできません。事実、彼にはトリックアート以外のグラフィティを破壊しないという判断能力があった。しかしながら、彼がおかれている精神の状態を鑑みれば、減刑は妥当であると言えます。」
「ここからは被告人質問に移ります。被告人、なぜこのような犯行に及んだのですか?」
弁護士は相変わらずな非常に落ち着いた表情をしていた。俺は自分の思っていることをすべて吐き出そうと、少しタメてから話し始めた。
「トリックアートが許せないからです。トリックアート、あるいは錯視と呼ばれるものの類ですが、あんなものは人々を騙し、嘲り、馬鹿にするために作られているとしか言えない。人が人を騙して利得をすれば捕まるってのに、絵なら許されるなんてのはおかしいじゃないですか!」
俺はやや息を切らして、一思いに弁護士に思いを叩きつけた。法廷全体の空気が、ボルテージを高めて振動している。
「そうですか……では、グラフィティを破壊して回ったのはトリックアートを破壊するためだと、そういうことですね」
「そうです、間違いありません」
「では、この世界にある、他のトリックアートに出会った時、今のあなたならどうしますか?」
「間違いなく破壊します。どこにあろうが、どのようなトリックアートだろうが、トリックアートである限り全て」
「わかりました。では被告人質問を切り上げまして、以上で弁護側弁論は終了とします」
俺は息を切らして席に戻る。肩を揺らして、思いの丈が全て伝わったことに安堵する。
「それでは、検察は論告を」
「検察は被告人に懲役3年を求刑します。彼の主義主張は一貫して身勝手であり、著しく倫理を欠いたものであると言わざるを得ません。彼には十二分な責任能力があることも破壊した壁を選んだことから明らかであり、以上から懲役3年を求刑します」
「弁護側としては懲役3ヶ月、執行猶予1年程度が妥当だと考えます。彼の主義主張は一貫しており、その思想が暴走した結果であるという点は十二分に汲むべき事由であると言えます。以上より、懲役3ヶ月、執行猶予1年程度の判決を妥当と考えます」
「では被告人、これで審理を終えますが、何か最後に言いたいことはありますか」
俺はゆっくりと弁論台に向かい、静かに一言だけ言った。
「トリックアートは、やっぱり許せません。」
「わかりました、では判決を――」
プチュン。
ああ、なんてつまらないドラマなんだ。いくらリアル系法廷ドラマを謳っているとは言え、これじゃあ法廷を傍聴しているのとそんなに変わらないじゃないか。もっと、ドラマらしい盛り上がり方というか、なんというか現実にありそうもなさを表現してほしかったと思う。なんだか、興がせがれたな。気晴らしに散歩にでも出ることにするか。
僕は目を疑った。家から少し歩いたところにある、有名なグラフィティが破壊されていたからだ。それだけではない。町で出会うどの人も、電話口で人を出し抜こうか出し抜かれようかと、変な探り合いをしている様子ばかりが目についた。そのうち僕の携帯にも非通知の電話がかかってきたかと思えば、宝くじに当選したから個人情報を教えろなんて無茶苦茶なことを言い出す。僕はあのドラマが影響したかと変に勘ぐってみるけれど、そのたびに思い出されるのはニュース番組の画面だった。特殊詐欺の横行、環境保護活動家たちの暴走、横領、贈収賄。どんな日でも、気が付けば人を騙して、私服を肥やす人々のニュースが流れている。ふと、あのつまらないドラマのセリフが思い出される。人々を騙し、嘲り、馬鹿にする。それがトリックアート、か。そう思うと、この世界こそが実はトリックアートだったのかもしれない。
僕はそのトリックアートの一部分に加わるために、知らない番号に電話をかけ始めた。
「あ?もしもし?そう、オレオレ。いや実はさ、間違って機密データを持ち出しちゃってさぁ……」
トリックアアト症候群 納骨のラプトル @raptercaptain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます