その日も私はいつものように朝の支度を済ませて、トーストとヨーグルト、コーヒーだけの簡単な食事を摂った。そして歯を磨きながら、歯ブラシの毛先が開いてきていることに気づくと、スマートフォンのメモアプリを立ち上げ、買い物の項目に歯ブラシと付け加えた。歯磨き粉の残量にはまだ余裕があった。私は歯ブラシを咥えたまま洗面台を離れ、キッチンへと向かった。右手で歯を磨きながら、左手で冷蔵庫のドアを開けて、中を確認する。精密な機械を点検するように一通り見渡して、卵と納豆をメモ欄に付け加えた。

 その操作をしていると、画面の端にたったいま受信したメッセージが表示された。メッセージは花からで、内容は日奈の退院日が決まったというものだった。事務的で実に簡素な文章だった。そこに何らかの感情を推し量ることはできなかった。

 私は限りのある朝の時間を目いっぱいに使って、様々な物事を、もう一度ゆっくりと考えてみた。この数日の間、私の身には色々な事が起こり過ぎていた。その多くは燦然としていて、私はそれらを整理する必要があった。

かつての友人について。その現状について。私たちの絶縁について。記憶というものについて。その喪失について。過去について。現在について。これからについて。ある場合は集約的に、そしてある場合は多角的に。問題は単数であり、複数でもあった。

私はいったい、日奈とどうありたいのだろうか。幾つかの思考の果てに出てきたのは、自身に対する単純な問いかけだった。

どうありたいのか。また、どうあるべきか。

その似た二つの言葉を分けているのは、主観と客観の差に思えた。私が私をどう捉えるのか。それ次第で回答は極端に変わるのだ。

絶縁から今日まで、当然にそうしてきたように、彼女の存在をなかったものとして扱いたいのか。それとも、絶縁以前のように友人としての関係値を取り戻したいのか。或いは、はたまた別の関係値を築きたいのだろうか。それが正しいかはさておき、どちらも選びたくないというのも、一つの回答かもしれない。

 私は私が良く分からなかった。どの選択にも一様の正しさがあり、同時に罪悪が備わっているという気がした。とどのつまりが、私は日奈の扱いに困っていた。

同時に、自身の扱いにも困っていた。二人の人間に対して、同時に手を焼いていた。園にいる腕白な生徒を言い聞かせるよりも、それは難儀なことだった。

 私は花からのメールの文面を幾度か目で追った。そうしているうちに、その文面が変化してしまわないかと空想した。神様が補助線を引くように、物事は私の都合の良い方向へと進んでくれないだろうか、とは思ってみたもの、都合の良い方向とは一体どちらなのか。それすら、私は皆目見当もつかなかった。

 私にとって一連の出来事は、手に余るという表現すら相応しくないように思えた。

元より、私はそれを掴んでなどいなければ、触れる事すら出来ていないのではないか。手の内に収めたことなどありはしなかったのではないか。私はそんな風に考え始めた。

 影法師や蜃気楼にばかりに目を向けて手を伸ばしては、実体を捉えようとしたことなど一度もない。ただの喧嘩別れに、絶縁などという大層な名前を付けてみては、あたかもそれが不可避の悲劇であったかのように振舞って、自己の内に納得感を与えようとしているだけなのではないか。自身の弱さや狡さを肯定しようとしているだけではないのか。

 滔々と、滔々と私の内からは言葉が溢れてきた。それらは、私の知らない身体の内のどこかに、ずうっと閉じ込められていたように思えた。

私自身の事であるのに、いつからそんな考えを自分が抱えていたのか、私はまるで知らなかった。それが客観の末に出てきた思考なのか、主観の末に出てきた思考なのか。やはり、それさえも私には分からなかった。最も身近な存在である自分のことさえも知れずに、どうやって私は他人の事を知ろうというのか。

 そう思い、私は私の事を考えることにした。

私は、誰かに決めつけられたかったのではないか。肯定の言葉でも、否定の言葉のどちらでも構わなかったのだ。責め立てて欲しかったのではないか。取るに足らないことだと言い切られてしまいたかったのではないか。お前の抱えている問題や不安など、塵にも芥にもならないと、強く断定して欲しかったのではないか。

 例えば誰かに、「お前が悪い、お前が謝るべきだ」と正面を切って言われてしまえば、それがどんなに強引であっても、私はいつだって日奈に謝るための準備が出来ていたのだ。それこそ心のどこかで、身近な誰かにそう言われる日を心待ちにしていたのではないか。そうすれば、自身の考えだとかを別にして、それを理由に行動へと移ることが出来たのだ。

 当時の私は、日奈と喧嘩別れなどしたくも無ければ、互いが皺だらけの老婆になるまで友人で居たかった。そういう気持ちや思いを抱えていた。それが事実であった。

ただ、その気持ちを抱え続ける強さも、取り戻そうとする強さも、私には無かったのだ。失うことに抗うことで、痛みや傷を負う覚悟が無かったのだ。

 私は、何か特別な出来事だったと、ただのありふれた諍いを誇張しては、仕方がない事なのだと、達観したように割り切ることで自身の選択を正当化することに躍起になっていたのだ。そうして、何処か悦に浸っていた。正当化することで、傷の上に見せかけの瘡蓋を被せたのだ。自己を抑圧することを我慢と表現して、それで大人になったと言い聞かせていた。

ふと、私は私を醜く思った。そして、どうしようもないくらいに日奈と話がしたくなった。何も大切な話があるわけでもなく、呆れるほどに他愛もない、意味のない会話を交わしたくなった。日奈なら、私の醜ささえも肯定してくれる気がした。

一緒にどこかに遊びに出かけて、美味しいものを食べて、評判になっている映画をみて、どちらかの運転で帰り道を走りながら、車内では私のお気に入りの音楽を流して、映画の感想を言い合うのだ。

 ふと、日奈が口を開いて、「この曲、いいね」なんてことを言う。

私は嬉しくなって、口早にそのアーティストについて語り出したりする。

「じゃあ、こっちの曲も聞いて」と別の曲を流してみて、車をコンビニに止めてアイスを買って、少し遠回りをして帰る。

 私は鮮明に思い描くことが出来た。それは、絶縁の以前に過ごしたような時間でもあった。今の日奈となら、そんな時間を再び過ごすことが不可能ではない。それは今、実体を伴って私の掌の上にあるのだ。

 私たちは、友人に戻ることが出来る。いや、戻るという表現すら正しくはないのかもしれなかった。記憶を失ってしまった日奈にとっては、それは変わることのない事実であり続けるのだ。

 もう、取り戻そうとする必要もない。覚悟も強さもいらない。ようやく、手の届く位置に現実が下りてきてくれたのだ。これは日々を頑張る私への、神様からのプレゼントなのだ。後は、私がほんの少し手を伸ばすだけでいい。

 私はそう思い込むことにした。思い込むことで、それを私の意志へと変貌させていった。

 決意は血流にのって指先まで流れた。その指で、私は花のメールに短い返信を送った。

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