家に帰るなり、私は真っ先にクローゼットを漁った。クローゼットの内部は最後に整理されたのが、一体いつであるかを疑わせるほどの散らかりようだった。私は、雑多に物が入り乱れる空間の奥の方から一つの段ボール箱を取り出した。ダンボールに封はされておらず、その側面には黒の油性ペンで大きく、『高校時代』と書かれている。

私には時系列で荷物を纏める癖があった。側面に書かれていた文字は綺麗な字ではなかったが、バランスは取れていて、高校生が書いた字としてみれば、それなりに味があるようにも思えた。

 段ボールは湿気のせいか少しばかり強度を失って、所々柔らかくなっていた。中には卒業アルバムを含めた幾つかのアルバムや写真立て、お気に入りだったメモ帳やシャープペンシル、当時使っていたノート、半分に分けられたプリクラのシールなどがごった返していた。写真の一枚、シャーペンの一本、ノートの一冊。私はそれら一つ一つを順番に手に取って眺めた。表紙に現代文と記されたノートを開くと、整った文字、所によっては乱雑な文字が並んでいた。その中の一行にさえも、私は容易く懐古の情を抱くことが出来た。現代文の先生の顔と名前を思い出すと、その口癖までもが蘇ってきた。

まるでその古ぼけた段ボール箱の中に、高校生の私が所狭しと押し込まれているようにさえ感じられた。

 卒業アルバムは段ボールの奥の方に眠っていた。他の物を押しのけて、私はそれを手に取り、表紙のざらざらとした感触を確かめるように撫でた。アルバムを開き、一ページずつ順番に眺めていっても、私が写っている写真は数えるほどしかなかった。私は元より、物事の中心に立つような性分でなければ、目立ちたがりでもなかった。加えて、写真を撮られるという事が好きではなかった。それだけは、高校生の頃から変わることなく、私に遺り続けている特性であった。

 数少ない私が写っている(あるいは写り込んでいる)写真の画角内には、決まって日奈も写っていた。私は写真を撮られることが苦手だったが、他人と一緒に映るには幾分か許容していた。写真という記録の中で、私と日奈は常に隣り合い微笑んでいた。それは紛れの無い真実、或いは事実を映し出していた。

 私はアルバムを眺めながら、写真という形で切り取られた瞬間の記憶よりも、そこに写らなかった時間の事を考えた。そして、そのような時間の方が、遥かに多かった。

それらの一部は、かつて私のスマートフォンの写真フォルダには残されていた記録でもあった。私が、絶縁と共に自らの手で消し去った時間たちでもあった。

 写真というのは時間に命を宿す工程なのかもしれない。

ふと、私はそんな風に思った。不可逆に流れていく時間とは、常に死にゆくようなものであり、時間は死に向かって流れているのだ。それは、私たちが死に向かって生き進むようなことと似ていた。

だとすれば、私たちは時間を殺す(消費する)ことで生きているのかもしれない。時間の死を生に変換させる器官こそが、私たちという生きものなのかもしれない。

私はアルバムを眺めながら、そんなことを考えてみた。死んでしまった時間こそが、私たちに生の記録や実感を与える証左なのではないか。死んでしまった時間を重ねることで、私たちは生の証を刻んでいるのではないか。

 私の思考は、マニュアル車が一速から二速、三速へと段階的にシフトチェンジを行うように、苛烈的にその回転を速めていった。一度、思考の火が灯ると、そこに次々と薪が投下された。脳の奥の方で、血流が蠢くように音を立てて巡っているのを強く感じた。伴って、思考も速まっていくのが感じ取れた。

 思考への没頭の根底にあるのは、そうすることで日奈について考えなくても良くなるという事だった。その思考は私にとっては逃避行であった。無駄で難解で答えの無い問いを投げかけ続ける間は、考えるべきことから遠ざかることが出来た。

長く考え続けていると、どこからかやってきた全能感にも似た心地よい浮遊感のようなものが私を包んだ。私にはそれが何なのかは分からなかった。それは例えるなら、とても長い距離を走り切った後の高揚感に似ていた。

小難しく考えてきた事柄の全てが手に取るように理解できてしまいそうで、故に何も理解できてなどいないという事が強く分かった。完璧に近づくからこそ、完璧など存在しないことに気が付くことが出来るように。私の中にあるのは、そんな類の強いパラドクスだった。

 もしも私の考えるように、死んでしまった時間こそが、私たちに生の実感を与える証左なのであれば。その時間の一部を失ってしまった日奈は、生の一部を失ってしまった事になるのだろうか。記憶を失ってしまった事で、部分的な日奈は死んでしまったのだろうか。

すべての出来事を見下ろすように俯瞰しながら、そういうことを私は考えた。

 私は日奈の死を思った。もしも、頭を打ち付けた時の当たり所が数センチずれていたら、トラックのスピードがあと数十キロ早かったら。

 あらゆる仮定を重ねたが、何か意味があるとは思えなかった。しかし、私は考えつく限りのあらゆる仮定を脳内で描いた。妄想の世界で彼女が死ぬと、私は声をあげて泣きだしたくなった。想像上の彼女の遺体の前で立ち尽くす自分の無力さと、情けなさには、腹が立って仕方なかった。

 一人の部屋でそんな妄想に耽っていると、いつの間にか空は暗がり始めていた。私の目尻からは小さな涙が零れた。私という存在を丸ごと覆い隠すような夜がやってきて、藍色のカーテンは窓外の色と同化して、その境目を分からなくさせていた。立ち込めた暗雲が数分ごとに音を立て、まるで何かの合図か時報のように鳴り続けた。

私はその音を聞き流しながら、思考を緩めたり、止めたり、妄想の世界に入ったり、現実に戻ったり。それらのことを三十分余りの間、繰り返した。空気がまどろんでいくのを感じ取ると、眠くなる前に思考を中断して、速やかに夕食と入浴を済ませた。

入浴後でまだ身体に温もりが残っている間にベッドに入り、目を閉じると眠気は穏やかにやってきた。閉ざされていく意識の中で死にゆく時間と共に、私は日奈の事を考えずにはいられなかった。

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