川上日奈と私は、良き友人であった。しかし、その記憶にまつわる話の全てはいかなる場合であっても過去形で語らなければならない。それは、私たちの友人としての関係が。既に失われてしまっているためだ。私たちは、大学二年生の夏という時期を境に絶縁した。

私にとっての日奈は、一人の友人として他の友人とは一線を画して特別であった。それは言葉にするのがとても難しい感覚だったが、友人の中でも、更に近しい所に置かれる友人という感覚だった。

何がそう足らしめていたのか。私はそれを知り得なかった。そういうことを考える必要が無かったからだ。それらを真剣に考えなくても、彼女が常にそうであり続けたからだ。それは、私たちの間に確かな喪失が訪れるまでは、はっきりと同じ所にあった。

長い人生の内で、特別な相手に出会うことは珍しい。そんな相手は、雑草のようにわらわらと生えてくるものではない。というのが私の数少ない持論であって、小学校の高学年くらいから、友人というカテゴライズの中でも、その住み分けを綺麗に区別している節が私にはあった。

日奈には、他の友人には感じることの出来ない何かがあった。特別という言葉で言い表してはみるが、それがどのくらい特別であったのかという度合いを形容することは酷く難しい。何が特別なのか、何が違うのかというのを。私はよくは分かっていなかった。

しかし、仮に家族以外の人間が結婚するときに、私が涙を流すことがあるとすれば、彼女が結婚する際くらいだろうと、当時は本気でそう思っていた。私は特別という言葉を、大切にしたい度合いのように使っていた。(他の友人を大切にしていなかった訳ではないけど)

私は彼女と血とは違うが、それに等しいくらいに大切な何かを分け合っているようにさえ感じていた。その大切を分け合うという事が、特別という事にも思えていた。ただ、唐突な終わりが告げられる瞬間までは、その永遠を疑うことも無かった。

日奈とはよくいろんな場所に行った。それは二人の時もあったし、花や他の友人を含めて三人や四人、もっと多くの時もあった。ただ、二人の時が一番多かった。(もしくは、二人の時を良く覚えていた)

とりわけ、彼女は海と星が好きだった。暇さえあれば、彼女は海か星が見たいと言った。それは彼女の口癖のようなものだった。

私もそれに反対することは無かった。海も星も、彼女と同じ熱量で好きかと言われると言葉に詰まったが、嫌いではなかった。それに、私にとっては場所というのは取るに足らない些細な問題であった。それが海だろうが、山だろうが、川だろうか。例えば、北極だろうが、南極だろうが。突拍子もない事を言えば、天国だろうが、地獄だろうが。

私が誰となぜそこに居るのか。それらの事柄の方が何倍も大切なことだった。私にとってそうであれば、彼女にとってもそうなのだろうという事を、私は疑いもしなかった。良い意味でも、悪い意味でも、私は無秩序で無配慮で暴力的な信頼を振りかざしていた。信頼とは、互いに銃口向け、引鉄を握り合う状態のようなもので、どちらか一方がそのバランスを崩せば、途端に瓦解するのだ。そういうことを、当時の私は知る由もなかった。

その信頼が生み出した傷に気づいた時には、もう遅かった。全てが失われた後の空白の中で、私はようやくそんなことに気づくことが出来たのだった。

 少なくとも、私にとって日奈は生活の一部であった。ある瞬間を切り取れば、彼女の存在は親友という言葉ですら追いつくことは出来なかった。そんな関係を私たちは共有していた。

私にとって、日奈の存在は常に当然に、そこにあるものであった。

例えば、日々、自分が生きていることに不断の感謝を抱くようなことが無いように。五体満足で健康なことに感謝を抱くことが無いように。当たり前に温かな朝食を食べることが出来て、毎日の仕事に向かうことが出来ることに感謝を抱かないように。お腹が空けば、コンビニに行って何かを買うことが出来ることに、感謝などしないように。

そういった意味では、彼女の存在を特別に想っていたという事実はまるで無かったのかもしれない。私にとって、彼女は特別でもあったが、同じように普遍でもあった。或いは、普遍であるがゆえに特別だった。彼女との時間が瞬間でありながら、永遠を思わせたように、私は日奈に対して、そういう種類のアンビバレントを幾つも抱えていた。

 私たちが友人としての関係を失ってしまったのは、大きな理由であり、小さな出来事の集合であった。それを正しく捉えようとするとき、私は木を見て森を見なければならなかった。或いは、右を見ながら左を見なければならないような事だった。つまるところ、私にはそれが出来なかったという事だ。

私はその出来事を正しく記憶してはいない。正しく認識していない。恐らく、正確に把握できている人間というのは、その出来事に関与した人物の中に一人としていなかった。絶縁は、誰もが理論を失い、感情的に行動した結果の連鎖が招いた状態だった。それは、当事者であった私と日奈を含めても、そうであった。

ただ、唯一記憶の回廊に残されているのは、それは一瞬の内に過ぎ去った事であるという事実だけだった。それ以上に長い時間をかけて積み重ねてきた記憶や関係を、私たちは遥かに短い時間の内に手放してしまったのだ。出会いから築いてきた三年以上の歳月を、二人は絶縁という形で、僅か一カ月余りの間に失った。

人と人との関係は、こんなにもあっけなく途絶されてしまうのかと、当時の私は目の前を流れていく出来事に、何処か呆気なさすら感じていた。それは淋しさにも似ていた。

つい先日まで友人だった人間がそうでなくなる瞬間。日奈という人間の外郭は何一つとして変わっていないのに、その全てが変化したように見えたのだった。そこに居るのは日奈に間違いないのに、そこに居るのはもう日奈ではない。

それは私にとって、経験のない不思議な感覚だった。そこには、日奈という人間の容だけが残されていると感じた。だからこそ、どんな言葉を投げかけられても、それが響くことも無ければ、届くことも無かった。どんな言葉を投げかけても、それが響いているとも、届いているとも感じることが出来なくなった。

友人としての最期に私たちは、実に短い言葉を幾つか交わした。その言葉は特に意味のない言葉ばかりだった。ただ、互いがここで途切れるのだという事を、現実に明確にするための儀式のような会話だった。

そんな風にして、私と日奈の関係は容易く途切れた。まるでカンダタが掴んだ雲の糸のようにあっけなく。

恥ずかしげも無く口にすれば、私は永遠という糸の両端を、彼女と互いに握り合っていると思い込んでいた。少女が夢見るような、童話的な運命の赤い糸のように。(私にはそういう風に随分と夢見がちな所もあった) 

しかし、その糸を握ることも、いつしか普遍的な生活の一部になってしまっていたのだった。握っているという感覚すら忘れ、ふと手の内を見た時には、私はただ空を握っていた。

私と日奈の関係の終わりは、ある第三者が客観的に見れば、仲たがいや喧嘩という名称で片づけられた。実際、そのように解釈して、あんなに仲が良かったのにと、私たちに復縁を促す友人もいた。何かきっかけを与えようとしてか、アドバイスをせんとする友人も多かった。それは心底、迷惑なことだった。

人々は優しさという不明瞭なものを扱う時に、それを与えているという風に驕っていることが多いが、ある側面をとれば優しさとは善ではない。無自覚に振りかざされる優しさ程、鬱陶しくて、暴力的で、排他的で、迷惑なものはなかった。

絶縁からしばらくの間は、私は他人の優しさを受け取れる状態に無かった。優しさが水であるならば、私はそこの抜けたバケツだった。優しさにせよ、別の何かにせよ、物事のやりとりとは双方の準備があってこそ初めて成立するのだ。与えることも受け取ることも、それが一方的であれば、どんなに正しい感情であっても、他方にとっての暴力性を否定できないのだ。

当時の私には、他人の言葉は全てが部外者の発するノイズに聞こえた。それが正論であっても、暴論であっても、理論であっても、感情論であっても、私の世界には不必要な言葉であって、等しく関係がなかった。誰からの言葉も意味を持たなかった。それは、私と日奈のみが共有する終わりだったからだ。

私にとってその絶縁とは、世界からの断絶に近く、あるいは自身の一部の欠損に等しかった。絶縁の瞬間に、日奈という一部を私は失ってしまったのだった。そして私の中には、その日から何処か半身で生きているような心地だけがあるのだった。

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