「蘇峻の乱」②

 蘇峻の將が江水を渡った翌日、十二月壬子(二日)には、彭城王雄・章武王休が蘇峻の下に奔っている。これは庾亮の「翦削宗室」に反感を抱いた故の行動だろう。姑孰の陥落を見て、庾亮に利無しと見たと思われる。

 彭城王雄は司馬懿四弟司馬馗(季達)の玄孫、章武王休は、同三弟安平王孚(叔達)の子で長兄司馬朗(伯達)の繼嗣となった義陽王望の玄孫である。共に王とは言っても、かなりの疏屬である。


 ここに至り、庚申(十日)を以て建康は戒厳下となり、「假護軍將軍庾亮節爲征討都督、以右衛將軍趙胤爲冠軍將軍・歷陽太守。」と、護軍將軍庾亮に節を假して征討都督と為し、趙胤は右衛將軍から、冠軍將軍・歷陽太守とされている。冠軍將軍、歷陽太守、共に前任は蘇峻であり、趙胤は反した彼に代わる事を求められている。

 この他、光祿大夫(加散騎常侍)に遷っていた卞壼が尚書令に復し、右將軍・領右衛將軍と為り、王導が「外援」とすべく、尚書僕射から撫軍將軍・會稽內史に轉じさせた王舒も假節・都督として「行揚州刺史事」に、輔國將軍・吳興太守の虞潭が督三吳・晉陵・宣城・義興五郡軍事に任じられている。

 また、蘇峻を大司農として徴すに際して、「懼其爲亂」れて郭默が後將軍・領屯騎校尉として召還されている。王舒・郭默の如く、蘇峻の「亂」に備えているにも拘らず、対応が後手に回っており、庾亮等の認識が甘かったと言える。


 なお、「及蘇峻謀逆、超代趙胤爲。」と、趙胤の後任として、琅邪臨沂の人、劉超が「左衛將軍」と為ったとその傳(卷七十)にある。趙胤に代わったのであれば、右衛將軍である筈だが、右衛將軍は卞壼が領している。卞壼の「領右衛」が左衛の誤りであるとも考えられるが、劉超傳では後文に「王導以超爲右衛將軍」ともあり、或いは、趙胤が南頓王宗を討った功で左衛將軍に遷っていたのかもしれない。

 劉超は父の劉和以来、琅邪國に仕え、元帝の安東府舍人、丞相府舍人、行參軍、中書舍人、騎都尉・奉朝請、中書通事郎と、「恒親侍左右」と為ってきた人物である。明帝の下でも一時、義興太守と為るが、程無く、中書侍郎と為り、その死後、庾皇太后の臨朝下で射聲校尉と為っている。

 基本的に、元帝及びその子孫に近侍してきた人物だが、義興太守として治績を残したらしく、射聲校尉と為った彼の下に「義興人」が随い兵となり、その衆を以て宿衛と為し、「君子營」と号したと云う。趙胤とは来歴が異なるが、上位者の信任を受けるという点では共通した一面を持つ人物である。


 さて、冠軍將軍・歷陽太守に任じられた趙胤は「(趙胤)使與左將軍司馬流帥師距峻、戰于慈湖、流敗、死之。」と、左將軍司馬流と共に、蘇峻(韓晃)迎撃に向かっているが、慈湖に於いて敗れ、司馬流は戦死している。

 「慈湖」は『元和郡縣圖志』(卷二十九蕪湖縣)に「慈湖、在縣北六十五里。」とあり、于湖南方の蕪湖「縣北」であるから、于湖近傍の地である。

 蘇峻傳には司馬流と共に、于湖令陶馥が殺されたとあり、韓晃に縣城を逐われた陶馥が趙胤等に合流していたのだろう。なお、陶馥は先に名が出た司徒司馬陶回の從兄弟である陶湮の子に当たる。陶回としては自身の進言が容れられず、親族が戦死した事になり、痛恨であっただろう。


 司馬流はその姓から見て、宗室であり、蘇峻傳には「振威將軍司馬流」とあるので、出征に当たって振威將軍から左將軍とされたのだろう。『建康實錄』(卷七)には以下の如く、この件に関する記事が在り、「詔加振威將軍司馬流爲左將軍」・「流字子玉、國之宗室」と見えるので、この想定が裏付けられる。

 因みに、字に「子」が入るのは、司馬懿兄弟(八達)の子排に共通し、司馬流もその同排(元帝祖父排)とも考えられる。ただ、「八達」で最も長く生きたのは泰始八年(272)に卒した安平王孚であるから、その遺腹の子だとしても、五十五という比較的高齢になる。「八達」以外の子孫、又は字の共通は無関係なのだろう。

 また、同書では辛亥の「屠于湖」時に陶馥が殺害されたとある。「屠」城からすれば、その方が相応しいが、この記事自体は桓彝に関する事が混同されており、「庚申」を「庚寅」とするなどの過誤が在り、留意が必要である。なお、この『建康實錄』は唐の許嵩撰になるが、許嵩は高陽の人とされるので、許柳と同族、その裔である。


 十二月、峻使其將韓晃入姑熟、、京師戒嚴、以護軍將軍中書令庾亮爲征討都督、詔、帥眾拒峻前鋒戰於慈湖、流敗死之。流字子玉、、性懦怯、不閑軍旅。時率水步二千、南上遇賊、懼形於色。臨陣、方食不知口處、問左右吾口何在、既而合戰軍敗遇殺。(建康實錄卷七)


 留保は必要であるものの、司馬流が懦怯により食事も儘ならず、為に戦死するに至ったというのは事実であろう。趙胤について何も触れられていないのは、ある程度軍を保って退いた、或いは合流前に司馬流が敗死したのではないか。

 直後に、「假驍騎將軍鍾雅節、帥舟軍、與趙胤爲前鋒、以距峻。」とあり、趙胤は変わらず前鋒に起用されている。鍾雅傳には「詔雅爲前鋒監軍・假節、領精勇千人以距峻。」とあり、鍾雅が趙胤を監するのは先と同様である。


 ところで、『通鑑』は何故か司馬流の敗死を翌三年(328)正月条に掛けている。『建康實錄』の「庚寅」は正月十一日であるので、その故とも思えるが、その記事自体は咸和三年条の前に置かれている。翌正月条に「鍾雅・趙胤等次慈湖」とあるが、通鑑にはこの記事が見えないので、これと混同したかと思われる。

 この間の十二月辛未(二十一日)、宣城內史桓彝が蘇峻と蕪湖に戦い、敗績している。桓彝傳(卷七十四)では「遣將軍朱綽討賊別帥於蕪湖、破之。彝尋出石硊。會朝廷遣將軍司馬流先據慈湖、爲賊所破、遂長驅逕進。彝以郡無堅城、遂退據廣德。」と、蕪湖では勝ったものの、司馬流が敗れた為、廣德に退いたとある。

 宣城は丹楊郡の南隣であり、郡境の蕪湖とは近接している。廣德(縣)はその東部で、義興・吳興に接する位置にある。「堅城」が無い中で廣德に拠ったのは、吳興の虞潭等との連携を策したのであろう。


 これに先立ち、郗鑒は「聞難、便欲率所領東赴。詔以北寇不許。」、溫嶠は「聞峻不受詔、便欲下衛京都。」、更に「三吳」(吳興太守虞潭等)が「欲起義兵」としているが、庾亮は溫嶠・虞潭等に対して「並不聽」とあり、郗鑒に対する詔も庾亮の意向だろう。

 郗鑒に対して「北寇」を理由とした事は、理があると言えなくはないが、事が既に乱に及んでいるにも拘らず、援兵を拒否するというのは、やや理解し難い。郗鑒・溫嶠等に対する不信であるのか、庾亮の自負・自信であるのか、或いは、趙胤等に対する信頼であったのかもしれない。

 また、建康東北の廣陵にある筈の郗鑒が、「東赴」せんとするのはやや疑問だが、揚州の江南は「江東」とも言う故に、「東」に江水を渡るという認識なのであろうか。

 結局、桓彝等の撤退を受け、郗鑒は廣陵相(郗鑒傳:司馬)劉矩を建康に派し、溫嶠も年明けと共に、督護王愆期・西陽太守鄧嶽・鄱陽太守紀睦を前鋒に、尋陽に入る事になる。また、荊州の征西大將軍陶侃も督護龔登を派遣し、溫嶠の節度を受けさせている。


 なお、ここに見える「西陽太守鄧嶽」は周撫と共に王敦の爪牙となり、西陽蠻中に逃亡していた鄧岳である。周撫傳に依れば、「明年」の「原敦黨」の詔によって赦されたとあるので、太寧三年(325)三月の成帝立太子時の大赦で赦免されたと見られる。その後、両者は共に王導の從事中郎となり、鄧岳は西陽太守に、周撫は寧遠將軍・江夏相と為っている。

 鄧岳に將軍号が見えないが、当然、何らかの將軍が加えられているであろう。寧遠將軍は第五品であるので、それと同等かと思われる。「王敦の乱」当時、周撫は前將軍(三品)、鄧岳は冠軍將軍(三品)であったが、趙胤と將軍号に関しては逆転している。西陽と江夏は隣郡であるが、西陽は江州、江夏は荊州であるので、この時点では鄧岳のみが出征している。


 また、共に名が見える「督護王愆期」は河東猗氏の人で、父である王接の傳(卷五十一)に附傳がある。「世修儒史之學」という家系で、王接は「備覽眾書、多出異義」・「學雖博通、特精禮傳」であり、「撰列女後傳七十二人、雜論議・詩賦・碑頌・駁難十餘萬言」を遺した文人肌の人物である。その「長子愆期、流寓江南、緣父本意、更注公羊、又集列女後傳云。」と、王愆期は父の意を承けた人物であった云う。

 王愆期についての記述はこの23文字のみであるが、王接傳はその父王蔚に関する36文字を含めて、882文字に及ぶ。趙胤同様、父に比して非常に簡素な傳となっているが、同じく『晉書』中の検索数(姓名)では、王接が自傳及び論贊中にしか見えないのに対して、王愆期は一紀一志八傳(含一載記)の十七回に及ぶ。

 当然ながら、その内容は附傳以外に及び、しかも、溫嶠の督護である様に、武人としての経歴が殆どである。一方で、「喪亂盡失」となって著作が残らなかった父とは異なり、『隋書』經籍志などにその著作が見える。

 趙胤以上に父の陰に隠れてしまった人物と言える。彼もまた折々に趙胤と係わり、言及する事になるが、当人の家系、資質は対照的とも言える。

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