王敦の決起(第二次)

 太寧二年(324)に入ると、一つの転機が訪れる。それは王敦の病臥であり、正確な時期は定かではないが、周札傳に「及敦疾、錢鳳以周氏宗強、與沈充權勢相侔、欲自託於充、謀滅周氏、使充得專威揚土。」と、王敦の疾を受けて、錢鳳が沈充と共に義興周氏の族滅を謀った事が見える。


 義興周氏は元より、錢鳳が「今江東之豪莫強周・沈」と云う様に、江東の豪強であったが、周札が王敦に応じて以来、「一門五侯、並居列位、吳士貴盛、莫與爲比」という権勢を得て、王敦の忌む所と為っている。

 時に建康には道士李脫なる者が八百歳と称して、「妖術」を以て衆を惑わしていたと云う。王敦は廬江太守李恒をして、周札等がこの李脫と共に不軌、乃ち謀叛を図ったとして、周氏を族滅している。これは同年正月条に「術人李脫造妖書惑眾、斬于建康市。」とあるので、年明け早々であったと見られる。

 なお、この時、周顗の弟である周嵩も処刑されている。周顗・周嵩は同じ周氏だが、周札等とは同族ではなく、汝南安城の人で、本来は周訪やこの時点では王敦の爪牙たる周撫の同族である。

 周嵩が殺されたのは、兄周顗の死に憤っていた事、嘗て「(王)應不宜統兵」と公言していた故であると、その傳(卷六十一周浚傳附)にある。王應は王敦の兄である王含の子で、子の無い王敦が養っていた、乃ち王敦の後繼者となるべき人物である。周嵩はこの王應の「嫂父」であると云うので、その女が王應の兄に嫁いでいた事になる。


 五月に入ると、王敦は「矯詔拜其子應爲武衛將軍、兄含爲驃騎大將軍」とし、それは「及敦病甚、拜應爲武衛將軍以自副」の故であると王敦傳にある。

 これは魏に於いて曹丕が「天子命公世子丕爲五官中郎將、置官屬、爲丞相副。(『三國志』武帝紀)」、晉に於いて司馬炎が「及晉國建、立爲世子、拜撫軍大將軍、開府、副貳相國。(武帝紀)」と為った如く、後繼者を定めると同時に、その地位が繼承されるべきものである事を示す意図がある。

 前例が曹丕(魏文帝)・司馬炎(晉武帝)である事を鑑みれば、禪譲の前段階である。一方で、「病甚だし」ともある様に、体調の思わしくない王敦とその周囲の焦りとも言える。

 王敦は錢鳳に対して、自らの死の前後に採るべき方策について、「非常之事、豈常人所能。且應年少、安可當大事。我死之後、莫若解眾放兵、歸身朝廷、保全門戶、此計之上也。退還武昌、收兵自守、貢獻不廢、亦中計也。及吾尚存、悉眾而下、萬一僥倖、計之下也」と示している。

 王敦の死後、武装を解除して、朝廷に歸順するのが上計、武昌に還って自守しつつ、朝廷に貢献を怠らないのが中計、王敦が生きている内に、全軍を以て建康を衝き、僥倖を求めるのが下計である。

 王敦の堅実さ、或いは弱気が窺えるが、「公之下計、乃上策也」と下計が採用されている。上中下の三計を示し、その下が上策とされた点は趙誘と郗隆の逸話が思い起こされる。


 六月、遂に王敦等は兵を挙げ、建康に向かう動きを見せる。これに対する朝廷の対応は早く、丁卯(二十七日)に司徒王導へ大都督・假節を加え、領揚州刺史に復し、諸軍に出動を命じている。

 乃ち、中壘將軍溫嶠(丹楊尹)・右將軍卞敦に石頭を守らしめ、護軍將軍應詹(光祿勳)を假節・督朱雀橋南諸軍事として、建康城外の守備を担わせている。「朱雀橋」は建康城の南門朱雀門外の橋であるので、于湖(姑孰)から北上する王敦軍と正対する事になる。

 更に、行衛將軍郗鑒(尚書令)を都督從駕諸軍事とし、領左衛將軍庾亮(中書監)、行中軍將軍卞壼(尚書)が明帝直屬(從駕)として城内を守備したと思われる。

 その他、外鎮に在る平北將軍・徐州刺史王邃、平西將軍・豫州刺史祖約、北中郎將・兗州刺史劉遐、奮武將軍・臨淮太守蘇峻、奮威將軍・廣陵太守陶瞻(陶侃子)等にも、建康守備に参集するよう命が下されている。


 この時点、そしてこれ以降の東晉に於いて最重要とも言える人物達の名が、殆どここに見えている。また、その多くはこの後、趙胤とも係わり、應詹・郗鑒は間接的であるが趙誘との係わりから、既に名を挙げている。

 唯一人、王邃のみが附傳も含めて傳が無く、経歴が不詳だが、『世說新語』(賞譽第八)に引く『王邃別傳』に見える「邃字處重、琅邪人、舒弟也。意局剛清、以政事稱。累遷中領軍・尚書左僕射。」とも考えられる。であれば、王敦の從弟であるが、この王邃は先の王敦挙兵時、永昌元年(322)三月に「領軍王邃尚書右僕射」と、既に尚書右僕射に至っている。

 一方で、平北將軍・徐州刺史王邃は、同年十月に「以下邳內史王邃爲征北將軍・都督青徐幽平四州諸軍事、鎮淮陰。」とある征北將軍・都督青徐幽平四州諸軍事と為った王邃と、平北・刺史と征北・都督諸軍事の違いはあるが、同一人物と見るのが妥当である。

 この両者が同一人であると、三月に尚書右僕射(三品)として建康に在った筈が、十月には下邳內史(五品)として下邳に在った事になる。征北將軍は第三品で尚書右僕射と相応だが、下邳內史が不相応である。王敦に逆らった態になり左遷されたとも考えられるが、であれば、その場合は征北將軍・都督青徐幽平四州諸軍事に起用された事が唐突で、留保が必要である。


 なお、王邃が下邳に在ったと見られる由縁は卞敦(卞壼從父兄)傳(卷七十卞壼傳附)に「及勒寇彭城、敦自度力不能支、與征北將軍王邃退保盱眙。」とあり、これが太寧元(323)年三月の「石勒攻陷下邳、徐州刺史卞敦退保盱眙。」を云うと見られるからである。

 ただ、ここでは卞敦が徐州刺史(卞敦傳:「征虜將軍・徐州刺史」)である。卞敦は「賊勢遂張、淮北諸郡多爲所陷、竟以畏懦貶秩三等、爲鷹揚將軍。」とあるので、王邃も平北將軍・徐州刺史に貶されたのかもしれない。因みに、この徐州刺史卞敦は杜弢征討の論功で挙げた、趙誘の周辺にいた可能性のある人物である。

 或いは、この王邃は琅邪の王邃ではなく、可能性は低いが、嘗て郗隆の死の原因となった、寧遠將軍・領東海都尉であった陳留の王邃であるかもしれない。寧遠將軍は第五品であり、永康年間(300~301)から二十年以上、殆ど昇格していない事になるが、立傳されていない人物としては異とする程ではないとも言える。ただ、この王邃である場合、郗隆の死の原因となった事で、郗鑒との関係が問題となるであろう。

 ともあれ、王邃以外は折に触れて、述べる事になる。


 この挙兵は王敦自身が「僥倖」と云う様に、万全の計とは言い難く、更には王敦の病という不安材料を抱えている。むしろ、精神的に優勢だったのは朝廷側とも言え、明帝は自ら微行して、于湖の営塁を偵察してさえいる。王導は子弟を率いて哀哭し、王敦が既に死したが如く振る舞い、衆心を鼓舞している。

 王敦傳に載録されている、この時に下された詔には、「故大將軍敦」と王敦を故人として扱い、これまで述べてきたその罪を挙げ、錢鳳をその謀主として「凶宄」を承ける、言わば反乱の首魁として扱っている。

 一方で、冠軍將軍鄧嶽・前將軍周撫や「餘文武」の罪を問わない事を云っており、これは離間を図っているのであろう。


 この詔の中段には、朝廷側の動員体制が述べられているが、その中に以下の如く、「建威將軍趙胤」の名が見えている。ただ、これは本来、他の面々が姓を省かれているのと同じく、「建威將軍胤」とされるべきだが、何故か彼のみ「趙胤」と姓名で述べられている。


 今遣司徒導、鎮南將軍・丹楊尹嶠、。平西將軍邃率兗州刺史遐・奮武將軍峻・奮威將軍瞻精銳三萬、水陸齊勢。朕親御六軍、左衛將軍亮、右衛將軍胤、護軍將軍詹、領軍將軍瞻、中軍將軍壼、驍騎將軍艾、驃騎將軍南頓王宗、鎮軍將軍汝南王祐、太宰西陽王羕被練三千、組甲三萬、總統諸軍、討鳳之罪。罪止一人、朕不濫刑。有能殺鳳送首、封五千戶侯、賞布五千匹。


 「嶠」(溫嶠)が「鎮南將軍」、「邃」(王邃)が「平西將軍」とある以外は、明帝紀と同様である。王邃は「平北」の誤りだろうが、溫嶠については、卞敦傳に「明帝之討王敦也、以爲鎮南將軍・假節。」とあり、明帝紀に「右將軍」とある卞敦が鎮南將軍と為っている。

 溫嶠傳(卷六十七)には「加嶠中壘將軍・持節・都督東安北部諸軍事。」とあり、溫嶠は中壘將軍であるが、石頭に向かうに当って、更に鎮南將軍とされたのではないか。卞敦傳の「鎮南將軍・假節」以下に脱文、或いは引用の誤りがあると思われる。


 明帝紀に見えない人物に触れておけば、「右衛將軍胤」は当然、趙胤ではなく、元帝の虞皇后(濟陽外黃人)の弟である虞胤であろう。その傳(卷九十三外戚傳)には「太寧末、追贈豫官、以胤襲侯爵、轉右衛將軍。」とあるが、「太寧末」は「襲侯爵」部分のみ、或いは「太寧初」の誤りと思われる。

 なお、虞皇后は明帝の生母ではない。或いは、彼との区別の為に「趙胤」とされているとも考えられるが、「奮威將軍瞻」・「領軍將軍瞻」からすると、そうとも言えない。

 その「領軍將軍瞻」も当然、陶瞻ではなく、紀瞻(丹楊秣陵人)である。顧榮等と共に、元帝(琅邪王)が安東將軍の頃からその屬僚となり、即位後は尚書・尚書右僕射と為っている。

 その傳(卷六十八)には、「社稷之臣」を欲した明帝が「君便其一」とした事が見え、「才兼文武、朝廷稱其忠亮雅正。」とされている。この後、程無く死去するので、趙胤との係わりは殆ど無い。

 「驍騎將軍艾」については、該当者を検出できず、不明である。南頓王宗・汝南王祐・西陽王羕は、存命の宗室の中では、元帝・明帝に最も身近な皇族である。

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