1章 秀才少女 編 02

 桑島が教室から出ていった。俺は、1時限目の世界史の準備をする。流石に、このあたりで一度ガイダンスが挟まるかもしれない。



 俺は、教科書の「大航海時代の幕開け」という章をじっと眺めていた。新しく色々な活動が始まるにあたって、自分を取り巻く環境について、認識を整理する必要性を感じている。このまま流されるように高校生活を送っていると、どこかで梯子を外される予感がする。


 俺は、5/31までに体験したこの世の不条理を凝縮したループを、当然、過ぎたこととは考えていない。そのシステムは、おそらくまだバックグラウンドで稼働し続けているのだろうと推測している。いつ再び俺の人生にずけずけと干渉してくるのかは、不明であるが。


 ただ、思い返してみると、ブラックアウトして戻る起点においては、シグナルのように鋭い痛みが目の奥付近に走っていた。逆に言うと、あの体験をしない限りは、日常を謳歌することができると考えて差し支えないだろう。


 俺はまるで、ライオンに襲われるまでは広く解放感あるサバンナを満喫できるシマウマのような存在なのだ。より強者が首をもたげた瞬間に、自由は全て不自由に裏返る。囚われてしまう。


 しかし、俺はこの出鱈目な不条理を許したわけではない。自分が食べられるのを、諦めの感情すら無く見続けるようなシマウマではない。自分の生活のために、最大限譲歩して、深く考えるのを制している状態だが、本来は断じてあってはならないことだ。理由は不明にしろ、必ず最後まで、それこそ最期まで、抗い切るつもりだ。


 この点は、自分の根幹に据えておかなければならない。



 午前中の授業は予想通り、今後の授業の組み立て方のガイダンスが主となった。特に物理・化学は、実験の授業が多くなり、毎回かなり重い実験レポートが出される。生物も後にこのパターンになる予定だ。


 進退は達成度試験のみで決まるので、実験レポートをやらないor提出しなくても、直接的な影響は無いと考えられるが、桑島の警告がある以上、皆リスクヘッジとして取り組むことになるだろう。このあたりは、先輩方の意見を拝聴したいところだ。



 昼休み、階段の近くの掲示板に、5月の達成度考査の1年生全体の順位・点数・クラスが張り出された。俺は購買で買ったパンをほおばりながら、全体を眺めた。


1:朝霞結衣乃 700点 1-A

2:栄川実乃理 695点 1-D

3:神楽啓介  690点 1-A

4:佐竹良太  682点 1-B

5:倉本ひかり 676点 1-A

6:時任武史  675点 1-C

……

12:瀬川洋平 669点 1-A

……


 当たり前だが、ミニマムで560点のはずなので、かなり狭い範囲に分布している。ボリューム層は630点前後だ。同点も何人かいる。全部で110人くらいになっているから、各クラス2、3人脱落したということだろう。


 ぎりぎり560点ジャストのやつもいた。1-A三好ゆめ、さっき泣いていたやつだ。さぞ心臓に悪かったことだろう。


 1-Aのメンツは、上位と下位に固まっており、逆正規分布のような形になっている。一体どういったクラス分けの指針だったのだろうか?


「神楽くん、ほんとに690点じゃんか。満点の教科いくつかありそ」


「まあ、数学物理化学あたりは自信あったな。でも朝霞はすべて満点か。マーク式とはいえすごいな。問題数からすると、俺とは5、6問の差なんだろう」


「そうだね〜。見た目は結構着崩し気味なのにね。やっぱりこの学校半端ないな〜」


「倉本も、あと数点取ってれば生徒会の補佐だったのにな」


「そーなんだよね!神楽くんと一緒に活動したかったな〜。佐竹くんって人、代わってくれないかな?あ、これは言葉通りの意味ね!」


 言葉通りとは?言葉通りだとまずいんじゃないのか?相変わらずの話っぷりである。


「というわけで、試験も終わったことだし、授業終わったら、オーケストラ部の体験入部に行きませんか??」


 倉本ひかりは、急に上目遣い気味に覗き込んでくる。


「そうだったな。今日は桑島が言ってたように新、というより素人生徒会の顔合わせが放課後にあるみたいだから、明日でもいいか?」


「うんうん、ぜーんぜんおっけい!じゃあ明日ね〜」


 さて、昼休みの間に、副会長補佐の栄川実乃理と書記補佐の佐竹良太に挨拶してくるか。どの程度癖のある奴らなのか、様子を見ておくに越したことはない。


 俺は、教室の自席で弁当を食べている朝霞結衣乃に声をかけた。


「朝霞、今から1-Bと1-Dに行くけど来るか?他の1年の補佐メンバーの様子をみないか?」


「行かない」


 こちらに目も向けないし、とりつく島もない。こんな感じでこの後やっていけるのだろうか?そもそもこいつは、会長補佐をやる気はあるのだろうか?


「放課後の集まりは行くんだよな?」


「行く」


 価値観が掴めないやつだ。常に詰まらなさそうな顔をしているが、興味の対象が存在するのか疑問だ。


 とりあえず、この昼休みは俺だけで挨拶に行くことにしよう。



 1-Bは、となりの教室だ。柱を一本隔てるだけなので近い。廊下で喋っていた男子生徒に声をかけた。


「なあ、佐竹ってやつどこだ?」


 あれ、と言って示されたのは、眼鏡で気が強そうな小柄な男子生徒だった。中央の列の最後尾で読書をしている。失礼ながら、少しモブっぽいな、と感じた。


「ありがとう」


 俺は礼を言い、佐竹に近づいた。


「佐竹か?俺は1-Aの神楽だ。生徒会補佐よろしくな」


 さあ、どういうレスとなるか。


「ああ、君が僕の上の神楽くんですか……。よろしく」


「何読んでるんだ?」


 佐竹は読んでいる本の表紙を見せてくれた。固体物理学入門。なんだそりゃ。


「専門書か。ずいぶん難しい本読んでるんだな」


「書いてあるでしょう?『入門』ですよ。きちんと高校物理と数学を修めていれば、そんなに難易度は高くない。君も読んでみればどうです?僕よりテストの点数は良かったみたいだしね」


 発言は若干刺々しいが、特に敵意があるわけではなさそうだ。


「気が向いたら読んでみるよ。ちなみにこれは、何とかディンガー方程式とか出てくるやつか?」


「だいたい出てきますね。章によっては出てこないところもありますが」


「了解。ありがとな。放課後また会おう」


「ええ、よろしく」


 俺は、後ろ手を振って立ち去った。

 佐竹は、プライドは高そうだが、悪いやつではなさそうだ。個人的には、自分でガンガン勉強を進めるところも割と好印象だ。友達がいるのかは不明だが。ある意味、この高校の典型的な生徒かもしれない。



 次の目的地である1-Dの教室に向かっていると、向こうから、威嚇的な例のヘッドホンを首に下げた瀬川が歩いてきた。俺と瀬川と倉本は普段学食で一緒に昼飯を食べているが、今日は1人で行ってきたのだろう。


「おう、未来の生徒会役員じゃないか」


「やめろよ。何だ、お前も入りたかったのか?」


「いやいや、俺はそんなもん興味ねーよ。むしろ告知も無しに強制とかひどくね?留年かかってるから、手も抜けねーしな」


「まあな。さっき1-Bの佐竹ってやつに会ってきたよ。書記補佐の」


「ああ、佐竹に会ったのか」


「知ってるのか?佐竹のこと」


「同じ中学だからな。まったく親交はねーが。クソ真面目そうなやつだったろ。あと1人、1-Cの岸田ってやつが同じ中学だ。そういやあいつは、残留したのかな」


「そうか、やっぱり都内出身だといるんだな」


「そういうやつ、ちょいちょい居ると思うぜ。じゃ俺、教室戻るわ」



 1-Dの教室の前につくと、突然後ろから声を掛けられた。


「あなた、神楽啓介くん?」


「そうだけど?」


 振り返ると黒髪ツインテールの、これまたいかにも気の強そうな、ゲームでいうところの攻略対象になりそうな、そういう風貌の女子生徒がいた。


「あたしが栄川実乃理よ。よろしくね。あたしも昼休みに他の生徒会補佐メンバーに挨拶しようと思っていたの。一手間省けて嬉しいわ。あたしは入学式に生徒会メンバーがいないことは気づいていたのだけれど、まさかこんな風に選出されるとは思ってなかったわ。本当は選出されなくても会長に立候補するつもりだったんだけどね。幕祭の運営とかしてみたかったから。むしろ副会長固定になってしまって残念なの。ね、あなた1-Aでしょう?会長補佐の朝霞さんって娘、どんな感じなの?あたしでも無理だったのに、満点叩き出すとか信じられないわ」


 ここまで一息だ。喋りすぎだ。会長補佐と副会長補佐が対照的すぎて、上手くやっていけるのか不安が増してきた。


「満点はすごいよな。朝霞はあんまり喋んないやつだぞ。会長っぽくは……ないな。制服も改造しまくってるし」


「そうなんだ。まああたしは見かけでは人を判断しないけどね。それより今の情報を聞いて、朝霞さんと円滑なコミュニケーションが取れるか不安になってきたわ。一般的には、副会長って会長と一緒に動くことが多いじゃない?スピーチの機会も会長のほうが多いと思うのよね。何とか交代する方法ないかしら?普通なら、あたしとかあなたくらいの得点率だったら、学年トップでもおかしくないのだけど、今回は誤算だったわ」


 朝霞は、お前の舌の円滑さにはついてこられない、というより、ついていかないだろうな、と思いながら栄川実乃理のスピーチを聞いていた。

 放っておいたら、とめどなく喋り続けそうなので、俺は口を挟むことにした。


「栄川は同じ中学出身のやついるのか?」


「いるわよ。あたしは都内の中高一貫女子校出身だから。一貫と言いつつ、この高校に抜ける人は毎年そこそこいるのだけど。今年は6人だったかしらね」


「結構多いな。1-Aにはいるのか?」


「ええ、いるわ。近藤早紀と三好ゆめよ」


 近藤、という名前からすると、倉本の後ろかそのまた後ろの席のやつだろう。それに、あの三好もなのか。


「三好って言ったら、560点ぴったりだったよな」


「そうね……」


 急に口調に影が差した。栄川実乃理が口篭っている。何かが喉まで出かかっていて、言うかどうか迷っている様子だ。何だろうか。


「何か言いたいことがあるのか?」


「ええ、初対面の人に言うのもどうかと思ったんだけど、生徒会の補佐メンバーってことだから、一応言っておいたほうがいいかもね。

三好ゆめにはあんまり近づかないほうがいいわよ」


「どういうことだ?」


「三好ゆめの中学時代の陰のあだ名はね、『疫病神』とか『番人』だったのよ。その意味は……」


 リンゴーン、リンゴーンと授業の予鈴が鳴った。毎回思うが、城の鐘のようなチャイムだ。


「残念、朝霞さんには会えなかったな……。まあこの話はまた今度ね。とりあえず三好ゆめには気をつけたほうがいいわ。これは善意の忠告」


「ああ、ありがとう」


 同級生にそんなとんでもないあだ名をつけられるなんて、一体何をやらかしたのだろうか。いきなりクラスメートのネガキャンをされて驚いたが、冗談を言っている感じではなかった。


 1-Aの教室に戻る際に、ちらっと三好の様子を伺った。

 三好は新しく後ろの席に移動してきた結城という女子と歓談している。気持ちの切り替えが上手くいったのだろう。一見したところ、全く不審なところはない。こうして改めて見てみると、色白で顔が小さくベビーフェイスなので、いわゆる可愛い系に分類されるような気はするが。

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