1章 達成度考査 編 14

 試験前日、俺たちは16時に倉本家に集合し、最後の詰め込みを行なった。予想通り、ここまで倉本の様子に特段の変化は見られなかった。

 1度目において事故は20時過ぎに起こったので、ちょうどその時刻に合わせて勉強会を終えるようにしようと考えていたが、今回も倉本が粘っていい感じに引き伸ばした。


「倉本、家族写真とかないのか?」

 俺は忘れ物が無いか確認して片付けながら、倉本に聞いた。


「なあに?帰り際に。またわたしへの興味が復活してきた?もちろんあるよ〜」


 倉本はカラーボックスの中から、分厚いアルバムを引っ張り出してきた。


「これが、一昨年ヨーロッパ一周旅行に行った時の写真だよ〜。パパが全部案内してくれたんだ」


「ほんとに金持ちだな。お前の家は。この学校に来る意味あったのか?」


「パパがうちの高校出身だからね。そういうのってあるじゃん?それに…ううん何でもない!」


「なんだよ気になるな」


「何でもないよ〜」


 瀬川もアルバムを覗き込んできた。

「しかしこうして見ると、やっぱり倉本は母親似だな」


「顔はね、よく言われるよ。でも性格はお父さん寄りかなって思ってる」


 倉本ひかりの性格とは何なのだろうか?

 そう思ってしまう程度には、俺はまだ倉本について知らない。



「俺、外でウォーミングアップしたいから、先行ってるぜ」


「瀬川くん、本当に走って帰るの?試験前日にタフ過ぎない?」


「これくらい朝飯前よ。それが本来の俺の在り方だからな」


 瀬川は部屋から出て行った。


 後には俺と倉本が残された。

 俺も部屋から出ようとすると、倉本がおもむろに俺の服の袖を掴んで引き留めた。倉本はさらっとパーソナルスペースに入ってくる。


「ねぇ、神楽くん…よろしくね」


「……何がよろしくなんだ?」


「実はわたしもよく分かってないんだ……。えへへ。でも何となーく神楽くんがわたしの人生には必要な気がしてるんだよ。って、何言ってんだわたし!!カット、今のカットね!!」


 やはりどこまでが本気なのか分からない発言をしてくる。今の俺にとっては示唆に富む内容であることは確かだが。


「そうか……こちらこそよろしくな」


 これが俺の精一杯だ。倉本ひかりは、少し顔を赤くして照れくさそうに俯いた。



 トレーニングウェアを着た瀬川は、走って倉本家から帰っていった。倉本も家の中に戻り、道には俺1人が立っていた。

 俺にはまだ最後の大仕事が残っている。俺は早足で駅前の交差点まで向かった。

 1度目のときより、5分ほど早く交差点に到着した。俺はあらかじめ交差点を渡り、駅側の歩道に留まった。今回はシャーペンその他を忘れていないことを確認したので、倉本から電話がかかってくる事はない。

 俺の、仮定に仮定を重ねた推測が外れていなければ、もうすぐこの交差点に倉本父が現れるはずだ。というより、現れてくれないと万策尽きた状態だ。頼む。

 東京方面からの電車が、煌々とした光を放ちながら駅のホームに乗り入れるのが見えた。電車が発車してしばらくすると、疲れたサラリーマンたちがぞろぞろと駅から吐き出され、各々の帰路につく。

 俺は目を凝らして、その集団の中にいるはずの倉本父を探した。この交差点に向かってくる一団の中にいるはずだ……そして、、、

 ついに倉本父を見つけた。既に交差点に到着して信号待ちをしている。

 これで、これでようやく初めて一つ、世界が俺の予想した通りに動いていることの裏付けが得られた。俺の組み立てたバカバカしい机上の空論に対して、アウトプットが合致してくれた。今その意味を色々考えている暇はない。

 もう少しで問題の時刻となる。ちょうど今、1度目と同じ状況が再現されているはずだ。

 俺は横断歩道の周りを確認した。どのような特徴の自動車だったのか、一瞬見えただけだったので記憶は定かではないが、今のところこの交差点に車通りはない。角のコンビニの駐車場に数台止まっているだけだ。

 本当に今回も事故が起こるのか、一抹の疑念が襲ってきた。

 しかし、歩行者用信号が青になり、倉本父が歩き出すと、コンビニに駐車されている車の中の一台が、突然轟音を上げて動き出した。

 真っ直ぐ交差点に向かって突き進んでいく!


「避けろ!!」


 俺は声の限り叫びながら、倉本父の腕を歩道側に渾身の力を込めて引っ張った。腕が抜けるくらいの力だ。往来の人々はみな驚いて、転倒して這いつくばりながらも横断歩道から退いた。

 猛スピードで突っ込んできた自動車は、紙一重で誰もはねることなく、突き当たりのガードレールに衝突して、止まった。自動車のフロントはぺしゃんこになっている。

 近くの交番から警察官が慌てて飛び出してきて、通行人に近づかないよう指示を出していた。この数秒の出来事に、あたりは騒然としていた。


「君、どうもありがとう。危ないところを助けてもらったよ」


 よろよろと立ち上がりながら倉本の父親は言った。


「いえ……ご無事で何よりです」


 これは俺の心の底からの言葉だった。



 翌日の達成度考査当日、俺が登校すると、例によってクラス中は静まり返っていた。ひそやかな声はところどころから聞こえてくる。

 倉本も瀬川もすでに登校済みで、真剣な顔でノートに目を通していた。

 俺はそっと倉本の顔色を伺った。張り詰めた顔はしているが、不安に満ちた表情ではない。単純に試験に対する緊張感からくるものだろう。

 俺も静かに席に腰を下ろし、念のための最後の点検に取り掛かった。


 やがて、担任の桑島が教室に入ってきた。


「よーし、始めるぞ。席にはついているな。前に伝えたとおりこの試験はマーク式だからな。矛盾することを言うようだが、分からなくても埋めるように!今日の20時に学校の専用ネット掲示板に結果を掲載するぞ。

 では、1科目めの数学の問題を配布する」


 桑島から渡された数学の問題を、後ろの倉本に回す。その瞬間倉本と目が合った。彼女は一瞬緊張を解き、照れながらにっこりと笑った。

 ああ、これでもう問題はなくなったのだと、そう思った。



 試験自体は容易だった。というより問題がほとんど同じだったので、心理的な負担は全くなかった。解答を知っているわけではないので、いくつかは埋めただけとなったが、全教科8割は堅いだろう。

 試験後にその試験の答え合わせをするのは、暗黙の了解として御法度のため、最後の世界史の解答が回収された後もクラス内に緊張感が残っていた。何人かは絶望的な表情を浮かべていたが、何はともあれ、俺の高校生活最初の達成度考査は、ようやく終わりを迎えたようだ。


 倉本が後ろから俺の肩をつついた。


「ね、神楽くん、昨日の夜、うちの最寄駅前ですっごい事故あったの知ってる?ていうか、もしかしてわたしのパパを事故から助けてくれた?うちの制服を来た男子生徒に助けられたらしくて、お礼がしたいみたいなんだけど……。あの時間に駅近くにいたのって神楽くんだよね?」


「いや、そんな事故知らないな。瀬川じゃないか?」


「俺じゃねえよ。駅は方向反対だし、うちの制服来てたんだろ?俺はトレーニングウェアだったからな。俺はそのころ頭の中で復習しながらひたすら走ってたよ」


「じゃあ別のやつがたまたま通りかかったんだろう。というか、親父さんに何もなくて良かったな」


「ほんとそうなんだよね。でも神楽くんじゃないのか……。その事故を起こした人って、わたしのパパの会社が4月に買収した小さい製薬会社の元社員で、東京で連続通り魔事件起こしてたんだって。こわ〜」


「そうだったのか。危ないところだったな」


「最近M&Aが多すぎるんだよ。そいつもその犠牲者とも言えるな。俺の親父の会社もその煽りをモロに受けてるぜ」

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