1章 達成度考査 編 10

 翌日、俺は登校した。

 今回は明確に情報収集の目的を持って学校生活を送るつもりだ。前回のように引きこもっていると、ループ脱出のためのシグナルを見逃す可能性がある。


「おはよう、倉本。……昨日は慣れない環境に少し疲れていたんだ。変な態度を取ってすまなかったな」


「いやいや、全然。そういうこともあるよ!」


「ああ、ありがとう」


 俺は黒板の横の時間割に目をやった。


「1時間目は物理だな」


「そうだね。単振動の分野がわかりやすいといいなあ。微分使った解法にまだあまり馴染めてないんだよね。交流回路もあんまり得意じゃない……RLC回路とかさ」


 似た発言を以前も聞いた。


「お二人さんおはよう」


「おう、瀬川。って、お前そんなヘッドホン持ってるのか?」


 瀬川はいかにも高級そうな、白とシルバーを基調としたヘッドホンを頭に装着している。こいつの趣味なのかは分からないが、やたらと威嚇的だ。

 制服は、1度目と同様に着崩している。


「へへっ、昨日親が競馬で一発当てたから買ってもらったんだ。ノイキャンも付いてるから没入感すごいぜ、これ」


「瀬川くん、音楽興味あったんだ〜。意外」


「失礼だな。俺も邦楽ロックくらい聞くよ」


「ふーん、クラシックは?」


「そんなもん聞かねえ」


「え〜、その自慢の没入感で入学式で演奏されてた曲とか聞いてみてよ!」


 俺も瀬川に音楽の趣味があるのは意外だった。

 ただ、それより重要なのは、このイベントが前にはなかった点だろう。事象は毎回少しずつ異なっている。強い意図が働く場合は変わらないのかもしれないが、細部はどうとでも変わりうる。

 それが正しいとすると、俺が試験当日の夜の同時刻にブラックアウトするのは、何物かの強い意図の結果ということになる。

 この点は、仮定に追加すべきかもしれない。



 放課後、1度目と同様に、俺と倉本と瀬川は授業の批評会を開いていた。

 俺からすると、経験済みのイベントなので、各自のコメント内容自体には新鮮味はない。重要なのは、とにかく何かしらの兆候を見逃さないようにすることだ。それが本当にループから抜け出すために必要かどうかは関係ない。違いを探し続けなければ、答えへの道を組み立て続けなければ、指針が無さすぎて気が狂ってしまいそうだ。


「わたしは数学は微妙だなあ。あれなら自分で勉強したほうが効率良さそう〜」


「そうだな。俺も数学は切る可能性がある。神楽はどうなんだ?」


「俺はペースを守りたいから、一応全部の授業に出るつもりだ。

 なあ、良かったら俺たちで勉強会を開かないか?そこで倉本と瀬川が出てない授業の小テストとかの情報を提供するぞ?」


 1度目、精神的な安定性を優先して、この提案は忌避した。今回は試験に関するアドバンテージもあるので、踏み込む価値は十分にある。

 ここからは展開が変わるはずだ。


「うーん、どうしようかなあ」

 倉本は拒否こそしないものの、そこまで乗り気ではないようだ。


「傾向を知るために小テストの問題とか授業の内容は知りたいけど、2ヶ月って短すぎて、他の人との相対位置を測りすぎると逆に危険な気がするんだよね〜。瀬川くんはどう?」


「俺も同感だな。小テストの問題とノートを見せてくれ、ってのは虫が良すぎるか?」


 微妙な探り合いが脳を刺激する。


「さすがにタダってのはな。ギブアンドテイクだろ」


 倉本がこちらを見て不思議そうな顔をした。今まで見たことのない、真っ直ぐ裏まで見透かすような目だ。少しぞくっとする。


「それって、わたしたちは小テストとかをテイク出来るけど、神楽くんは何をテイクするの?まさか苦手だから教えてほしいってわけじゃないんだよね?」


「俺がテイクするのはな……お前らとの友情だ」


 大真面目に見栄を切った。これくらいの展開は予想しており、答えは用意していた。


 2人はぽかんとしていたが、


「まじ?ぷっっっ友情って、あーはっはっは!」


「神楽、出会って2日目でそりゃねーだろ!」


 ここで引かれて終わる可能性もあったが、上手いほうに転んだ反応だった。


「いやいや、俺は至って真面目だ」


 2人には、俺の発言が嘘偽りも誇張もなく、真剣そのものに見えるだろう。理由はどうであれ、本当に関係を構築したいと思っているのだから、言葉に重みがあるはずだ。

 倉本と瀬川は、しばらく腹を抱えて笑っていたが、俺が突っ込み待ちで言っているわけではないと気づくと、俯いて少し気まずそうな顔をした。


「まさかこの学校に正面切ってそんなことを言う人がいるとはね……。しかも出会って2日目に。面白かったから、打算かどうかは度外視してあげるね。分かった、わたしからは友情をギブするよ。うわ、思ったよりはずかし〜」


「俺は倉本ほど優しくないぞ。ただ、友情の約束手形みたいなものはギブしてもいい。期日は試験結果発表日の翌日だ」


「おいおい、遠回しすぎないか?瀬川ってそんなキャラなのか?それに試験結果発表日って……」


 試験日その日のことだぞ、と言いかけて口をつぐんだ。試験結果が当日の20時に発表されることは、倉本と瀬川が恐らくまだ知らない事実だ。

 他の人が知らない事実を言い当てて予言者ぶるのは余興としては面白いかもしれない。しかし、実際はリスキーな行為だということに気づいた。

 そもそも予言した瞬間に未来が変更を受ける可能性がある。話は異なるが、類推として量子論における観測の問題を想像してみればいい。この場合、俺はただの嘘つきに成り下がる。

 また、何らかのタイムパラドックスにより世界が突如崩壊する危険性もある。情報の先後を捻じ曲げてしまった瞬間、ブラックアウトして戻されるということもあるかもしれない。

 もちろん、感覚的に一番ありそうなのは、世界は矛盾を内包しながらも何も起こらず進行する、というものだ。しかし、俺はそれを試す程度にはこの世界を信用していない。今は何故かブラックアウトという仕組みが働いているが、本当に世界が崩壊してしまったら、それこそ、どうなるか全く予想がつかない。ルールが分からない中でもがくとはそういうことだ。これからも不用意な発言は避けなければならない。


「試験結果の発表日がどうかしたの?」


「いや、いつなんだろうなと思ってな。あんまり引き伸ばされると嫌だし」


「例年どうなんだろうな。部活とか入ってると先輩に聞けそうだけど。あとは兄弟がいるやつとか。ま、さっきの話、とにかく俺からは6月以降の友情をギブするよ」


「分かりにくいなあ。ほんとお前、金融商品の開発の才能とかあるんじゃないか?」


「そうか?確かに俺の親父は証券会社勤務だから、その辺の考え方には馴染み深いかもしれん。俺自身もそっち方面を目指してるしな」


「へぇ〜そうなんだ」


 ちょうど良い。この流れで、倉本の父親の職業を聞いておいた方が、後々の情報の整合性の点から良いだろう。


「倉本のお父さんは何の仕事してるんだ?」


「うちのパパはね〜、製薬会社の役員だよ」


 相変わらずさらっと言う。1度目は社名を言っていた。

 さらに突っ込む。


「どこの製薬会社なんだ?」


「どこって……。明星バイオ製薬ってとこだけど、何でそんな知りたいの?」


「俺、製薬関係興味あるからさ」


 これはまんざら嘘ではない。俺は小学生のときに『薬の大図鑑』なる本を読んで、薬好きになった。大学は薬学部を目指している。


「で、話戻すが、勉強会やるんだよな?いつどこでやるんだ?」


「どこがいいかな〜。カフェとかでも良いけど、長時間占拠するのは気が引けるよねえ。かと言ってわざわざ場所をレンタルするのも大袈裟だしなあ……。頻度については毎週金曜日とかでいいんじゃないかなあ?」


 倉本は慣れてきたせいか、徐々に口調が崩れてきている。


 試験は木曜日に実施される予定なので、前回事故に遭遇したのは水曜日ということになる。毎週金曜実施の勉強会であれば、これを避けることができるので、とりあえずは問題ないだろう。

 場所は、不要なトラブルを防ぐという目的から、前回同様倉本の家が望ましい。


「何なら、俺の家でもいいぜ」


 瀬川が余計な提案をした。これは阻止する。


「そうだな、誰かの家っていうのが妥当かもしれないな。でも瀬川の家って学校から近いのか?遠いと結構時間ロスだぞ」


「ちょっと遠目だな。都内だよ。墨田区だ」


??墨田区?


 俺の記憶違いでなければ、1度目、試験前日に点検会を実施したときは、江戸川区と言っていたはずだ。

 まさか嘘を言っているのか?


「江戸川区じゃなくて墨田区なんだな」


 これくらいの鎌掛けは許されてほしい。


「??そうだが。錦糸町駅のあたりだ」


 瀬川は怪訝な顔をする。


 嘘をついているようには見えない。とすると1度目のときに嘘をついたのか?いや、あの状況、江戸川区か墨田区かの違いで瀬川に嘘をつくメリットはない。根っからの嘘つきというのなら別だが。

 これは、ループの中のゆらぎの一種と考えた方がよさそうだ。


「そうなんだ〜。錦糸町だったら電車で30分くらいだから実はそんなに遠くないかも?」


 待て待て。倉本ひかりは案外脇が甘い。そんなんじゃ大学生になれないぞ。


「でも倉本は大丈夫なのか?客観的に見ると、テストの勉強会とはいえ、入学そうそう男子の家に行くなんて少し異常だと思うが?」


「確かにそうだね〜。他の女子がいるとか嘘をつくことは出来るけど、夜遅くになっちゃったら怖いし、うちのパパ厳しいからなあ。万が一わたしがそんな状況ってバレたら、それこそ転校させられちゃうかもなあ……」


 話の軌道修正が出来てきたようだ。


「うーん、じゃあママにうちでやっていいか聞いてみるよ。それでいいよね!そんじゃあ、とりあえず3人でチャットの連絡先交換しよっ!」


 俺たちは連絡先を交換した。

 何とか勉強会の約束を取り付けることができた。これでやっとスタートラインに立った気がする。


「でもさあ……」


 倉本は上目遣いで俺を見た。


「誰かの家が良いって言ったの、神楽くんじゃん?で、男子の家にNG出したのも神楽くんじゃん?それじゃあ、初めからわたしの家に来たかったみたいだよ?」


 俺は背筋が寒くなった。やはり倉本ひかりは侮れない。

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