1章 達成度考査 編 09
「神楽くーん!」
聞き覚えのある声の女子に呼ばれて、意識が引き戻された。
もう考えなくても分かる。倉本だ。
視界が回復した。そこは3度目の見覚えのある学校の廊下だった。
もう一度倉本に呼ばれたが、俺は声のほうを振り返らなかった。訳が分からなかった。今回起こっていることすべてに、きちんと合理的な説明が欲しかった。
今までずっと理詰めを追求した生き方をしてきた。真の意味で最適解を出せていたかはともかく、殊、人生に関わる分岐点では、自分の考えうる範囲で最も理に適っていると思う選択をしてきたつもりだ。
この高校を選んだのもその一環だ。社会の上層に食い込むためには、ここで実施される極度のスパルタ教育をクリアし、OBの名簿に名を連ねるのが最もインパクトがあるし、実際に能力も保証される。OB同士の横のつながりは強固だとも聞く。
それなのに、どうしてこの俺の周りにだけ、このような強権的な不合理が幅を効かせるのか……。恐怖を通り越して怒りが湧いてくる。なぜなのか?
俺は人間の感情の中で怒りを最も軽蔑している。あえて怒りを演じることは、大いに有りだ。人を動かす装置としての「怒り」には価値がある。しかし、リニアな感情の発露としての怒りは、非効率の極みだ。効果があるかどうかは運ゲーである。運が悪いと、やりたいこととやっていることが直交して仕事が0になる可能性もあるし、最悪マイナスの仕事をすることもある。
だが、この状況には、この状況を産んだ世界には怒りを禁じ得なかった。このような事態が周りで起こる分には全く問題はないし、興味も無い。わざわざ俺を対象として起こってほしくはなかった。
こんなタイムトラベルを、俺は望んでいない。
ずっと声を無視して立ち止まっていたためか、倉本が回り込んで俺の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?もしかして怒ってる……?」
「ああ、恥ずべきことだが俺は今激怒している」
感情のベクトルが発散していて、収拾がつかないのだ。
「わたし、何か気に触るようなこと言ったかな……?」
倉本からしても訳が分からないだろう。彼女から見ると、俺とは先ほどまで普通に会話していたのだから。
「いや、倉本は関係ない」
「そうなんだ……悩みがあるなら聞くよ?」
倉本は良い娘だった。1度目のとき、あまりにタイミング良く事故に遭ったため、何らかの理由から倉本が俺をハメた疑惑もあったが、そうではなく単純に不運な偶然の重なりだったのだろう。
「ああ……そうだな。ありがとな、倉本」
「うん……」
倉本と話して、俺は少し冷静さを取り戻した。
この世界に対して生理的な嫌悪感はあるが、覆水盆に返らずということだ。起こってしまったことは仕方がない。付き合っていくしか方法はない。一旦現象を受け入れて分析しようと思う。
まったくもって不本意だが。
俺は一度大きく深呼吸した。心臓の鼓動が一瞬速くなり、またゆっくりとなった。
まず言えそうなことがある。それは、この現象はいわゆる「死に戻り」では無い可能性が高いということだ。1度目こそ死を疑ったが、2度目はただ入浴していただけであり、外傷も持病もないので、突然死したとは考えにくい。
そうすると、何が戻ってしまうトリガーになっているのか。
記憶を探ると、どうやら1度目も2度目も同じタイミングでブラックアウトしているようだ。確かどちらも20時半くらいだった。n=2なので確実とは言えないが、俺の状態がどうであれ、その時刻になると自動的に終了してしまう可能性がある。
そして、繰り返しの起点は何故か入学式の日だ。この日が選ばれる理由もまた不明だが、その後の過ごし方で何らかの分岐が起こるのかもしれない。
ただ……俺の中に恐ろしい考えが浮かんだ。
俺は今、答えがある前提で話を進めているが、根本的な疑問として、そもそもこのループから抜け出す解は存在するのだろうか?
ひょっとすると、真の意味でエンドレスに高一の4、5月を繰り返すことになっているのかもしれない。時が戻る仕組みがこの世に憚っている以上、それは十分にありうる。もしゲームの無限ループバグのような形で、俺が内部から干渉できないのだとしたら、もう為す術は無い。
しかし、今はひとまず解が存在すると仮定して、考えを進めよう。解が無いということを悟れば、つまり完全に諦めることができれば、それはそれで好き放題してやる。すべて巻き戻るのだから、法や社会の秩序なんて知ったことではなくなる。2ヶ月の繰り返しだが、この世はある意味パラダイスと化すだろう。その場合に危惧すべきは、何らかの特別な行動によって無意識的にフラグを立ててしまい、クリアしてしまうことだ。好き放題した回にクリアしてしまうと、後には絶望と後悔しか残らない。
では、原理的にはクリア可能だとして、その条件は何なのか?
さっきも考えたが、確実なことは、同じ日のほぼ同じ時刻にブラックアウトが発生しているということだ。あの瞬間に俺の預かり知らぬところで何かが起こった結果、強制終了しているのかもしれない。
何故俺と直接関係のない事象が、俺の人生に干渉してくるのか不明だが、今はそう考えるしかないだろう。となると、その事象を特定することが重要だ。
これについても、何も前提を置かずに考えると、例えば遠く離れたある国で、ちょうどその時間に誰かがマリファナを吸引した、それを阻止すればクリア、とか突拍子もないことがトリガーになっている可能性がある。馬鹿みたいな話だが、こちらからルールが見えない以上、明確な否定はできない。
しかし、根拠は無いがひとまずそれも無く、トリガーは俺の手の届く範囲に存在すると仮定しよう。
この仮定は絶望を回避するのに非常に大切だ。
ここまで仮定を置くと、これからやるべきことがようやく見えてくる。
試験当日もしくはそれまでに、俺の「手の届く範囲」で起こることの調査だ。
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