1章 達成度考査 編 07
はっと目が覚めた。自宅だった。
携帯で時間を確認すると、21時前。日付は相変わらず4/9だった。5時間程度眠ってしまったようだ。俺の目には、世界はまだ連続性を保っているように見える。
睡眠を取ったおかげで、いくらか頭がクリアになった。少なくとも俺は今考えることが出来る。それは確実だ。
嘆いていても何も生み出さない。思考という、俺に与えられた唯一の武器を駆使して、この不条理に立ち向かっていく他ない。
俺はこの世界において、これまで経験したことのない不可解に直面している。しかし、今のところ日常的な物理法則は崩壊していないし、その気配もない。
スイッチを押せば電気が点くし、コップを傾ければ水がこぼれる。このあたりは逐一恐れていても仕方がない。とにかく生活を推進していかなければならない。
それに、恐ろしい事態が起こっているとはいえ、これはチャンスと捉えるべきだ。俺は間違いなく一度事故に遭った。あれが夢だったなんて言わせない。俺はそのせいで達成度考査を受けることができず、退学が決定したはずだった。だが、どういう仕組みか分からないが時は巻き戻り、今、もう一度試験を受けられる状況にある。
こんな幸運は二度と訪れないかもしれない。与えられた機会は活かすべきだろう。
俺はいわゆる、「死に戻り」というやつに遭遇したのだろうか。簡易検査では見つからない障害が脳に生じていて、丁度公園でそれが破裂した。その結果、俺は死に至った。そして理由は不明だが巻き戻った。
「死に戻り」なんていうものは、おとぎ話の中にしか存在しないシステムのはずだったが、現在俺が置かれている状況は、それと非常に酷似している。
携帯のリストを確認したが、当然、今の時点で倉本と瀬川の連絡先は登録されていなかった。
この世界では、明日からまた試験当日まで、達成度考査突破のための詰め込み期間が始まるわけだ。
もう一度繰り返されるというならば、正直なところ授業を聞く必要はないのかもしれない。どのような授業が展開され、どのような小テストがあるか、俺は既に把握している。それに、最終日の桑島の話からすると、出席点も無い。俺はとにかく試験前日の事故さえ回避できれば、無事に試験を受けられるわけだし、そうすれば、「死に戻り」も発生しない。
何なら万全を期して、まったく外出しなくても良いかもしれない。食事は、費用が多少高くつくが、すべてデリバリーにすれば良いし、ビタミンのために朝起きればベランダで日光浴すれば良い。現状、家には書籍は教材しかないが、勉強に飽きたらネットサーフィンで暇つぶしすることにすれば良い。
とにかくこの状況を貪欲に活用することを考えよう。
かくして、この2ヶ月間を過ごす方針は決定した。
次の日から、起きて食べて勉強して寝るだけの日々が始まった。
もともと万全に試験対策を行なっていた上に、他の人の2倍くらいの勉強時間があるのだから、まだ実際の問題を見たことがないとは言え、試験に対する不安はかなり薄らいでいった。
ひたすら機械的に日々の生活をこなす。1週間ほどこの生活を続けると、さすがに身体が鈍ってきたので、部屋の中でストレッチを行ったり、筋トレを行ったりした。動画を再生しながらエアロビクスを試したりもしてみる。
引きこもり生活を送っていると、だんだんと自分が異常な事態に巻き込まれているというような意識は希薄となっていき、6月以降の学校生活に思いを馳せるような余裕まで生まれていた。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、である。
まず、大きな点としては部活動に所属できるようになる。それに10月には「幕祭」と呼ばれる文化祭兼地域交流会が開催される。この幕祭は、千葉名物の一翼を担っており、何と幕張にある大型のイベント会場を貸し切って実施される。当日は海浜幕張駅から会場までずらっと行列が出来るほどの人気を誇る。
それでも暇を持て余したので、妹にチャットを送ったが、漏れなく無視された。薄情な妹だ。ただ、事故のあと病室を訪れた親の発言からすると、それなりに身を案じてくれているようだ。
親にもチャットしようとしたのだが、普段しないことをすると余計な心配を与えてしまうということに気づきやめておいた。
GWを過ぎたあたりで、手持ちの参考書のネタも尽きたので、ネットで数冊難易度の高いものを購入した。
思考力を問う問題に取り組んでいると、1日の時間は面白いほど矢のように過ぎていく。それからは、俺は毎日思考力養成問題に取り組んで時間を潰した。
そして俺は入学式以降一度も外出することなく、5/31の試験日を迎えることが出来た。
達成度考査の朝、俺は食パンと濃いコーヒーを朝食に摂り、およそ2ヶ月ぶりに学校に向かった。
非常に規則正しい生活を送っていたため当たり前だが、体調は万全だ。もし今、風邪なりインフルエンザなりに感染してしまったとしても、発症する前に試験は終了するだろう。通学路中の事故だけに気をつければよい。
1度目の不慮の事故は、俺の中に苦い記憶として染み付いていた。俺は交差点ごとに何度も左右を確認し、素早く渡るということを繰り返した。信号のある交差点では、渡っている最中も車が侵入してこないか確認し、渡り終えた後は後ろを確認した。駅のホームでは、完全にストップするまで電車には近づかず、素早く乗り込んだ。
周りから見ると一体何に怯えているのか分からないくらいの挙動不審ぶりだっただろう。しかし俺は不審者として見られることを厭わず、確実に学校までたどり着くことを選択した。無事に試験を受けられることを考えると、他人の目線など安いものだ。
とにもかくにも、試験を受けるというスタート地点に立ちたかった。
そして怯えながらも、ついに校門まで辿り着いた。
俺はほっと胸を撫で下ろした。とりあえず俺は、何をやっても裏目に出るような、極めて不運な星の下に生まれたわけではなさそうだ。あとは、実際の試験を乗り越えられるか否かだ。
教室は静まりかえっており、時々ひそやかな声で要点を確認する声が聞こえるのみだった。皆、真剣な顔つきで、最後の点検を行っていた。
余計な音を立てないように、俺はそっと自席に座り、周りと同じように要点の確認を開始した。
空気は重くて硬い。ともすると空間に割れ目が出来そうなくらいの硬さだ。
俺はここに来て少し不安になってきていた。試験会場の雰囲気を敏感に感じ取ったせいだろう。
この2ヶ月間、俺は無事に当日を迎えられることに全てを掛けてきた。それさえ達成できれば、流れに身を任せて後は万事上手くいくと。
しかし本当にそうなのだろうか?俺の全く想定外の問題が出題され、その動揺を回復できないまま、崩れ去る可能性は多いにある。何せこの試験はリカバリーの手段が皆無なのだ。最初の1科目から崩壊して、あとの試験は意味をなさないこともあるだろう。逆に最後の1科目ですべてが台無しになることもある。ただし、途中で受験を放棄することは認められていない。
この試験を受けること自体は初めてなので、そのあたりの心のカスタマイズは十分ではなかった。しかし、今とやかく言ってもどうしようもない。とにかく、自分がやってきたことを信じて、ひとつひとつ確実に乗り越えるしか道はない。
ふと、窓際先頭の銀髪ピアス女子のほうを見やると、例によって携帯をいじっていた。以前にも増して詰まらなさそうな顔だ。まったく緊張感は感じられない。
余裕だな……
その余裕を少しでいいから俺にも分けてくれ、と願った。そうすると、不思議なことに、あいつが余裕なのだから、俺も余裕のはずだという全くもって根拠のない自信が復活してきた。
自信とはこのように根拠のないものであり、根拠のない思い込みを自信と名付けるのだ。
間違いなく、奴は確実に受かる術を持っている。信じられないかもしれないが、受かる術を持っているやつは、外乱の大小に関わらず必ず受かるものなのだ。それが真の実力というものだ。
一桁の足し算のテストで落第点を取る高校生は極めて少ないだろう。そしてもし、その足し算のテストの結果で退学かどうかが決まると言われても、大抵の高校生は動揺せずに詰まらないと感じるだろう。
それと同じことだ。虚勢ではない。彼女は本当に詰まらないのだ。
担任の桑島が教室に入ってきた。かなり久しぶりに顔を見る気がする。
「よーし、始めるぞ。席にはついているな。前に伝えたとおりこの試験はマーク式だからな。少し矛盾することを言うが、分からなくてもすべて埋めるように!今日の20時に学校の専用ネット掲示板に結果を掲載するぞ。
では、1科目めの数学の問題を配布する」
桑島から渡された数学の問題を、後ろの倉本に回す。その瞬間に倉本をちらっと見ると、この世の終わりのように不安そうな顔をしている。この回では、思うように勉強が進まなかったのかもしれない。
この顔つきでは合格は厳しいかもな、と思いながら、俺は数学の問題に取り組み始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます