1章 達成度考査 編 02

 桑島はこの後、入学後に一旦必要な手続きなどを説明し、ホームルームを終了した。

 各自には達成度考査の過去問の束が配布された。学校専用のネット掲示板の、全学年共通のページにも掲載されているとのことだ。

 過去問を数えてみると30年分ある。この学校の設立がちょうど30年前なので、設立と同時に始まった試験ということになる。マークシート方式という点は、当初から変更ないようだ。


 明日から早速授業が始まる。

 黒板の横に時間割が張り出されている。桑島は授業に出ることを推奨していたが、学校側の配慮なのだろうか、明日だけは全て試験に関わる座学の授業となっており、授業の雰囲気を知って、その要否を見極めることが可能となっている。

 クラスメートはそれぞれ帰宅の準備をしながら、再びざわざわと会話しているが、少なくとも明日は出席して様子を見るというのが大勢のようだ。桑島のスピーチの内容を鑑みると、当然のムーブだろう。 


 プリント類をカバンに詰め込んでいると、倉本に後ろから肩をつつかれた。


「神楽くんは、明日くるの?」


「ひとまずは授業の様子を見るために来るよ。桑島も豪語していたしな」


「統計なんて当てになるかよ。準備が間に合わなくて不安に押しつぶされた生徒が来なくなった可能性もあるじゃんか」


 先ほど桑島に質問を投げかけていた瀬川が会話に入ってきた。

 席が近いということは会話が起こりやすいということである。逆に言うと初期グループはこれで決定してしまうということだ。


「瀬川だっけ。お前も明日は来るんだろう?」


「まあな」


「部活が始まるのも6月からなんだよね。無事に最初の試験を突破できるといいなあ」


「倉本はどの部活に入るつもりなんだ?」


「わたしは小さい頃からバイオリンやってたから、オーケストラに入りたいんだよね。ほら、入学式で演奏してたでしょ?すごく上手だったよね。瀬川くんと神楽くんは?」


「俺は陸上部だな。長距離専門なんだ。中学のときは全国大会出たんだぜ。結果はそこまで芳しくなかったけどな。とにかく走るのが好きなんだ」


 瀬川はマラソンか。それにしても結構本気で陸上に取り組んでいたようだが、なぜこの高校にいるのだろう。これは純粋な疑問だ。

 だが、今そんなことを聞いても仕方がない。


「俺は…特にまだ決めてないな。中学は帰宅部だったしな。確かに入学式の演奏は印象的だったから、初心者を受け入れていればオーケストラも良いかもしれない。音楽は良いもんな」


 間髪入れず倉本が食いついてきた。


「うちのオケ上手いよね!嬉しいな、一緒に入ろうよ。確か初心者でも入れたはずだしさ」


「そうだな、前向きに考えとくよ。まあまずは試験突破だな」


「あーそれやんわり断るときの常套句じゃんか」


 俺は荷物をまとめ、席から立ち上がった。


「じゃあな。また明日」


「じゃあね〜」


 教室の前の扉に向かう。俺は頭の中でこの2ヶ月の学習計画を立てていた。

 まずは過去問を近い年度から一通り解いてみて、難易度の感触を掴むのが先だろう。周りで勉強会なども開催されるならば、参加するかどうかは別として、その情報にも目を光らせなければならない。


「神楽くーん!」


 後ろから倉本が俺を呼んだ。振り向こうとした瞬間、俺の目の奥に鋭い痛みが走った。何だ?


「頑張って同じ部活入ろうね〜!」


「おう……まだ決めてはないけどな」


 痛みはすぐに引いた。振り向く際に変な捻り方をしてしまったのかもしれない。

 倉本は同じクラスに部活仲間が出来そうだということで、それがモチベーションのアップにつながったようである。そういえば、オーケストラのようなメンバーの欠如の影響が大きい部活は、どのように運営されているのだろう。このあたりは6月になってから改めて調べてみよう。

 俺の頭は再び、試験対策のスケジュールに戻って行った。



 翌朝は予想通り、クラスのほとんどの生徒が揃っていた。さすがに一度くらいは学校の授業を受けておこうという判断基準は共通であるようだ。ただ、隣の席の瀬川はまだ登校していない。


「やっぱりだいたいみんな来てるね。神楽くん」


 倉本はひそひそ声で俺に話しかける。


「1回目だからな。逆に初っ端からサボれるやつは猛者だが、瀬川はまだ来てないな……。そういや、倉本は得意不得意あるのか?」


「わたしは数学は得意だけど、理科はちょっと苦手なんだ。特に物理」


「ちょうど1限目は物理じゃないか。楽しみだな」


「そうだね。単振動の分野がわかりやすいといいなあ。微分使った解法にあまり馴染めなくって。交流回路もあんまり……位相がずれるところとかさ」


 高一のこの時期でこの発言は良いパンチだ。しかし無意識だろう。倉本自身には、知識をひけらかす意図はなかったに違いない。何せこの学校は基本事項履修済みが標準なのだから。


「倉本は振動すると苦手なんだな」


「そうかも。早いところ克服しないとね」


「お二人さん、おはよう」


 瀬川がやってきた。昨日より制服を着崩しており、青いネクタイはだらしなく垂れ下がっている。これがこいつの標準スタイルなのだろう。新生活において、スタイルの確立は重要なことだ。


「おはよう。来たんだな。昨日統計について文句を言っていたから、もしかするとサボるかと思っていたが」


「そこまで冷静じゃないように見えたら心外だな」


「すまんすまん、気にしないでくれ」


 授業が始まるまで、俺たちは試験と関係のない他愛もない会話をした。お互いに昨日どれだけの過去問を解いたか、などという露骨な話はしない。これは落とし合う試験ではないにせよ、そのあたりのデリケートな話題を直接的に振る程度には仲良くはなっていない。ひょんなことから有用な情報が入ってくるかもしれないと考えての、あくまで表面上の付き合いだ。

 始業のチャイムが鳴り、教師が入ってきた。まさかのブロンドヘアにサングラス、迷彩柄タンクトップの女性だ。俺は思わず二度見した。自由すぎる。


「着席せよ。私は物理を担当する小宮ステラだ。2-Aの担任でもある。この講義は、高校物理の範囲を一通りさらっている学生を対象とする。万が一まだ取り組んでいない学生は、至急取り組むように」


 欧米系とのハーフのようだが、日本語は非常に流暢だ。


「これから1週間ずつ5週間かけて、力学・波動・熱力学・電磁気・原子物理の講義を行う。

 講義は理解を誤りやすいところ、複雑な箇所に絞って行う。各授業の最後10分に、私手製の理解度確認テストを行う。本質だけを抜き出した、基本事項を本当に理解しているかどうかが丸裸となるテストだ。

 これに初めから満点を取ることができたり、満点は取れずとも復習でしっかりと理解できた者は、少なくとも物理の達成度考査では8割を超えることを保証しよう」


 スタンスは非常に分かりやすい。マイルストーンのように小テストを実施してくれるならば、自分の理解度も把握しやすいし、路頭に迷う危険がなくなる。


「諸君、何か授業の進め方に関して質問はあるか?」


 何となく軍隊チックだ。誰も手を挙げなかった。進め方よりも授業そのものに興味がある。


「では早速、力学の講義に入る。皆知っての通り、ニュートン力学の範囲では運動方程式はこのかたちで書かれるが……」



 授業は流れる水のように滞りなく進んでいく。毎年このように真剣な生徒群を相手にして、同じ内容を行なっているからだろう。まったく無駄なフェーズなく進行される。強調すべきところは、丁寧にしっかりと説明される。良い授業だ。


 最後の10分で力学分野の小テストが実施されたが、俺の結果は満点だった。見てみると、倉本も瀬川も満点のようだった。このあたりは流石この学校を志望してきている生徒といったところか。


 物理の授業が終わり、束の間の休憩時間となった。倉本は思いっきり伸びをしていた。


「力学なのにやたらと密度濃いねー!ここまで眠くならない授業は、わたし初めて受けたかも。先生もビジュアルのインパクト強いし」


 瀬川もその点は同意したようだ。


「ああ、説明が簡潔で分かりやすい。加えて少し視点を変えた別の言葉でも説明されるから、知った内容でも新鮮さがあるな。リズムも良い。小テストも内容が洗練されてる」


「全部がこんな感じだったら、授業切る人なんていないんじゃないかな?」


「そいつはどうだろうな……。切羽詰まったやつは何考えるか分からないからな」


 俺は数学の準備をしながら答えた。


「次は数学だね!楽しみ〜」


始まりのチャイムが鳴り、数学教師が部屋に入ってきた。



 放課後、俺と倉本と瀬川は、教室に残って今日受けた授業の批評会を行っていた。


「わたし的には数学はちょい微妙だったかなあ。淡々と問題を解くだけだったし。あれなら自分でできそうな気がするよ」


「確かにな。俺も数学は切る可能性がある。神楽はどうなんだ?」


「俺は一定のペースを守りたいから、全部の授業に出るつもりだ。数学も小テストでよければ見せてもいいぞ」


「ほんと?神楽くん良い人だね〜。そいじゃあさ、この3人で連絡先交換しようよ!もし病欠とかしたら、融通するってことにするのはどう?どうかな?」


 倉本は思ったよりも軽快で砕けた話し方をするやつなのかもしれない。声のトーンはアルトで変わらないので、少しばかりギャップがあるが、それも面白みだろう。


「俺はいいぞ。もっとも、全部出る予定の神楽にとっちゃあ、あんまり旨みはないかもしれないが」


「まあ、何だかんだ言って俺たち普通の高校生だからな。旨みとか言っても仕方ないだろ。普通に一緒に勉強出来るやつ欲しいしな」


 最後のところは本音だ。

 極めて実力があり、合格基準を楽々突破している場合は別にして、試験対策においてぼっち戦略は悪手のことが多い。

 表面的に捉えると、今から試験まで、睡眠時間と風呂その他の生活時間を除くすべての時間を勉強に費やすことが出来るように見えるが、実はその中で有効に使える時間は最大7割程度だ。これは俺の経験則だ。しかも、その7割を本当に試験勉強のみに充てるためには、残り3割は意図的に試験勉強以外の活動に充てる必要がある。俺の場合、その3割を試験に関係のない授業や登校にかかる時間に割り振るつもりだ。


「OK。じゃあ俺と神楽と倉本でチャットの連絡先交換しておこう」


「おっけい!」


 チャットアプリを起動する。俺の連絡先に、倉本ひかり、瀬川洋平が追加された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る