授業中におもらしする芝居の練習で本当におもらしした話

「んん…… くぅ…… 」


 口から勝手に声が漏れる。今は授業中だから静かにしてなきゃいけない。けど、どうしても押さえられない。もし声を押し殺していたら別のものが漏れ出していたかもしれない。


(あぁ、ダメ…… もう、我慢、ムリ…… オシッコ、出ちゃう…… )


 背中を丸めたまま目線だけを上げる。目に映ったのは忙しなく黒板に数式を書き込む若い男の先生。そしてその少し上にある時計。時計の針は授業が終わる五分前を指している。つまりあと五分、たった五分我慢すれば私の目的は達成できる。でもその五分が今は永遠に思える。


 頭の中には後悔の念が渦巻く。昨日の夜、コーヒー片手に遅くまで勉強なんてしていなければ。朝、寝坊なんてしなければ。一限目の終わり、友だちと「午後のテストど〜しよ〜」などと無駄話をしていなければ。どれか一つでも違っていたなら私は今こんなに苦しんでいなかった。でも実際問題、私はお腹にたっぷりたまったオシッコに苦しんでいる。どれだけ過去を思い返してもこの事実は変わらない。


(うぅ…… ダメ。漏れちゃう…… これムリ、かも。やっぱり、言わな、きゃ…… )


 また目線を上げ今度は時計ではなく先生を見る。先生は険しい顔でなにか呪文のようなことを言っている。…… ダメだ、やっぱり怖い。


 数学の先生は厳しいことで有名だ。授業中の私語は絶対に許さず、少しでもざわつこうものならその間授業を中断してざわついていた時間だけ授業を延長する。曰く「時間通り授業するのが仕事」だそうだ。延長された間は他の科目の先生すら教室に入ることができない。


 形が人であるという理由で誰にでも平等な彼のことだ。意を決してトイレのことを告げても許可が降りる保証はない。もし許可が降りなかったら、私はクラス中にオシッコが漏れそうなことを宣言した上で残り時間オシッコを我慢することを強要される。しかも多分私が「トイレに行きたいと」話していた分授業は延長されて…… ダメだ、先生に言うルートでは教室中の注目を集めて水たまりを作る未来しか見えない。


(ふぅ…… やっぱり頑張ろ。大丈夫、イケる、はず…… )


 今日何度目かわからない覚悟を決める。左手を脚の間に挟み、右手で太ももをつねる。出口を抑えている感覚や痛みで尿意を紛らわして最後まで我慢しきる作戦だ。両手を机の下に潜り込ませるのでノートは取れないが今は授業どころではない。まあ、オシッコ我慢してなくても数学の授業はわかんないんだけど。


ジョビ


(ヒッ、い、今、オシッコ、出て……)


 覚悟を決めた矢先、下着が濡れた。生暖かい温もりがじんわりと性器にまとわりつく。これはもう言い訳できない。ちょっとだけだがオシッコを出してしまった。しかも服を着たまま、トイレではなくみんなが真面目に授業を受けている教室で。


ショ、ショ、ショ


 少し出たことで体がもう出していいと勘違いしたのか。それとも性器が温められ緩んでしまったのか。原因わからないが、オシッコがとまらない。力いっぱい閉じているはずの出口が内側から無理やり開かれる。今まで感じたことのない。気持ち悪いような、心地いいような。そんな不思議な感じだ。心地よさが脳髄を直接刺激して出口の守りが緩む。


ショ、ショショショ、ジョ


 閉じている太ももにまで温もりが広がる。これ以上出したらもう、とまらない。そう直感した私はこれ以上の漏出を防ぐために全身にググッと力を込めた。


(ダメダメダメ!とめない、と……とめるぅ)


 ダンッ


 太ももをつねっていた右手をグーにして思いっきり自分を殴る。全然言うことを聞いていくれない自分の体に対する怒り。それを思いっきり体にぶつけた。


ジョ、ショー……


 その怒りが通じたのか、オシッコがとまった。それと同時にクネクネ動いていた体の動きもピタッととまる。今の体制が一番オシッコを我慢できる体制。体の全部がおもらしを防ぐポジションでとまっている。この体制を維持すればあと数分は我慢できる。でも、その先に希望はない。仮に授業を乗り越えたとしても終わりの号令で体制を崩すから教室でのおもらしは避けられない。もう、これは、言うしかない。


「せ、せんせぇ…… 」


 体に刺激を与えないように小さな声を上げながら右手をゆっくり上に挙げる。といっても体制を崩さないように動いたのでそこまで高く挙げられていない。だから、先生もこちらに気づいてくれない。


(も、もっと高く、手ぇ挙げなきゃ)


 ググッと背筋を伸ばして手をできるだけ高く挙げる。でも先生はこちらに気づいてくれない。もう大声を出すしかない。そうしないと先生は気づいてくれない。先生が気づいてくれないと私はトイレに行けない。トイレに行けないと私は……


「せんせ。せんせぇ! 」


 先生の注意を引こうと声を張り上げる。元々静かな教室だったので私の声はすぐに先生に届いた。先生はひどく面倒くさそうな目でこちら睨んでから冷たく言い放った。


「なんだ、質問か? 」


「いえ…… その、違くて…… 」


「では、なんだ? 」


「ト、トイレ! 行ってもいいですか? もう、限界、近くて…… 」


 先生からの返答はない。沈黙が教室を包む。どうしていいかわからない私は焦点の合わない目で先生の方をジッと見つめた。


バンッ!


 突然、先生が持っていた教科書で思い切り教卓を叩いた。大きな音に反射して体がビクンとはねた。びっくりしたせいでオシッコがジョビッと下着に出る。もしかしたらもう椅子まで濡れているかもしれない。


 先生は教科書を教卓において無表情のまま自分の腕時計を凝視している。多分だけど私がトイレに行って戻ってくるまでの時間を測っているのだ。そして私がトイレに行ったことで中断された分、授業を延長する気だ。でも先生はトイレに行くことを禁じてはいない。ということは私はトイレに行ける。やった、やっとこれで、オシッコができる。


(はぁ、よかった。先生が怒ったときはどうしようかと思ったけど、とりあえずトイレに行っていいんだ、よね? )


 腕時計をじっと見つめる先生に「トイレ、行ってもいいですか? 」と聞こうかと思ったが、もうそんな余裕はない。私はトイレに向かうため椅子から腰を浮かす。そのとき体制が崩れ、我慢していたものが、はじけた。


 ビュッ!


(ワッ! え? 出ちゃ…… )


 慌てて体制を戻すために椅子に座った。座るとき椅子の上の水たまりに思い切り座ってしまったらしくピシャっと雫が飛んだ。椅子に腰掛けるとオシッコの漏出はピタッととまり小康状態が訪れる。


(はぁ、ビックリした…… 全部出ちゃうかと思った…… )


 心を落ち着けて再び腰を浮かす。だが先ほどの再放送の如くオシッコがビュッ! と噴射された。また椅子に腰掛け尿意をかわす。これは、もしかして……


(もしかして、私、もう立てない? )


 仮説だが、私はもう椅子の支えがなければオシッコを我慢できない。お腹の中にはそれほどの量のオシッコが蓄えられている。座ったままのこの体制でトイレに向かわねば、私はおもらしをしてしまう。でもそんなことは不可能だ。


 私に残された選択肢は二つ。立ち上がっておもらしするか、座ってしばらく我慢してからおもらしするかの二つ。どちらもゴールは同じ。


(だったら、ゴールが同じなら、もう、頑張らなくても、いい、か)


 私の心はポキンと音を立てて折れた。


ショオオオオオオ


 脚に挟んだ左手に温かい水がぶつかる。その暖かさは太もも、お尻、靴の中と侵食範囲を広げる。チョロチョロチョロチョロ今まで一生懸命押し留めていた水がとめどなくあふれる。ポカポカ温かくて、頭がフワフワして、とっても気持ちいい。


(あぁ、ダメ。オシッコ、これ、とまんな…… )


 わけのわからない戯言が頭の中を駆け巡る。シュウウウウと体からオシッコが流れ、お腹が穴を開けた風船みたいにしぼむ。なぜか涙がポロポロこぼれて視界がゆがむ。その視線の先にはこちらに駆け寄ってくる先生が映った。


(あ、せんせ。そっか、謝ら、ないと)


 先生は私の机の近くで立ち止まりこちらに顔を近づけてきた。私は涙声で先生への謝意を伝えた。


「せんせぇ、ごめんなさい…… 我慢、できませんでした。私、おもらし、しちゃいました…… 」



「ちょ! 大丈夫っすか!? 」


 目の前の先生はひどくうろたえている。さっきまでと打って変わって口調も砕けた感じだ。あれ? おかしいな。先生は言葉遣いも態度も厳しい人のはずなのに……


「せんせ? 」


「『せんせ? 』って何言ってんすか。もしかして役に完全に入り込んじゃってるんすか? 」


 役? 役って何? お芝居とかの役のこと? 先生は私が誰かを演じてるっていうの? そんなことはない。私は私。名前は…… あれ?


(あれ? 私、名前、なんだっけ? )


 自分の名前がでてこない。そんな。ずっとこの名前で十七年間生きてきたのに…… あれ? 十八だっけ? もしかしたら十六だったかも……


 とにかく高校になるまでずっと一緒だった名前が思い出せない。それに高校以前の思い出も…… 思い出せるのは昨日コーヒーを飲んで勉強して今日教室にギリギリ滑り込み、ここでおもらししている記憶だけだ。視界の端では先生が引きつった笑顔でこちらを見ている。


「…… なんか混乱してるようなんで説明しますけど、あなたは酒依さかより 樹理じゅりさん。会ったときに俳優さんって行ってました。俺は知らなかったすけど」


「ふぇ? 俳優? 」


「そっす。で、俺はつつみ 壱成かずなり。先生じゃなくって大学生っす。酒依さんとはマッチングアプリ経由で知り合いました」


「まっちんぐあぷり? 」


「えぇ、『性癖マッチングアプリ』ってアプリなんすけど覚えてません? 酒依さんが『本気で怖がらせて欲しい』って言うから俺、気合い入れてきたんすよ。オーダー通り数学の先生っぽいスーツを用意したり塾講師が公開している授業動画見まくったり。まあ机叩いた瞬間の酒依さんのビクッって動きが想像以上によかったんでその苦労はチャラですけど、まさか漏らしちゃうほど怖かったとは…… 」


「あ、あ…… 」


 ぼんやりした意識が徐々にはっきりしてくる。そうだ、彼の言う通りだ。私は酒依 樹理。俳優だ。といってもネット配信のドラマでチョイ役を演じる程度だけど。


「お、その評定は思い出してきましたね? じゃあここが俺の映研で使ってる教室のセットだってのは認識してます? 酒依さんが高校生だったのはもう五年以上前で今は二十四歳の立派な大人なのはわかってます? 」


 なんか失礼な質問が混ざってた気がする。でもまあ、事実ではある。私は高校生などではなく二十四歳。童顔なのでエキストラの高校生役をもらえることもあるけど、高校などとっくの昔に卒業している。


 今回は"授業中トイレに行ってしまったことでいじめられてしまう女子高生"という奇妙な役をもらい、役の心情をトレースするために色々試していた。夜遅くまで勉強したり、朝早く起きてわざとトイレに行かなかったり、タイマーで時間を測ってオシッコを我慢したり。でも先生役がいないとなんか実感がわかなかった。


 ということで演技の勉強に使っている『性癖マッチングアプリ』で先生役を探した。あのアプリ、顔出しなしでちょっと変わった趣味の人と知り合えるから演技の勉強にいいんだよね。


(あれ待って、私、さっき…… )


 意識がはっきりした私は過去の記憶をたどり恐ろしい事実に行き当たる。その事実を確かめるために私は机の下を覗き込んだ。机の下には私を中心に広がった黄色い水たまりがあった。


「きゃあ! ウソ、私、え? これ、私が…… 」


 役を抜けだした今、私はおもらししたという事実に直面していた。信じられない。ただ我慢しているだけでよかったのに、リアルを求めるあまり漏らしてしまった。ドラマでもここまでは求められていないのに……


「あぁそこ今更驚きます? ま、俺が片付けとくんで酒依さんは先に帰っといてください」


 堤くんは至って冷静だ。スッと教室セットの後方に向かい、ロッカーを開ける。「あ? バケツねぇの? 」とボヤく声が聞こえたので多分掃除用具を探しているのだろう。どうやら後始末は全部堤くんがしてくれるみたいだ。でも、帰ってって言われてもなぁ。


「あ、あの、ですね」


「あ? 何すか? 」


「その、えっと、着替えとか、あります? 私、こうなるとは思ってなかったんで、着替え、なくって」


 堤くんは「あ〜」と低い声を出したあとでしばらく顎に手を当てて、何かをひらめいたようにこちらに近づいてきた。


「あの、着替えは? 」


「いやここにはないんすけど俺の車にいつも着てるジャージ積んでるんでそれに着替えてください」


「じゃあ、その服を」


「でもその状態で酒依さん放っとくわけにも行かないんで一回車まで来てください。着替えは車ん中でしてくれたらいいんで」


「でも、途中で、誰かに会ったら」


「えぇ、だからちょっと立ってください」


 よくわからないまま私は椅子から腰を上げた。スカートからオシッコが滴り落ちて水たまりに波紋を作る。ボタタッという音がしてなんかちょっと恥ずかしかった。


「あの、立ちました、けど? 」


「はい、じっとしててください」


 そう言って堤くんは羽織っていたジャケットを脱いで手早く私の腰元に巻き付けた。


「えっ…… 何を? 」


「ほい、これで周りからはただのジャケット腰に巻いてる人に見えるはずっす。まあ足元がちょっと濡れちゃってますが駐車場行くまでならごまかせるっしょ」


 たしかに。彼のジャケットによって私の失敗の跡は目立たない。けど、これじゃ……


「あの、これだと、ジャケット、濡れちゃいますよ? 」


「あぁ気にせんでください。どうせ普段は着てないんで。これを機会にクリーニングにでも出しますかね」


 堤くんはタハハとはにかんだ。


「じゃ、俺の車まで行きましょ。エスコートさせてもらっても? 」


 スッと手を前に出す堤くん。さっきの先生の演技とは違ってわざとらしい演技。王子様気取ってる感が若干痛い。でも…… ちょっとカッコいい、かも。私はオシッコの被害を受けていない右手を伸ばし、堤くんの手を取った。


「はい、エスコート、お願い、します」


 堤くんは冗談のつもりだった手をとられてドギマギしている。じゃああんなキザなことやらなきゃいいのに。変な子。


「お、おう…… じゃあ行きますよ。よし…… よぉし! 」


 なんか気合を入れたあと、堤くんが私の手を引き駐車場へと向かった。途中、道を若干間違えた堤くんだったがなんとか彼の車までたどり着いた。堤くんは車の中をゴソゴソと漁り、ジャージとビニール袋を取り出した。


「じゃあこのジャージに着替えてください。あ、さすがに下着はないんで直穿きでお願いします。で、濡れた服はこっちの袋にインで」


「はい、わかりました」


 堤くんからジャージと袋を受け取り車に乗り込む。大きめの車だけど映画の撮影に使うであろう小道具がいっぱい積んであるせいで手狭に感じる。堤くんは私を車に乗せたあと、どこからかバケツと雑巾を取り出して車を降りた。


「じゃ俺は後始末してくるんで。酒依さんは着替えたら好きなタイミングで帰っちゃってください」


 堤くんは「今日はありがとうございました」と言って車の扉を閉めようとする。ヤダ、もっとこの子と一緒にいたい。


「あの! 」


「はい? 」


「あの、私、ジャージで電車乗るの、ヤなので、その、家まで送ってもらえると、嬉しい、です」


 適当な理由をでっち上げ、なんとか堤くんと一緒にいる時間を延長する。カッコいいし、演技力は高いし、何よりどんなシチュにも付き合ってくれる。映画が趣味ということもあって撮影の話もできる。こんないい子、逃したくない。ずっと、一緒にいたい。


「はぁ、まあ酒依さんがそういうなら…… でも掃除に時間かかるんで帰り遅くなりますよ? 」


「大丈夫、です」


 それくらい大丈夫。そもそも一人暮らしだから心配してくれる人もいないし。仮に親と住んでいたとしても同じことをする。そのくらい堤くんはお気に入りな子なのだ。堤くんは「そっすか。じゃあしばしお待ちを」と言って車のドアを閉めた。堤くんの姿が見えなくなったのを確認してから私は着替えを始めた。腰に巻いていた堤くんのジャケットをほどき、濡れたスカートと下着を脱ぎ、手渡されたビニール袋にそれら全部を放り込んだ。


 お気に入りの子の車の中で下半身スッポンポンなんてなんだかとても背徳的だ。しばらくこの姿でいようかとも思ったけど、車の外を人が歩いているのに気づいて慌ててジャージを手に取った。ジャージを履く直前に脚がビショビショであることに気づき、車の中に転がっていたタオルを手に取り体の水気をタオルに吸収させた。タオルもビニール袋に入れて袋の口を縛ってからジャージを直に履く。ジャージのゴワゴワした布が性器に直接あたって少しゾワッとする。


「ふぅ」


 ため息一つして車の座席にボンッと身を預ける。おもらしのショックから落ち着いた私は車の天井を見上げ新しいお気に入りの子に思いを馳せる。


(堤 壱成くん、ね…… カズくん…… うん、カズくんって呼ぼう)


 頭の中でお気に入りの子に名前をつける。私は気に入ったものに名前をつけたくなる。小さい頃からずっとそう。クセみたいなものだ。子どもみたいなクセだけど、なかなかやめられない。


(勝手にあだ名で呼んだら怒られる、かな? でもカズくんなら許してくれる、よね? )


 頭の中で自問自答を繰り返す。お気に入りのカズくん。優しいカズくん。なんでも許してくれるカズくん。ふふっ、なんだかお兄ちゃんみたい。



(…… トイレ行きたい、かも)


 お気に入りの子、カズくんの車の中で私は尿意に苦しんでいた。さっきおもらししたとき出し切っていなかったみたいで猛烈にオシッコがしたい。教室の演技と同じように背中を丸め、今度は右手を太ももの間に差し入れ、左手で太ももをさすって尿意を紛らわす。さっき決壊したときと同じかそれを超える尿意の波が私を攻め立てる。


(結構キツイ、かも…… )


 先ほどと違い今は行動を制限されていない。車を降りてトイレに向かえばこの問題は解決する。


(でも、ここ、トイレどこにあるの? )


 だがトイレの場所がわからない。私は今日この場所に始めてきた。ここはカズくんが通う大学の駐車場。大学なら大きな建物に向かっていれば中にトイレくらいありそうだ。けど、カズくんによると今日は休日ということで殆どの建物が施錠されているらしい。さっきまでいたサークル棟とやらにはトイレがないとも言っていた。車を降りてトイレを探し回ることも考えたが、下半身だけジャージ姿で大学構内をうろつくのは何となく気が引けた。


(掃除するだけって言ってたし、カズくんすぐ帰ってくる、よね? )


 今、車の持ち主カズくんは私のおもらしの痕跡を処理するために掃除用具を持ってサークル棟に行っている。


(もう結構時間経ってるし、探し回るより我慢したほうがいい、はず? うん、カズくんならすぐ帰ってきてくれる、もん)


 お気に入りの彼を信じ我慢し続けることを決める。呼吸は浅く、体は硬く。太ももと右手を使って股にある水門を固く封印する。これで、しばらくは……


ジョロッ


「うぁ…… あ、ダメ…… 」


 前言撤回。耐えきれないかもしれない。もう限界ギリギリ。今にもお腹が破裂しそうだ。


シュウウウウウウウ


 オシッコがジャージにシミを作る。下着がない分シミの広がりは普通より早くちょっとオシッコを出しただけで脚の間の右手がびしょ濡れになった。


(ダメダメッ! オシッコ出しちゃダメなの! それくらいわかるでしょ?! )


 自分の体に向かって苦情を言う。当然効果はなく、オシッコはジワジワとジャージにシミを広げている。


(ダメ…… ここで出したら、カズくんの車、汚しちゃう)


 意を決して車の席を立つ。オシッコは完全にはとまっていない。でもここでオシッコがとまるのを待っていたら、多分全部出る。重い体を引きずって自分を車の外へと運び、車の扉を閉めた。


(あぁ、どうしよ…… トイレ探す? でももう我慢ツライ。ていうかオシッコとまってないし…… そうだ、その辺で…… )


 キョロキョロとあたりを見回し、オシッコしてもいい場所を探す。でもだだっ広い駐車場に隠れてオシッコできる場所なんてない。


(ヤダヤダヤダァ…… 助けて…… カズくん、早くぅ)


 我慢し続けるのもダメ、隠れてオシッコするのもダメ、おもらしするのもダメ。あれもこれも全部ダメ。まさに八方塞がりだ。


(…… せめて、ジャージ、守んなきゃ)


 私はジャージを下ろし、下半身をあらわにした。別に露出が趣味なわけじゃない。どちらかと言うと恥ずかしい。私が羞恥に耐えて下半身を露出したのはここでオシッコしちゃうためだ。これなら地面は多少濡れるだろうがカズくんの持ち物を汚す事態は回避できる。


 ジャージを膝のあたりまで下ろしトイレに入っているときと同じ格好になった私はゆっくりと地面にしゃがみ込む。そしてお腹にゆっくり力を込めて地面に向かってたまったオシッコを……


「あれ? 酒依さん、しゃがみこんでどうしたんすか? もしかして体調悪いとか? 」


「え…… あ? 」


 そんな、せっかく覚悟を決めたのに。車やジャージを汚さないように恥ずかしさに耐えてこの体制をとったのに。最悪のタイミングでカズくんが帰ってきてしまった。カズくんはバケツ片手にフラフラとこちらに近づいてくる。私の正面から近づいてきているので、ジャージを下ろしていることにはまだ気づいていないようだ。


(あ、や…… ダメ、こないで…… カズくん、あっち行って…… )


 カズくんに離れてもらおうとするが声が出ない。おそらく、声を出したら、振動で決壊する。頑張って口をパクパク動かすが当然カズくんには伝わらない。立ち上がって逃げようとするも足に力が入らない。今私の力の大半はオシッコを抑え込むことに使われている。さっきの演技と同じ。この場でオシッコしちゃうか、しばらくおもらしの現実を先延ばしするか。演技のときは心が折れちゃったけど今回は諦めない。だってお気に入りの子の前で二回もオシッコするなんて、ダメだもの。


「いや〜思ったより時間かかっちゃいましたね〜。このバケツがなかったらもっと時間かかったかも」


 カズくんは歩きながら手に持ったバケツに目をやる。私の視線もそのバケツに吸い込まれる。あ、そうだ、あれならトイレになる、かも…… いや、あれは、トイレだ。


「カズくん、お願い! そのバケツ貸して! 」


「は? 突然何を…… あと、カズくん? 」


「いいから早く! 」


 私の剣幕に気圧されたカズくんは足を早めて私にバケツを渡してくれた。私は受け取ったバケツにまたがった。途中、勘違いした体がプシャッとオシッコを飛ばしてジャージのお尻を濡らした。でもそんなのどうでもいい。残りのオシッコ全部、このバケツに出しちゃえばいいんだから。角度を調整し終わった私はオシッコを体の外に追い出すために思いっきりお腹に力を込めた。瞬間たまったオシッコがバケツを叩き、駐車場に下品な音が響いた。


ジョボボボボボボボボボボボボ


「ふわぁ…… あぁ、んん…… はぁ」


 放尿の快楽は強烈で私の思考力はほとんど働いていない。ただただ気持ちいいという感情が私の全身を支配していた。


チョポポポポポ……


(あ、終わった。思ったよりたまってなかった。一回おもらしすると我慢効きづらくなるの、かな? )


 とりあえず濡れた出口を拭こうと思い目線を上げて拭くものを探す。目線の先には、人がいた。


「アハハ…… その、いっぱい出ましたね? 」


(ウソ! えっ…… 私、カズくんに、オシッコしてるの見られて)


 見られた恥ずかしさ。目をそらさず私を見続けていたカズくんへの怒り。カズくんがいることに気づかずオシッコの快楽に浸っていた自分への情けなさ。色んな感情が湧き出してきて頭の中がグシャグシャになる。一生懸命考えた末、これだけは言わなくてはと思い私は虫の羽音のような小さな声でカズくんに声をかけた。


「その、ごめん、なさい…… 」



 お気に入りの子にオシッコを見られたあとでは濡れそぼった性器を拭く気になれず私はそのままジャージを履いた。元々濡れていたジャージに濡れた性器をくっつけても別に何も変わらない。ただちょっとだけ寒かったくらいだ。


「えっと…… 大丈夫っすか? 」


 目の前で全部見ていたカズくんは顔を引きつらせていた。どうしよう、なんか言い訳しないと……


「えっと、あの、オシッコ、いきなり下りてきちゃって。でも、大学のどこにトイレあるかわかんなくて。カズくんに案内してもらおうと思ってカズくん待ってて。でももう我慢できなくて。車の外でって思ったらカズくん帰ってきちゃって。でちょうどバケツ持ってたからそれにしちゃえって。それで、その…… 」


「あ〜、なるほど。俺に構内のトイレに案内してもらおうと思ってたけど俺の帰りが遅いから我慢しきれず外でしちゃえ〜ってときに俺が帰ってきてちょうどいいもん手に持ってたからバケツにつーことっすよね? 」


 私のしどろもどろの説明をカズくんは上手に要約した。いやたしかにそうなんだど端的に言われると羞恥心がすごい。私の顔は一気に熱くなった。


「でそれはいいとしてさっきから言ってる”カズくん”って誰っすか? 俺? 」


 しまった。頭の中で何度も呼んでいたから無意識に"カズくん"呼びをしていたようだ。まあ最初から帰ってきたらあだ名で呼ぼうとは思っていたけどこんなに連呼するつもりはなかった。こんなに急に距離を詰めたら嫌われてしまうかもしれない。先ほど同様に私は言い訳を始めた。


「えっと、カズくんっていうのは私が勝手につけた堤くんのあだ名で。ほら、堤くんの名前、壱成だからカズくんがいいなって。私、あだ名付けるの好きで、それでせっかく会った堤くんにもあだ名欲しいなって…… 」


 私のめちゃくちゃ説明を聞いたカズくんはにっこり笑った。その笑顔はとても優しくて何でも許してくれそうな感じだった。


「ま、あだ名を付けてくれるほど仲良くなったつーことなら嬉しいっすよ。ホント、今日でお別れなんて寂しいっすね」


 そんな、なんでそんな悲しいこと言うの? 私、もっともっとカズくんと一緒にいたいのに。お別れなんてしたくないのに。…… 言おう。言わ、なきゃ。


「じゃあ俺はバケツの中身を捨ててきますわ。すみませんがもうしばらくお待ちを」


「いや、それは私捨て、ます。だからってわけじゃないけど、一個お願いを聞いて、ください」


 私は車を降りてカズくんに向かい合う。じっとじっとカズくんを見つめたあと、昔テレビで見た告白してる人みたいに九十度に体を曲げて右手を差し出した。


「どうか…… どうか私ともっと一緒にいてください! 私、カズくんの演技力とか映像作品への知識とか優しいところとかがお気に入りで、もっといっぱいいろんなことしたいです! それにカズくんがいればまた役になり切る手助けしてもらえるし。なので、お願いします! 」


 バクバクバクバク、心臓の音がうるさい。オーディションのときも撮影のときもこんなことはなかった。こんなに緊張したのは初めてかもしれない。いつもは誰かを演じているけど今日は素の自分で飾らない感情を思いっきりぶつけている。自分の気持ちを表現するのがこんなに怖いなんて知らなかった。この気持ち、どうか、伝わって……


「え〜、告白の返事ならオッケーっすけどさすがにそのオシッコまみれの手は取れないっすね」


 彼の申し訳なさそうな一言で手がオシッコまみれのことに気づき、すぐに手を引っ込めた。ヤダ…… 恥ずかしい。


「あ、ごめん、なさい。でも、えっと、付き合ってくれる、でいいの? 」


「あぁはい。元々マッチングアプリ始めたのは彼女作るためでしたし、酒依さんみたいな美人と付き合えるならこっちとしてはすっごく嬉しいっていうか…… 」


 カズくんはほっぺを赤くしながらボソボソと呟く。照れてるの? カッコつけてるくせに女の子慣れしてないとこ、ホント可愛い。


「まあ付き合う云々はこのバケツを処理してからにしましょ。俺、いつまでも彼女のオシッコ入りバケツ持ってるの嫌ですし」


 そう言ってカズくんは踵を返してやってきた方向に歩を進めた。私はそのあとを追いかけながら彼に話しかけた。


「あ、じゃさじゃさ、一緒に片づけよ。ほら初めての共同作業ってやつ? 」


「その初めてオシッコの処理で使っちゃっていいんですか? 」


「いいもん。というかもう付き合ってるんだから敬語禁止。あと私のことは下の名前で呼んで。さん付けも禁止」


 カズくんにわーっと付き合うにあたってのルールを伝える。特に呼び方は重要だ。人は呼ばれる名前によって人格が変わる。私も役名で呼ばれてるときと普段ではぜんぜん違う人だ。だからお気に入りの人にはちゃんと名前で呼んで欲しいのだ。


「…… じゃあ何? 俺は今後、酒依さんのこと樹理って呼べばいいの? 」


「そそ。カズくん飲み込み早ーい。じゃ行こ」


 私は歩いているカズくんの手からバケツをひったくる。手にずっしりとオシッコの重さが伝わる。うわっ…… 出してるときはわかんなかったけど結構重い…… 私、こんなにいっぱいオシッコ、しちゃったんだ。先ほどまでこれをお気に入りの子に持たせていたことを私は少しだけ後悔した。


「でさカズくん。これどこに持ってけばいいの? 」


「なんで知らないのに持ったのよ…… まあいいや。講義棟のトイレに捨てっから。ほらこっち」


 スタスタ歩くカズくんの後ろをタッーと走ってついていく。とってもとっても晴れやかな気分だ。


(ふふーん、私のお気に入り、また一つ増えちゃった)


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