性癖マッチングアプリ 〜おもらしで繋がる予想外の絆〜

七喜 ゆう

マッチングアプリで出会ったおしがま趣味のイケメンがお父さんだった話

 私が十五歳のとき、お母さんが交通事故で死んでしまった。


 遺体安置所に寝かされたお母さんの顔からはいつもの笑顔が消えていた。お母さんは明るくて、いつも笑顔で、我が家の太陽だったのに…… お母さんがいなくなった我が家は真っ暗になり、お父さんは私を避けるようになった。なんでかはわからないけど、急に避けられてはこちらも面白くない。大学に通い出した二年前からはお父さんと口を利かなくなったし、一緒に住んでいるのに姿を見ないなんてこともしょっちゅうだった。


 家庭がそんな状態なので大学で明るく振る舞う気にはなれず孤立気味だった。たった一人、愛想の悪い私にも声をかけてくれる子がいて、その子以外とはほとんど話していない。その友だちは一言で言えばギャルで、とろんとした目がいかにも男子に好かれそうな子だ。私なんかに構わなければ今頃文化系のサークルで姫のごとく扱われていただろうに。そんな友だちが、ある日私に怪しげなアプリを勧めてきた。


「『性癖マッチングアプリ』…… 何それ? 」


 友だちが見せてきた画面にはフクロウをデフォルメしたキャラクターが描かれたアイコンが表示されている。アイコンの下には『性癖マッチングアプリ』と飾らないフォントでアダルトビデオのタイトルみたいな言葉が並んでいる。怪しい。というかそれ出会い系アプリじゃない? 私の訝しげな表情など意にも介さず友だちはアプリの説明を始めた。


「ほら、マチアプって顔とか趣味とかでマッチングするじゃーん? これはそれの性癖バージョン。例えば、私、緊縛プレイするの大好きだから、縛られたい男子から沢山いいね来るの。たしかまだ彼氏いなかったでしょー?それにちょっと変わった性癖なんだしやってみなよー」


 彼女の言う通り私の性癖は一般的なものではない。私はオシッコを我慢している姿を見られるのが大好きだのだ。きっかけはたしか小学校の遠足だったと思う。遠足帰りのバスでオシッコ我慢しているのを気になる男の子から見られて、なんだか不思議な気持ちになった。うん、自分でもヤバいと思ってる。でも、性癖は生まれつきのものだから選べないし変えられないのだ。


 ちなみにこの性癖のことは今話している友だちしか知らない。彼にだって内緒だ。…… まあ、今は彼氏いないけど。


 友だちはボーッとした感じだし、話し方も間延びしているのでアホっぽいが鋭いところがある。ある日、講義のあと何度もトイレに駆け込んでいる私を不審に思ったらしい。廊下で「ねー、オシッコ我慢するの好きなのー? 体に悪いからもっと回数減らしたほうがいいよー」と言われたときは背筋が凍る思いがした。必死で言い訳したが、すべて返され仕方なくオシッコ我慢を見られるのが好きと告白した。絶対に惹かれると思ったけど、友だちは「私もねー、かわいい男の子を縛るの大好きなのー。変わり者同士仲良くしよー」と自分の性癖を暴露してくれた。それ以来、私と彼女は親友同士だ。そんな親友のお誘いとあっては怪しかろうと断るのはなんだか気が引けた。


「うん、まぁせっかく勧めてもらったし、ちょっとだけなら…… 」


「うん。やってみ、やってみ。きっと相性抜群の彼氏ができて、そのくらーい表情も明るくなるよー」


「もぉ〜、私そんな暗い顔してないよー 」


 アハハと二人で笑い合う。すごい子。私が心から笑っていないことも、性癖がぴったり合うパートナーを探していたことも、全部お見通しだ。


 私はお母さんの死後、ちゃんと笑えた試しがない。大好きだったお父さんにも避けられ、ショックが癒えないまま高校に進学したせいで高校生活は散々だった。でも、もしかしたら勧めてもらったアプリで私も前みたいに笑えるようになるかもしれない。この際怪しくても私をこの苦しみから開放してくれるなら何でもいい。ちょっとだけ投げ形な気持ちで私は『性癖マッチングアプリ』をインストールした。



「う〜ん…… この人は、ちょっと違うかな…… 」


 『性癖マッチングアプリ』を始めてから一週間。ぴったりのパートナーは見つかっていない。


 オシッコが好きな男性は多いらしく、結構な頻度で「いいねされました」という通知が来る。でも、いいねしてくるのは『おもらしが大好きです! 』とか『オシッコ我慢させてS◯Xするのが最高! 』みたいな紹介文の人ばかり。私の求めている『オシッコを我慢している姿を観察したい! 』と言う人ではなかった。


 服を汚したり行為に及ぶのは私の性癖とは違う。私はただ、オシッコが漏れちゃいそうになっているところ、モジモジしているところを見てほしいだけなのだ。どうもその当たりがわかっていない素人が多いようだ。これはいつか是正しないと。


ピロン


 またマッチングアプリに通知が届いた。「またちょっとズレた性癖の人なんだろうな」とあまり期待せずにプロフィールを見る。画面には目立つフォントで『おしっこを我慢している子を眺めるのが好きです。おもらし、本番、強要しません 』

と書いてあった。


(…… うえ? )


 幻覚でも見ているのかと思った。だってそこに表示された彼の性癖は私が願いをそのまま言語化したものだったのだから。私はすぐに「詳細表示」の文字ををタップする。表示された詳細には『年齢:四十二歳 性別:男』とだけ書いてある。どうやらこのアプリで分かる情報はここまでのようだ。でも、私はこう思った。


「…… 神だ」


 布団の中で思わず呟いてしまう。だって神がいたんだもん。年こそ私の倍以上だったけど、そんなの気にならないくらいすべての要素がマッチしている。というか私、年上が好きだし。これはもう神様が与えてくれたギフトと言えるのでは?


 私は速攻でいいねを返す。このアプリは互いにいいねしあうとマッチングが成立し、メッセージのやり取りが出来るようになる。メッセージが使えるようになった瞬間に私は彼にメッセージを送った。


『はじめまして〜、いいねありがとうございます♡ 突然で申し訳ないんですけど、オシッコ我慢のどこが好きですか? 』


 (マチアプ初めてだからよくわかんないけど、最初はこんなメッセでいいよね? )


 頭の中でイマジナリー友だちに問いかけたあと、ドキドキしながら返事を待った。ちなみに私の頭の中の友だちは「いいんじゃなーい? 」と言ってくれた。彼女が大丈夫と言うなら大丈夫なはずだ。


ピロン


 しばらくして返事がきた。どんなメッセージが届いているのだろう?


『はじめまして。これからよろしくお願いします。オシッコ我慢の好きなところは恥ずかしいけど、体を動かすのを止められずにモジモジしちゃっているところですかね』


 届いていたのは百点満点のメッセージだった。すごい。私の見て欲しいところを的確に言語化してくれている。嬉しすぎて私はすぐにメッセージを返した。


『ホントですか! 私、モジモジしてるところを見られるのが大好きなんです! 本当は恥ずかしいからモジモジしたくないんだけど、モジモジしないとお漏らししちゃってもっと恥ずかしくなっちゃうから止められなくて、でも見られるから恥ずかしくって…… って矛盾した感情がワァーとあふれてきて、めちゃくちゃ気持ちいいんです! 』


 送信した後、冷静になって後悔した。ほぼ初対面の人にめちゃくちゃ長文で性癖について語るメッセージを送ってしまった。どうしよう、これ私キモすぎない? ねぇ我が友、大丈夫かな?


ピロン


 イマジナリー友だちから返事が来る前に、マッチングの相手から返事きた。スルーはされなかったみたいだけど、見るのがちょっと怖い。返信が『キモッ…… 』とかだったら、明日の講義は全部サボろう。そうしないとやってけない気がする。私は落ち込んだときの対応策を考え、「よし! 」と気合を入れてからメッセージを確認した。


『そうなんですね。僕、そういう仕草を見てるのが大好きなので、なんか気が合いそうですね』


 おぉ、好意的な感じのメッセージだ。どうやら大丈夫だった。それどころかすごい紳士な人みたい。ヤダ、私、この人好きかも。


 その後、私と彼とのメッセージのやり取りは真夜中まで続いた。彼から『ごめんなさい。明日早いのでもう寝ますね。おやすみなさい』というメッセージが来て、私はもう夜がすっかり更けていることに気づいた。彼は四十代なのだからきっと明日も仕事なのだろう。それなのにこんな時間まで私に付き合ってくれた。なんて優しい人なんだろう。


(…… もうダメ。抑えられない)


 彼の優しさに気づいて、私は彼が好きだという気持ちが抑えられなくなった。深夜テンションというのもあったろうが私は思い切って彼に会いたいという旨を伝えることにした。


『長々話しちゃってゴメンナサイ。できれば直接会って今日みたいな話をしたいなって思いました。おやすみなさい』


 メッセージを送ったあとでスマホを遠くに放り投げて布団をかぶった。やっぱり『直接あって話したい』はちょっと攻め過ぎたかな? もしメッセージを無視されたらどうしよう? 会えないって言われたらどうしよう? 不安でいっぱいでしばらくはスマホを見るのに勇気がいるかもしれない。放ったスマホがピロンとメッセージの受信音を上げた気がするが、確認するのが怖かったので、私は届いたメッセージを見ずに眠りについた。



 『性癖マッチングアプリ』で『直接会って話したい』というメッセージを送ってから三日後の日曜日。私は最寄り駅に向かって走っていた。別に電車で出かけるわけではない。駅へ行くのは彼に会うためだ。


 彼は私のメッセージに『こちらとしては会うのは構いません。まずは次の日曜、お茶でもどうですか? 』と返信してくれた。メッセージを見たときは不安でいっぱいだった私の胸に花が咲いたような気分だった。その後は彼と待ち合わせ場所の調整を進めた。彼は私の家の近くに住んでいるらしく、互いの最寄り駅に集合して、レストランでお茶でもということで落ち着いた。ホントはオシッコを我慢する姿も見てほしかったけど、それはまあ、お話しながらでもできるし……


 私はいつもとは違ったメイクで彼に会おうと思い、慣れない方法でメイクをしていた。そうしたら、家を出るのが遅れてしまい、今、全速力で走っている。彼はきっと許してくれるだろうけど、なるべく早く彼に会いたい気持ちもあったので私は急いだ。


 最寄り駅につくと、すぐ彼と思われる人を見つけた。ネイビーブルーのポロシャツを着ていて、顔は四十代とは思えないくらい若々しかった。あのイケメンがオシッコ我慢好きとか信じられない。ましてや、これから私と性癖談義をしてくれるなんて……


(おっと、着いたらメッセージを送る約束だったっけ)


 私は彼の『駅前に着きました』のメッセージに返信する形で『遅れてゴメンナサイ! 今着きました! 』とメッセージを送った。


 メッセージを送るとすぐ彼と思われる人がキョロキョロしだした。やっぱりあのイケメンが彼で間違いないんだ! 彼もこっちに気づいたようで手を振っている。私は彼に駆け寄りあいさつした。


「あの! “ヨウ”さんですよね? はじめまして”アンナ”です。今日はよろしくお願いします! 」


「あ、やっぱり”アンナ”さんでしたか。どうも、”ヨウ”です」


 二人で簡単な自己紹介を交わす。彼、"ヨウ"さんは思った通り紳士的な人だ。年齢もあるだろうけど振る舞いが落ち着いていて、ガツガツした大学の男どもとは全然違った魅力を放っている。


「じゃあ、行きましょうか。席は予約してあるんで急がなくても大丈夫ですが」


「えっ! そんなことまでしてくれたんですか!? 」


 ちょっとちょっとこんなにイケメンな上に気も効くの? 大丈夫? 好感度がずっと上がりっぱなしだよ?


「えぇ、初めて会うのに『満席でした』では格好がつかないと思って。それに周りに人が多い席だと話しづらいでしょう? 」


 恥ずかしさで顔が熱くなった。そうだった。これから私たちは自分の性癖、オシッコ我慢について語り合うのだ。そんな話を人に聞かれたら、どんな顔をされるかわからない。


「今回予約した席はお店の端っこなので、誰にも聞かれないはずですよ。だから、気が済むまでお話聞かせてくださいね」


 "ヨウ"さんはニコッと微笑んだ。笑顔もキレイだ。ますます好きになりそう……



「そうなんです! 『出ちゃう出ちゃう〜』ってなって押さえたいんだけど、『見られちゃう』とも思って前が押さえられなくて、とりあえずスカートをギュッってしちゃうときの葛藤! おもらしとモジモジ、二つの羞恥の間くらいの瞬間が最高に気持ちいいんですよ〜! 」


 私と"ヨウ"さんは軽く飲み物を飲みながら性癖談義をしていた。互いの性癖が目覚めたタイミングを語ったり、自分が一番好きな瞬間を語ったり、お店の端っこの堰でなかったら絶対にできないような話題が飛び交っていた。


 "ヨウ"さんは大学時代に付き合っていた人の趣味に付き合っているうちに女性がオシッコを我慢する姿に興奮するようになったらしい。その人の話をする"ヨウ"さんの目はどこか寂しげで、きっとまだその人のことが好きなんだろうなとなんとなく思った。そんな"ヨウ"さんは今私の演説をニコニコしながら聞いている。"ヨウ"さんは聞き上手で、時折挟まれる合いの手は私の言いたいことをピタリと言い当てていた。


「なるほど、今日のその服装だったら今いった状況が映えそうですね」


「わかってくれますか! ミニスカの端をギュッも好きなんですが、ロングでギュッの方がなんかお気に入りで…… 」


 ほら、こういう感じ。


「うんうん、わかります。ロングを履いてる子の方が清楚で恥ずかしがり屋なイメージがあるので、仕草を隠しきれてないときは『本当に限界が近いんだろうな』って思えてなんか好きです」


「そうそう! 私もロング履いてるとなんか仕草出すのがいつもより恥ずかしくって! そっか服のイメージで恥ずかしくなってたのか〜、気づかなかったぁ」


 うまく言葉に出来ていなかった感情を言語化してもらえたのが嬉しくて私ははしゃぐ。同時にいつもの地雷系の服装でなく清楚系の服装でマチアプのプロフ写真を撮った過去の自分を目一杯褒めてあげたくなった。


 化粧も薄めでカラコンを外して度なしの丸メガネをかけ、いつもエクステを付けているボブの茶髪はクシでまっすぐにした以外は何もしていない。"ヨウ"さんのリアクションからしてやっぱり世の男子は清楚系のほうが好きみたいだ。高まったテンションのまま私は話し続けた。


「いや〜でも"ヨウ"さん、ホント感情を言葉にするのうまいですよね! 私なんてもうヤバいしか言えなくって……」


ブルッ


 永遠に続くと思っていた言葉が止まった。それと一緒に寒くもないのに体が勝手に震えた。


(あ、ヤバッ。オシッコ、結構たまってる)


 二つの行動の原因は思考を支配するほどの強い尿意だ。思い返せばトイレに行ったのは朝起きたときだけだ。家を出る前にトイレに行こうと思っていたが、遅刻しそうだったので行けなかった。加えて私はさっきから何杯もコーヒーを飲んでいる。このお店はケーキセットを頼むとコーヒーはおかわり自由というなんとも太っ腹なお店だ。私はお喋りが楽しすぎてすぐにのどが乾いてしまったので、何度もコーヒーをおかわりしていた。カフェインの利尿作用と多量の水分摂取。オシッコがたまる条件は完璧にそろっていた。


「? どうされました? 」


 "ヨウ"さんが眉をひそめた。私はオシッコを我慢していることがばれないよう適当な言い訳を述べた。いくら性癖がマッチしているといっても初対面の男性にオシッコを我慢していると知られるのは恥ずかしい。それにバレちゃってるかどうかわからないときのほうが、なんか色々想像できて興奮するし……


「……いえ、なんでもありません。ちょっと噛んじゃって」


 "ヨウ"さんはまだ怪訝そうな表情をしている。ちょっと言い訳が適当すぎた子もしれない。"ヨウ"さんは穴が開きそうな勢いで私を見ている。さすがにちょっと恥ずかしくて私は目線をそらした。


「"アンナ"さん、もしかしてお手洗いに行きたいんですか? 」


 カアッという音がした気がする。鏡はないけど多分私の顔は耳まで真っ赤になっているだろう。


(どうしよう、オシッコ我慢してるの、バレちゃった…… 恥ずかしい、けど、なんかいい…… )


「まぁ、あれだけコーヒーを飲んでいたらトイレに行きたくもなりますよね。で、どうします? トイレに行きますか? 」


 "ヨウ"さんはちょっとイジワルな顔をして言葉を続けた。普通なら「トイレ行ってきます」で話はおしまいだけど、私の性癖上ここでトイレに立つのはちょっと、もったいない。


「…… えっと、あの、まだ、トイレには行きません。もうちょっと、私とお話してください…… 」


 もじもじしながら"ヨウ"さんの質問に答える。オシッコ我慢がバレたあともトイレに行かなくていいなんてこと滅多にない。存分に見られて、いっぱいモジモジして、お腹がキュンキュンする感覚を存分に感じて…… トイレに行くのはそれからでもいいもん。


「そうですか。でも、ここは出ましょうか」


 そういって"ヨウ"さんは伝票片手に席を立ってしまった。てっきりお話が続くと思っていた私は間抜けな声を上げてしまう。


「ほえっ、なんで? 」


「間に合わなかったらここでは後始末が大変でしょう?なので失敗しても大丈夫なところに移動しましょう」


 私の顔はまた赤くなる。"ヨウ"さんのいうことは最もだ。私が限界を見誤りこの場でお漏らししてしまったら…… 想像したくないな。仮に余裕を持ってトイレに向かったとしても、このお店は男女一つづつしか個室がない。もし女子トイレが使われていたら、そして中の人がなかなか出てこなかったら…… やっぱり想像したくない。


(でも、失敗しても大丈夫なところってどこだろう? )


 疑問に思いつつも、とりあえず私は席を立った。席を立つとき、お腹にズンッと重量を感じる。お腹に手をやるとかなり膨らんでいることがわかった。私はお腹をかばいながら、"ヨウ"さんについて行く。"ヨウ"さんは私の分の会計も済ませてくれたらしく、特に店員さんから声をかけられることもなく私はお店を出た。


「あの…… どこに行くんですか? 」


 お店を出てすぐに私はさっきの疑問を"ヨウ"さんにぶつけた。"ヨウ"さんはちょっと答えづらそうに頬をかいてから答えた。


「そのですね…… 誤魔化さずにいえばホテルです。ただ服を脱がせたり、行為をせまることは絶対にしません。なので、どうか一緒に来てくれませんか? 」


 私は絶句した。だって、ホテルってそういう…… たしかに後始末は簡単そうだけど、初対面の人となんて普通はありえない。私が言葉を失っている間にも"ヨウ"さんは言葉を続けた。


「もしダメだというならば無理にとはいいません。"アンナ"さんが絶対に失敗しないタイミングでトイレに行ってください。」


 私はしばし悩んだ。"ヨウ"さんはいい人だ。だから無理やり連れ込まれて襲われるなんてことはない、と信じたい。正直初対面の人とそういうところに行くのはとても怖い。別に自分が特別可愛いとは思わないけど怖いものは怖いのだ。そう怖い。怖いけど……


「いえ、行きます…… 私、"ヨウ"さんを信じます」


 私は襲われる恐怖よりも自分の癖を満たすことを選んだ。冷静だったら絶対にしない選択だろう。でも、オシッコがいっぱいお腹にたまっていて、頭が正常に働いていなかった。だから、こんな間違った選択をしてしまったのだろう。


「そうですか、ありがとうございます。では、こちらへ。あっ、途中で限界が来たら遠慮なく言ってくださいね」


 そういって"ヨウ"さんはスタスタと歩き出す。私は少し遅れて後に続いた。自分がどれだけ愚かな選択をしたのかこのときはわからなかった。



「うっ…… クッ…… はぁ」


 お店を出てから三十分。私はホテルのユニットバスで体をくねらせていた。私の目の前では"ヨウ"さんが腕を組んで私をじっと見ている。その視線が私の羞恥心を刺激する。


(あぁ、オシッコ…… 出ちゃう…… でも、押さえるの恥ずかしい…… )


 ずっと握っているグレーのロングスカートにはクシャとしわがよっている。その奥の下着はおチビリで湿り気を帯びていた。もう私の意思とは関係なくオシッコが出始めている。


(はぁ、もう、限界…… オシッコ…… トイレに行くって言わなきゃ。でも…… )


 もうこれ以上オシッコをためておけないのは感覚的にわかっていた。でも私は我慢をやめることができなかった。"ヨウ"さんに見られながらオシッコを我慢するのは想像以上に気持ちよかった。たまに目があったときなんてお腹の奥からゾワゾワって何かが上がってきてオシッコが漏れちゃいそうになった。もう少しだけもう少しだけと快感を求めているうちに私は引き返せなくなっていた。


(もうちょっとくらい…… 我慢できるよね? 本気になれば前だって押さえられるし、もっと仕草出せるし、まだ、もう少し、このままで…… )


ジョバッ


「……ッ、くぅ」


 大量のオシッコが下着を突き抜けソックスを濡らした。今までのおチビリとは比にならない量のオシッコが漏れ出した。私は"ヨウ"さんが見ているのも構わず、前を押さえてしまった。私の仕草を見た"ヨウ"さんが口を開く。


「仕草がでたということは本当に限界みたいですね。今日はここまでにしましょう。さぁ、早くトイレを使ってください」


「ま、待ってください、私、まだ我慢できます…… 」


「あまり我慢しても体に毒です。僕で良ければまた別の機会に見てあげますので。さぁ、早く」


 そういって"ヨウ"さんはユニットバスの扉を開け、外に出ようとした。


「待って! もうちょっと! もうちょっとでいいから私を見…… 」


ブジョワッ


 "ヨウ"さんを追いかけようと体制を崩したからだろうか。私の下着がぐっしょり濡れて肌にはりついた。私は反射的にスカートの上からオシッコの出口を押さえて結界を防ぐ。


「あっ、ダメ! フッ、ん、くぅ…… 」


 体をよじらせ息を止める。思いつく限りのすべての動作でおもらしの回避を試みた。私がこうして必死に我慢している間もオシッコはジワジワ下着を濡らしている。もうオシッコが出る勢いを押さえることはできても、完全に止めることは出来ないみたいだ。もう我慢遊びはここまで。あとはトイレに行くまでにどれだけ漏らさないかの勝負だ。トイレまでの距離を確認するために私は視線を前へと向けた。


「"アンナ"さん? 大丈夫ですか? 」


 視線の先には私を心配そうに見つめる"ヨウ"さんがいた。そう、"ヨウ"さんがこっちを見ていたのだ。


「"ヨウ"さん! ダメ! こんな姿、見ないで! おもらしはダメ! 」


 私は抑えるのに使っていた片手を離し、"ヨウ"さんの視界を遮ろうと前に突き出した。見てほしくない場合は効果的な行動だろう。でも、オシッコを我慢しているときにすべき行動ではなかった。


ビタタタタタタタタタ


 押さえきれなかったオシッコが私からあふれ出し、床を叩いた。


(あ、あぁ、私、オシッコ、漏らして…… )


 限界まで体を酷使したあとで一気に緩めたからなのか、ものすごい気持ちよさが私の頭に流れ込んできた。


(ヤバッ…… これ、めっちゃ気持ちいい…… )


 はぁぁと吐息が漏れる。オシッコが出口を擦る感覚も、押さえているところがジワッと温かくなる感覚も、お腹の当たりがシュウウってしぼんでいく感覚も、全部気持ち良すぎる。今までは我慢を人に見てもらうだけで満足していたけど、おもらしもまた、いい。私は新しい感覚の虜になっていた。


ショー…… シュッ


 たまっていたオシッコを全部を出し終え、私はプルルッと身を震わした。私の足元にはおしっこの水たまりが広がっており、一部は排水口へと流れ込んでいる。服は目も当てられないほどビショビショだ。前を押さえながらおもらししてしまったため、ロングスカートの前には言い訳できない大きさの染みが出来ている。ソックスは豪雨の中を歩いたときみたいにぐっしょり濡れて気持ち悪い。下着は体にピッタリはりついて動くたびに股に擦れた。オシッコで温かった服たちはもうその温度を失ってヒンヤリしている。


(あっ…… ヤバッ)


 快感で腰が砕けて、オシッコの水たまりの上にペタンと座り込みそうになる。でも、これ以上スカートを濡らすのはマズイと思い、浴槽の淵に手を掛けて耐えた。足がプルプル震えて支えがないと立っていられない。目がチカチカして気絶しそうだ。私はもう気持ちいい以外何も考えられなくなっていた。


「あの、終わりましたか? 」


 ボーっとしていた私の耳に誰かの声が飛び込んできた。一体誰だろう誰だろう? ぼやけた意識であたりを見回す。フッと前を見るとこちらを見ている"ヨウ"さんと目があった。


「"ヨウ"さん! えっ? なんで! ? 」


「すみません、出ていくタイミングを逃してしまいまして…… 」


 意識がグンッと現実に引き戻される。最悪だ。オシッコを我慢を長く見てもらいたい欲のせいで、初対面の人におもらしを見られてしまった。渡しは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆う。前を押さえていたので手はオシッコでほんのり湿っており、顔にかいた冷や汗とオシッコが混じって私の顔は顔を洗ったあとみたいにびっしょり濡れた。


「えっと、その、とりあえずチェックアウトしてきます。あと、その格好だと一人では帰りづらいと思うので、今日はご自宅まで送りますね」


 そういって"ヨウ"さんは立ち去った。私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。


(あー、もう最悪…… )



 ホテルをチェックアウトしたあと、私は"ヨウ"さんに自宅まで送ってもらっていた。道すがらスカートを濡らした私をジロジロ見る視線を感じたが、"ヨウ"さんがうまくかばってくれたのでトラウマになるほど気にはならなかった。


「あっ、ここが私の家です」


 十分くらい歩いたところで私の住むアパートの前に着いた。後は部屋に行き、着替えてシャワーを浴びるだけだ。


「へぇ、ここに住んでるんですね。実は僕もなんです。ここの四階の住民なんですが知ってますかね? 」


「えっ! 私も四階です! ご近所さんだったんですね! 」


 びしょ濡れスカートのまま飛び上がりそうになる。すごい運命だ。性癖がバッチリあって紳士的なパートナーに会えただけでもラッキーなのに、その人が同じアパートの同じ階に住んでるなんて…… これはもう付き合えと神様が言っているのでは? 私、二十歳くらいの年の差なんて気にならないし。


「こんなに近くに趣味の合う方が住んでいたなんて、信じられませんね。ちなみに僕、四◯五号室なんですけど、"アンナ"さんは何号室ですか? 」


 "ヨウ"さんも同じようなことを思ったらしく質問を続けたが、"ヨウ"さんのその質問に私の表情は凍りついた。その様子を見た"ヨウ"さんは「あっ、ゴメンナサイ! 部屋番号は教えたくないですよね」と釈明していた。が、私が引っかかったのはそこではない。私はちょっと顔を引きつらせながら答えた。


「へぇ、奇遇ですね。私も四◯五号室に住んでるんですよ…… 」


 "ヨウ"さんから笑顔が消えた。


「…… ちなみに"ヨウ"さん、本名はなんていうんですか? 」


「えっと、僕は水門みずかど ひろしと申します。"アンナ"さんのお名前は? 」


「私は、水門みずかど 安波やすなといいます。よろしく〜」


 ハハハと乾いた笑いで笑い合う。双方、目は笑っていない。


「そうだ、"アンナ"さん。そんな格好のままでいるのもあれですし、家に帰りませんか? 話はその後で」


「…… そうですね、家に帰りましょう」


 二人でエレベーターを使い、四階まで移動して、カギを使って玄関を開け、二人で玄関をくぐった。バタンと玄関が閉まってから私は思いっ切り叫んだ。


「ざっけんなよクソ親父! 何マチアプ使ってんだよ! つーか相手が娘なの気づけや! あとなんだよヨウって…… お前、ひろしだろ! 」


 思ったことを一気に目の前のオヤジにぶつける。感情をぶつけられた本人は気まずそうな顔で「あ〜…… 」と唸った。


「いや、しかたないだろう。お前いつもの服装じゃなかったし。あと父さん、裸眼でよく顔見えなかったんだから…… 」


「コンタクトをしろよ、バカ! てか、声で気づけよ! 」


「お前と話すのなんて久しぶりだからな。というかさっきから全部ブーメランになってるぞ」


「グッ…… 」


 その言葉に私はひるんでしまった。たしかにそうだ。マチアプで相手を探して、名前の読みを変えてハンドルネームにして、自分の父親に全く気づかずホテルに行って、おもらしを見られて…… もしかしたら私のほうが恥ずかしいことをしていたかもしれない。悔しさで歯をグッと食いしばる。そんな私を見て、お父さんはフッと笑った。


「しかしマッチングしたのが安波だったとはな。ホント、お母さんそっくりに育って…… 」


 そう言ったお父さんの目にはうっすら涙が浮かんでいた。もしかしたらお父さんはお母さんにそっくりな私を見るのが辛くて距離をとっていたのかもしれない。それほどお父さんはお母さんのことを愛していたのだ。そう思うと今までお父さんと真剣に向き合ってこなかったことをちょっとだけ後悔した。


「…… お前、ホント母さん好きだよな」


 私の言葉を聞いたお父さんは「あぁ」と言って微笑んだ。それ以上、私たちが言葉をかわすことはなかった。


 今の私たちにはこれが限界だろう。他にもいっぱい言いたいことはある。大学のとき性癖に目覚めるきっかけになった人とは母さんだったのか、結婚したあともおしがまプレイをしていたのか、そもそもなんでマッチングアプリを始めたのか、なんで見るもの辛いような容姿をした私にアプリでいいねしたのか…… いっぱいいっぱい聞きたかったけど、二年もの間まともに話していない人と話すには体力がいる。おもらしするまで我慢した体ではとても耐えられない。


「あ、そうだ。安波」


 もう話したくないと思ったのにお父さんが話しかけてきた。相変わらず空気の読めないやつだ。部屋には勝手に入ってくるし、私の洗濯物も遠慮なく目立つところに干すし、そういうところは今も昔も大嫌いだ。


「…… 何? 」


「今日は久しぶりに一緒に夕飯食べないか? 」


「…… いいけど、今から作っと時間かかるぞ? 私、シャワー浴びたいし」


「それは大丈夫だ。今日は父さんが作ってやる」


「お前料理なんてできたか? 」


「お前と話さなくなってから料理に目覚めてな。今日は袋麺だ」


「いや袋麺は料理に含まれねぇよ! 」


 お父さんは私の話など全く聞かずに「まあ楽しみに待ってろ」と言って台所へと消えた。あとには浮かない気分の私だけが取り残された。


(ったく、ホントに人の話を聞かないんだから…… )


 むかつく気持ち。でもなんだか懐かしい気持ち。お母さんがいた頃によく感じた気持ちだ。もしかしたら今日のことをきっかけにあの頃みたいに戻れるかもしれない。


 私がお父さんを大好きだった頃に。


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