双子がジェットコースターでおもらしする話
「ぜんっぜんダメ! こんな暗いお話、何が面白いの?
「はぁ?! そういう
今日も今日とて双子の妹とケンカする。原因は一緒に描いている漫画の展開だ。私は
今はファンタジーとデスゲームの要素をかけ合わせた漫画を描いている。魔王を倒した勇者一行が狭い部屋に閉じ込められ、一人また一人といなくなってしまうお話だ。今のところ、戦士、僧侶、武闘家が脱落し、残るは勇者と魔法使いのみ。今日はその漫画のラストをめぐってケンカをしている。
私は登場人物たちが頑張って頑張ってハッピーエンドになる漫画が好きだ。だから、ラストは勇者と魔法使いが愛のチカラで部屋の壁を壊し、脱出を邪魔しようとしてきた黒幕と戦い、死んでいった戦士、僧侶、武闘家の魂から勇者が力を得て黒幕を倒し、倒した黒幕とも仲良くなるというラストを考えている。
一方、修美は登場人物たちが頑張る所までは同じなのだが、その後どうしようもない事実が発覚して、それまでの努力が全部ムダになるような漫画が好きだ。だから、実は勇者が黒幕だったことを明かし、一生懸命脱出しようとしていたみんなをバカにしながら魔法使いにとどめを刺し、勇者が魔王になるというラストを考えているらしい。そんな暗い話、いくら漫画とはいえ私には耐えられない。
「大体、勇者が黒幕って唐突すぎない?! いきなりそんなこと言われても意味わかんないよ! 」
「何いってんの?! ちゃんと伏線を張ってるじゃない! ほら、どのページでも勇者は黒幕との会話には参加してないでしょ? これは勇者が黒幕の声を出してるから、黒幕と会話ができないっていう伏線になっているのよ! 」
「そんなわかりづらい設定、伏線じゃないよ! ただ勇者が無口なだけかと思ったもん! 」
「それは博子がおバカだからでしょ?! 」
二人でウーッと唸る。こうなったら二人だけではどうしようもない。こういうとき、私と修美は家族に意見を求めることにしている。私と修美にはママとお姉ちゃんが二人、そして妹が一人がいる。パパは五年前、事故でいなくなっちゃったので、もう漫画を見てもらうことはできない。必然、ママか姉妹に意見をもらうことになる。ママは妹と一緒に”ママ友会”とやらに出席して不在。高校生のお姉ちゃんは今日は美術の予備校に行っている。家に残っているのは大学生のお姉ちゃんだけだ。
「よし、
「ふん、ひかねぇなら絶対に私のアイデアを選ぶね。私、ひかねぇと仲いいもん」
「そんなことないよ! 私のほうが光ちゃんと仲いいもん! この間だって私の絵、うまいって言ってくれたんだから! 」
「まあ、ひかねぇに聞けばわかることだけどね。さっさと行くよ」
そういって修美はタァーと駆け出した。私も自由帳をもって修美の後を追う。二人で階段を駆け上がり、二階の一番奥の部屋。長女の光ちゃんが撮影室と呼んでいる部屋の扉を開けた。
「光ちゃーん! 」
「ひかねぇ! 」
二人で一緒に姉を呼ぶ。だが、返事はない。あるのは真っ黒い布や真っ白い板、そして色んな種類のカメラだけだ。
「あれ? 光ちゃん、今日お出かけだっけ? 」
「朝そんなこと言ってなかったし、家のどっかにはいるんじゃない? 」
とはいえ、光ちゃんがいそうなところなどこの部屋以外には思いつかない。私と修美は腕を組んで光ちゃんのいそうな場所を考える。
「あ、いたいた 」
後ろから聞き慣れない男の声がして、修美と二人で声の方を向いた。
「げ、家庭教師…… 」
視線の先にいたのはママが”まっちんぐあぷり”とやらで知り合った家庭教師だ。三十歳くらいで糸目、髪の毛はいつもボサボサだし、服はいっつも同じTシャツとジーンズ。清潔感のかけらもない男だ。
なんでも”びだい”? 出身ですごい才能があるらしい。ママが言ってたから才能は本物かもしれないけど、私も修美もコイツのことが嫌いだ。だって、いきなり現れて、パパの部屋に住み始めて、その上、私たちの新しいパパになるかもしれないと言われたら…… それは嫌いになるだろう。
「あら家庭教師さん、ごきげんよう。本日はどうされました? あなたを連れてきたママは今日お出かけですの。大人しくお部屋に引きこもってはいかが? 」
修美が余所行きの言葉遣いで家庭教師を責める。家庭教師は「ウッ…… 」って感じの顔をしている。私は「いいぞ、もっとやれ〜」と心の中で修美を応援した。
「いや〜、今日は二人宛の手紙を光さんから預かってるから、二人に用があるんだけどな〜」
「私たちに用? 絶対ウソだね」
「博子の言う通りです。私たちに取り入ろうとしてもムダですよ。それにウソのためにひかねぇの名前を使うなんて…… 最低です」
「イヤイヤ、ホントだよ! ほら、この手紙」
そういって家庭教師は手に持っていた封筒をこちらに渡してきた。封筒には『ひーちゃん・おーちゃんへ 光お姉ちゃんより』と可愛い丸文字で書いてある。光ちゃんからの手紙というのはウソじゃないみたいだけど、いまどき手紙? しかも朝会ったのに…… 光ちゃんが何を考えているか、相変わらず全くわからない。
「ふん。少なくとも封筒は本当みたいですね。でも、中身はどうかしら? 」
修美は家庭教師を睨んだあと、封筒をビリビリと破り、手紙を取り出した。中には可愛い便箋が入っていて、便箋には光ちゃんの丸っこい字がびっしり書き込まれていた。私と修美は顔を近づけて、光ちゃんからの便箋を読んだ。
『ひーちゃん・おーちゃん、やっほー。みんなの光お姉ちゃんだぞ。
今日は二人にプレゼントがあるのだ。大学の友だちにもらった遊園地のタダ券だよ。二人とも行きたがってたでしょ? 今日はママがお出かけだから私が連れて行ってあげる!
と言いたかったんだけど、写真のお仕事が入っちゃったので連れていけないの…… でも、大丈夫! 私の代わりに家庭教師のお兄さんが二人を連れて行ってくれるはずだよ!(本人には聞いてないけど) 二人はお兄さんのことが好きじゃないかもしれないけど、仲良くしてあげてね☆
あと、ひーちゃん・おーちゃんも仲良くね。ケンカしちゃダメだぞ。
光お姉ちゃんより』
封筒には手紙と一緒に遊園地のチケットが二枚入っていた。期限は今日までだ。
「…… どうする修美? 今日行かないとダメみたいだけど」
「うーん、家庭教師さんを移動手段と割り切れば、ありかな」
「わりき…… 」
「家庭教師さんを気にしないってこと」
なんでかわからないけど修美は私より難しい言葉を知っている。おかしいな、私のほうが先に生まれたはずなのに…… まあ、たしかに家庭教師さえ無視しちゃえば楽しい遊園地になりそうだ。コーヒーカップにゴーカートにパレード。今日は幼稚園生の妹がいないのでわがまま言っても大丈夫だ。
「あのさ、その手紙って何が書いてあるの? 僕、光さんから何も聞いてないんだけど…… 」
「おい家庭教師。お前、車持ってるのか? 」
「え、うん。一回、家に取りに行かなきゃだけど」
「じゃあ、早く取ってきてくださいな。私と博子はその間に出かける準備をしておくので」
「え、え、ちょっと待ってよ。何、その手紙、車を使うような指令が書いてあるの? 」
「そうだよ! 遊園地行くんだよ! それくらいわかれよな」
「なるべく早くお願いしますね。住所はチケットに書いてあるので確認しておいてください」
「ちょ…… ここけっこう遠いじゃん。今からだと着く頃にはお昼になってるよ? 」
「はい、だからお昼は遊園地で食べます」
「いいね!私、カレー食べたい! 」
「あの、遊園地の中の食べ物ってけっこう高いんだけど…… あとチケット二枚しかないし」
「はぁ? お前は大人なんだから自分で買えよな。よし修美、早く着替えよ」
「うん、漫画の話はまたあとでね」
困った顔の家庭教師を置き去りにして、私と修美は各自の部屋へと戻る。まずは何に乗ろう? 楽しみだなぁ。
◆
「はぁ?! なんでジェットコースターなの? 乗るならゴーカートでしょ!! 」
「そっちこそ何いってんの? せっかく遊園地に来たのにジェットコースターに乗らないなんてありえないでしょ? そんなに車が運転したいなら近所のゲームセンターにある車のゲームでもしてなさいよ」
遊園地でお昼のカレーとラーメンを挟んで双子の妹との本日二度目のケンカが幕を開けた。私たちを車で連れてきた家庭教師は、私たちのケンカに入れずオロオロしている。ムカつくなぁ。コイツの運転がもっと上手だったら、もっと早く遊園地に着いてて、こんなケンカもせずに済んだのに。
「とにかく、閉園まで時間がないんだから、乗るならジェットコースター一択でしょ? 妥協しても観覧車までよ」
「いーや、一個選ぶならゴーカートだ。譲ってもコーヒーカップだね」
「あのさ、二人とも違うものに乗りたいなら別々に乗れば? 」
家庭教師の意見でケンカは一時中断する。たしかに、双子だからといっていつも一緒にいなくてもいいのだ。小学校のクラスは別々だし、放課後に遊ぶ友だちだって違う。なのに、うちにいるときは一緒に行動してしまう。クセになっているのかな?
「ふん、家庭教師のくせにいいこというな。よし、お昼を食べ終わったら私はゴーカート、修美はジェットコースターで決まりだ」
「いいんじゃない? 私は私で楽しませてもらうわ」
ケンカは一旦終わり、家庭教師は横でホッと息をついている。でも、修美が次に行った一言でケンカは再開することになる。
「高いところが怖い博子ちゃんには、地面を走る車がお似合いだもんね」
お昼のカレーを口に運ぼうとしていたスプーンを一旦置き、修美を睨む。修美はフフンと得意げな顔をしている。それが余計、私をイラつかせた。
「おい、なんだよ今の? 私が高いところ怖いってどういうことだよ! 」
「だって〜、博子ちゃんが乗りたい乗り物ってぜーんぶ地面に付いてるんですもの。それに小学一年生のとき、飛行機で『落っこちちゃう〜』って泣き叫んでたし、博子ちゃんは高いところが怖いんでちゅよね〜」
「その言い方やめろ! 大体私は高いところなんて怖くないからな! 」
「そうでちゅか〜」という修美の顔は今までにないほどニヤついている。どうしよう、ムカムカが止まらない。
「修美! 私のことバカにするなよな! あ〜、そんなに言うなら私が高いところ大丈夫だって証明してやるよ! お昼食べ終わったらジェットコースター乗るぞ! 」
「いやいや、博子ちゃんにはムリでしょ〜」
「ムリなもんか! というか私、実は高いところ大好きだし、できるならバンジージャンプとかしたいし」
「あらあら、それは初耳だわ。ムリしない方がいいと思うけどな〜」
「ムリしてない! こうなったらもう一生ずっとジェットコースター以外乗らないからな」
「それはやりすぎじゃないの? 」
「うるさい! この話おわり! 」
私は修美との話を打ち切って、カレーに口をつけた。
「辛っ! おい家庭教師! これ辛いぞ! 」
慌ててコップの水を全部飲み干す。でも、口のヒリヒリは全然、良くならない。
「何ボーッとしてんだよ! 早く水持ってこいよ」
「あ、僕が持ってくるんだ…… 」
「当然だろ? お前、何のためにいると思ってるんだよ! 」
「家庭教師さん、こちらにも水のおかわりを。このラーメン熱すぎます」
家庭教師は空になった私たちのコップを持って水を取りに行った。私の視線は再び修美に戻る。
「おい、水欲しいって真似すんなよ」
「真似なんてしてないわ。ただ偶然、同じタイミングだっただけ」
フンッと互いにそっぽを向いたあと、眼の前のカレーを一口だけ食べる。ウワッ、やっぱり辛い…… 家庭教師のやつ、早く水持ってこいよな。
◆
昼食を食べ終え、私と修美の二人はジェットコースターに乗るための列に並んでいた。修美はいつもかけてるメガネを外して準備万端だ。え、家庭教師? ああ、アイツは見てるだけでいいって来なかったよ。
列は思ったよりも長くてもう一時間近くも並んでいる。一時間も経つと私も冷静になってきて、段々ジェットコースターが怖くなってきた。でも、ここで逃げるとまた修美にバカにされる。それはなんか嫌だった。
モジッ
(うぅ、なんかトイレ行きたくなってきた。なんでこんなときに…… )
別に怖いからトイレに行きたくなったわけじゃない。考えてみれば、最後にトイレに行ったのは朝起きたときだけだ。そのあとは修美と漫画のことでケンカして、いきなり遊園地に行くことになって、遊園地で何に乗るかで修美とケンカして、ジェットコースターに乗ることになって、列に並んでいる。お昼のカレーが辛くて水もいっぱい飲んだし、もしかしたら気づかなかっただけで、かなり危ない状態なのかもしれない。
(う〜ん、どうしよ。もう列の先頭だからもうすぐ乗れるけど一旦トイレ行きたいな。 よし、ここで行っておこう。このまま乗ったらおもらししちゃうかもだし…… )
「ねぇ、修美…… 」
「何? もしかしてここまで来て怖くなったとか? 」
「バカ、違うよ! トイレ! トイレ行ってくるから次の人に順番譲って待ってて! 」
言ったあとで恥ずかしくなる。大声でトイレって言っちゃった…… もしかしたら近くの人にも私がトイレに行きたいって聞かれたかもしれない。そう思って周りを確認したけど、周りの人はスマホや会話に夢中みたいで私の言葉は全然気にしてなかったみたいだ。
「ふ〜ん、そうなんだ」
修美は「いいことを聞いた」って感じで口角を上げた。
「へぇ〜、博子ちゃん、おトイレ行きたいんだ〜。でもそれ、ホントかな〜」
「…… ? どういうことだよ? 」
「いやね〜、あとちょっと待てばジェットコースターに乗れるのに、ここでおトイレなんて直前で怖くなっちゃったのかな〜? なんて」
「何言ってんだよ!私はホントに…… 」
「そっかそっか〜、もう少しも我慢できなのね〜。いいですよ〜、おトイレ行ってきて。早くしないとおもらししちゃいますよ〜」
全部言い終えた後の修美の顔は今日見た中で一番憎たらしかった。そしてそんな顔をされて黙ってトイレに行けるほど、私は大人じゃなかった。
「だからバカにするなって言ってるだろ! 私のほうがお姉ちゃんなんだから少しはソンケーしろよ! 」
「はいはーい、私、博子お姉ちゃんを尊敬してまーす。だから、早く逃げ…… おっと、トイレに行ってくださーい」
「お前今”逃げる”って言おうとしただろ! 」
「いえ、ぜーんぜん」
「あぁもう! 私、お前嫌い! 大体修美はいっつも…… 」
「お待たせしました。先頭から二人ずつ乗ってくださーい」
係のお姉さんの案内で後ろに並んでいた人がちょっとだけ距離を詰めてきた。しまった、修美と言い争っている間にトイレに行くタイミングを逃してしまった。ここまで来たらもう、おしっこを我慢しながらジェットコースターに乗るしかない。
(大丈夫、きっと我慢できる。この間の校外学習だって、帰りのバスでこれくらいトイレに行きたくなったけど学校まで我慢できたし。というか、今回のほうが我慢する時間は短いんだ、うん、きっと我慢できるはず)
意を決した私はジェットコースターの方に歩を進める。
「あら、トイレは大丈夫なの? 」
「大丈夫。ジェットコースターに乗ってる間くらい、我慢できるもん」
「そ、じゃあ乗りましょ」
修美も私と一緒に乗り口に向かう。私たちは列の先頭だったので、ジェットコースターの一番前に案内された。二人で椅子に座って、バーを下ろす。これでジェットコースターが戻ってくるまで私は逃げられない。
(大丈夫かな? 飛んでっちゃわない? おもらししちゃわないかな? )
私の中は不安でいっぱいだ。その不安をすこしでも和らげるために肩にかかったバーをギュッと掴む。私のそんな姿を見て修美はまたニヤつく。
「やっぱり怖いの? 」
「違っ…… 別に、怖くないし」
「だって、そんなにバーを強く持っちゃって。心配しなくても飛んでったりしませんよ〜」
「ほらほら」と言って修美は手をバーから離す。手を上に上げてユラユラさせる動きが最高にムカついた。
「ふん! 私だって大丈夫だ! 今は…… そう! バーがちゃんと下りてるか確認してたんだ! 」
「それは係の人がやってくれるよ? 」
「私は係の人の仕事を減らすために確認してるの! 」
そんな事を言っている間に係の人が来てバーがちゃんと下りているか確認する。係の人はコースターの後ろから確認していたようで、私と修美のバーを確認するとすぐに「それでは出発しまーす」と出発の合図をした。
ゴトン
係の人の言葉通り、コースターは動き出す。ガタガタと不安させる音をさせながらコースターはレールを登っていく。周りのものがどんどん小さくなっていき、後ろからざわざわ話し声が聞こえた。「落っこちちゃうかな?」とか「そろそろくるぞ…… 」とかみんなで私の不安を煽る。
怖くてまたバーを握りたくなった。でも、隣りにいる修美がドヤ顔で手を高く上げているのを見て、私も真似をした。もちろん強がりだ。ホントは怖い。でも、ここまで来た以上、後には引けない。
前を見るとコースターの行く先のレールがなくなっている。つまりこれからこのコースターは地面に向かって落下するということだ。
(ふぅ、きっと、大丈夫。飛んでかない、飛んでかない…… )
心のなかで何度も「大丈夫」と唱える。唱えながら脚をキュッときつく閉じて、おもらしを防ぐ。これで大丈夫なはずだ。
ガタッ
ひときわ大きな音がした瞬間、コースターがレールに沿って落下した。
「う…… うわああああああああああああああ」
(ヒャ、ダメ…… これ、飛んでく。飛んでっちゃう)
どうやらバーが大人向けに作られていたようで、私の体とバーの間には隙間があっり、そのせいでコースターが方向転換する度に私の体は大きく振り回された。
(ヤダ、怖い…… 怖いよ…… )
なぜかわからないけど、いきなり小さかった頃の思い出が頭の中を流れた。小学校の友だちと遊んだこと、幼稚園の運動会でパパとママのために頑張って玉入れしたこと、夜ふと横を見たら自分にそっくりな顔の子が眠っていたこと……
プシャ
(あ…… おしっこ、出て)
してはいけないところでおしっこが出てしまった。思い出が流れ続ける頭でそこまでは理解できた。しかし、おしっこを止める行動に出るほどの余裕は私にはなかった。
ショロロロロロロロ
おしっこがパンツを突き抜けてお気に入りのホットパンツを濡らす。お尻のあたりのあたたかさが、おもらしの事実を私に突きつける。それでも、やっぱりおしっこは止められない。しばらくコースターに振り回されながら私はショロショロとおしっこをパンツに出し続けた。怖いやら恥ずかしいやら、色んな感覚が一気に押し寄せてきた。
「あ…… 」
頭がいっぱいになったせいだろうか。次の瞬間、私は気を失ってしまった。
◆
「はーい、お疲れ様でーす。後ろから順に降りてくださーい」
係の人のアナウンスで目が覚めた。どうやら気絶している間にコースターが戻ってきたようだ。
(無事に着いたの? )
安全を確認するため体を動かす。すでにバーは上がっているようで、体は自由に動かせた。
(よかった、生きてる。はぁー、怖かった…… )
安心したため、体中の力がドッと抜けた。座っていた椅子に全体重をかけたとき、おしりのあたりにグッショリ濡れた感覚を感じた。なんだろうと思い、自分の下半身に視線を落とす。視線の先には股のあたりだけ色の濃くなったホットパンツとキラキラ光る水たまりがあった。その光景を見た瞬間、私は全てを思い出した。
(! そうだ、私、怖くておしっこ我慢できなくて…… )
慌てて足の間に手を挟んで失敗の後を隠す。これだけではコースターを降りるときにバレてしまうのだが、目覚めたての私はそこまで頭が回らなかった。
「いやー、なかなかだったね。バーがゆるくて体が浮く感じが最高。ね、博子も楽しかったでしょ? 」
満足そうに修美が話しかけてくる。もちろんそんな言葉は耳に入ってこない。今、私がすべきことはどうやっておもらしを隠してコースターを降りるかだ。
「? 博子? さっきからうずくまってどうしたの? 」
反応のない私を心配した修美が近づいてきた。
「バカ…… 修美、こっちくんなぁ」
「ちょっと何なの? あ、わかった。怖くて泣いちゃったんだ。よーし、妹の私が慰めて上げるね〜」
修美は私を無視してスーッと近づいてくる。私は体をひねってなるべくおもらしの証拠を隠そうと頑張った。
「ひゃ! 何ここ? 濡れて…… 」
視界の端で修美が悲鳴を上げて飛び跳ねた。そのあと、自分の手とコースターの椅子を交互に見つめている。そして修美は全てを悟ったように言った。
「博子、もしかして、おしっこ漏らしちゃった? 」
修美の指摘で私の顔は一気に熱くなる。恥ずかしい。もうそれしか感じない。私はコースターに乗って、あまりの怖さにおしっこを漏らしてしまったのだ。しかも、修美の眼の前で。
きっと修美はこのことをイジってくるだろう。今までの経験から「あら〜、博子ちゃんはおもらししちゃうくらいちっちゃい子なんですね〜。これじゃあどっちがお姉ちゃんかわからないですね〜」とか言ってくる気がする。
ひどい妹だ。コースターに乗せたのは修美なのに。トイレに行きたいって言ったのに行かせてくれなかったのは修美だったのに。怖いのにバーから手を離させたのは…… 私か。とにかく、ほとんど修美のせいなのに、イジられるなんてあんまりだ。
「ウッ…… ウウッ」
修美にバカにサレス姿を想像しただけで涙がポロポロ出た。それくらい、私の心はボロボロだったでも、想像していた悪口はいつまで経ってもやってこなかった。不思議に思い、ちらっと修美を見る。修美は椅子に体を預けて、何か険しい表情をしていた。
「…… ん、んんっ」
ショロロロロ
(!? え? 修美、おもらししてる?! )
何が起こっているか理解できなかった。えっと、修美が「んんっ」と唸ったあと水音が聞こえて、その音が修美の方からしてて、修美のスカートが段々濡れてきていて…… あー! 自分で言っててよくわかんない! でも、事実として修美は服を着たままおしっこをしている。それだけは確かだ。
「はーい、お二人お待たせしましたー。もう降りていいですよー」
(ヤバッ…… 係の人が来ちゃっ…… )
修美の変な行動に気を取られて、おもらしを誤魔化す方法を全く考えていなかった。なかなか立ち上がらない私たちを係の人は不思議そうに見つめている。これでは、おもらしがバレてしまうのも時間の問題だ。私は自分がびしょ濡れの理由をなんとか説明しようと必死で考える。
(早く。係の人が気づく前に何か言わなきゃ…… )
「あの…… すみません」
聞こえたのは係の人の声ではなく、修美の声だった。りんとしてよく通るけど、どこかモゴモゴしている。そんな不思議な声だ。
「はい、どうしましたか? 」
「あの私たち、怖くておもらししちゃったんです…… 」
係の人はちょっと驚いた様子だったけど、すぐににっこり笑って「大丈夫ですよ。こちらで片付けておくので降りちゃってください。売店でタオルが売ってるので良ければ使ってくださいね」と言ってくれた。
「はい、ありがとうございます。ほら博子、行こ」
修美は私の手を取って引っ張った。おもらしで力を使い果たしていた私はされるがままコースターから降りた。そのあとも修美に引っ張られながら、私たちは乗り場を出て、家庭教師の下へ向かった。
「おかえり、二人とも楽し…… 」
「家庭教師さん。申し訳ないのですが理由は聞かず、すぐに大きめのタオルを二枚買ってきてください」
修美の強い口調に家庭教師は最初戸惑っていたが、私たちの下半身が濡れているのに気づいてすぐに売店に走っていった。残された私たちはおもらし姿のまま手を繋いで家庭教師が返ってくるのを待った。
「…… ねぇ修美、さっきさ、わざとおもらしした? 」
おもらしのショックが落ち着いてきたので、気になっていたことを修美に聞いた。修美はただ小さくコクリと首を縦に振った。
「なんで? なんでそんなことしたの? 」
修美はしばらく口をモゴモゴ動かすだけで、すぐには答えてくれなかった。しばらくすると修美が「うん」と小さく呟いて話し始めた。
「えっと、あのまま博子だけが恥ずかしい思いをするのが、何か嫌だったの。だから、博子以外にもおもらしした人を作ればいいやって思って…… 」
なんと言えばいいか…… あまりにも突飛な理論だ。おもらしした人が一人でなければ恥ずかしくないとはならないだろう。
修美は追い詰められると、よく変なことをする。ママは「修美は頭が良くてなんでも分かると思っているから、予想できないことは苦手ですね」って言ってたっけ。今回もそういうおかしな行動の仲間なのかな? そうだとしてもだ。さっきの話を聞く限り、修美は私のために頑張ってくれたみたいだ。
(一応、修美に確認しておくか…… )
「じゃあ、修美は私のためにおもらししてくれたの? 」
修美は恥ずかしそうに頷く。よく見ると顔は真っ赤だ。恥ずかしかったのかな? とりあえず、修美が私を助けてくれたことだけはわかった。だとしたら、それがどれだけおかしな手段だとしても、これだけは言っておかなければならない。
「ありがとね修美、その、助けてくれて」
「ううん、そもそも私がいじわるしたせいだし…… ごめんね」
「それくらい許すよ。だって私、修美のお姉ちゃんなんだよ」
二人でフフフと笑い合う。でも、そのあとなんだか恥ずかしくなって、二人で黙って家庭教師が迎えに来るのを待つことにした。
◆
ブゥゥゥゥン
帰りの車の中はとっても静かでエンジンの音しか聞こえない。私と修美は後部座席に家庭教師が買ってきたタオルを敷いて座っている。二人でおもらしするなんて予定にはなかったので、着替えられず下はびしょびしょのままだ。
「ねぇ博子、なんか話して。気まずい」
唐突に修美が話題を求めてきた。気持ちはわかるがあまりにも雑だ。こんな振り方では話し上手な人でも面白い話にはできないだろう。でも、私は頑張って話題を探す。そうすると一つだけ良さげな話題が見つかった。私と修美だから出来る話。そして、きっと今しかできない話だ。
「えっと…… じゃあさ、朝してた漫画の話でいい? 」
「うん、それでいいよ」
修美のOKが出たので、私は一息置いてから話す。多分、今までで一番、修美と話すのに勇気が必要だったと思う。
「あのさ、ラストは修美の言う通り勇者が黒幕でいいよ」
「えっ、いいの? 」
「うん、さっき助けてくれたお礼。でも、一個だけ私のお願いを聞いてくれる? 」
「まぁ、展開に影響がない範囲ならいいわよ」
展開に影響がない範囲か。それはちょっと難しそうだ。だからといって「じゃあもう言わない! 」なんて言ったらまたケンカしてしまう。今日はとっても疲れたので、もう修美とケンカしたくない。私は修美に怒られることを覚悟してから要望を伝えた。
「登場人物、全員生きてることにして。なんか、また勇者の仲間になるとかさ。ね、お願い」
「…… 理由だけ聞くわ。変更するかは、その後で考える」
いつもだったら「はぁ!? そんなことできるわけないでしょ! 」とすぐに怒ってくるのに今日はちょっと優しい。修美も疲れているのかな?
「えっとね、ほら、パパがいなくなっちゃったじゃん。私そのとき、すっごく悲しかったんだよね。なんか、パパと一緒にいた時間が全部なくなっちゃった感じがして…… だから、そんな気持ちを漫画に出てる人たちにしてほしくないなぁって」
自分で言ってて恥ずかしいけど、これが本音だ。頭ではわかっている。漫画の登場人物は私と修美の自由帳の上にしかいない。眠ったまま落とし穴に落ちた戦士も、走るのが遅くて串刺しになった僧侶も、ズルをして燃やされた武闘家も、みんな現実にはいない。そう言い聞かせてラスト付近まで修美と一緒に描いてきた。
でも、修美の案を採用すると、彼らのここまでの頑張りがムダになってしまう。私にはそれが耐えられなかった。きっとパパが事故にあったあとで、パパのものが全部ムダだって捨てられたら、私はとても悲しい気持ちになるだろう。だから、そんな気持ちになる登場人物がいるお話は描きたくない。
私の言葉を聞いて、修美はしばし考えた後、ぽつぽつと話しだした。
「私ね、パパが亡くなったとき、神様を見たの」
「え? 」
「目で見たわけじゃないよ。なんとなくその存在を感じたって言ったほうがいいのかな? その神様はね、魔法が使えてとっても気まぐれなの。だから、神様がひょいっと魔法の杖を振っただけで人なんて簡単に死んじゃうんだ。それまでどんなに素晴らしい功績を積み上げていても、その日運が悪いだけで人は死ぬ。パパのお葬式でそう思ったの」
私がワンワン泣いている横で修美はそんな難しいことを考えていたのか。私はちょっと驚いた。驚いている私を他所に修美は話し続ける。
「あの日から現実は理不尽で、どんなに頑張っても誰かの気まぐれで全部ムダになっちゃうってわかったの。だから、漫画でもなるべく現実的にしようと思って、理不尽なラストにしてたってわけ」
「でもね」と呟いた後、少し間を置いてから修美は言った。
「博子が嫌なら現実的かなんてどうでもいいよ。あの漫画は私と博子の自由帳の上のお話なんだし…… だから、なんとかしてみんな生き残るラストにする。ストーリーを考えるのは私のほうが得意なんだから、任せて」
修美は優しく微笑んだ。その笑顔を見てなんだか嬉しくなって、私も笑った。なんだかとってもいい気分だ。ちゃんと自分の気持ちを話せてよかった。遊園地に遊びに来てよかった。…… おもらししちゃって、よかった。
(ん? おもらし? …… あっ! )
「ねえ修美! 勇者の仲間なんだけどさ、閉じ込められた小屋の罠でやられるんじゃなくておもらししたから恥ずかしくなって、いなくなったってのはどう? これならみんな生きてても全然おかしくないでしょ?! 」
私が目を輝かせていった案に修美は顔をしかめた。そんなに悪い案だったかな?
「あのねぇ、命がかかっているから、みんなあの手この手で脱出しようとするの。おもらし程度で脱出できるならみんな積極的にしてるわよ…… 今日の私みたいに」
ふむ、言われてみればそうだ。じゃあこの案はボツか。あーあ、いい案だと思ったのに…… 落ち込む私の横で修美は顎に手を当てて、何かを考えている。
「ただ、おもらしに死と同等の意味を持たせることができれば…… そうね、例えばおもらししたら魔物が現れて知らない場所に連れてかれちゃうとか」
「なるほど! 連れて行かれるのが怖くて必死に我慢するってわけね! 」
「そう。それに加えて連れて行かれたあと、帰ってきた人が誰もいないって設定を加えれば…… うん、必死におしっこを我慢する理由にはなるかもね」
「すごい! 修美やっぱ、お話考えるの上手だね! それで描き直そ! 」
「別に私はいいけど、博子はいいの? 今まで描いてきた絵、ほとんど使い回せないよ」
「いいの! 楽しいお話になるならなんでもするよ! 」
「…… そっ」
修美の満足した顔を見て、また嬉しい気持ちなる。顔を見るだけで嬉しい気持ちになるなんて、どうやら私は修美のことが相当好きみたいだ。思えばママのお腹の中からずっと一緒にいる。そんな仲なら嫌いになる方が難しいのかもしれない。
「あのー、二人ともちょっといいかな? 」
運転席から家庭教師が私たちの邪魔をする。ムスッとした表情で家庭教師を見る。隣に座る修美も私と同じ表情だ。
「何? 」
「なにか御用ですか? 」
「あのさ、その内容だと多分成人向けになる可能性があるから、小学校に持っていく自由帳に書くのはちょっと…… 」
「うるさい! お前、私と修美のアイデアにケチ付ける気か?! 」
「そもそも、それくらいわかってますよ。だからむやみに人に見せることはしません。それくらい常識でしょう? 」
私と修美の完璧な反論に家庭教師は言葉を失った。そうだ、二人だったら大人だって言い任せる。
私たちは最強なのだ。
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