アイドルがステージ上でおもらししそうになるも、なんとかトイレに駆け込む話

 いっぱいたまったオシッコが、お腹の中でチャポッと音を立てる。私が激しく動けば動くほど、その音は大きくなる。正直、一歩も動きたくない。でも、それはできない。


 だって、私はアイドルで、今はライブの真っ最中。ステージの上で跳んで跳ねてみんなを楽しませなくちゃいけない。ライブの途中で、ましてや自分のソロ曲の途中でトイレに行くなんて考えられない。というか、歌っている途中でトイレに行くなんて器用な真似、わたしにはできない。


 いや、もし歌っている途中にトイレに行くことを許されたとしても、私にはトイレに行くことはできない。だって、今日は大好きな彼が私のステージを見に来ているのだから。アイドルに興味ないって言ってたクセにちゃっかりライブに来ていた私の大好きな彼。彼の前でトイレに行くなんて恥ずかしい。


ジョピ


 私の考えとは関係なく下着が湿った。このままだとライブ中にオシッコを漏らしてしまうかもしれない。しかも好きな人の前で…… 


 オシッコで満たされたお腹をチャポチャポ鳴らしながら、激しいダンスを踊る。何度も練習して体に染み付いたダンスはどんな状態でも完璧な動きで繰り出される。腰をクイッと上げたり、脚を思いっきり開いたり、高々とジャンプしたり、どの動きをしてもオシッコが漏れ出して下着が濡れた。それ以上、漏れ出すのを防ぐため、私は笑顔のまま股をキュッと閉じる。前を押さえることも、必要以上にへっぴり腰になることも許されない。そんな状態で私はオシッコをこらえる。


(はぁ、苦しい…… どうしてこんなことに…… )


 自分の現状を呪う。でも、よく考えたら自業自得だ。だって、私は今日、おもらしするためにステージに上ったのだから。



(よし…… 完璧だね)


 早朝、パソコンに打ち出した自分の計画を見て満足する。自分で言うのも何だが、完璧な計画だ。この通りに行動すれば、私は公衆の面前でおもらしできる。


 私は『ソフト・セブン』という七人からなるアイドルグループに所属し、”シー・ズー”という芸名で活動している。普段は無表情なのにパフォーマンスになると感情が入って可愛いって言ってもらえ、そのおかげか映画出演のお話もある。いわゆる演技派アイドルなのだ。


 でも、私はアイドルを辞めようとしている。他のメンバーからいじめを受けているとか、ファンから嫌がらせを受けているとか、そういうことではない。むしろみんなめちゃくちゃ優しく、私はアイドルという仕事が大好きだ。でも、今の私はアイドルでいたくない。アイドルでいる限り好きな人と一緒になれないからだ。


 私には好きな人がいる。同じ大学に通ってる男の子で、モサッとした髪に丸い顔、パンク系の服を着ている可愛い子だ。


 彼とはちょっとしたきっかけで一緒に倉庫に閉じ込められ、互いにオシッコするところを見せあった仲だ。それが原因ではないけど、私は彼に本気で恋をした。え? 恋した一番の決め手? うーん、性格…… かな? あ、あと顔。


 私は思い立ったら行動! 派なので、すぐに彼に告白した。でも、彼から返ってきた答えは「わり、アイドルと付き合うのはリスク高いからパス」だった。


 私は久しぶりに本気で泣いた。大好きな仕事のせいで、大好きな人と一緒になれない。どっちかを諦めなければならない。とっても悲しくって、苦しかった。泣いちゃったから、きっと彼を困らせちゃっただろうけど、感情が抑えられなかったから、仕方ない。


 私はしばらく彼と仕事、どっちを取るか本気で悩んだ。悩んだ結果、私は仕事を諦めることに決めた。苦しい決断だし、メンバーやマネージャーさん、事務所にも迷惑がかかっちゃうけど、どうしても彼と一緒になりたかった。


 とはいえ今ある仕事を全部投げ出す気はない。少なくとも今きている映画のお仕事くらいは事務所のために繋ぎ止めたい。だから、私は「アイドル引退計画」を作った。この計画なら、誰にも迷惑をかけず、自然な形でアイドルを引退し、今ある映像作品のお仕事はつなぎとめる完璧な計画だ。


 私の計画はこうだ。狙いは近所のショッピングモールで開催される私の単独ライブ。私はこのステージでおもらしをする。ステージでおもらしなんて恥ずかしいことをすれば、イベントのあとで私が「アイドルを辞めたい」といっても不自然ではないはずだ。ここで「ステージに立つのは嫌だけどお芝居は続けたい」とマネージャーさんに言えば、アイドルの仕事はなくなるけど、お芝居の仕事は保てるはずだ。うちのマネージャーさんならきっとそうしてくれる。


 元々、私はお芝居の仕事がしたくて芸能界に入った。小さい頃から兄が作った映画に出演したくていろんな事務所に履歴書を送っていた。今の事務所は「最初はアイドルでもいいなら」と言って雇ってくれたので、きっと役者だけになっても雇用は継続してくれるだろう。メンバーやファンと別れることだけがツライけど、私だって幸せになりたい。今から私はみんなのアイドルから、普通の女の子になるのだ。


 「さてと…… 」


 独り言を言い、私は計画の準備を始める。といっても、用意するのは五百ミリリットルの紅茶だけ。これさえあれば私は確実にステージ上でおもらしできる。私は小銭を握りしめ、自動販売機へ向かう。視線の先には、大好きな彼との明るい未来が広がっていた。



「みんな〜、今日は来てくれてありがと〜。他のメンバーはいないけど、全力で楽しませちゃうからね〜」


 時刻は十三時。イベントは予定通り始まった。規模の小さいイベントだし、他のメンバーもいないのでお客さんはあまりこないと思っていたけど、その予想は外れた。ステージ前の用意された座席以外にも立ち見のお客さんがたくさんいて、ショッピングモールで買い物をしている人たちの通行の邪魔になっている。警備員さんが必死に誘導しているけど、そのがんばりも虚しく、人だかりはますます大きくなっていた。


(うぇ〜、この人数の前でおもらしするのかぁ…… )


 予想外の観客数に心が折れそうになる。が、計画に変更はない。というかもう変更などできない。


 私は出番直前に朝買った紅茶を一気飲みした。それもただの紅茶ではない。レモンティーだ。レモンティーを飲むとなぜかすぐにオシッコ行きたくなる。だから、いつもは絶対に飲まないのだが今回は特別だ。


 他にも朝、コーヒーをブラックで飲んだ。兄からは「へぇ〜、お前コーヒー、ブラックで飲めたんだ。ま、俺も飲めるけど…… ニガッ! 」と言われた。実際、私も兄と同じ気持ちだった。苦くて何度もむせ返りそうになったけど、なんとか全部飲み込んだ。そして、朝からずっーとトイレに行っていない。だからもう私はここでおもらしするしかないのだ。


「それではさっそく曲いってみよ〜。この曲は楽屋で無表情だった私を見て思いついた曲だそうです。私が楽屋でどんな感じか想像しながら聞いてね〜。じゃあミュージック、スタート! 」


 前フリのあと、私の曲が流れる。『ソフト・セブン』はメンバーそれぞれの個性で売っていく方針なので、ソロ曲もメンバーごとに二曲ほど作ってもらっている。今日のイベントはソロ曲を二曲歌って、抽選で選ばれた三人と写真を撮っておしまいという流れだ。


 私の計画では二曲目のサビ前くらいでおもらしすることになっている。その方が限界まで我慢していた感があっていいと思ったからだ。しかし、ここで私の計画にほころびが見えた。


(うぐっ…… オシッコ我慢しながら踊るの…… ツライ)


 今歌っているのはそんなに激しい曲ではない。ダンスはせいぜいステージの上を歩き回る程度だ。それでも動く度にお腹の中のオシッコが暴れまわる。踏み込みの衝撃が膀胱にダイレクトに伝わり、お腹を押さえたくなる。歌声やファンの声援の振動で体が勝手に震え、オシッコが出そうになる。でも、まだここで出すわけにはいかない。私は何度か音程を外しながらもなんとか一曲目を終えた。


「あ、ありがとー。みんな、楽しんでくれたかなー? 」


 次の曲の用意ができるまでの間、司会のお姉さんとトークをする。


(そういえば、今日はちゃんと客席を見てなかったっけ)


 今日はオシッコのせいで見ている余裕がなかったが、私はいつも客席のお客さんをグルッと見てからパフォーマンスを始める。どんなお客さんが来ているのか? 知っている人はいるのか? 兄はどの当たりで見ているのか? それを確認するとパフォーマンスがうまくいくのだ。


 司会のお姉さんと話しながら、視線を客席の端から端まで走らせる。客席にはいつも来てくれる古参のファンから見たことのない人まで色んな人がいる。そして、向かって右端の客席を見たとき、私の思考は停止した。


(えっ…… なんでいるの? )


 私が突然黙ってしまったので客席が少しざわついた。司会のお姉さんが「どうかされました? あっ、もしかして客席にイケメンがいたとか? 」と言って、トークを促してくれる。私は「え〜、そんなことないですよ〜。あ、みんながイケメンじゃないってことじゃなくてー」と返して、笑いを誘う。が、私の頭の中は別のことでいっぱいだった。


 私が客席で見つけた人は、一緒に倉庫に閉じ込められ、オシッコするところを見せあった彼だった。


(ウソ…… アイドルなんて興味ないって言ってたじゃん…… なんで抽選に勝ち残ってその席にいるの? )


 いくら小規模なイベントとはいっても客席の倍率は割と高い。それは私の魅力とかじゃなくて現役アイドルとの撮影会というSNSでバズりそうなネタを提供しているからだ。客席に座っている人の中には私に興味はなく、ただ「今日は『ソフト・セブン』のメンバーと会ってきました〜」と投稿する材料が欲しい人もいる。つまるところ、客席を狙っている人は尋常じゃない数なのだ。そんな倍率高めの抽選に彼が勝ち残っているなんて、普通だったら飛び跳ねたいほど嬉しいことだ。


 けど、今は事情が異なる。私は次の曲の途中でおもらししようとしている。このまま計画通りにいくと、私は大好きな彼におもらしを観られることになる。


(…… ヤダ、おもらし見られるのは…… 絶対ヤダ)


 数え切れない人の前でおもらしすることには耐えられても、たった一人、大好きな人の前でおもらしするのは耐えられない。一度オシッコするところを見せあった仲だとしても、おもらしは見られたくない。というか、オシッコしてるところだって見てほしくなかったし……


 私は瞬時に計画の変更を決めた。おもらししてアイドルを引退する作戦はまた別の機会にして、今日はこのままイベントを流そうと思った。


ブルルッ


(…… っ! ヤバッ。これ、計画関係なく…… 漏れちゃう)


 しかし、体にそのことを伝えてもオシッコは消えてはくれない。というか、しちゃいけないと意識した途端にすごくオシッコがしたくなった。私の額に冷や汗が伝う。


(これ、次の曲いける? 次ってたしか…… )


「さぁ、そろそろ次の曲、いってもいいですか? 」


 司会のお姉さんが話を振ってくる。尿意に思考を支配された私は答えるのに手間取ったが、なんとか段取り通りのセリフを話した。


「そ、それじゃあ最後の曲、いくよ〜。この曲はコロコロ変わる私の表情を表すために、変調をいっぱい使った曲だそうでーす。みんな、ついてこれるかな〜? それではミュージック、スタート! 」


 二曲目が始まる。二曲目は最初こそローテンポだが、サビでいきなりアップテンポになり、ダンスもそれに合わせて激しくなる。片足を上げたり、腰を振ったり、ジャンプしたり…… とにかくオシッコを我慢しているときに踊っていい曲ではない。普通に歌って踊るだけでもかなり体力を消耗する曲なのに、オシッコを我慢しながらとなると、これはもう新手の拷問だ。


 というか今踊っているローテンポの部分ですらキツイ。私はいつもよりも脚を斜めに踏み出して、脚をクロスさせ決壊を防ぐ。多分、かなり腰が引けているので今日のダンスはかなり滑稽なものになっているだろう。


「いくよー! 」


 掛け声とともにサビに入る。曲に合わせて跳んだり跳ねたり、縦横無尽に舞台を駆け巡る。ジャンプする度にお腹の中の液体がジャポジャポと音を立て、脚を大きく開く度にオシッコが流れ出そうになる。


 それでも私は耐えた。こんなに注目を集めた状態で、しかもこんなに激しい踊りを踊りながらおもらしなんてしたら、アイドル引退どころの騒ぎではない。『オシッコを撒き散らしながら踊り狂う女』としてショッピングモールの伝説になってしまうだろう。


 なにより客席には彼がいる。だから絶対に漏らすわけにはいかない。その恋心が私に力を与えたのか、私は二曲目をなんとか歌いきった。


「いえ〜い! みんな、ついてきてくれてありがと〜! 」


 大股開きでステージ中央に立つ私に拍手が送られる。私としては早くこのポーズから開放してほしい。しかし、いつまで経っても司会のお姉さんの合図がこない。チラッと司会のお姉さんを見ると観客と一緒になって拍手をしている。どうやら司会のお姉さんも私のファンだったようだ。


 そこから十秒くらいしてやっと「はい、ありがとうございました〜。それではここから、選ばれしものによる撮影タイムでーす! 」と合図のセリフを言ってくれたので、私は脚をキュッと閉じて、へっぴり腰に戻った。


「さて! “シー・ズー”さんと写真が撮れる幸運な三人は〜…… この人たちです! 」


 司会のお姉さんの掛け声とともにステージ上のモニターに三つの番号が表示された。客席ではみんなが自分のチケットに書いている席番号を確認している。どうやらモニターに表示された番号と席番号が一致していれば撮影会に参加できるシステムみたいだ。


 客席の反応は十人十色で、頭を抱えて悲鳴を上げる人、自分の番号が違うとわかった途端に帰る人、小さくガッツポーズをする人、いろんな人がいた。私はその人たちを見ている間もずっとモジモジとオシッコを我慢していた。早く撮影会を始めて欲しい。そしてトイレに行かせて欲しい。それが私の願いだった。


 しばらくしてステージ上に撮影会に参加する権利を獲得した三人が出揃った。三人の顔ぶれは、いつも来てくれる古参の男性ファンと、まったく知らないキレイな女性と、彼だった。


(ゲ……またいる。 クジ運どうなってるの!? ビギナーズラックじゃ片付けられないよ! )


 ここまでくると、私の運が悪いのでは? と思えてくる。なんでオシッコを我慢しながら好きな人とアイドル衣装で写真を撮らなければならないのだろう? 私は何か悪いことをしたのだろうか? 


「じゃあ一番目の方、こちらへどうぞ! 」


 私の悩みなど関係なく撮影会は進む。最初の人は昔からのファンの男性だ。


「わ、わぁ、また来てくれたんですね〜。いつもありがとうございます」


「こ、こっちこそ…… 覚えてもらって恐縮っす」


 眼鏡姿にボサボサの黒髪でアメコミ・ヒーローのプリントされたTシャツにパーカー。いつもほぼ同じ格好なのでこの人のことは割と初期から覚えている。それと絶対に握手会には来ないので、強く印象に残っている。


「じゃあ、一番目の方。ポーズの指定をお願いします」


「えっ、そんなことしていいんすか? 」


「はい、今回は”シー・ズー”さんが皆さんの指定したポーズをとってくれますよ! 」


 そういえばそんな企画だった。私はちょっとだけ不安になる。指定されたポーズによっては詰んでしまう可能性がある。例えばここで「ちょっとしゃがんだポーズしてください」と言われたら、その時点でオシッコを出してしまう気がする。私はなるべく膀胱にダメージが少ないポーズが来るように祈った。


「じゃあ、こう、片足をぴょんとあげたにゃんにゃんポーズでお願いするっす」


 私の祈りは届かなかった。オシッコを我慢している状態で片足立ちなどできるわけがない。それはさっきのダンスで経験済みだ。しかも、一瞬ではなく写真が撮り終わるまで、片足立ちをキープしなければならない。もし、撮影中に漏らしてしまったら、彼のスマホには私がオシッコをしている写真が保存されてしまう。


「わ、わかりました。こうですか? 」


 でも、私は断れない。だってそういう企画なのだから、アイドルとしては拒否できない。私はあげた片足をなるべく軸足に寄せて、股を締め上げた。これが今の私にできる精一杯の防衛手段だった。


「あ、そんな感じでOKっす」


「じゃあ撮りますねー。はい、笑ってー」


 カシャ、とカメラのシャッター音が聞こえたあと、司会のお姉さんが「はい、OKでーす」と言った。それを合図に私はゆっくりと脚を地面に戻す。


「ふぅ、ありがとうっす。次のライブも必ず行くのでそのときはよろしくっす」


「は、はーい。よろしくでーす」


 なんとか一人目の撮影が終わる。本当は手でオシッコの出口をギュッと押さえたいのだが、そんなことはできない。私はオシッコの出口を押さえる代わりに、衣装の裾をギュッと掴んだ。全然尿意は収まらないが、何もしないよりは幾分、気持ちがマシになった。


(はぁ…… 撮影、あと二人もぉ…… もう限界なんだけど…… )


「あの、よろしくて? 」


 ボーッとしているところに全然知らない人から声をかけられた。びっくりしてチビってしまいそうになったが、私は括約筋に意識を集中してなんとか耐えた。私に声をかけたのは赤と黒のロリータ服を着た女性だ。客席にいるときから目立っていたけど近くで見るとすごいキレイな人だ。


「あ、ゴメンナサイ。ちょっと疲れちゃって…… 」


「かまいませんわ。では、真っすぐ立って脇を締めていただけるかしら? 左手は体に沿わせて。右手はお盆を持っているイメージで顔の横くらいに固定していただけますか? 」


「あ、はい、こうですか? 」


 メイドさんがお盆を持っているようなポーズをすると、女性は「はい、このポーズでお願いしますわ」と言って司会のお姉さんにスマホを渡した。この体勢もなかなかにキツイ。さっきのポーズほどではないが、背筋を伸ばすので、尿道が地面と垂直になり、オシッコが重力に引っ張られている気がする。


 「早く終わって…… 」と心の中で唱えながら撮影を行う。数秒ののち、本日二回目の「はい、OKでーす」によって私は直立ポーズから解放された。


「ありがとうございます。とっても可愛い方なんですのね。今度は知り合いと一緒に会いに来ますわ」


「あ、えっと、はい。今度はぜひ、メンバーみんなが出ているイベントに来てくださいね」


「あら、あなた以外にもメンバーが…… それは楽しみですわね」


 女の人はフフッと笑ってからステージを降りた。そして三人目との撮影が始まる。


「よ。アンタ、この前会ったときとキャラ全然違うのな」


「こ、こら〜、そういうことは言わない約束だぞ〜」


 彼は「フッ」となんともムカつく笑顔で微笑んだ。


「三番目の方はどんなポーズにしますか? 」


 彼は顎に手をあて、しばらく考える。私としてはもう何でもいいから早くイベントを終わらてほしいだが…… 


「じゃ、ピースサインで」


「はい? 」


 司会のお姉さんの間抜けな声がマイクを通して会場中に響いた。私もお姉さん同様、心の中で「はい? 」と言ってしまった。


「あの、もっと詳しく指定していただけると…… 」


「右手でピースしてくれりゃいいよ。それ以外は指定なし。ダメ? 」


「いや、別にいいんですけど…… 」


「じゃ、早く撮ろ」


 そういって彼はスマホを司会のお姉さんに渡して、私の横に立った。


「ほら、早くしなよ。右手でピースくらい出来るだろ? 」


「う、うん…… でもなんで…… 」


「そりゃ、アンタがトイレ我慢してっから。複雑なポーズして漏らしちまったら、困るだろ? 」 


 カアッと顔が熱くなった。


(ウソ? え? なんで知ってるの? )


 私のことなど気にせずに、彼は私の横で同じ様にピースサインをしている。私はオシッコを我慢しているのがバレたのが気になって全然ポーズが取れなかった。


「あの、”シー・ズー”さん? ポーズをお願いしてもいいですか? 」


「ほら、司会の人が困ってんじゃん。さっさとポーズ取んなよ。アイドルの”シー・ズー”さん」


 彼はまたムカつく笑顔を作って、こっちをチラッと見た。私はちょっとだけイラつきながら右手でピースサインを作った。というか、さっき私のこと”シー・ズー”って呼んだよね? 何度名前を教えても頑なに”アンタ”呼びだったくせに……


「はい、OKでーす!! 」


 お姉さんのOKコールが聞こえた。どうやらイラついているうちに撮影会は終わっていたようだ。


 彼はスマホを受け取るためにお姉さんのところに向かうときに「あんま我慢すんなよ。体にわりぃぞ」とデリカシーのないセリフを吐いてきた。噛みついてやろうかと思ったが、もうオシッコが限界なのでそんな事はできなかった。


「はい、本日のステージはここまでです! “シー・ズー”さん、ありがとうございました〜! 」


 司会のお姉さんのセリフのあと、私は客席に手を振りながら舞台袖へとハケた。といっても簡素なステージなので袖まで行っても、まだ人からは見える。私は段取り通り、ついたてで仕切られた臨時の楽屋に入った。


「”シー・ズー”さん、お疲れ様です! 今日もとっても可愛…… 」


「ゴメン、マネージャーさん! 私トイレ行きたいの! 場所教えて! 」


 ニコニコ笑顔のマネージャーさんの言葉を遮り、私はトイレの場所を聞く。周りにはマネージャーさんしかいないので、私は腰を目一杯引いて、脚の間に手を挟み、完璧な状態でのオシッコを我慢した。


「えっ、トイレですか? 楽屋出て右手にショッピングモールのトイレがありますけど、お客さんも使ってるので衣装のままいくと目立…… 」


「ありがと! 」


 そう言って私は駆け出した。後ろではマネージャーさんが「あ、待って! 」と私を静止しようとする声と、直後に何かにつまづきドターンと派手に転んだ音が聞こえた。マネージャーさんのことは心配だけど、今は私のオシッコだ。


 マネージャーさんの言った通り、楽屋の右を見るとすぐにトイレの表示が見つかった。私はアイドル衣装のまま、走ってその場所を目指す。途中、何事かと私を見る視線を感じたがいちいち立ち止まってはいられない。ここで立ち止まればもっと注目を集めることになる。


ジョワワ


 オシッコが少しだけショーツに染み出す。もう一刻の猶予もない。急がなければアイドル衣装のままおもらししてしまう。それだけは避けなければならない。私は走った。走って走って、ついにトイレにたどり着いた。


(ウソ…… )


トイレにたどり着いた私の目に入ったのは、長い長い行列だった。


 冷静に考えたらこうなることは予想できた。イベントは超満員。その人たちが一斉に自由になったのだから、イベント会場から一番近いトイレが混雑するのは当然かもしれない。


ジョパパ


 行列を見て絶望した私からオシッコが多めに漏れ出した。私はひと目も憚らず、オシッコの出口をガバッと押さえる。恥ずかしいがここでおもらしするわけには行かないので、もう仕方がない。


(ダメ…… ちゃんとトイレに入るまで、我慢しないと…… )


 よろよろと行列に並ぶ。私の前に並んでいた人はギョッとした顔でこちらを二度見した。いきなりアイドル衣装の少女がへっぴり腰で前を押さえながら鬼の形相をしていたら、まあそういうリアクションにもなるだろう。


 しばらくの間、私はただ前だけを見つめ、一生懸命オシッコを我慢した。


「なぁ、あの子さ…… 」


「? あの子がどうしたの? 限界っぽいのはわかるけど…… 」


「ちげぇって! あれ、”シー・ズー”だよ! ほら、さっきステージで踊ってた! 」


「あ、ホントだ。やっぱアイドルってトイレに行きづらいんだね」


 ヒソヒソと私の噂をする声が聞こえた。私の正体に関すること半分、おもらししそうな私を心配する声半分といったところか。


(う〜…… みんな見ないでよぉ〜。私だってこんなことしたいわけじゃないのに〜)


 誰に対してかわからない言い訳を心の中で叫ぶ。一瞬スカッとはしたが、オシッコを出し切っていない状況では焼け石に水程度の効用しかなかった。


 しばらくしてやっとトイレの個室が見える位置まで行列が進んだ。トイレの中に入り、さっきより人の視線が少なくなったのをいい事に、私はオシッコを我慢することに全力を注いだ。体をよじり、足をタンタン鳴らし、口からは「ううん…… はぁ…… 」とため息を漏らす。


 ここまで必死に我慢しても完全にオシッコを押さえきることはできず、私の太ももにはツーとオシッコが伝っていた。ショーツはすでに吸水力を失い、ただただ私の股から体温を奪う布に成り下がっていた。


(うえぇ…… 股ぐしょぐしょで気持ち悪い…… マネージャーさん、替えの下着とか持ってきてるかなぁ〜)


 モジモジタンタン。いろんな方法でオシッコが漏れ出すのを防ぐ。私の前にはあと三人。個室は五つ。この内、四つの扉が開けば私はトイレでオシッコができる。


ジャアアアアアア


 水が流れる音がして、個室から人が出てくる。入れ替わるように別の人が個室に吸い込まれていった。


(あと、あと二人…… )


ジャアアアアアア


 また水が流れる音がして、個室から人が出る。列の先頭の人がゆっくりと個室に入り、ガチャンと扉を閉めた。


(あと、一人ぃ…… 一人入って、もう一個、個室開けば、私の番ん…… )


 目の前の現実を言葉にすることで、折れそうな心を支える。私の体はとっくに限界を超えている。定期的にジョワジョワおチビリしているのがその証拠だ。それでも私がおもらしをしていないのは、自分がみんなに憧れられるアイドルであるという自負によるものだ。みんなから声援を受けるアイドルである私はおもらしなんてしてはいけない。さっきまで辞めようとしていた職業に私は今、助けられていた。


ジャアアアアアア


(開いた! 個室開いた! あと一つ…… )


ショパパパパ


 あとちょっとという油断のせいで、多めにオシッコが漏れた。これはもうおもらしと言っても差し支えないかもしれない。脚は部分的にキラキラ光り、ソックスには変なすじができている。でも、床はまだ濡れていないし、オシッコだってお腹の中にまだいっぱいたまっている。だから、まだおもらしはしていない。そう言い聞かせて、私は五つ並んだ個室を凝視した。


ジャアアアアアア


 入口から一番遠い個室から水音がした。キイィという音とともに個室の扉が開いて、人が出てくる。ここまでは今までと同じ。違うのはここからだ。


(トイレ! )


 私は弾かれたように駆け出した。脚を大きく前に出したため、オシッコがショワワと溢れ出したが、もう気にしていられない。個室から出てきた人とすれ違って、半開きになった扉から個室に体を滑り込ませた。


 後ろ手にガチャンとカギをかけ、スカートの中に手を突っ込む。トイレが視界に入った瞬間、股がヒクヒクッと痙攣して、もう少しも我慢出来ないことが直感的にわかった。スカートの中でモゾモゾ手を動かしてオシッコでびしょ濡れのショーツを剥ぎ取った。そして、ガバッとスカートを捲り上げ、勢いよく便器に座った。座った瞬間に私の中にたまっていたオシッコが勝手にあふれ出した。


ジョババババババババババババ


(はぁ、やっと、オシッコォ)


 思わず吐息が漏れる。ずっと我慢していたものを正しい場所で出すのがこんなに気持ちいいとは知らなかった。


ジョババババババババババ


 オシッコは全く勢いを落とさず、ずっと個室内に轟音を響かせている。冷静になった私は音消しのための機械を作動させる。だが、ちゃんと音が消せているのか不安になるほど、私のオシッコの音は大きかった。


(すごっ、私こんなに我慢して、ステージ立ってたんだ…… )


 自分の頑張りに感心する。お腹の当たりだけ衣装の締め付けが弱くなっていくのを感じて、さっきまでお腹が張り出すほどのオシッコがため込まれていたことを知った。ジュウウウウウとオシッコが出るほど、衣装の締め付けは弱くなっていた。


ジョボボボ…… 


(ふぅ〜、めっちゃ出たぁ。これ一リットルくらい出たんじゃない? いや〜、私頑張ったね)


 思わず自分を褒めた。自分のせいでオシッコを我慢していたという事実は、頭からスッポリ抜けていた。


 しばし放尿の快感に身を委ねたあと、私は残ったオシッコを拭き取り、水を流してトイレを出た。すれ違った女性が「えっ、”シー・ズー”? 」と言っていたが、無視した。一刻も早く衣装を着替えて帰り、次のアイドルを辞める計画を考えたかったのだ。オシッコ我慢の苦しみから開放された私は軽い足取りで楽屋に向かった。


「お、その顔は間に合ったみたいだな」


 だが、私の歩みはトイレを出てすぐに止められた。


「えっ?! なんでここに…… 」


「俺もトイレ。で、偶然、行列でアンタがモジモジしてるの見つけたから、心配になって見てたってわけ」


「…… っ! どこから見てたの? 」


「アンタが行列に駆け込んで来るとこから」 


 羞恥心で顔から火が出そうだ。彼の話が本当なら、オシッコを我慢しているところをずっと見られていたことになる。イベント中もずっと見られていたわけだけど、行列に並んでいたときはしぐさを全く隠していなかった。なので、イベント時の二倍、恥ずかしさを覚えた。そんな恥ずかしさを怒りに変換して私はキッと彼を睨みつけた。睨んだ先にいた彼は妙に真剣な顔をしていた。


「あ、あのさ。ちょっと話していいかな? 」


「…… 何? 私、着替えなきゃなんだけど」


 私はいつも以上に不機嫌な感じで答える。彼をけん制する意味だったが、彼は全く動じず「じゃあ一瞬で済ませるわ」と言ってから、勝手に話し始めた。


「…… ゴメン」


 彼から出てきた予想外の言葉に私は固まる。何を謝っているのだろう。全然わからない。私が呆然としているのをいい事に愛糸は言葉を続ける。


「その、あんな風にフッて、ゴメン。あのとき、泣いてるアンタ見て、ミスったなと思った。だから、直接謝りたくてここに来た。まさか座席と撮影会が当たるとは思ってなかったけど…… 」


 どうやら彼は、私に「わり、アイドルと付き合うのはリスク高いからパス」と言ったことを反省してくれてたみたいだ。そしてそのことを謝るために興味のないアイドルのイベントにも参加してくれた。もしかしたら、トイレの外で待っていたのも謝罪するためだったのかもしれない。彼の謝罪の言葉はまだ続く。


「でさ、俺決めたわ。アイドルだろうとアンタと付き合う。面倒事は増えるかもしんねぇけど、それも何とかする。絶対アンタの活動の邪魔はしない。だから…… 付き合ってくれ」


  彼はそう言って深々と頭を下げた。私は言葉の内容をすぐに理解できず、しばし沈黙が流れた。


(え…… 今、私、告白された? マジで!? )


 やっと内容が理解できた私の目から涙が溢れそうになる。嬉しい。こんなに嬉しいことは今までなかったかもしれない。私は顔に手を当て、涙が出るのを抑える。


「…… あの、返事。もらえると嬉しいんだけど…… 」


 彼の心配そうな声で現実に戻る。あまりの嬉しさに私は放心していたようだ。すぐに「こちらこそよろしく! 」と返そうとした。が、自分の周囲の人がめちゃくちゃこちらを見ている事に気づき、体温が一気に下がった。


(マズイ…… この衣装で告白受けちゃったら…… スキャンダル確実じゃん! )


「あの! え〜っと、とりあえずこっち来て! 」


 私は彼の手を取り、楽屋に走った。後ろをチラリと見ると、わけがわからないという顔をした彼と一斉にスマホを取り出す大勢の人たちが見えた。


(あ〜、これ完全に終わったわ…… )


 最近のアイドルは恋愛禁止とまではいかないが、やっぱり相手がいるのはマズイ。こういうとき頼りになるのがマネージャーさんだ。さっき私の後ろで派手に転んでいたようだけど、ドジさえしなければ何でも出来る超人なのだ。私は楽屋に彼を連れ込み、バタンと扉を閉めた。


「おかえりなさい"シー・ズー"さん! …… あれ? その人は誰ですか? 」


 マネージャーさんが彼をマジマジと見つめる。彼は居心地悪そうにしている。ここは私が言うしかない。私は勇気を持ってマネージャーさんに事実を伝えた。


「あのね、この人は浅縄あさなわ 愛糸あいと。私の彼氏」


「へぇ〜、"シー・ズー"さん、彼氏いたんですね。あ、申し遅れました。私、アイドルグループ『ソフト・セブン』のマネージャーをしている…… 」


「違うの! さっき彼氏になったの! で、みんなにバレちゃったからなんとかして欲しいの! 」


 自己紹介を中断されたマネージャーさんが固まる。変なタイミングで固まったからか、顔からメガネがずり落ちそうになる。永遠に思える沈黙のあと、マネージャーさんは大きな声で言った。


「えぇ〜! そんな…… 急に言われても…… えぇ〜! わわっ、ハァ…… えぇ…… 困っちゃいますよ〜…… 」


 マネージャーさんは一瞬ですごい量の「えぇ」を量産した。そのあとすぐに「まぁ、なんとかしますけど…… 」と言って、SNSの拡散状況のチェックしたり、事務所全体としての対応を考えてくれた。やっぱりマネージャーさんは仕事ができる。一回、事務所に電話しようとして間違えて実家に電話しちゃったみたいだけど…… 


 マネージャーさんが忙しくしている間、私は楽屋に連れ込んだ彼とちょっとだけ話した。


「ねぇ、さっきの返事だけどさ…… 」


「うん、大丈夫。もう付き合うのは無理って、マネージャーのお姉ちゃん見てわかったから」


「違うよ。返事はOK。これからよろしくね」


「はぁ!? だってあのお姉ちゃん、めちゃくちゃ涙目だぞ。ここは親戚の子とか適当なこと言ってスキャンダル回避するんじゃねえの? 」


「大丈夫、あの人いつも涙目だから」


「アンタ鬼だな…… 」


「あ、その”アンタ”って呼ぶの禁止ね。ちゃんと名前で呼んで」


「はぁ? アンタの名前なんて覚えてねぇよ…… 」


「さっきイベントで言ったじゃん! つつみ 志津子しづこ! ちなみに苗字呼びもよそよそしいから禁止ね! 私だってちゃんと愛糸あいとって名前で呼んでるんだから」


「俺は名字の浅縄あさなわでも気にしねぇけどな…… 」


「いいから! はい、呼び方考える! 」


 彼は「めんどくせぇ…… 」と言いつつ真剣な顔で呼び方を考える。やっぱり、なんだかんだ言って彼は優しい。そういうところが大好きだ。しばらく「うーん」と唸ってから、彼が口を開いた。


「よし、今日からアンタのことは”シヅ”って呼ぶわ。名前の頭二文字とっただけだがまあいいだろ」


「うん、それでいいよ。改めてよろしくね、愛糸」


「はいよ、シヅ」


 二人の顔から笑顔がこぼれた。よかった、彼と付き合えて。よかった、アイドル辞めなくて済んで。…… あと、ちゃんとトイレでオシッコができて。今日は運が悪いと思ってたけど、とんだラッキーデイだ。


(うん、全部うまくいってめでたしめでたしだね。やっぱり私の日頃の行いがいいからかな? )


 しばらくはそう思っていたけど、視界の端で すごい早さで首を振り謝罪しているマネージャーさんを見て、少しだけ反省した。


(…… 次はもっと慎重に会お)


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


お読み頂きありがとうございます!


もしお気に召されましたら、ぜひぜひフォローや☆評価など頂けますとありがたいです<(_ _)>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る