会社では怖い女の先輩と同棲してみたら、夜トイレに行くのが怖い子どもだった話

「ねぇ起きてください…… 起きてってば! 」


 女の人の大声で目が覚めた。時間は多分、真夜中だ。私は体を起こして、声の主に応対する。


「ん、起きましたよ。何でしょうか? 」


「トイレ! もう漏れちゃいそうで…… ついて来てください! 」


 あぁ、そっか。この人、夜中一人でトイレに行くのが怖いんだっけ。


「はいはい、わかりましたよ。では、行きましょうか」


「ゆっくり! ゆっくりでお願いします……」


 そういって私を起こした女性の手を取り、トイレに向かって歩き出す。彼女は本当に限界みたいで、体をくの字に曲げながらついて来る。


「どうしてそこまで限界になっちゃったんですか? 」


 興味本位で彼女に聞く。彼女は頬を赤くして答えた。


「あの、さっき、緊張していっぱいお茶飲んだので…… 」


 そういえばさっき紅茶を三杯くらい飲んでたっけ。


「はぁ、それなら寝る前にちゃんとトイレに行ってくださいよ。先輩、すぐおねしょしちゃうんですから…… 」


 おねしょを指摘された私の先輩、猫合ねこあいさんの顔は真っ赤になった。



 先輩は私より三歳年上で、頼りになる人だ。事務係のチーフでなんでもテキパキこなす完璧超人。うちの会社でわからないことがあれば先輩に聞けば解決できる。


 その代わりというか、先輩はめちゃくちゃ怖い。先輩に「謝罪の必要はないので、次からは同じミスをしないように」と注意された子が泣いているのを何度も見た。


 かくいう私も先輩は苦手だ。喋り方含めて行動すべてが作り物じみていて、とても痛々しい。一言でいうと、全然可愛くないのだ。顔は可愛いけど。


 そんな先輩と私はマッチングアプリを通じて出会った。『性癖マッチングアプリ』というこのアプリは顔写真や趣味ではなく、性癖でマッチングするという変わったアプリだ。


 私は可愛い女の子をお世話するのが好きだったので『可愛くてお世話されたい女の子募集』とプロフィール文に書いていた。お世話されたい女の子は意外と多く、毎日のようにいいね通知が届いた。そのうちの一人"リーフキャット"という子のプロフ写真が好みだった。


 目元は手で隠しているが、シュッとした顎のラインに薄い唇、そしてギコチナイ笑顔。きっと普段はマジメで、笑わない人なんだろう。構成パーツ的には先輩にそっくりだったが、あの先輩が『一緒に住んでお世話して欲しい…… 』なんてマッチングアプリに入力しないだろう。というかこれは性癖ではなくただの求人では? …… それは私もか。


 とにかく私は"リーフキャット"さんとメッセージのやり取りを始めた。そして今日、私と"リーフキャット"さんは会社近くのレストランで会うことになっていた。


 どんな人が来るのかボーッと考えながら待ち合わせ場所のレストランで待っていると、見慣れた女性が目の前に現れた。


「あら、百立ももたてさん、こんなところで会うとは奇遇ですね」


「えぇ、そうですね。先輩はなぜここに? 」


「待ち合わせです。店員さんからこの席だと伺ったのですが、どうやら間違っていたみたいですね」


 そういって先輩は席を離れた。私は先輩を引き止めはしなかった。プロフの件もそうだが、メッセージでやり取りした"リーフキャット"さんは先輩と全然違う人柄だ。


 "リーフキャット"さんはいつもビクビクしていて、常に見えない何かに怯えている子だ。見えるものしか信じない先輩とは真逆の存在と言える。


 まあ、あの先輩が『夜怖くてトイレに行けなくて…… 未だにおねしょしちゃうんです///できれば一緒に住んで、トイレについて来て欲しいです! 』とか言ってたら、それはそれで可愛いけど。


 自分の妄想が面白くってフフッと笑っていると、向こうから先輩が戻ってきた。忘れ物でもしたのだろうか?


「あの、百立さん…… あなたもしかして"ハンドレッド"さんですか? 」


 ドキッとした。"ハンドレッド"とは私が好んで使っているハンドルネームだ。私の本名、百立 百合花ゆりかは百が二つ入る。だから百を英語にして『ハンドレッド』。我ながら単純な名付けだ。


 いや、今はそんなことどうでもいい。肝心なのは先輩が私を"ハンドレッド"だと知っていることだ。今、この場所でそのハンドルネームを知っている人を、私は一人しか知らない。


「それを知っているってことは、先輩は"リーフキャット"さん? 」


「…… はい、"リーフキャット"です。その、苗字の猫合と名前の百合葉ゆりはから一文字ずつとって"リーフキャット"と…… 」


 互いに言葉が出てこない。先輩は立ったまま固まってしまった。私もどうしていいかわからず、しばし虚空を見つめる。でも、いい加減、店員さんの視線がうっとうしかったので、私は先輩に席につくよう促した。


「先輩、とりあえず座ってコーヒーでも飲みましょうか」


「あ、私コーヒー飲むと眠れなくなるので、紅茶でいいですか? 」


「えぇ、全然」


 そう言ったあと、先輩と私は無言で飲み物を飲んだ。コーヒーを二口ほど飲んだところで、ずっと互いの正体に触れないのが面倒になってきたので、私は先輩に質問した。


「そういえば、先輩。今でもおねしょしちゃうってホントですか? 」


「……ッ! シーッ! おねしょって大きな声で言わないでください! 」


 先輩は顔を真っ赤にして私を非難した。先輩の声のほうが大きい気がするけどね。


「えぇ、そうですよ! でも、気づかないうちにってわけではなくて、その、朝になるまで我慢できずに、布団の中でおしっこしちゃうだけであって…… 」


「そっちのほうが恥ずかしくないですか? 」


「百立さん! うるさいですよ! 」


 先輩はさっきからずっとアワアワしている。普段とは大違いだ。


「で、先輩。これからどうします? 私的には今日から同居でOK《おっけー》なんですけど、先輩が嫌なら帰ります。もちろん、マッチングアプリのメッセージで見たことは口外しないので安心してください」


 先輩は眉間にシワを寄せて悩みだした。意外。先輩なら『後輩と同棲なんてありえません。公私混同も甚だしい』とか言うと思ってた。しばらく悩んでから、先輩は口を開いた。


「…… その、よければ今日から私の家に一緒に住んでください。ふとんは用意してあります。着替えと歯ブラシだけ用意していただければ大丈夫ですので」


「そんなに夜のトイレ、ダメなんですか? 」


「 もう!そうですよ! 悪いですか?! 」


 うわっ、逆ギレだ。メッセージだけだと可愛かったけど、実際に対面すると面倒な人だな。まあいいか、私の行動に変化はないのだから。


「わかりました。今日から先輩の家に住んで、先輩のお世話をしますね」


「そのお世話って言い方、なんとかなりませんか? 」


「だって、先輩夜トイレ行けないだけじゃなくて、メッセージで『今日、部長に叱られちゃってツラいよ〜、慰めて〜』とか『ひゃあ〜、ゴキブリ! なんとかして〜』とか送ってきたじゃないですか。そういうケアもしなきゃなら”お世話”が適切かと…… 」


「百立さん! 」


 この人、すぐ怒るな。面倒くさい。



 こんな感じで私と先輩の同棲は始まった。そしてさっそく先輩は夜トイレに行きたくなったわけだ。先輩は左手を私に委ね、右手は自分のお腹をさすっている。あれで尿意がラクになるのだろうか?


「フ、フゥ〜、あの、百立さん、その、あまり引っ張らないで…… 」


「でも早く行かないと漏れちゃうんじゃないですか? 」


「そうですけど、今動くと漏れちゃいますし…… 」


「じゃあ先輩のペースに合わせるんで、行けるときは声かけてください」


「はい…… お願いします」


 先輩はうつむいてお腹をさすりながら、小声で「でちゃう、でちゃう」と繰り返し呟いている。さっきからトントンと足踏みもしている。明日、下の階の人から苦情がくるかも。


「も、百立さん、今、行けます…… 」


「はい。じゃあ、行きましょう」


 私と先輩はトイレへの進行を再開した。このペースだと、トイレの前までは問題なくたどり着けそうだ。よかったよかった、さすがに同棲初日におもらしされたら面倒だものね。


 一分もせずに、私たちはトイレの前にたどり着いた。


「ほら先輩、トイレに着きましたよ。早くおしっこしちゃってください」


 先輩はもじもじしたまま、トイレに入ろうとしない。多分、さっきみたいに尿意の波が来ていて動けないんだろう。


 でも、ここまで連れてきたんだから私にできることはもう何もない。あとは先輩次第だ。そう思って、私は布団に戻る。


グンッ


 布団に戻ろうとした私の手が先輩により強く引かれた。


「イッタ…… なんですか先輩? 私、もう寝たいんですけど…… 」


「ダメ! 一緒にいて! 一緒にトイレの中まで来て! 」


 先輩はいきなり子どもみたいな口調になり、わけのわからないことを言ってきた。


(は? 一緒にトイレの中に? 何を言っているの、この人は…… )


「先輩、もしかして一人でトイレに入ることすら怖いとか? 」


「だってぇ、トイレって一人になるから、お化けが出たらどうしようってぇ…… 」


「お化けって、子どもじゃないんですから…… 」


「でもぉ…… 」


 こうなると、もう先輩って言うよりただの駄々っ子だ。…… 今までとは別のベクトルで面倒くさいな。


「ねぇ、早くして! 聞いてる?! 百立さんってば! 」


「はぁ…… わかりましたよ。早く済ませてくださいね」


「うん…… ありがと…… 」


 私は思考を止め、先輩の言いなりになる。トイレの扉を開けて、先輩と一緒にトイレに入る。


「先輩、今までどうやって生きてきたんですか? お化けが怖くてトイレに行けないなら他にも支障があったでしょうに」


「…… お、お化けが見えるようになったのは、最近で…… だから、全然慣れてなくてぇ」


 へぇ、そういうこともあるんだ。そう思いながら、トイレの扉を閉めた。二人で入ると、トイレというのは意外と狭いんだとわかる。まあ、一人で使うことを前提としてるんだから当然か。


「あぁ、漏れちゃう…… 早く早く…… 」


 先輩はうわ言をいいながらズボンと下着を脱ぎだした。私はなんとなく天井を見上げた。多分、見られていては先輩も恥ずかしくておしっこできないだろうから、ちょっとだけ気を利かせた。


 だが、しばらく経ってもおしっこが便器を叩くジョボボボボという音が聞こえない。聞こえるのは先輩の「ハァハァ」という息づかいのみ。何かあったのだろう? 疑問に思い、先輩の方に目を向ける。


 先輩はズボンを下ろして、下着に手をかけた状態で固まっていた。体をくの字に曲げ、便器を凝視している。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。早く済ませてほしいのだけど、一体何をしているのだろう?


「先輩、どうしたんですか? もしかして恥ずかしくなっちゃいました? だったら私、出ていきますよ」


 先輩はハァハァ言うだけで答えてくれない。焦れた私はトイレから出ていこうとする。


「…… 動けないの」


 すごく小さい声が背後から聞こえた。内容が信じがたいものだったので先輩に聞き直す。


「先輩、今、動けないって言いました? 」


「そうなの…… も、動いたら…… 出ちゃう」


 頭が痛い。ここまで来て、何で動けなくなってしまうのだろうか。先輩がすべきことは、下着を下ろして便器に腰掛けるだけ。たった二つの動作すら今の先輩には命取りみたいだ。さて、どうしようかな。


「そうですね…… じゃあこうしましょう。下着はこっちで脱がせます。だから先輩は頑張って便器に座ってください。できますか? 」


 先輩は首をフルフルと横にふる。なるほど、自力では動けないってことね。先輩の下着を見ると、股のあたりがぐっしょり湿っていた。太ももにはいくつか水滴がある。もう限界みたいだ。そう理解した私は先輩の両肩にポンッと手を置いた。


「? 百立さん? 」


 先輩は涙でいっぱいの目でこちらを見た。私が何をする気か、わからないみたいだ。私は構わず両手に力を入れて先輩を無理やり振り回し、便器に座らせた。


 動かした瞬間、先輩は「ひゃあ! 」と言う悲鳴を上げた。そして、先輩の足元からパタタッとおしっこが床を叩く音が聞こえる。ちょっとだけ、床を汚してしまった。でも、まあ、これくらいなら簡単に掃除できるからいいだろう。私は先輩の耳元に近づき囁いた。


「さぁ、先輩。もう我慢しなくていいですよ。下着は汚れちゃいますけど、後で洗濯してあげますよ。ほら、しちゃってください」


 先輩は便器に座った状態で「あっ…… あっ」といって震えている。おしっこはまだ出ていない。なんだ、まだ我慢できたんだ。これだったら下着も下ろせたかもね。もう手遅れだけど……


ジョボボボボボボ


 しばらくしておしっこが便器に当たる音が聞こえた。下着を介しているためか勢いは控えめだ。だが、相当の量が出ているのはわかった。なぜなら、先輩に向かい合っている私からは、先輩がおしっこしているところが丸見えだったからだ。


「ちょっと! 百立さん! 何見てるんですか! あっち向いてください! 」


 あぁ、やっぱりおしっこしているところを見られるのは恥ずかしいんだ。私は目線を再び天井へと向けた。


チョポポポポポ……


 水音が止まる。終わったみたいだ。


「グスッ、百立さん…… ごめんなさい…… 私、おもらししてぇ」


「別にいいですよ。さ、早くおしっこを拭いて、下着をこっちに渡してください。洗濯するので」


「…… はい」


「あと、お風呂に入ったほうが良いと思いますが、先輩一人でお風呂に入れますか? 」


「…… いいえ」


 だと思った。お化けが怖くて一人でトイレに入れない人が深夜一人でお風呂に入れるわけがない。となると……


「じゃあ、一緒に入りましょう。ほら、行きますよ」


「ふぇ? 一緒に入ってくれるんですか? 」


「はい。一緒にトイレに入るよりは常識的なので、不可能ではないです」


「百立さん…… なんか言い方が怖いですね…… 」


 「会社のあなたもこんな感じですよ」と言いたかったが、やめた。狭いトイレの中で言い争っても何も言いことはない。というか早く出たい。


ジャアアアア


 トイレの流れる音が聞こえた。後始末は大体終わったのか? さぁ、次は先輩をお風呂に入れて、服を洗濯してあげないと。


 先輩のお世話というのは、思っていたよりも大変だ。


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