第十九集:撫子

 初夏の香りが漂う良く晴れた日。

 扶桑ふそうの街にある星辰薬舗せいしんやくほには、大勢の人々が集まっていた。

 母屋へ通じる一番大きな門が開く。

 白無垢に綿帽子を身に着けた杏花シンファが、両親に手を引かれ、薬舗の正面へと向かう。

 そこには大秦国だいしんこくの婚礼衣装を身にまとった瑞雲ルイユンが、緊張した面持ちで待っていた。

瑞雲ルイユン

 杏花シンファの声に、瑞雲ルイユンが振り向く。

「……綺麗だ」

 瞳が煌めく。

 杏花シンファの右に瑞雲ルイユンが立ち、領主屋敷へ向かってゆっくりと歩き出す。

 その後ろを琅雲ランユンシン夫妻が進み、シン兄弟、シュェ兄弟、如昴ルーマオ茜耀チィェンイャォ莅月リーユェ柔桑ロウサン、そして星辰薬舗せいしんやくほの弟子達や星辰せいしん王の配下が続く。

 花嫁行列を見に来た大勢の扶桑ふそうの人々から歓声が沸き起こる。

「おめでとう!」

「綺麗だよ、杏花シンファちゃん!」

 笑顔が咲き誇る。

 領主屋敷へ着くと、烏良ウーリィァン候の戦友たちが儀礼用の甲冑を身に着け、待っていた。

リン 瑞雲ルイユン公子若君シン 杏花シンファ群主。まことにおめでとうございます」

 歴戦の猛者たちが跪き、一斉に拱手きょうしゅした。

 正装をした侍従が屋敷の扉を開け、昌容しょうよう殿まで先導する。

 中へ入ると、そこには大秦国だいしんこく皇帝がわざわざ送り込んできた礼部尚書とその部下達が待っていた。

 杏花シンファ瑞雲ルイユンが中央の席へ。

 親族友人はそれぞれ両翼に座った。

「婚姻の儀式を執り行い、二人を夫婦として登記いたします」

 証人は烏良ウーリィァン候とシュェ 青鸞チンルゥァン

 蓬莱国ほうらいこく大秦国だいしんこくの伝統を取り入れた式は厳かながらも穏やかな雰囲気で行われた。

 困ったのは、菫鸞ジンランがずっと泣いているのがおかしくて、吹き出しそうになったことくらい。

「皆さま、まことにおめでとうございます」

 微笑む烏良ウーリィァン候に見送られながら屋敷を後にした一行は、外で待機していた巨大な白龍へと乗り込んだ。

「じゃあ、慈雨源郷じうげんきょうに行くぞ!」

 蒼蓮ツァンリィェンの合図で浮かび上がる白龍に、扶桑ふそう中から拍手が巻き起こった。

扶桑ふそうも今日は夜通し飲み会だろうな」

 先頭に座る蒼蓮ツァンリィェンが微笑みながら地上を見た。

「今日だけで済めばいいけどね」

 そのすぐ後ろに座る朱蓮ヂュリィェンが下を見ないように兄の身体に張り付きながら言った。

 白龍はみんなの服が濡れないよう雲間を縫うように進み、そして、ゆっくりと降下した。

「到着!」

 全員で白龍から飛び降りる。

 父だけは飛べないため、母が慣れた手つきで抱きかかえる。

 その姿があまりに素敵に映り、杏花シンファ瑞雲ルイユンの身体の下に入り、腕で受け止めた。

「え、あ」

 瑞雲ルイユンが頬を赤く染めて戸惑っていると、茜耀チィェンイャォも同じく如昴ルーマオを抱きかかえた。

「ちぇ、茜耀チィェンイャォ!」

「お黙り、未来の旦那様」

 先ほどまで溶けるほど泣いていた菫鸞ジンランは、友人たちの姿を見て笑い出した。

「私の友人達はなんて可愛いんだ!」

 慈雨源郷じうげんきょうで待っていた宗主達や門下生達は新郎新婦の姿に心から喜んだ。

「妻が強い方が家は安泰するからね」

「ええ。その通りですレイ宗主」

 ジン宗主は自分の孫が未来の夫を抱きかかえているのを見て、満足げに微笑んだ。

 全員が着地すると、杏花シンファ瑞雲ルイユンを降ろし、シン家の侍女に連れられてお色直しへと向かった。

 その間、琅雲ランユンシン夫妻が賓客達をもてなし、祝宴が始まった。

 瑞雲ルイユンは上座に座り、菫鸞ジンラン如昴ルーマオジン姉弟、莅月リーユェと話している。

 賑やかな会場に、またもや皇帝が送り込んできた教坊の楽士達による演奏が始まった。

 みんなが注目する中、シン兄弟に手を取られ、赤い色打掛に着替えた杏花シンファが現れた。

 髪には金盞花が咲き、幸せそうな笑顔に良く似合っている。

 シン兄妹弟の後ろには、泣きじゃくる梅園の姿があった。

 瑞雲ルイユンは立ち上がり、杏花シンファが自分の元へ到着するのを待つ。

 感嘆の声が上がる。

「うう、可愛い、二人とも可愛いよぉ。幸せになってねぇ」

 菫鸞ジンランはまた泣き出してしまった。

 如昴ルーマオ茜耀チィェンイャォがその背を撫でながら、杏花シンファの晴れ姿を見つめた。

 そして、シン兄弟の手から、瑞雲ルイユンの手へ。

 白梅が瑞雲ルイユンに言う。

瑞雲ルイユン様を旦那様と呼べることを、心から嬉しく思います」

 瑞雲ルイユンは照れながら「ありがとう」と言った。

 杏花シンファは愛おしい人を見つめ、そして見つめ返されることを喜んだ。

 瑞雲ルイユンが前を向き、口を開く。

「本日は、私達の婚礼に参列いただき、ありがとうございます」

 会場がゆっくりと静かになる。

「生涯で初めて、そして唯一愛おしいと想う杏花シンファと夫婦となりました。守ると誓い、迎えに行くと約束をしましたが、実際は、杏花シンファは私と共に戦い、空から舞い降りて来てくれました」

 会場に朗らかな笑いが起こる。

「その笑顔は初めて出会った時と変わらず、私を幸せにしてくれます。杏花シンファは私の家であり、私も杏花シンファの居場所であれるよう、共に歩んでまいります。これからも、未熟な私達にご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

 拍手の波が心地よく響く。

 杏花シンファ瑞雲ルイユンは見つめ合い、微笑んだ。

 前を向き、次は杏花シンファが挨拶を始めた。

「私の幸運は産まれる前に始まりました。まず、父と母が出会い、尊敬する兄が産まれ、私が続き、そして可愛い弟が産まれたこと。瑞雲ルイユンのご両親が出会い、才色兼備で頼れる琅雲ランユン義兄上が産まれ、愛する瑞雲ルイユンが産まれたこと」

 「私も才色兼備なのに」という蒼蓮ツァンリィェンの声が聞こえた。

瑞雲ルイユンは笑顔にしてくれるだけではなく、私の涙を探してくれます。どんなに笑わなくてはならないときも、瑞雲ルイユンがいれば、私は泣くことが出来ます。傷つきそうなときも、心を預ければ、瑞雲ルイユンは必ず守ってくれます。立ち止まりそうになる時も、瑞雲ルイユンの方へ歩けば、大丈夫だと思えるのです」

 茜耀チィェンイャォまで泣き出した。

「まっすぐで、純粋で、目を見つめながら私の名を呼んでくれる瑞雲ルイユンをこれからも守っていくと、リン夫妻が植えた桜に誓います。愛する皆様と一緒に」

 琅雲ランユンが泣き出してしまった。

 瑞雲ルイユンが「あ、兄上」と少し狼狽えているが、それもまた愛おしく思える。

 あたたかな拍手が巻き起こる。

 杏花シンファ達が座り、再び賑やかな宴が始まった。

 琅雲ランユン蒼蓮ツァンリィェンは目に涙を溜めながら、会場から少し離れた場所にある贈りものの受付場所へ向かった。

「私達は幸せですね」

「そう思う。瑞雲ルイユン杏花シンファを好きになってくれてよかった」

蒼蓮ツァンリィェン兄さん、また私を泣かせるおつもりですか」

「うん。もちろん」

 二人は笑いながら部屋へ入ると、行列の最後尾が見えないほどの贈りものが届いていた。

「……え?」

「まずは瑾蓮ジンリィェン伯父上の贈りものからだ。あ、星辰せいしん王府からも来ている……。その次に母方の医仙いせんからの贈りもの。法霊武門ほうれいぶもんの宗主の方々。そして……、両陛下だ」

「今日中に終わる気がしません。慈雨源郷じうげんきょうの全ての部屋が埋まりそうな気がします」

「頑張るんだ。それしかないんだ。我々には……」

 その時、太監たいかんの一団が現れた。

蒼蓮ツァンリィェン郡王殿下、リン宗主。ここは我らにお任せください」

「い、いいんですか?」

「そのために陛下から命を受け、参上いたしました」

「うわあ……」

蒼蓮ツァンリィェン兄さん、宴会へ戻りましょう!」

 二人は逃げるようにその場を後にした。

 宴は陽が落ちてからも続き、まだまだ盛り上がっている。

 杏花シンファは中座し、外の空気を吸いに来た。

 初夏の風が頬を撫ぜ、気持ちがいい。

「ん?」

 背後で音がした。

 建物の陰に人がいる。

「……若蓉ルォロン兄さん」

 頬を赤らめながら、花束を持った若蓉ルォロンが現れた。

扶光フーグゥァン兄さんは?」

「今日は黙って来たんだ。その、お祝いしたくて」

瑞雲ルイユンも呼んで」

「呼ばないで」

 若蓉ルォロンの声が張りつめる。

「新郎には会いたくない」

「そう……」

 若蓉ルォロンは笑顔に戻り、一歩、また一歩と杏花シンファに近付く。

「これ、杏花シンファに」

 そう言って渡されたのは、橙色の麝香撫子じゃこうなでしこ

「とっても綺麗。ありがとう」

「あの、それには意味があって……」

杏花シンファ

 瑞雲ルイユンの声。

 若蓉ルォロンは一瞬悔しそうな顔をして「またね」と姿を消した。

「……その花束は」

若蓉ルォロン兄さんから」

 瑞雲ルイユンが花束を凝視する。

「二人とも、どうしたの?」

 菫鸞ジンランがやってきた。

 それにつられたのか、雅学学友組が近付いてきた。

「それ、誰から?」

若蓉ルォロン兄さんが来て、お祝いにって」

 杏花シンファ瑞雲ルイユン以外のみんなが一斉に周囲を見渡した。

 莅月リーユェの顔が固まる。

莅月リーユェ姉さん?」

 杏花シンファが心配して見つめると、莅月リーユェは一瞬瑞雲ルイユンを見て、目を伏せながら言った。

「橙色の麝香撫子じゃこうなでしこが示すのは、『一途な愛』なんだよ」

 菫鸞ジンラン杏花シンファの手から花束を取ると、思い切り遠くへ投げ捨てた。

 杏花シンファの手が震える。

 瑞雲ルイユン杏花シンファを抱き寄せ、「大丈夫だ」と呟いた。

「どういうつもりなんだろう。私達への宣戦布告のつもりなのかな」

 菫鸞ジンランは花束を投げたあたりを睨みつけた。

 如昴ルーマオジン姉弟は「少しその辺を見てくる」と飛んで行った。

 杏花シンファの心に小さく渦巻いていた嫌な予感が、形を持ち始める。

 信じたかったものが、崩れ去っていく音がした。

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