第十七集:妃求鬼

 待ち合わせ当日、もうすぐ昼時。

 扶桑ふそうにやってきたのは瑞雲ルイユンだけではなかった。

杏花シンファぁ!」

菫鸞ジンラン! 一緒に来たの?」

 空から降りて来る二人の腕を掴んで勢いよく三回転する。

 瑞雲ルイユン菫鸞ジンランは突然のことに少し目が回ってしまったようだが、杏花シンファは気にしなかった。

「私も白龍に乗りたくて!」

 菫鸞ジンラン杏花シンファ瑞雲ルイユンの手を握ると、興奮して跳ね始めた。

「おお、にぎやかだな」

 三人の声を聞きつけた蒼蓮ツァンリィェンが外へ出てきた。

「あ、蒼蓮ツァンリィェン兄さん! 商売人のふりをするのはやめたんですか?」

 跳ねるのを止めた菫鸞ジンランが可愛らしい笑顔で尋ねた。

「やめてないよ。でも、お前たちに営業用の顔をしても無意味でしょう?」

「それはそう」

 杏花シンファは深く頷いた。

 少し遅れてリン氏とシュェ氏の門弟たちが物資を持って降下してきた。

「あれ? シュェ氏の物資は?」

「私達はこの身体が支援物資だよ」

 杏花シンファ菫鸞ジンランを上から下まで目を往復して確認し、「あ、なるほど」と頷いた。

「馬鹿力ね。純粋な労働力ってことか」

「もっと可愛い表現してくれる?」

 菫鸞ジンランは頬を膨らませ、腰に手をあてて不満を表現した。

「そんな顔したって可愛いだけで怖くないよ」

「はあ……。美しく生まれてしまったことの弊害だね」

 杏花シンファ菫鸞ジンランは声を出して笑い、瑞雲ルイユンはそっと微笑んだ。

「はいはい。お前たちはみんな可愛いよ。リン氏の物資と各門下生たちは預かっておく。明日は朝早く出発するんだから、今日は遠くまで遊びに行くなよ。夕飯の時間には帰ってきなさい」

「お兄ちゃん、お母さんみたい」

「あ、似てた?」

 楽しそうな兄に見送られ、三人は街へ。

リン氏の物資は何?」

霊木れいぼくだ」

 霊木にはそれを材料に作られた物の強度を上げる力がある。

 とても貴重なものだが、綺雨きうは霊木の巨木の上にある街。

 生えている木の九割は霊木だ。

欒山らんざんの人達、とっても喜ぶね」

シン氏は? お薬とか医療用品?」

「うん。鎮痛剤とか風邪薬とか。常備薬になりそうなものを用意したよ。清潔な木綿の布とかも。約一ヶ月間毎日製薬した甲斐があるってものだよ……」

 おかげで手からはずっと生薬の香りがする。

「お腹空いてる?」

「いつも空いているよ」

 菫鸞ジンランは可憐な笑みで答えた。

「じゃあ、この間瑞雲ルイユンと行った大衆食堂に行こう」

 三人で向かい、列に並んで空いた席に座った。

 予想通り、菫鸞ジンランは次々と注文し、机の上は宴会場のような状態に。

 周囲の人々が驚く中、三人は合計十五人前を食べきった。

 というよりも、杏花シンファ瑞雲ルイユン菫鸞ジンランが幸せそうに食事するのを眺めながら食べていただけ。

「ごちそうさまでした」

 菫鸞ジンランは正面にある甘味処を指さすと、「あとで食べる用に買って帰ろう」と薔薇のような笑顔で言った。

「お、お腹空いているの?」

 食堂を出ながら、杏花シンファは恐る恐る聞いてみた。

「そうだなぁ、八割ってとこ?」

 杏花シンファは親友のことが少しわからなくなった。

 瑞雲ルイユンは「そうだと思った」と頷いている。

「お菓子なら家にいっぱい用意しておいたから、まずは散歩しよう。十五時になったら芍薬楼にお芝居を見に行くからね」

「前に言っていた、歌劇を見に行けるの?」

「うん。席を用意してもらったの。座敷席だから、三人座れるよ」

「嬉しい!」

 菫鸞ジンランは二人の腕に自分の腕を絡ませ、歩き出した。

 今の三人は、瑞雲ルイユン菫鸞ジンラン杏花シンファの順で背が低くなっていくので、まるで階段みたいに見えるだろう。

「ねえ、中小法霊武門ほうれいぶもんの噂聞いた?」

 菫鸞ジンランが少し声を落として話す。

「私は聞いてない。瑞雲ルイユンは?」

 瑞雲ルイユンも首を振った。

「あのね、あの戦で若蓉ルォロン蝶舞の簪ちょうまいのかんざしを使ったでしょう? それをみんな見ていたし、実際にその力も感じた。中小法霊武門ほうれいぶもんの中に、その力にあやかろうと、ニー氏にすり寄っている武門ぶもんがあるらしいの。それも、たくさん」

 菫鸞ジンランは二人を引き寄せ、小声で話した。

「すり寄るだけならまだわからなくもないけれど、蝶舞の簪ちょうまいのかんざしを奪おうとしている武門ぶもんもあるらしいよ」

 瑞雲ルイユンは目を見開き、「愚かな」と憤った。

「本当、その通りだと思う。まだあの戦いで傷ついた兵も門弟も完治していない人がいるのに」

 菫鸞ジンランも不快に感じているようだ。

「でも、残念なことに今あの簪を壊すわけにはいかないんだよ」

「どうして?」

琰櫻えんおうの指輪を所持している人がどこかにいる限り、その牽制になるからだってさ」

 四大法霊武門ほうれいぶもんが何度も「破壊、もしくは封印するべきなのでは」と提案しても、ニー宗主とそれにすり寄る中小武門ぶもんが「指輪が見つかるまでは現状維持するべきだ」と引き下がらない。

 世論とは声の大きい方につくもの。

 今まで静観していた武門ぶもんも、「現状維持でいいのではないか」と言い出し始めた。

「もしあの蝶舞の簪ちょうまいのかんざしを使ってニー氏が反旗を翻したら、きっとそれに従う中小武門ぶもんも声を上げるはず。四大法霊武門ほうれいぶもんが協力して立ち向かっても勝てないよ」

 もうすっかり春の陽気。

 太陽に暖められた空気も、視界に入る花々も、隣を歩く友人も、何もかもが幸せなのに。

 三人の背に、冷たく鋭い風が吹き抜けた。

「今の言葉、取り消してもいい……?」

 菫鸞ジンランが二人の顔を交互に見ながら呟いた。

「記憶に刻まれちゃったから無理」

「無理だ」

 杏花シンファ瑞雲ルイユン菫鸞ジンランを見つめ、立ち止まった。

菫鸞ジンランがそう考えるってことは、宗主達も同じ意見なんじゃないかと思う」

「今回の修復作業に兄上達が参加しないのもそれが理由だろう」

 七綾チーリンの時よりも、もっと悲惨なことになる。

 蝶舞の簪ちょうまいのかんざしを使って両軍が強化されれば、その戦いは想像を絶するほどの惨状になるだろう。

 そして全法霊武門ほうれいぶもんが疲弊しきった後、ニー氏だけが力を温存していたとしたら。

 法霊武林ほうれいぶりんは彼らのものとなる。

琰櫻えんおうの指輪はどんな力を持っているんだろう」

 杏花シンファは指輪そのものが気になった。

 ジン氏は祖先が残した密室の設計図や日誌などを調べたが、神器に関することは何一つ書かれていなかったという。

 紅珊瑚の鏡の能力を知ることが出来たのは、シュェ氏の書房にその記録があったから。

 「息絶えた小鳥に、懐から落ちた鏡の光が当たった。すると、小鳥は息を吹き返し、再び空へと飛び立ったのだ」と。

「それがわかれば、対策も立てられるのに」

 菫鸞ジンランは溜息をつき、空を見上げた。

「……あ! もうすぐ十五時だ。芍薬楼に急ごう」

 三人は浮かび上がり、飛んでいくことにした。

「今日の演目は『妃求鬼ひきゅうき』だよ」

「どういう話なの?」

「それは観てのお楽しみ」

 三人は開演間近に到着。

 席へと着いた。

 幕が開き、一人の女子おなごが舞台に一人で立っている。

 女子おなごの名は灰虹フゥイホン

 ごく平凡な容姿で、何の取柄もなく、家柄は良いとは言い難い。

 ただ、とても寛容で、心の優しい女子おなごだった。

 ある日、村を荒らす鬼の集団がやってきた。

 首領の禍津鬼神まがつきしんは見目麗しく、村の女たちは「禍津鬼神まがつきしん様に従いましょう」と両親や夫に告げる。

 しかし、灰虹フゥイホンだけは違った。

 「飢饉が続き、村にはあなた達に渡すものなど無いのです。どうか、引き下がってはいただけませんか」と、鬼達に立ちはだかった。

 首領は「それならば、お前が嫁に来るのなら村をこのまま見逃し、守ってやってもいい」と言う。

 灰虹フゥイホンの両親は泣き、「たった一人の娘なのです」と縋った。

 女たちは自ら「私がお嫁に参ります」と迫ったが、首領は「お前が来い」と譲らなかった。

 灰虹フゥイホンは「その言葉に偽りがないのなら、私は従います」と、泣き崩れる両親の手をそっと肩から外し、着いて行くことに。

 首領は灰虹フゥイホンにたくさんの贈りものを差し出すも、灰虹フゥイホンは一つとして受け取らない。

 「何故拒む」と首領が問うと、灰虹フゥイホンは「それもどこかの村や町から奪ってきたのでしょう。そんなもの、触れたくもありません」と告げた。

 首領はますます灰虹フゥイホンを気に入り、ついには名前を教えた。

 「あなた、ではなく、琬琰ワンイェンと呼んでくれ」と。

 「禍津鬼神まがつきしんが真名を教える意味をご存知ないのですか」と灰虹フゥイホンが聞くと、琬琰ワンイェンは「もちろん知っている。これでお前は私を殺せるようになった。好きにしろ」と、微笑んだ。

 灰虹フゥイホンは優しく微笑む琬琰ワンイェンに、少しずつ心が動かされていくのを感じた。

 その日から、琬琰ワンイェンは人間を襲うのを止め、自身が統べる鬼幻きげん界で得る物だけで生活するように。

 ある日、琬琰ワンイェンは「物を受け取らないのならば、お前に私の力の一部を渡そう」と、灰虹フゥイホンに法力を贈った。

 法力は灰虹フゥイホンを絶世の美女へと変化させる。

 「あなたも結局は見目の良い者を愛するのですね」と、涙を流す灰虹フゥイホンを、琬琰ワンイェンは抱きしめ囁く。

 「俺はお前の度胸と心根の清らかさに惚れたのだ。容姿など、どうだっていい」と。

 二人はひっそりと祝言を上げ、穏やかに暮らしていた。

 しかし、幸せな生活は突然終わりを告げる。

 皇太子率いる軍が、鬼幻きげん界と人間界の境にある琬琰ワンイェンの根城を襲撃したのだ。

 琬琰ワンイェンは致命傷を負いながらも、灰虹フゥイホンを安全な場所へと連れて行った。

 しかし、視界にはすでに皇太子が放った斥候の姿が。

 もう自分は永くないと悟った琬琰ワンイェンは、一つの指輪を灰虹フゥイホンに贈った。

 「これは俺の一族に代々伝わるもの。身につければ、不老不死と成れる。ただ、不老不死は万能ではない。不治の病や致命傷を負えば、普通の人間のように命を落としてしまう」と説明し、灰虹フゥイホンを抱きしめた。

 「俺がいなくても、幸せになってくれ。そして、永遠に近い命の中で俺のことを想ってくれたら、嬉しい」と言い、自ら囮となって灰虹フゥイホンを救った。

 皇太子は嘆く灰虹フゥイホンの美しさに心を奪われ、半ば強制的に連れ去り、妃とした。

 後宮での軟禁に近い生活を耐える唯一のものは、琬琰ワンイェンの指輪だけ。

 皇太子は皇帝となり、老けない灰虹フゥイホンを余計に寵愛し、貴妃の位を与えた。

 そしていつしか長い時は過ぎ、皇帝は崩御。

 貴太妃になり、警備が弱まったことを感じ取った灰虹フゥイホンは、深夜、隙をついて後宮を逃げ出した。

 馬に乗り、駆け続ける。

 そして、琬琰ワンイェンが最期を遂げた場所へと赴くと、短剣で心臓を貫き自らの命を絶った。

 追いかけてきた禁軍大統領は、血を流し息絶えた貴太妃の亡骸を見つけると、部下に命じ、棺とそれを乗せる馬車を用意させた。

 灰虹フゥイホンの遺体は本人の望みとは違い、皇宮へと戻され、盛大な葬儀が行われることに。

 葬儀が進む中、灰虹フゥイホンの息子である皇長子は、太監たいかんから形見として指輪を受け取った。

 喪が明け、皇長子は即位し、新たな皇帝となった。

 その治世は百年続き、自身の寿命に疑問を持った皇帝はそれが指輪の力だと気づき、そっと外して宝物殿へとしまう。

 それだけでは危険だと判断した皇帝は、宝物殿に密室を作らせ、指輪を神器としてしまうことに。

 そのあと、皇位を孫へと譲位し、十年後、急激に老いた灰虹フゥイホンの息子は、穏やかな死を迎えた。

「これって……」

 杏花シンファ達三人は顔を見合わせた。

 劇場内は拍手で満たされ、感動し涙を流す者もいたが、三人はそれどころではなかった。

「ただの御伽噺とは思えない」

「お姉様達に聞いてくる」

 杏花シンファは楽屋へ向かい、顔見知りの侍女に通してもらった。

 琬琰ワンイェン役を演じた白薔薇に声をかけた。

「白薔薇お姉様」

杏花シンファ! 楽屋まで会いに来てくれたの?」

「そんなとこ。ねぇ、この『妃求鬼ひきゅうき』の脚本って誰が書いたか知ってる?」

「これは一年前に送られてきたのよ」

「送られてきた?」

「そう。差出人は不明だったけれど、内容がとても良いから歌劇として上演することになったの。結構練習期間が長かったから、上演は今回で二回目ね」

 差出人不明の、御伽噺。

 背筋が凍るには充分だった。

「ありがとう。また会いに来るね!」

「あ、ちょっとぉ」

 白薔薇の残念そうな顔を残し、杏花シンファは二人の元へと急いだ。

「どうだった?」

 劇場の外、白薔薇から聞いたことを二人に話した。

「まさか、事実なのかな」

 菫鸞ジンランが声を潜める。

「わからない。でも、そうだとしたら、怖いよ。わざと知られるようにしたってことでしょう?」

 杏花シンファも声を小さくして話す。

「すぐに帰ろう。ここでは話せない」

 瑞雲ルイユンの提案に、三人は急いで星辰薬舗せいしんやくほへと戻った。

 春の月が夕闇に現れる。

 三日月の鋭さが、槍の穂先に見えた。

 扶光フーグゥァンが使っていた、白い刃の槍に。

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