第十四集:決裂

 螢惑けいこく山の遥か西。

 連なる山々の一つに、古い道観どうかんが建っている。

 その名は黒百合廟くろゆりびょう

 信徒は少ないがその信仰心はとても厚く、手入れの行き届いた廟は建てられた当時の姿を思い起こさせる。

「掘り続けるんだ」

 深夜、誰もいないはずの廟の中で、採掘音が響き渡る。

イン宗主、彼女は協力してくれるでしょうか」

 フォン氏宗主の佳翼ジャイーが、砕かれた床に開いた穴を見つめながら呟いた。

法霊武門ほうれいぶもんの中に皇帝陛下に与している武門ぶもんがあると伝えれば、必ず我々と組むはずだ」

「彼女にとって大秦国だいしんこく皇宮は永久とわに恨み、憎み、そして破滅させたい対象ですからね」

 「あ、ありました!」と声が上がる。

 隆誉ロンユーのと佳翼ジャイーが穴を覗き込むと、黒い棺の一部が見えた。

 柱の側で眠っていたイン兄弟と佳栄ジャロンも駆け寄る。

「やはり。煉丹ノ陣れんたんのじんが描かれている。どうやら黒百合廟の信者たちは、いつか我々と同じようなことをしようと企んでいたみたいだな」

「では、身体は腐っていない、と?」

「生前のままだろう」

 両家の門下生達は身体から湯気が出るほどの勢いで掘り進めた。

「いいぞ。引き揚げろ」

 黒い棺に縄が通され、穴から出された。

「開けるぞ」

 隆誉ロンユーが親指をかみ切り、出た血を使い煉丹ノ陣れんたんのじんを解いた。

 すると、棺の蓋が外側へと溶けていくように消失。

 中には顔の左側が焼けただれた女人にょにんの遺体が納められていた。

 焼失したと思われる眼球の部分には、樹木が炭化して創られる黒玉がはめこまれている。

 身体は生前のままで、服も全く傷んでいない。

「初めまして、七綾チーリン道士どうし殿どの

 隆誉ロンユーは火のついた蝋燭を手元に置き、紅珊瑚の鏡を懐から出した。

「父上、どうなさるのですか」

 隆戦ロンヂャンの問いに、隆誉ロンユーは淡々と答えた。

「通常、霊力を宿す鏡の光には破魔の力がある。しかし、この神器、紅珊瑚の鏡は呪者の血によって穢されたために、その力は反転する」

「で、では……」

 隆誉ロンユーは鏡に蝋燭の光を映し、それを七綾チーリンの遺体に当てた。

 赤煙せきえんが立ち昇り始める。

 それは七綾チーリンの身体を包み、渦巻きながら口の中へ入っていった。

「……誰だ」

 七綾チーリンは起き上がりながら、自分を取り囲む男達を睨みつけた。

「私の身体にはおぞましい火傷の痕が無数にあるだけ。抱くには向かぬぞ」

「そんなつもりはない」

 隆誉ロンユーが手を差し伸べる。

 七綾チーリンは訝しがりながらも、その手を取り、立ち上がった。

 棺から出て、周囲を見渡す。

「ここは……。私が修行をしていた道観か」

「今ではあなたを讃えて祀り、黒百合廟という名で知られております」

 佳栄ジャロンうやうやしく作揖さくゆうした。

「何故眠りを妨げるような真似を? 答え次第では一族郎党皆殺しにするぞ」

 七綾チーリン嗤笑ししょうしながら懐に手を入れ、中から三叉鈴さんさりんを取り出した。

「述べる時間を与えよう」

 歪んだ甲高い音が響き渡る。

 土が弾ける音が聞こえてきた。

 湿った足音。

 骨がぶつかる乾いた音が近付いてくる。

 七綾チーリンが扇ぐように一度手を振ると、廟の扉が開け放たれ、そこからたくさんの僵尸きょうしが入ってきた。

七綾チーリン道士、我々の願いが向かう先は同じだ」

「同じ、とは?」

 イン兄弟と佳栄ジャロン僵尸きょうしに囲まれた。

 所以ゆえん、人質といったところだろう。

法霊武林ほうれいぶりんをご存知か?」

「ああ……、たしか、夜湖やこジン氏とかいう法術使いの一族がいたな」

「その法霊武林ほうれいぶりんにおいて大きな権力を持つ七大法霊武門ほうれいぶもんのうち、四つの武門ぶもん大秦国だいしんこく皇帝陛下に与しているのです」

「皇帝、だと?」

 七綾チーリンが操る僵尸きょうし達が叫び始めた。

「我々はその四大武門ぶもんを滅ぼし、法霊武林ほうれいぶりんを再編したいと考えている」

「そのためには、あなたの力が必要なのです。もし、あなたと組めなくとも、一月後、我々は四大法霊武門ほうれいぶもんへ宣戦布告し、皇宮に攻め込みます」

 七綾チーリンが手を上げ、僵尸きょうし達を黙らせた。

「良いだろう。だが、それでは私の果たす役割の方が多い。見返りは?」

「成功したら、この紅珊瑚の鏡を渡そう」

 隆誉ロンユーが手に持っている鏡を掲げる。

「神器か。他の四つは?」

「古琴と香炉はすでに破壊されております。行方はわかりませんが、現存しているのはあと二つ。蝶舞の簪ちょうまいのかんざしと、琰櫻えんおうの指輪です」

 七綾チーリンは顎に手を当て、僵尸きょうしの間を通りながら考えを巡らせていく。

 外では雨が降り始めた。

「想像していたよりも、僵尸きょうしは臭いがしないのですね」

 隆誠ロンチォンは自分たちを取り囲む僵尸きょうしを眺めながら呟いた。

「ほう、少年。良いところに気が付いたな。僵尸きょうし趕屍匠かんししょうが術をかけた時点で身体に起こる変化が止まる。つまり、腐敗も、死臭もしなくなるのだ」

 七綾チーリン隆誠ロンチォンに近付いて行く。

「なかなか見目麗しい。おい、もう一つ条件を加えてもいいなら、そなた達と組もう」

「どんな条件だ」

「こいつを私にくれ」

 七綾チーリン隆誠ロンチォンの肩に触れ、隆誉ロンユーに向かって微笑んだ。

「な、何を……」

「そう焦るな。皇宮を攻める間、助手にするだけだ。いくさが終われば返すさ」

 隆誉ロンユー隆誠ロンチォンを見る。

「父上。それで悲願が叶うならば、私は構いません」

「良い子だ。異論はないな? 父上殿」

 隆誉ロンユーは拳を強く握りしめた。

 紅珊瑚の鏡にまた血が吸われていく。

「……わかった」

 七綾チーリンが高笑いする。

「目的のために息子を差し出すとは、見上げた根性よ」

 隆誉ロンユーの目に怒りが現れるも、佳翼ジャイーに「今は我慢しませんと」と言われ、握りしめていた拳を解いた。

 再び鏡を懐へ戻し、「では、作戦を考えたい」と、七綾チーリンに持ちかける。

「いいだろう。私の力があれば、何も宣戦布告する必要はないぞ。皇宮の手前にあるいくつかの城を落としながら進めば、奴らも気付くだろうからな」

「それは面白そうですね」

「大将はそなただ。たしか名前は……、隆誉ロンユーだったか」

「ああ、そうだ。いいのか? 七綾チーリン道士」

「もちろんだ。私は生きている人間を指揮するのは苦手なのでな」

 三人は互いの腕に傷をつけ、浮かび上がった血を混ぜて『破れぬ誓い』をたてた。


☆★☆★☆


「なんだと?」

 烏良ウーリィァン候の元へ、耳を疑うような一報が入った。

城が落ちただと……」

 羅城は西における大秦国だいしんこくの関門と呼ばれる場所。

 机をどかし、大秦国だいしんこくの地図を広げる。

「外敵ではない。国の内側から攻められているのか」

 烏良ウーリィァン候はすぐに侍従を呼び、調べに行くよう指示を出した。

「お前は星辰せいしん王殿下を呼ぶのだ。すぐに」

 侍従の一人が音も無く姿を消し、扶桑ふそうの街を駆け抜けた。

 その頃、星辰薬舗せいしんやくほ杏花シンファの婚礼に関する話題で持ちきりだった。

「俺たちにも花嫁姿を見せてくれよぉ」

「寂しくなるなぁ」

「やだもうあんた。まだまだ先よ。日取り決めは大切なんだから」

 店先は客だけでなく町内の人々でにぎわっている。

 そこへ、領主屋敷から「星辰せいしん王殿下、烏良ウーリィァン候が今すぐにいらしてほしいと」と、急の知らせが。

「すぐに参ります」

 白蓮バイリィェン金烏きんう玉兎ぎょくとを連れ、領主屋敷へ急いだ。

 案内されるままついて行くと、すでに居室には地図や駒、扶桑ふそう軍の将軍らが集まっていた。

烏良ウーリィァン候、どうなされましたか」

「殿下、大変なことになりました。西の要所である羅城が落とされ、敵は今、ぎん城と交戦中。このままでは、五日後には皇宮の喉元まで攻め入られます」

「な、そんな……」

 白蓮バイリィェンは地図へ近付き、敵軍が通るであろうと予想される順路を見つめた。

「恐れていた事態が現実になりつつあります。各法霊武門ほうれいぶもんへは隠密を遣わせました。今日中には情報が伝わるでしょう」

「敵の総勢は?」

「人間はイン氏とフォン氏を合わせて三十万。そして……、僵尸きょうしが八十万です」

「まさか……」

 背筋が凍り、瞳が光る。

「ええ。殿下が今頭に思い浮かべている通り、偵察隊からの情報では、一番大きな軍を動かしているのは女性趕屍匠かんししょうである、と」

七綾チーリン道士……。イン氏が器を手に入れたのか。紅珊瑚の……」

 もし残りの二つも手に入れていたら?

 白蓮バイリィェンは頭に浮かぶ不幸な憶測を捨て、現在起きていることだけに集中した。

金烏きんう、子供達を呼んできなさい」

 黄金の光が瞬いた。

玉兎ぎょくとは妻へ状況説明を」

 白銀の閃光が奔る。

 一分もしないうちに、金烏きんうとともに三人が飛んできた。

 欄干を乗り越え、窓から入ってくる。

「父さん」

 父に駆け寄る三人。

蒼蓮ツァンリィェン扶桑ふそうは私と桃花タオファで護る。お前と朱蓮ヂュリィェンは陛下とその家族をお守りするのだ」

「でも!」

「白龍の力と鴉雛あすうの力があれば、万が一の事態でも、大きく時間が稼げる。いいか、二人とも。大秦国だいしんこく歴代皇帝の中でも、禮睿リールイは最も堅実に聖王の道を歩んでいる。その皇統を絶やしてはならないのだ」

 白蓮バイリィェンの強い眼差し。

 二人は心に使命と勇気の光を灯し、頷いた。

杏花シンファは……」

 蒼蓮ツァンリィェン朱蓮ヂュリィェンの目が杏花シンファを見つめる。

 白蓮バイリィェンは娘の手を握り、微笑んだ。

「お前は友と行くのだ。『守りたい人を守れるように強くあれ』。それの誓いを今、果たしてきなさい」

 杏花シンファは頷き、父の手を握った。

「これを持って行くと良い」

 そういって父から渡されたのは、美しい紅玉で作られた数珠。

「これって……、これ、お祖母ちゃんの……」

「使うことが無ければ一番良い。でも、そうも言っていられない。使い方はわかるな」

 杏花シンファは父の目に浮かぶ深い愛情を感じ取り、頷いた。

蒼蓮ツァンリィェン杏花シンファ慈雨源郷じうげんきょうへ送ったらすぐに戻り、朱蓮ヂュリィェンと共に皇宮へ向かえ」

 蒼蓮ツァンリィェン杏花シンファは「行ってくる」と告げ、窓から空へと飛び出した。

「最速で行く。しっかりつかまれ」

「うん」

 凍てつく風が氷となり、肌にぶつかる。

 白龍のたてがみに埋もれるように姿勢を低く保ち、その速度に耐えた。

 目を瞑り、友の顔を思い浮かべる。

 誰一人、失うわけにはいかない。

 生きていて欲しいから。

 笑っていて欲しいから。

「着いたぞ。必ず全員生きて戻れ。お前の祝言が待っているんだからな」

「わかった。お兄ちゃんも、朱蓮ヂュリィェンも、絶対に生きていて」

 兄妹きょうだいは沈む夕陽の光の中、手を握り合い、頷いた。

 杏花シンファは「行ってくる!」と手を振りながら慈雨源郷じうげんきょうへと降りて行く。

 白龍はもう見えなくなっていた。

杏花シンファ!」

 瑞雲ルイユン琅雲ランユン烏良ウーリィァン候の隠密と共に外へ出てきた。

杏花シンファ群主」

 烏良ウーリィァン候の配下が駆け寄る。

「兄と弟が皇宮へ向かい、守備の陣を。父と母は扶桑ふそうを守ります」

「かしこまりました。我々はリン氏の援軍として参戦いたします」

「よろしくお願いします」

 配下が音も無く姿を消した。

 杏花シンファ琅雲ランユン瑞雲ルイユンに駆け寄った。

「皇宮から一番遠いシュェ氏が今こちらに向かっている。合流次第、紅葉山荘こうようさんそうへ。レイ宗主が拠点として使えるよう、準備をしてくれているとのことだ」

「ではみんな……」

「ああ。共に出陣することになるだろう」

 頼もしい友人たちの笑顔が思い浮かぶ。

「わかりました。ニー氏はどうなっているかご存知ですか」

「それが、まだわからないんだ。無事を祈ろう。さぁ、まずは部屋で休むといい。睫毛まつげが凍っているよ」

「え、あ……」

 琅雲ランユンが優しく微笑む。

 杏花シンファは寒さで赤くなっていた頬がもっと赤くなったような気がした。

「では、またあとで」

 琅雲ランユンは門下生たちを連れて建物内へと戻って行った。

 瑞雲ルイユン杏花シンファの頬に小さな切り傷があるのを見て、「これは」と聞いた。

「白龍の飛行速度が速くて速くて。氷の粒で切っちゃったんだと思う。すぐ治るよ」

「そうか」

 瑞雲ルイユン杏花シンファの手をとり、ぎゅっと握る。

慈雨源郷じうげんきょうに、兄上が一棟下さった。今日からそこが私達の家だ」

「わあ、嬉しい! 早く行こう」

 突然振り下ろされた悪意などに、幸せな日常を壊されたくない。

 杏花シンファ瑞雲ルイユンの後に続き、慈雨源郷じうげんきょうの中を歩き出した。

 二人の時はいつも隣を歩くけれど、今日はその背を見てみたかった。

 瑞雲ルイユンは気になるのか、何度か振り向き、そのたびに杏花シンファは微笑む。

 何度目だっただろう。

 瑞雲ルイユンは振り向き、立ち止まった。

 そして杏花シンファに手を伸ばし、「隣にいて欲しい」と呟いた。

「いつもいるよ。これからもずっと」

 その手をとり、引き寄せた。

 驚いて体勢を崩した瑞雲ルイユンを抱きとめ、照れて固まっているうちに抱き上げた。

「し、杏花シンファ

 そのまま有無を言わさず浮かび、空を行く。

「やっぱり瑞雲ルイユンくらい身長があると、少し重いね」

「あ、え」

 瑞雲ルイユンは頬をこれ以上ないほど赤らめ、戸惑っている。

「その分、安心してくれていることがわかるから、嬉しい」

 瑞雲ルイユンはやっと気付いたようだ。

 自分が風火輪ふうかりんを出していないことに。

「たまには瑞雲ルイユンが私の元に降りて来てもいいんだよ。身体は弱いけれど、瑞雲ルイユンを抱えて飛べるくらいの力はあるから」

 瑞雲ルイユンはとても小さな声で、「わかった」と言い、火照った頬に気持ちよさそうに風を浴びている。

「では、旦那様。どちらが私達のやしきでしょう」

「あの、桜の木があるところだ」

「桜の木? 植えたの?」

 瑞雲ルイユン杏花シンファから目を逸らし、耳まで赤くして答えた。

「……杏花シンファを迎えに行くと告げてから綺雨きうに戻って来た日に植えた」

「そうかぁ。可愛い奴め」

「それは褒めてもらっているということでいいのだろうか」

「もちろん」

 杏花シンファ瑞雲ルイユンを抱きながらゆっくりと家の前に降り立った。

「着きましたよ、リン公子若君

 瑞雲ルイユン杏花シンファの腕から降り、少し歩いてから、振り向いた。

「おかえり、杏花シンファ

 優しい笑みが、身体をひきよせる。

「ただいま、瑞雲ルイユン

 あたたかな腕の中へ、飛び込んでいった。

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