第五集:恩

 杏花シンファ達が友情を深めている頃、琅雲ランユン青鸞チンルゥァン夜湖やこに来ていた。

レイ宗主はあっさりしていましたね」

「あの方は富豪特有の余裕がありますからね。それに、善人です」

 失われた神器と、それが呪物となり現代まで行方がわかっていないという危機的状況。

 それを話すには絶対的な信頼関係が必要である。

 そこで、二人はまず天宮閣てんきゅうかく富豪榜第一位の紅葉山荘こうようさんそうへ向かい、レイ 梓睿ズールイと話をしたのだ。

 レイ氏はかつて国師を輩出したこともある名門で、今でこそ朝廷と距離を置いているが、その政治手腕は有能と法霊武林ほうれいぶりんで有名だ。

 ただ、先先代宗主の時代に邪術の研究をしていたという噂があり、当時まだ幼かった梓睿ズールイは苦労して育った。

 それが故に、同じ轍は踏まぬと誓い、身を正して生きてきたのだ。

 梓睿ズールイは若き宗主の二人に「協力は惜しみません。全財産、そして現在の地位を失おうとも、共に戦います」と言ってくれた。

 二人は梓睿ズールイに七大法霊武門ほうれいぶもんを含む法霊武門ほうれいぶもん百家の監視をお願いした。

 飛び抜けた財力のある紅葉山荘こうようさんそうはたくさんの武門ぶもんから頼られている。

 異心ある武門ぶもんや、おかしな動きをする武門ぶもんがあれば注意して欲しいと依頼したのだ。

ジン氏は法霊武林ほうれいぶりんにおいて最も歴史のある武門ぶもん。それ故、判断に時間を要するかもしれませんね」

琅雲ランユンの言う通り、難しいでしょう。敵対こそしないものの、関わることを望まれない可能性もあります」

 二人は顔を見合わせ、ため息をついた。

「それにしても、いつ見ても立派な城郭都市ですね」

 夜湖やこ ジン氏の本拠地、月影げつえい城。

 琅雲ランユン慈雨源郷じうげんきょうとは全く違う景色に感嘆した。

ジン氏の祖先は名のある軍師ですからね。城の設計もお手のものだったのでしょう」

 青鸞チンルゥァンも街中を見渡しながら「美しいですね」と呟いた。

「では、行きましょう。軍師の血が流れるジン氏の弁舌に負けぬよう、心して」

「そうですね。まあ、琅雲ランユンがいれば何も心配はありませんけれど」

青鸞チンルゥァン兄さん……」

 先ほどまでの重い雰囲気はどこへ行ったのかと思うほどの朗らかな笑顔を向ける青鸞チンルゥァンに、琅雲ランユンは苦笑した。

 二人は法霊武林ほうれいぶりんの者だけが辿ることのできる印の通りに進み、隠された城門へとやってきた。

 門番に名乗ろうとしたその瞬間、重々しい音を立てて門が開き、ジン 宇津ユージンが姿を現した。

 その姿は最盛期を窺わせる壮健さで、一部の隙もない。

 ただ、漂う雰囲気は壮麗な霊山のように霧深く、腹の底が見えない。

シュェ宗主、リン宗主。久方ぶりである」

「お久しぶりです、ジン宗主」

「お元気そうで何よりです」

 宇津ユージンは鋭い眼光はそのままに、柔和な笑顔を浮かべ、若き宗主達を中へ招き入れた。

天宮閣てんきゅうかく達人榜の第一位と、才子榜の第一位がこの老耄おいぼれを訪ねてくるとは。法霊武林ほうれいぶりんに何か問題でも?」

 手入れの行き届いた城内は、飾り気はなくとも骨格が堅牢で美しい。

 静謐な空気は、二人の緊張を煽った。

法霊武林ほうれいぶりんが、その問題の火種になるやもしれません」

 琅雲ランユンの言葉に、宇津ユージンはふっと笑った。

「神器か」

 琅雲ランユン青鸞チンルゥァンは驚きのあまり足が止まった。

「ご存じなのですか」

大秦国だいしんこくの皇宮を設計したのは我が祖先。宝物庫の密室を造ったのも」

「しかし……」

 琅雲ランユンの表情から何を言いたいかを察した宇津ユージンは、ゆっくりと頷き、話し出した。

リン宗主はよく学んでおられるようだ。その通り。国家の機密に関わる場所を設計した者や建築に関わった者は、その秘密を漏らさぬよう、殺されるのが慣わし。しかし、我が祖先は稀代の軍師であった。目前まで迫っていたいくさのために、人柱ひとばしらになることを免れたのだ」

 二人は宇津ユージンに促され、部屋へと入った。

「だが、戦に勝利し帰還した我が祖先を待ち構えていた選択は二つ。『死』か、朝廷の力が及ばぬ場所への『逃亡』。見ての通り、逃亡を選んだ祖先は、ついてこようとする忠実な部下達を振り切り、陽の光も届かぬほど深い森で数百年を過ごした」

 宇津ユージンが座り、二人も後に続く。

「我らジン氏は、大秦国だいしんこくのために命をかける筋合いなどない」

 予想通り、話し合いは困難に思えた。

 琅雲ランユンは目を瞑り、深く呼吸をしてから、口を開いた。

ジン宗主、少し昔話をしましょう」

 宇津ユージン琅雲ランユンの意図を汲み取ろうと、その目をまっすぐ見つめた。

「私はそなた達が産まれる前より宗主としてジン氏を護ってきた。そんな私に、若きリン宗主がどのような昔話が出来ようか」

 鋭い眼光。

 しかし、琅雲ランユンはひるまず話し続けた。

ジン宗主、白蓮バイリィェンという名に聞き覚えはありませんか」

 宇津ユージンの眉がわずかに動いた。

「妻の名は桃花タオファジン宗主がこのご夫婦に出会った時、彼らはまだ十代でした」

 ゆっくりと息を吐き、茶器に手を伸ばしながら、宇津ユージンは頷いた。

「確か、夫の兄弟分に会うため、大秦国だいしんこくを遊歴中だと言っていた」

「その頃、ジン宗主の奥様は身重で、侍医からは体調に不安があると言われ、あなたは妊婦の身体に良いとされる薬草を探しに山へ入っていたのですよね」

 宇津ユージンが目を見開き、琅雲ランユンを見つめる。

「何故それを……」

「すでに陽は落ち、辺りを照らすのは月の光だけ。あなたは忘れていました。その日、山を百鬼夜行が通ることを」

 妖邪の行軍は各地を守る法霊武門ほうれいぶもんによって常に監視観測されており、害をなすと判断されれば、近隣武門ぶもんへ警告し、人を募り討伐へ向かうというのが古くからの決まり。

「あなたは妻と幼い子供達にかかりきりで、警告を出すことすら頭から抜け落ちていた」

 宇津ユージンの手が冷たく、口元が硬くなっていく。

「百鬼夜行は目前に迫りくるものの、山には若い蓬莱の夫婦と自分だけ。彼らを逃すだけで精一杯。自分は死ぬしかない。そう思ったその時、その夫婦が叫びました。『その場から動かないでください』と」

 手が震え出す。

白蓮バイリィェン氏が張った結界は、大秦国だいしんこくで見るものとは桁違いに強固。彼が召喚した金烏きんう玉兎ぎょくとと呼ばれる従者の殺傷能力は、これまで見てきたどんな武人よりも華麗で圧倒的だった。そして桃花タオファ殿が使う色鮮やかな術の数々は春風に舞う花びらのように優雅で、畏怖の念を覚えるほどに強力だった」

 宇津ユージンは目を瞑り、俯きながら当時の光景を鮮明に思い出していた。

「若き夫婦はたった二人で三百体もの妖邪を葬り、あなたとその家族、そして周辺の村々や街に住む人々を救ったのです」

 琅雲ランユンは一呼吸おき、さらに話を続けた。

「戦闘が終わりほっとしたのも束の間、城の方から三人の侍従が走ってきました。息も切れ切れで、泣いている者もいた」

 宇津ユージンが顔を上げる。

「奥様が破水したのです。それも、大量の血とともに」

 青鸞チンルゥァン琅雲ランユン宇津ユージンを交互に見た。

「それを隣で聞いていた夫婦は『私たちを信じてくださるならば、救ってみせます』と、申し出ました。あなたは藁にもすがる思いで懇願したはずです」

 宇津ユージンの目に涙が浮かぶ。

桃花タオファ殿はあなたと夫を抱えて飛ぶと、案内された通りに窓から城内に入りました。すぐに清潔な衣に着替えた夫婦は、慌てる産婆や侍女、侍医達を廊下へ出し、たった二人で新たなる戦場へと身を投じたのです。そして四時間後、元気な赤子の声と共に、笑顔であなたを手招きする奥様に会わせてくれた」

 宇津ユージンはこぼれ落ちる前の涙を拭い、琅雲ランユンに鋭い視線を向けた。

「その話が神器と何の関係がある」

「そのご夫婦の娘が今、我々法霊武林ほうれいぶりん大秦国だいしんこくのために戦おうとしているのです」

 持ち上げかけていた杯を落とし、宇津ユージンが固まった。

「あなたを救った夫婦の苗字はシン。夫は蓬莱国ほうらいこく星辰せいしん王殿下で、妻は桃薬天女とうやくてんにょ様。我が国の危機を救うために、蓬莱の天皇陛下により十年前から扶桑ふそうへ移り住み、密かに探ってくださっていました。その危機がまさに今現実となりかけており、そのせいでお二人の大事な娘、杏花シンファが、法霊武林ほうれいぶりん大秦国だいしんこく皇宮とならないように、必死で頑張ってくれているのです。我らはその想いに報いるべきなのでは?」

 琅雲ランユン青鸞チンルゥァンと視線をあわせ頷きあうと、宇津ユージンへ向き直り、言った。

大秦国だいしんこく皇宮が憎いのならばそのままで構いません。しかし、妻と子の命を救われた恩よりも、その気持ちは大きくないはずです」

宇津ユージンは大きく息を吸い、俯いた。

 様々な思いや葛藤、祖先への申し開きや、未来ある孫達への愛情が、頭と心を埋め尽くしていく。

 そして、琅雲ランユン青鸞チンルゥァンをまっすぐ見つめ、頷いた。

「私は何をすればいい。協力は惜しまぬ」

「ありがとうございます」

 若き宗主二人は大きく息を吐いた。

「そんなに緊張していたのか」

「もちろんです、ジン宗主」

「あなたは顔が怖いですから」

シュェ宗主は相変わらず率直だな」

 三人はやっとのことで茶にありつくと、一気に飲み干した。

ジン宗主にお願いしたいのは、欒山らんざん ニー氏の調査です」

ニー氏……。確かに、出自に不明な点は多い。養子にとったという扶光フーグゥァンもどこから来た者なのか噂話すら入ってこないほどだ」

ジン氏には特別な人脈があるとか」

 緊張が解けた青鸞チンルゥァンは微笑みながら宇津ユージンを見た。

「ふっ。よう知りおるな」

「そのお力を貸していただきたいのです」

 琅雲ランユンの真剣な目に、宇津ユージンは頷いた。

「容易ではないだろうが、持てる全ての力を使い、調べてみせよう」

「感謝いたします」

 その後、三人はお互いが知っている情報を交換し合い、青鸞チンルゥァン琅雲ランユンは門前まで宇津ユージンに見送られ帰路についた。

「そういえば、弟達は大丈夫でしょうか」

瑞雲ルイユンはしっかりしているし、菫鸞ジンランは器用だから大丈夫でしょう。しっかり杏花シンファを……、まさか、二人とも守られているのではないでしょうか」

杏花シンファの方が圧倒的に強いですからね」

「弟達には頑張ってもらいましょう」

「それもそうですね」

 二人は自身の弟達が杏花シンファに守られている姿を思い浮かべ、吹き出した。

「あ、そうそう。近々、星辰薬舗せいしんやくほから不凍航路ふとうこうろへ配達に来てくださるとか。琅雲ランユンも会いたいのでは?」

「是非。来るのはきっと、蒼蓮ツァンリィェン兄さんでしょうから」

「では、帰る方向は同じですね」

 二人は微笑みあうと、風火輪ふうかりんで飛び立った。

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