第3話 初夜ボイコット
「君は、いつもこの時間まで寝ているのか?」
信じられないが、これが夫となったクリフが帰宅後に初めて口にした言葉だった。
結婚式は勿論、初夜も放棄した男。
本来なら再会するなり言葉を尽くして詫びるべきなのに、朝の挨拶もせず、リリエッタを咎めるような口ぶり。
謝罪を要求するつもりはなかったが、あんまりな態度にリリエッタは目の前の男の神経を疑ってしまった。
きょとんとした表情を浮かべているが、その内心は信じられないものを見る目で夫を見ている。
事前調査によるとクリフは部下から慕われており、評判は決して悪くない。
隊長として上手くやっているなら、コミュニケーション能力に問題があるとは思えない。
父親のような過激派ではないとのことだが、内心では南部の人間を嫌っているのかもしれない。
一瞬リリエッタは、王命による結婚に反発しているのかと考えたが、すぐにその考えを打ち消した。
ダイニングテーブルを挟んで対峙するクリフは無表情。
先ほどの言葉が嫌みであれば、もっと攻撃的な雰囲気を纏っているはずだが、そういった負の感情は感じられない。
淡々としているというか、無頓着で無神経な感じだ。
もし誰に対してもそうなら、人間関係のトラブルも報告されていたはずなので、これはリリエッタ限定と解釈して構わないだろう。
リリエッタに思うところがあるのか。それとも相手を問わず妻は自分の所有物と考えるタイプなのか。
どちらにせよ、彼女を一人の人間として尊重するつもりはないようだ。
「……この砦は随分人手が少ないのですね。侍女の数が足りず、朝の準備に時間がかかってしまいましたの」
「適正人数を雇っている。南部の人間は、そんなに人手を必要とするのか? この地で生きるなら自分のことくらい、自分でやってもらわないと困る。使用人を困らせないでくれ」
砦の人事は女主人の管轄だ。
嫁ぎ先で何人雇っているか把握していないリリエッタではない。
遠回しに、侍女が仕事を放棄していると伝えたのだが、クリフは気づくどころか、思い込みで批難してきた。
「……旦那様は何時にお戻りになったのですか?」
「夜中だ」
「つまり夫婦の寝室ではない場所で、お休みになったのですね」
故意に初夜をボイコットした、ということだ。
「討伐を終えて疲れていたんだ。宴に出ただけの君とは違う」
「……そうですね。精神的疲労と肉体的疲労を比べるのは無意味です」
チクリと刺しても、リリエッタの雰囲気が柔和だからかクリフには全く響いていない。
「――結婚式を中座され、初夜も迎えていないことで、この砦の者はわたくしを女主人として認めておりません」
そもそも使用人が主人を認める、というのがおかしな話だ。
就職口が少ない北部では、砦で働きたい者はごまんといる。
不満があるなら、辞めてもらって構わない。
替えの利かない人材はいない。
そもそも替えの利かない人材によって回っている組織は不健全だ、というのがリリエッタの考えだ。
人員が適切な歯車となり、負担を分散するのが健全な組織だ。
自分が休んだら現場が回らない、では困る。
体調不良の時には我慢せず休めるのが目指すべき姿だ。
「それは君の力不足だろう。俺は忙しいんだ。女主人として認められたいなら、まず俺を煩わせるのを止めてくれ」
「……確かに想像以上に旦那様はご多忙の様子。まさか結婚式も満足に執り行えないほど、兵士が足りていないとは思いませんでした」
魔獣の襲撃は今に始まったことではない。
昨日行ったのは身内の宴会ではない、王族を招いた式典だ。
現場の人間で対処できないのは問題だ。
毎度クリフ頼みというのは非常に危険なのだが、本人を含めここの人間は理解しているのだろうか。
「馬鹿にしているのか」
「いいえ、心配しております。兵士が育っていないのですか? それとも人数が足りていないのですか?」
あまり厳しいことを言いたくなかったが、聞こえる位置で陰口をたたかれたり、朝の支度すら一苦労する現状を変えなければとてもやっていけない。
厳しい土地だからこそ、領主は砦で働く者をしっかり統率しなければ。
おそらくクリフは当主になってからも、魔獣退治の方にかかりきりで、領主としては最低限の仕事しかしていないのだ。
クリフが砦を空けがちなので、使用人たちは好き勝手をしているのだろう。
妻だけでなく、使用人も放置している。
「国防も担っているんだ。そんなわけがないだろう。しかし俺が出るのが一番被害が少ない。兵士も民だ。俺が戦うことで傷付く者が減るなら、躊躇うつもりはない」
気分を害したようで、クリフが語気を強めた。
「……立派な志でいらっしゃいますが、クリフ様になにかあれば、兵士の怪我どころではございません」
「命を賭けて戦っている者を軽んじるのか」
「そのような意図はございません。領主になにかあれば、現場の兵士だけでなく領民全てに影響があると申し上げたかったのです」
「俺がしくじると思っているのか」
「いいえ」
そういう話ではない。時と場合を考えずに一人に頼り切りで、頼られた方もそれを誇りに思っているのが問題なのだ。
「国一番の武人と誉れ高いクリフ様とて一人の人間。病気や怪我は勿論、加齢による衰えもありましょう。この先のことを考えて、兵士たちだけで対処できるようにすべきです」
「それはちゃんとできている。ただ俺が戦った方が、被害が少ないからそうしているだけだ」
よりタチが悪い。
ならば式場に駆け込んできた者たちは、自分たちで対処可能なのに、王命による結婚式を台無しにしたことになる。
それにクリフも、やむにやまれずではなく率先してこの婚姻を軽んじていると解釈できる。
「クリフ様。この結婚は王命です。お互いに協力しなければ、南北の融和は為しえません」
「わかってる。だから大人しく結婚しただろう。こちらは君を受け入れた。これ以上俺に求めないでくれ」
「……それがクリフ様のお気持ちなのですね」
いやいや、入籍で終わりではない。大切なのは結婚後だ。
受け入れたというが、ブリーデンの家に名を連ねることを許しただけであって、誰もリリエッタを認めていない。
話が通じないのは、王命に対する認識の違いだろう。
リリエッタは言葉による説得を諦めた。
時間をかければいつかわかり合えるかもしれないが、せっかく王太子が側近を置いて行ってくれたのだからソレを利用しない手はない。
クリフを含めた砦の人間にはダメージを与えるが、彼らにはもう充分配慮した。
王家側の目撃者を確保したのは念のためだったが、改めて会話したクリフの印象が最悪だったのでリリエッタは容赦なくやらせてもらうことにした。
いつの間にかクリフの呼び方が、旦那様から名前呼びに変化している。そのことに危機感を抱く人物は、部屋の隅に控える使用人に至るまで一人もいなかった。
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