第2話 置き去りにされた花嫁
南と北の架け橋として、王家は南部を代表する公爵家の娘であり、人間関係の構築に定評のあるリリエッタを選んだ。
結婚相手は、この度若くしてブリーデン公爵に就任したクリフだ。
急逝した父親に代わり、二十一歳にして北部を束ねなければならなくなった銀髪碧眼の青年であり、対魔獣戦線の責任者でもある。
公爵家の男児は、民に示しをみせるために代々指揮官に就任していたが、お飾りとまではいかなくとも後方での指揮監督が主だった。
しかしクリフは体格に恵まれ、攻撃魔法にも長けていたので、現場で剣を振るうことが多かった。
お世辞抜きに誰よりも腕が立つため、精鋭揃いの一番隊の隊長も兼任している。
*
「あら、まあ」
魔獣出現の報告が入り、クリフは新婦を一顧だにすることなく教会を飛び出した。
結婚式の真っ最中に置き去りにされたリリエッタは、行き場をなくした指輪をそっとリングピローに戻した。
彼女の手にもまだ指輪は填まっていない。
流石に地面に投げ捨てられてはいないようなので、新郎の手によって彼女に填められるはずだった指輪はポケットにでもいれたのだろう。
南部から北部へ移動するのは大仕事だ。
招待客の大部分は北部の人間だ。
心配そうに見てくる両親に対して、リリエッタは微笑んでみせた。
「……皆様、今ご覧になったように、旦那様は大変お忙しい方です。若いわたくしたちが、この地を治めていくためには皆様のご協力が必要です。今後も支えていただきますようお願いいたします」
一人一人の顔を見るような動きで会場を見渡したリリエッタは、最後に来賓席をひたと見据えた。
王家の代表として出席した王太子は顔色が悪い。
当然だろう。この結婚は自分たちが強いたもので、花嫁が結婚初日にして軽んじられる様を見せつけられたのだから。
王太子が何よりも危惧しているのは、これによって南部が北部に悪感情を持つこと。――そして南部が王家に反発するようになることだ。
正直に言って、南部は自分たちの世話を自分でみている状態だ。
国の支援はどうしても貧しい土地を優先するので、豊かな南部は全部自分たちでやってしまっている。
ぶっちゃけ独立しようと思えば、簡単にできてしまう。
南部を横切る大河は大地に恵みを与えるだけでなく、治水が進むにつれ交易路としても重要な役割を担うようになった。
隣接する国にとっては重要な貿易ルートだ。
農作物の出荷に制限をかけ、他国の賛同を盾にされたら、王国からの離反を認めざるをえないだろう。
「王太子殿下。わたくしは王命を全うするため力を尽くすと誓います。今回の件も、後日ご報告いたしますので、予定通り王都へお戻りください。報告書を持たせる使者として、一名残していただけると助かりますわ」
「あ、ああ……。君の寛大さと、誇り高さに感謝しよう」
「嫌ですわ。指輪の交換はまだですが、わたくしはもう既婚者ですのよ」
現在進行形で晒し者にされているというのに、リリエッタの表情はおだやかなままだ。
やんわりと窘められ、王太子は冷や汗をかきながら言い直した。
「失礼した、公爵夫人。……エルギを残そう。困ったことがあれば、彼に頼むといい」
王太子に指名された側近が立ち上がると、無言で礼をした。
細身で文官らしい体躯だが、目つきは鋭い。リリエッタはなんとも思わなかったが、人によっては威圧を感じるだろう。
「殿下にご配慮いただき、光栄にございます。ご参列の皆様におかれましては、別会場に心ばかりのもてなしを用意しております。どうぞご歓談ください」
融和目的の結婚なので、南部と北部両方の郷土料理が並べられている。
料理を作る人間が必要だと、式の準備にはそれなりの使用人を連れてきたが、彼らは今日両親と共に南部へ戻る。
故郷を離れて、嫁入り後のリリエッタに仕えるのは、二人の侍女と、一人の従者だけだ。
三人とも地元を離れられるなら、それが北の大地でも構わないという土地に縛られることを何よりも嫌う者たちだった。
リリエッタの視界の端に、両親が嘆いている姿が映る。
あからさまに無礼な真似はされなかったが、南部から来た一団は居心地の悪い思いをしながら滞在していた。
一度サウス公爵の従者が「言いたいことがあるなら、言ってくれ」と砦の使用人に告げたところ、あっという間に「こちらはいつも通り仕事をしていただけなのに、急に言いがかりをつけられた」という噂が立った。
式の前に揉めるわけにもいかないので、その時は誤解を与えた旨を謝罪する形で決着となった。
その後も使用人たちの冷ややかな視線や、歓待とは言いがたい対応は変わらなかった。むしろあの一件は、彼らに陰口を叩く大義名分を与えてしまった。
当主になって日が浅いクリフは、使用人を管理できていないのか、する気がないのか、彼らを注意する様子はない。
婚姻の儀式を終えれば、リリエッタも北部の人間として認められるというのは幻想だった。
なんの気遣いもなく、夫が妻を式場に置き去りにしたのが現実。
絵本から抜け出したような貴公子然とした容姿のクリフだが、彼は遠くから嫁いできた妻を守るどころか、率先して蔑ろにしてみせた。
当主がこれではブリーデンの縁者や使用人たちも、リリエッタを軽んじるに違いない。
笑顔でいつも通りに振る舞う娘をハラハラしながら見ていた両親は、王太子とのやり取りでこの結婚の行く末を悟った。
「リリエッタや。婚姻は成されてしまったが、大事に至る前に離縁しよう」
「まあ、お父さま。まだ嫁いで一日も経っていないのですよ」
「いいえ、リリエッタ。旦那様の仰る通りです。両者の溝を埋めるための結婚なのに、更に深くしては本末転倒です」
「……お母さま。この結婚は王命なのです。わたくしなりに精一杯勤めさせていただきますわ」
「お前一人が責任を感じる必要はない。頑張らなくていいんだよ」
「そうよ、リリエッタ。絶対に抱え込まないでちょうだい。早まった真似をしてはダメよ」
新郎不在の披露宴だが、リリエッタまで退席してしまったら責任者がいなくなる。
ひとりで来客の対応をする娘に、両親は説得を試みた。
ほとんどの招待客は見捨てられた花嫁を内心嘲笑っていたが、流石にこの会話を間近で聞いた者は良心が痛んだ。
とはいえ、リリエッタの味方になるなんてことはなく「後味が悪いな」と感じる程度だったが。
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