第5話:一杯のコーヒーと新しい日々の始まり

●前提:一晩立って気持ちを一人吐露したことと時間の経過から、弓佳は甘えさせるから甘えるニュアンスに少し変化が生まれている。


●あなたは目を覚ますと慌ててベッドから体を起こす。あなたが起きたことに気づいた弓佳がベッドのそばに立つ。


「目が覚めたみたいだな。よく眠れたか?」


「だろうな。私が先に起きたときもまったく起きる気配がなかったし」


「いや、別に責めているわけじゃない。今日は仕事も休みだし、先に起きられる方が都合が悪いしな……」


「なんでって……、わかるだろ。寝顔とかすっぴんだとかお前に見られるのは恥ずかしいんだよ……」


「確かにお前が寝ているあいだに寝顔は見ちゃったけどさ。今はいいじゃないか、その話は」


「こほん。ところで、ちょうどコーヒーを淹れようと思っていたところだけど、お前の分も用意しようか?」


「わかった。それじゃあ用意するから少し待っていてくれ」


●弓佳は冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取りだす。ケトルに注ぐとコンロの火をつける。


「お湯の準備はこれでオッケー。サーバーはどこにやったっけなぁ……。見つけた!」


●マグカップやコーヒーサーバーをテーブルに並べながら。


「なんだよそんな不思議そうに見つめて。準備に手間取ってるって言いたいのか」


「一人だとコーヒーメーカーで済ませることが多いんだよ。でも道具は揃っているしお前もいる。せっかくの機会なんだ。ハンドドリップで淹れようかな、と」


「心配そうな目で見ないでくれよ。一時期手慰みのように練習したんだ。だいたいは覚えている、……はず」


●弓佳はコーヒー豆の入ったキャニスターを手に取って軽く振る。


「コーヒー豆もほら、常備しているんだぞ」


●弓佳はキャニスターを開けてコーヒースプーンで豆をすくってデジタルスケールに乗せた小皿に入れる。


「普段はだいたい10グラムぐらいで用意しているから、二杯分だと20グラムぐらいだろうか。計測結果は……コンマ一桁までぴったり、と」


●弓佳は小皿の中身を手動コーヒーミルに投入。


「それじゃああとは豆を挽いていくぞ」


●コーヒーミルを回し始める。あなたのそばに近づいて話し始める。


「ゴリゴリ、ゴリゴリ、と。こういう風に響く音は心地いいとは思わないか?」


「そうだよな。手にかかる負荷と震動も含めてのこの感覚はコーヒーミルならではの体験で私は好きだ」


「とはいっても、普段は電動ばかり使っているからこうして手動のミルを使うのは久々なんだけど」


「一人だとこういう、行為そのものを楽しむ気になれなくて横着してしまうけれど、お前がいてくれると過程そのものもとても楽しいって思えるんだ」


「そろそろ手ごたえがなくなったから挽きおわった頃合いかな」


●弓佳はコーヒーミルを回す手を止め、テーブルに置く。ケトルに向かって火を止めるとケトルを持って戻ってくる。


「ちょうどお湯も沸いたから、まずはいったんフィルターを濡らしつつ(●ケトルのお湯を少し注ぎながら)コーヒーサーバーを温める」


●ケトルをテーブルの上の鍋敷きに置いて、コーヒーミルから挽いた豆を取り出す。


「そして、挽いた豆をフィルターにセットして、(●フィルターを揺らす)粉をならす」


「粉が水平になったらまずは一回目、蒸らす程度にお湯を注ぐ(●ケトルからお湯を注ぐ)」


「なんでいちいち口に出すのかって。決まってるだろ、うろ覚えなんだよ。お前の前であんまり恥ずかしいところは見せたくないんだ。わかったら集中させろ」


「失敗しても恥ずかしくないって。やってる最中にそんなこと言うなよ、バカ……」


「ああ、言ってるうちに一分経つじゃないか」


●弓佳はケトルを持って二湯目を注ぐ。


「ここまでが蒸らしで、またお湯を注いでここから抽出開始だ」


「ここまでの手順は割と覚えていたんだけど、あと二回、どのタイミングでお湯を注ぐのかが正直自信ないな……」


「だいたい三十秒、ドリップのお湯がなくなってきたからそろそろ注いで……(●三湯目を注ぐ)」


「見てみろ、少しずつサーバーにコーヒーがたまっているだろう」


「目が真剣、ってこんなときにからかうな! ほらラストだ」


●弓佳は四湯目を注ぐ。


「あとはお湯が落ちきるのを待って終了だ。砂糖やミルクも一応あるけど用意しようか?」


「私は基本そのまま飲むことが多いな。たまに甘さがほしいときに使ったりすることはあるけれど」


「確かに大学時代にはブラックの缶コーヒーなんて飲んでなかったよ。あれは缶コーヒーの酸味が苦手ってだけでこうして豆から淹れたときの酸味はむしろみずみずしさが感じられて好きなんだ」


「もっとも、今日使った豆は深煎りだから苦みの方が強いけどな。お前も昔は無糖ばかり買ってたっていっても意外とブラックじゃあ飲めないかもしれないぞ」


「そろそろ落ちきったみたいだ。結構待たせてしまったかな」


●弓佳はコーヒーサーバーからドリッパーを外してフタをする。そして二つのマグカップにコーヒーを注ぐ。


「以前二つセットで買ったマグカップだからこうして並べるとなんだかペアのマグカップみたいで恥ずかしいな……。いや、失言だった。忘れてくれ。ほら、注ぎ終わったよ」


●弓佳はあなたのそばにカップを置き、あなたはそれを受けとる。


「ハンドドリップで淹れるのは久々だし、お前が満足するできかはわからないけれど、よろこんでくれると、……その、……うれしい」


●あなたはマグカップに口をつける。


「ほ、本当か! よかったぁ……」


●弓佳はマグカップに口をつける。


「うん。自分で言うのもなんだけれど、久々にしては悪くないかな」


「味を表現してほしい? 習慣的に飲んでいるだけの素人にそれは随分な無茶振りじゃないか?」


「そうだなぁ……。普段コーヒーメーカーで淹れているのと比べると、ペーパードリップだからかライトな印象がある。酸味や苦みといったコーヒーの主役である味わいが迫ってくるのではなく軽やかに広がるから、クセが強くなくてお前でも飲みやすいんじゃないかと思う。……これでいいか」


「まったく、ひどいやつだよお前は。昨日あんなに落ち込んでたときの可愛げはどこにいったんだ」


「でも、まぁ……。よかったよ。少しは元気を取り戻したみたいで」


「と、いうわけで今日は用意が終わったらお前の家に行こう。部屋が汚いって言っていただろう。二人で一緒に掃除をしようよ」


「まだ元気がないなら無理にとは言わない。だけど、私に遠慮して嫌だというのならそんなことは気にしないでほしい」


「どうしてって、昨日言っただろう。私はお前の支えになりたいんだ。だって……、お前のことが好きなんだからさ……」


「あのなあ。もう一回なんて言えるか、バカ」


●弓佳はコーヒーを一気に飲んで、マグカップをテーブルに置く。


「ほら、早く準備をして出かけよう。今日からは新しい日々が始まるぞ。だってこれからはお前のそばには私がいるんだからな!」

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