第4話:思い出話と寝かしつけ

●トラック3直後、あなたは膝枕の状態から顔を上げ、再びベッドに座っている体勢で左隣に座る弓佳と向かい合う。


「眠くなってきたから帰るって。たしかにあんなに度数の高い缶チューハイを飲んでいたら眠くなるのも当然か。お前はあまり酒に強くなかったものな」


「だけど答えはノー、だ。気持ちが戻ってきたお前を、少しの間とは言えまた孤独に突き落とすなんてさせてたまるものか」


「それに、お前の部屋は私をあげられないほどに散らかっているって言っていたじゃないか。衛生的にもよくないよ」


「だから今日はここで寝て、明日のことは明日考えようじゃないか」


「私の寝る場所のことは心配するな。兄がたまに野球観戦をしに泊まりに来るせいで布団を余らせているんだ。今日はそっちで眠ることにするよ」


「それはだめだ。今のお前はぐっすり眠ったほうがいい。だからほら、横になってくれ」


●あなたは弓佳に言われるがままベッドに横になる。弓佳はベッドからおり、あなたの顔を覗くように頭の左側、耳元に顔を近づける。


「ほら、顔がとろんとしているぞ。ベッドはふかふかで寝心地がいいだろう。ぐっすりと眠るといい」


「耳がくすぐったいって? でも私からは気持ちよさそうな顔をしているように見えるぞ。だからお前が眠れるまでこうやって、こしょこしょ、こしょこしょと耳元で囁いてあげようじゃないか。ふふっ」


「とはいえ何を話したものか……。そうだな、私たちが出会ったときのことを覚えているか」


「季節はひらひらと桜が舞う春。大学に入学したばかりのお前がきょろきょろ不慣れな様子で学食を見渡していて、思わず声をかけたのが始まりだった」


「私は自分で言うのも何だがちまちました幼児体型だ。同級生からはマスコットのようにかわいがられることの方が多かったから後輩に頼りになるところを見せることができてうきうきとしたよ」


「当時、私の友人たちはバイトやサークルでバタバタしていて空き時間は一人ぼんやりと過ごすことが多かった。だから昼食時になるとついふらふらと学食に出向いてあれこれと先輩風をびゅうびゅうと吹かせていたわけだ。今となっては少し恥ずかしいけれど」


「あとは大学図書館で会うことも多かった。お互い読書が趣味だったから最初のうちはばったり出くわして近くでパラパラと本を読むだけだったけど、試験期間が近づいてくると過去問を渡すついでにカリカリペンを走らせて勉強を教えることもあったっけ。しーんと静まりかえってこつこつペンの音だけが響くなか、ひそひそと解法の解説をしたときのこと、今こうしているとあざやかに思い出すよ」


「大学以外でよく覚えているのは、わんこを拾ったときのことだ」


「ざあざあと雨が降っていた日、道ばたでうずくまっているわんこを見かけて思わず連れて帰ってしまった私は、どうしていいかわからずわたわたしながらお前に助けを求めた」


「お前は小さい頃にわんこを飼っていたなんて言って、ざあざあ降る雨のなか、すたすたと家まで来てくれたよな。自腹で買っただろうペットフードやトイレ、ケージまでガサガサと袋に詰め込んで持ってきてくれた」


「ビシャビシャに濡れて冷たくなっている体をポカポカに温めてやるうちに、元気にわんわんと鳴きだしたときは嬉しくて、翌日動物病院に連れていくときは初めて行く場所に心細かったからついてきてくれて頼りになった」


「それから飼い主捜しまで一緒に手伝ってくれたけれど、そのあいだ私が引き取ると決めるまでぼやぼやと悩んでしまって、引き取ってくれると申し出てくれた人には申し訳ないことをした」


「あのわんこは今も元気でいるよ。私は引っ越して一人暮らしを始めてしまったから今は実家にいるけれど、父も母もあの子にメロメロだから心配はいらない」


「……なんだ。もうすやすやと眠っているじゃないか。よっぽど心がくたくただったんだろうな」


「……お前が起きているときにはとてもじゃないが言えないが、お前を意識するようになったのはこの出来事がきっかけだったんだ」


「このことを友達に話したら、みんな『まるで小中学生の恋愛だ』なんてからかってきたけれど、いいじゃないか。私はそういう、人の……、私の力になってくれたお前に惹かれたんだよ。あいつらの言う大学生や大人の恋愛が必要だというなら時間が次第に変えてくれるだろうって思っていた」


「だから大学生活でお前と過ごした時間はなんでもなくたってかけがえのない日々で、お前が何も言わずに大学から去ってしまってからは胸にぽっかり穴が開いてしまったようだった」


「でも、こうしてまた巡り会うことができた。それだけで私はこの三年間がどうでもよくなってしまうくらい嬉しいんだ」


●弓佳はあなたの頭を撫でる


「お前も今は少し辛い日々なんだろうけれど、大丈夫、私がそばにいる。すぐにあの頃みたいに満ち足りた日々が訪れるよ」

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