第3話:耳かきと弓佳の思い

●第2話から地続きの状況。


「少しベッドの左側に詰めてくれ。ああ、私から見てだから右のほうか」


●あなたは言われたとおり右にずれる。


「今のうちに準備を……。耳かき棒は、っと」


●弓佳は椅子を動かして耳かきを手に取ると、あなたの左隣、ベッドの上に座る。


「それじゃあここに(●自分の膝を叩く)頭を乗せてくれ。右耳が上になるようにな」


●あなたは言われたとおりに倒れて右耳を上にした膝枕の体勢をとる。


「準備はできたな。それじゃあ耳かきを始めるけれど、くれぐれも話す内容には気をつけることだ。でないとこの耳かき棒がどう暴れるかわかったものではないぞ」


「まるでこれから拷問を始めるみたいな言い草だって? 細かいことは気にするなよ。もしそうだったとしても拒否権はないんだからな」


「じゃあいくぞ。ずぶずぶずぶ~……と」


●弓佳は声に合わせて耳かき棒を右耳の奥にもぐり込ませる。


「奥まで入ったみたいだな。痛くはないか? ……気持ちいい、か。だがそう言っていられるのも今のうちだけかもしれないぞ?」


「私ならそんなことするはずない、か。そういうことを真顔で言うのがお前の悪いところだ。まったく……。……始めるぞ」


●弓佳は右耳の耳かきを始める。


「さっき話を聞いてて、確かにお前の身に起こった出来事は大変だって思ったんだ。両親が突然亡くなってたった一人の弟を養うために働く、なんて私にはそのときのお前がどんな気持ちだったかなんて想像もつかないし、大学を辞めたのも仕方のないことなのかもしれない」


「そのうえで、力になれるかわからないけど、そのときに苦しんでいるお前から、こうして話を聞いてあげたかったと思ったよ」


「気づいてるか? さっきから過去を振り返っているお前の表情はとても苦しそうなんだ」


「弟くんの件もそういうことなんじゃないか。苦しんでいるお前の姿を弟くんはずっとそばで見ていたんだろう」


「だからさ、お前の負担になりたくなくて、自立しようと学生寮のある高校に進学したんじゃないんだろうか」


●あなたは反論しようと動こうとするが、弓佳に押さえらえる。


「バカ、耳かき中だったんだぞ。急に動こうとするな」


●弓佳は耳かきを中断したままあなたの頭、耳周りを撫でる。


「お前が弟くんを負担に思ってなかったなんてわかってるよ」


「だけど、お前がそう思っても弟くんがどう思っていたかはわからない。今言ったのはあくまで可能性だからな。反抗的になって出ていったと思っていたいならそれでいいだろうけど、かけがえない家族だっていうなら次の機会に素直な心のうちを伝えてみるべきだって私は思うよ」


「さて、過去の話はここまでにしよう。体の向きを変えて頭を逆向きにしてくれ」


●あなたは言われるがまま半回転して左耳を上に向けた体勢になる。


「お腹に顔が当たっている……。自分で言っておいてこれは恥ずかしいな……」


「こらっ、口を開くな。くすぐったい!」


「いいか、くれぐれも喋ろうとするんじゃないぞ。手元が狂うからな」


●弓佳は左耳に耳かき棒を入れる。


「今度も痛くはないか? ……って話すのは私が禁じたんだったな」


●あなたは左手でオッケーマークを作り、弓佳の目に映るように腕を上げる。


「オッケーか。ハンドサインで教えてくれるなんて気が利くじゃないか」


●弓佳は左耳の耳かきを始める。


「さて、さっきも言ったことだけど、今のお前に必要なものは新しい目標だと思うんだ」


「だってそうだろう。これまでお前は弟くんのために働いてきて、本当の理由はわからないにしても弟くんがいなくなって頑張る理由はなくなってしまった。だから就職活動をしてもどこか本気になれていないんじゃないだろうか」


「昔からお前は誰かのために動こうとするところがあったよな。それはお前の美徳だけれど、今はそのせいで自分を孤独に追い詰めてしまっているように見えるんだ」


「大学を辞めるときに誰にも連絡をしなかったのだってそうだろう。お前は誰かのために動くくせに、人を巻き込むのを嫌がるんだ」


「ようやく見つけられたんだ。私はそうして一人で潰れていくお前を眺めていくのは、嫌だよ……」


●弓佳は耳かきをする手を止める。


「だから。だからさ、私の存在が少しでもお前の頑張る理由になれないか、って言ったらおこがましいだろうか」


●弓佳はあなたの耳元を撫でる。


「勘違いしないでほしいんだが、何もただお前に守られたいってわけじゃない。私だって自立している大人なんだ。大抵のことは一人でなんとかなっている」


「だけど、お前がいなくなってからの三年間で思い知らされた。一人で生活が成りたつことと楽しい時間を過ごせることは違うんだって」


「だからこそ、私は苦しんでいるにはお前の支えになりたいし、そうでないときは喜びを分かち合いたい」


「今、お前が苦しみのなかにいるというのならいったん休んでしまえばいい。私が隣で支えているよ。だけど、再び歩き出すときはそういう日々を新しい目標にはできないかな」


●弓佳はあなたを撫でる手を止める。あなたは左手をあげる。


「なんだよ。なにか言いたいことでもあるのか?」


●あなたは顔を四十五度動かし、仰向け状態になって弓佳と視線を合わせる。


「バカ、何度だっていっているだろう。私は怒っているんだ。だからそんな今にも泣き出しそうな顔をして謝られても許しなんかしないからな」


「どうしたら許すか? そうだな、乙女の大事な三年も費やしたんだ。ずっとそばにいて、笑って、私と一緒に長生きをしてくれよ。そうしたらもしかしたら今際の際に許すことがあるかもしれないな」


「なんだよ、急に笑ったりして。言っておくが私は本気で言っているんだからな」

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