63.仕掛けがようやく生きた

 死者は、言い訳も言い逃れもできない。一方的に不名誉な噂を流されても、歯噛みするのは生きている人間だけだ。これは卑怯で最低な戦法よ。人として間違っているとしても、私はルフォルの王族だった。どんな汚名をかぶろうと、民のためになるなら本望だわ。


「安心してくれ、君の汚名は僕が引き受ける。そのための夫だからな」


「まだ婚約者よ」


 夫じゃないわ。ぴしゃりと言い聞かせた。未来の夫でも、まだ違う。一度手綱を緩めたら、際限なくやらかすタイプの男なんだから。しっかり引き締めておかないとね。


「やれやれ、僕の奥様は厳しいな」


「何度も言わせる気?」


「悪かった、僕の負けだ」


 この男はいつもそう。私に対してはすぐ降参してしまう。これが別の人間だったら、腕を切り落とされても降参なんてしないでしょうに。顎に手をかけ、私の方へ引き寄せる。満面の笑みで待つ男の頬へ唇を寄せた。


 軽く触れるだけの口付け。これ一つで、この男は命を懸けられるのよ? 狂ってるわ。レオも、そんな彼を愛している私も。ルフォルの先祖返りは全員、どこかおかしいの。


「仕掛けは動いているのね?」


「確実に」


 確認を終えて、すぐにレオの顎を離す。残念そうに眉尻を下げる表情は、まるで甘えるリュシーのようだった。構って欲しいと全身で訴えてくる。


「上手にできたら、そうね……添い寝してあげるわ」


 お昼寝限定で褒美をちらつかせると、レオが張り切った。いそいそと出かける後ろ姿を見送り、私も準備を始める。噂を流した後、誰がどう動くのか。消そうとする者、煽ろうとする者。どちらも監視する必要があった。


 最初に私が仕掛けたのは、オータン子爵令嬢に正体不明の恋人がいるらしい……という噂だ。子爵家の近くで、様々な階級の人に馬車を目撃させる。その馬車は豪華な作りで、紋章を不自然に覆い隠していた。正体を隠し通ってくる恋人を、誰もが想像するように。


 レオはそこに仕掛けを追加した。オータン子爵令嬢が出産した際、立ち会って子を取り上げた助産婦だ。彼女の証言と協力を取り付けた。さらに一人の男を恋人に仕立てる。これは完全な冤罪だった。雇った役者の一人にすぎない。


 その冤罪が、思わぬ形で真実となった。幼馴染みの子爵令息との恋愛話……尾鰭背鰭がついて巨大化し、社交界の狭い水槽から海へ解き放たれる。民の間でも広がったため、もう打ち消そうとしても無駄だろう。


 噂とは不思議なもので、消そうとするとより大きく成長する。本当に噂を消したいなら、上書きする方が確実だった。放置して沈静化させるのも良い手だ。どちらにしても、ジュアン公爵は初手を間違えた。


 王女の出生の噂が入った途端、ムキになって否定する。これでも公爵家を名乗るだなんて。たぬきや狐の化かし合いが日常の世界で、ただ真っ向から否定した。それは火に油を注ぐ行為なのよ。


 延焼して大騒ぎになるのを、私とレオはゆったりと鑑賞すればいい。王侯貴族を名乗るなら、数手先を読んで常に先行するものよ。

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