第53話

 倒れ行くシンの身体の輪郭が、陽炎のように揺らめき始めたのだ。

(どうりで悲鳴の一つも上げないわけだ――あれは)

 右腕から上半身、そして下半身へと身体の輪郭がぼやけていく。そして、オレンジ色の炎となって消えていった。

「身代わりか!? それじゃ本体は――」

「――嘘つくのは性に合わねぇけどな」

 ソルは後方を振り返る。いつの間にか、そこにいたシン。既に燃える右手を打ち出しており、気づいた時には側頭部に到達する間際だった。

「がはぁっ!?」

 小さな身体は、硬質な地面に打ち付けられる。しかし、不意打ちで繰り出した一撃も、ソルの強靭な肉体には有効だとはならなかった。

 ゴムボールのように数度弾むと、勢いを利用し体勢を変更。クルリと身体をひねり、手をついて着地の体勢に入った。猫のようなしなやかな動きだ。

「……う〜っと。やるね」

 両手をつきながら地面を滑り、衝撃を殺して停止した。黒髪の一部が焦げているが、外傷はそれだけ。異形と呼ばれる者たちの身体は、人間以上の強度を誇っている。骨だけでなく皮膚も強固だ。生まれながらにして鎧を纏っているのだ。

 シンはそれも承知の上。

「硬てぇな……やっぱり……岩殴ったようだ……」

「いや、いいと思うよ。……僕に不意打ち出来る人間は十人といないからね」

「軽口叩いてんのも――」

「――君がそれを言うのかい?」

 ソルは前傾姿勢を取り駆け出した。かと思うと、一瞬で姿が消える。

「そこかッ!?」

 シンは直感を信じて背後へと裏拳を繰り出す。それは当たっており、シンの背後には拳を構えたソルがいた。拳を繰り出すまで後、一瞬というタイミングだ。

「やられたことはやり返したいんだよね」

(間に合うかッ!? いや、あの技なら――)

 シンは、右足に炎を宿すと勢いよく地面へ振り下ろす。

「――炎枷(えんか)」

 シンの言葉は、世界に刻まれ、現象として発現する。大地へ振り下ろした足を中心に、炎の波が発生した。

 足首まで届こうかという浅い波は、次第に大きく高くなっていく。

 ソルが足を取られている隙に、炎は見上げるほどの巨大な壁へと変化した。退路を断ち、拘束をする炎の枷。

 そして、シンは右手をゆっくりと握り、

「――炎環(えんかん)」

 炎の壁は、ソルを押しつぶすべくゆっくりと動き出した。

(これは……炎の壁が……僕を圧し潰すつもりかい)

 ソルの周囲に展開された炎の円環。

 退路はただ一つ、空だけだった。

「ロザリアの力なら、正面からぶつかるべきじゃないね!」

 ソルは勢いよく地面をけり、ふわりと飛び上がる。悠々と炎の檻を飛び越えた。

「炎環は全方位を囲う業火の檻。君のそれは、空へ逃げてくださいって言わんばかりの――」

 ソルは言葉にすることで初めて違和感に気が付いた。ソルは見落としていたのだ。シンは、ロザリアの技を継承している。ならば、なぜこの形にしたのか。力が不十分なら、こんな物を作る意味はないのではないか。

 そう。ソルは、シンに誘われていた。

 突如出現した巨大な太陽が、今まさに、振り下ろされようとしていた。

 空に佇むシンは、業火の円環から脱出を図るソルを確認すると、

「――炎舞(えんぶ)」

 シンの全身が炎に包まれた。それは、ロザリアから継承した業火のエネルギーを攻撃に転換させる技だ。

 目標を細く、タイミングも問題ない。シンは、背後に浮かぶ月の輪郭をなぞる様に、その場でバク天を行うと、そのままの勢いで急降下を開始。

 その技の名は、

「――炎天(えんてん)んんんんん!!!!」

 遥か上空から繰り出される、重力と業火の力を合わせた飛び蹴りが炸裂する。

 超高速で降り注ぐ極小の太陽は、寸分たがわずソルの下腹部を捉えた。

「ぎぃぃぃぃぃッ!!!!!!」

 皮膚が焼ける音がする。しかし、それは別の音で直ぐに掻き消える。

 地上に描かれる円環を吹き飛ばし、アクセサリウスの岩場を壊し、辺りの地形を壊していく。ソルの背後に存在する全ての障害物に直撃しても、その勢いは衰えない。

 それでも、ソルは未だ肉体を保ち、紙のように吹き飛ぶことはなし。

「まだだぁぁぁあぁぁぁぁぁぁッ!!」

 ソルは、シンの蹴りを両手で受け止めていた。何があってもこの手は離さないと言わんばかりに、力強く拘束をしている。

「はぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」

 シンも渾身の力を持って、全身を燃え上がらせる。

 今度こそ、ソルに致命傷を与えるべく渾身を振り絞ったが、その判断は間違っていた。

 シンの渾身に対してソルが取った行動は、

「言っただろう? 正面からぶつかるべきじゃないって?」

 ソルは、脱力すると風のようにシンを飛び越えた。

「なっ!?」

 シンは実戦経験が皆無だ。だからこそ、決定的にアドリブ力が不足していた。

 蹴りをいなされた場合の対処方法を何も用意していない。飛び蹴りの最中に、真上に飛ばれた場合のことを想定できなかった。

「――ロザリアには遠く及ばない。上辺だけさ」

 ソルが真上から、シンの背中に目掛け拳を振り下ろす。

「がぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 未熟さの代償は背中を中心に広がる激痛となった。宝石となった地面の表面が削れ、粉砕された。

 叩きつけられた衝撃は、シンの意識を奪い、口から血が大量に溢れ出る。白目をむき、意識が奪われたようだ。

 それも一瞬だけ。覚醒者としての力が、シンに戦えと意識を呼び戻す。

「がァッ!!! ゲホッ……」

 痛みのあまり涙が流れ、苦痛の感情を肺から吐き出す。シンはうずくまることしかできない。

「かひゅぅ……はぁ、はぁ……はぁはぁ……」

 余りにも遠いソルとの地力の差。攻防の手段を身に着けても、経験がないため咄嗟の判断が出来ていない。

 いくら紋章(クレスト)を持っていようとも、戦いの素人が勝てる道理はないのだ。力を貰って世界最強……のような、おとぎ話とは訳が違う。

「泣きそうな顔しながらも、よく戦ったよ」

 無邪気で子供のような温かみのある、ソルの声が聞こえる。

「ロザリアの技をよく真似した。あと十回も戦えば、僕の勝利が揺らぎそうな程だった。シンと相性がいいんだろう、羨ましい限りだ。――だからといって、勝負にやり直しはないけどね?」

 ソルは、優しい笑顔を浮かべる。そして、うずくまるシンを指さす。

「僕たち二十六人には、それぞれ役割が与えられた」

 それは、能力行使の意思表示であり、ターゲットを定めた合図だ。

「僕の役割は、全ての罪を白日の下に晒し、性善説に基づいた公平な罰を下す執行者」

 指先が黒く輝くと、血のような色で”S”の文字が浮かび上がる。

「力の名は――Sin(シン)」

 文字は赤い粒子に形を変え、ソルの指先に収束する。そこに、ソルの体表から放出された黒い霧が混ざりあう。

「僕が元来保有する黒(くろ)と、与えられた力である赤(あか)が混ざり、罪を暴く力になる」

 指先に集う赤黒い稲妻が、シンを射貫こうと音を立てる。

「うぐッ……くそッ……」

 氷水を全身に浴びたような骨の芯まで響く寒気をシンは感じた。未だ呼吸は安定しないが、逃げないと命がない。

 シンは、持てる限りの力で駆け出した。

「いいよ、逃げなよ。絶対に当ててあげるから」

 牛のような歩みの標的に攻撃を当てることは、ソルにとっては余りにも簡単だった。

「君の――Sinの姿を現すんだ」

 指先から放たれた黒と赤の光線は、シンをめがけて直進する。

「うぉぉぉぉッ!」

 シンは避けられないことを本能的に感じた。勢いよく背中から倒れこみことで回避を試みる。

(……もう少し……もっと早く身体を……)

 極限状態となったシンの脳は、心からの願いを叶えたのか、視界情報を高速に処理を開始する。世界の速度が遅くなる。

 ゆっくりと傾く視界。空の割合が次第に多くなっていく。右端から迫る閃光は、寸での所で鼻先をかすめ、遥か後方へ消えて行く。

 そして、世界の速度が戻り始めた。

 命の危機は去った。シンはそう思ったが、

「――やっぱり甘いね」

 ソルの冷たい声が、淡い希望を打ち砕く。

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