第51話

 また、父の背中について回っていたマリアも有名であり、外を出歩けば声を掛けられ、笑顔を振りまく愛された存在だった。

「あの子はすごいわね。あの歳で、エルさんのような立ち振る舞いをしてるわ」

「マリアちゃんこそ、ゼドに愛されて子って言うんでしょうね」

 当時の私は、父のおかげで周囲に愛されているんだと理解していた。だからこそ、父の名を汚すことのないように振る舞いには気を付けていた。今思うと、単純に父に褒めてもらいたかっただけなんだと思う。

 ”力があるだけでは強さではない。正義の心があるだけでも強さでもない”。

 そんな父の口癖の意味が分かったのは、無残な姿となった英雄の亡骸を天へと見送ったときだった。失って初めて、言葉の意味を考えたんだ。

「エルさんがまさか……」

「ダミアンさんが団長になるそうだ」

「強いなマリアちゃん。あんなに凛とした姿をもう見せている。それに比べて俺らなんて……」

「エルさんには、エターニアになって欲しかった。あの人のためなら、何だってやってやったさ」

 天に昇ってもなお、父は偉大さを世に知らしめた。王都の民全員が葬儀に集まり、空が大粒の涙を流した。

 集った人々が悲嘆にくれる姿を見て、父が言っていた強さとは何かを理解できた。”強さとは周囲の人々との繋がり”のことなんだ。強くたって、一人では限界がある。父といえど、前門と後門を同時に守ることは出来ないだろう。互いを理解し、補い合うことで王都という素晴らしい都市を守っていたんだ。

「ならば、私も――」

 だから、王都の皆が安心できるように外では無理にでも正しくあろうと心がけた。どんなに辛くても、笑顔と余裕を崩さないようにしたんだ。

「エルさんの跡を継ぐのは、マリアちゃんしかいない!」

「マリアちゃんは、もう一人前の騎士だな」

 そのお陰か、私はより頼られ、父への憧憬を背負うことになった。別に大したことではなかった。死ぬまで背負う覚悟を決めていたから。

「あ、あの! マリアさんのファンです! 頑張ってください!」

「あぁ、ありがとう」

 感謝される日々に充実を感じているが、私には圧倒的に力が不足していた。

 有事の際に備えて訓練をしていようとも、力は付かず、ライアンのような特別な資質も備わっていなかった。

「なんでお前が――アイツのガキ名乗ってんだぁ? 雑魚がよぉ?!」

「うぐっ!?」 

 力がない私の代わりに、前線を張るのはライアンの仕事。雑務、外に向けての仕事は私が行うようになった。

「アイツがいないんじゃ、ここにいる意味ねぇな……」

 憤りをぶつける対象を無くしたライアンは荒れ、その苛立ちは私に向かった。それ自体に私はなんの感情も持たない。当たり前だとすら思っている。騎士団が成り立っているのは、ライアンのお陰だからだ。私は居ても居なくても変わらない。

(大丈夫だ、今日も頑張れる……大丈夫だ、私はエルの娘なんだ……)

 外に出れば英雄の娘と賛美され、組織内では貶される生活が数年に渡って続いた。

 最初こそ自分に言い聞かせてきたが、ストレスが限界に達すると、とある思いが募っていく。

「本当の私は――どこにいる」

 ”弱い私が本当なのか?”。

 ”民衆の心に住む私が本当なのか?” 。

 それとも”どちらでもないのか?”。

 張りぼての騎士となった私は迷い、答えを出せないままでいた。そんな時、アクセサリウスでの出会いで全てが変わったんだ。

「――オレはシン、よろしくな!」 

 その青年は、正直言うとバカだった。何をするにも感情優先、計画性はまったくない。最初は、少し面倒な男だと感じていたが、一緒に過ごすうちにその印象は変わった。

「……オレはマリアに憧れてる。真っすぐでいつも誠実であろうとしてる。そんで、メンタルが弱いのに責任を全うしようと努力する。オレなら逃げるところを、マリアは全力でぶつかってる。正直、すげぇよ」

 彼の持つ明るさは、私の鬱屈した迷いをあっさり吹き飛ばしてくれた。

 久しぶりに笑えたんだ。彼が隣にいると何でも言えた。人に話すべきではない葛藤も後悔も、全部が共有できたんだ。

 だから、彼がライアンと対峙した時に強く思った。彼が見せた強く、寂しそうな業火の熱を浴びたときに強く思った。

「シンを一人で行かせたくない。途轍もなく重いものを背負っているのなら、私も少しは背負えないだろうか……」

 マリアは両目を開ける。

 そして、左手を覆う冷気に目を向ける。

「エマさん。私は、シンと話したい。私が思っていることを伝えたい。そして、シンが思っていることを聞きたいんです」

「迷いは晴れたか?」

 エマは、暗闇に浮かぶマリアの笑みをしっかりと見た。

「いいえ。迷いは未だくすぶっています。しかし、解決する方法は理解できました」

 マリアの根底にある他者への献身性は、大切なものを失わまいとする防衛本能によって形作られた。

 シンの根底にある自責と自己犠牲は、たった一度の間違いを犯し、他者を傷つけたことによって形作られた。

 この二つは、さして珍しくもないありふれたものだ。

 しかし、見える範囲が極端に狭い子供にとって、その体験は世界崩壊の危機と遜色ないほどの衝撃だった。卵の殻が割れるように、スポンジが形を変える様に、容易に心は変形し、そのまま大人になってしまうのだ。

 この途轍もなく大きな障害を乗り越えようとすることを、人は挑戦という。

 マリアの左手を絶えず輝かせる青色のスパークが、その壁を壊そうとしている。

 しかし、シンは未だその方法に辿り着けずにいた。

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