第42話
時は少し巻き戻る。
マリアは、休憩時間を利用して夕飯の買い出しをしていた。シンにお詫びとして豪勢な肉料理を振舞おうと考えていたからだ。
「さてと。これだけ肉を買っておけば、シンも満足するだろう。――そういえばどんな料理がいいのだろうか?」
マリアは脳内に様々な料理を思い浮かべては悩んでいた。すると、
「なっ!?」
明るい気持ち全てを掻き消すほどの冷たい気配を感じた。まるで、全身に冷や水を浴びせられたような肌を刺す感覚だ。
「どこだ……どこに――あの路地か!?」
マリアは、異変を感じた路地を覗く。そこには炎を背景に睨み合うシンとオクタビアがいた。
(まだ出ていくべきではない――今は待つんだ)
マリアは攻勢に出るタイミングを図るため、二人の会話を聞いていた。呼吸音や僅かな物音も戦いの口火を切る。耳を澄ませていたために、話の内容を一字一句逃さず聞いてしまったのだ。
シンが受け入れていた劣悪な環境、彼が持つ歪さの原因を知ってしまった。余りの衝撃にその場にへたり込んでしまう。
そんな彼女のことを知るはずもない二人は、口論を激化させる。
「違う!!そうなったのはオレが原因だ!! 間違った選択のツケが来ているだけだ!! それにオレはみんなを嫌いになっていない! オレはあの場所を取り戻して……それで! またあの毎日に戻りたいだけだ!」
「なら、尚更ダメじゃない? アナタは、世界で三人目の特異な存在になったのよ? 街を戻したとしてもあそこには居られないわ。というか、それがバレたらまた虐められるわよ?」
「オレはもう大人だ! 虐められるわけがねぇよ!」
「あら? アナタのご両親は虐められたでしょう? コミュニティ全体から無視されることも立派な虐めよ」
「そ、それは……」
シンの瞳が動揺して揺れる。
「孤立するならまだいいわ。見世物にされたり、エネルギー源として奴隷のように使われたり……利益の前には倫理は消える。アナタなら想像できるでしょう?」
オクタビアの意見にシンは異議を唱えることが出来なかった。それはマリアも同じだった。
(出る杭は打たれる。それは、どこでも同じこと。ライアンの様に振舞えるのならまだいいが……シンはどうしても他者を気にしすぎてしまう)
マリアは思考の海に片足を突っ込み始めた。
そうしていると、オクタビアの退路を塞いでいた炎がゆっくりと消えていった。シンの意思が揺らいでいる証拠だ。
「……そ、そんなこと……あるわけが……」
「アナタも理解しているのよね? でも安心して? アナタを評価し、受け入れる環境は他にもある。それはアクセサリウスでもなければ、王都でもない。私たちなら、アナタの全てを受け入れることができる」
ぼんやりと考え事をしていると、オクタビアがシンを勧誘する声が聞こえてきた。思考の海に浸かっていたマリアは、すぐさまその情報の咀嚼を行う。
(……理解……評価……違う!?もう黙って聞いていられない!! ここで奴の口を塞がないと――そうしないとシンが!?)
シンを失う未来が、ほんの数パーセントだがあり得てしまう。マリアの心は動けと大声をあげているが足は動かなかった。彼女の理性は、シンに選択を委ねるべきだと訴えているからだ。
(シンが仲間になる……そんなの私は許容できない。だが――私たちは本当のシンを受け入れているのだろうか……)
次々と考えたくもないことをマリアは考えてしまう。
(シンに騎士団の事務作業をお願いしているが、それはシンの本心なのか? )。
(そもそも、シンをここに連れてきたが、本当は来たくなかったのでは?)。
(ライアンという暴力の化身と出会う可能性がある場所に居たくないのでは?)。
(世界に三人しかいないという特別な席にいるのに、私たちの扱いは正しいのだろうか? シンだって人間だ。多少なりともメリットがないといけないはず)。
(そうだ、ここにいてもシンにはメリットがない。宝石化は解消できず、力の制限もある。なによりも周りを巻き込み――)。
マリアはその時気が付いた。
青ざめた表情で、唇を震わせる。
「――私は……私がシンの足枷になっている……のか」
視界が暗転し、一瞬の浮遊感に包まれた。彼女の精神が外界の情報を遮断したために、その場で崩れ落ちたのだ。それは、精神的な負荷が急激に高くなり、そうでもしないと正常性を保てないと脳が判断したためだ。
そして、どれほどの時間が経過しただろうか。心臓の鼓動が落ち着いてくると、マリアの意識はすっと現実に帰還した。
「シンッ?!」
慌てて路地裏に視線を送るが、そこには二人の姿はなかった。
既に日は赤く染まり、買い物袋からは溶けた氷の雫が滴り落ちていた。
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