第30話

 薄明の空。

 地平線から光りが漏れる様に藍色の空を沈んだ夕日が赤く染めている。

「何故だ……何故……」

 悲嘆にくれるマリアは、大粒の涙を流し、うわごとの様に不条理を嘆く。

 それすらも切り裂くように、ライアンの大鎌が音を立てて、風を切る。

「しゃーねーな。最後の、右手も落とすか――あばよ、元同類」

 そして、大鎌が振り下ろされた。 

 その瞬間、

「ちぃっ!?」

 シンの指輪から、紅蓮の火柱が出現した。

 それを目にできるのは資格ある人間だけだ。

「っ!? ……シン、なのか……」

「間違いねぇ……来やがったな」

 騎士団本部訓練場にいる二人は、天を貫く轟轟と燃える炎の輝きに照らされていた。

『現実はアナタを放って置かないのですね。もう……逃げることすら叶わない。何と過酷な運命を背負わされてしまったのでしょうか』。

 紅蓮の炎柱はふわりと消え、中からフェニックスが姿を現した。

 マリアとライアンは聞こえたきた女性の声が、フェニックスによるものだと理解した。

『どうしましたシン? アナタは戦うことを選んだのでしょう? そこで寝ていていいのですか?』。

「……そんな……こと……」

 痛みに藻掻くシンは、口から血反吐を吐きながら、大きな声でその声に答える。

「みまちが……いぃッ!? だぁ……はぁ、はぁ……」

 痛みを無理矢理掻き消すようなシンの笑み。彼と深い繋がりを結ぼうとしているフェニックスは、その心の内を読み取った。

『引き返せませんよ?』。

「……あぁ。……オレは選んだ……だから!」

 女性の声は痛みを和らげる効果があるのか、シンはいつもの落ち着きを取り戻していた。

『分かりました』

 シンは唯一残った右手を、空に伸ばす。

『世界を変え、自身を変え、何者にも捉えられない紅蓮の炎。それはアナタが欲する盾となるでしょう。世界に刻みましょう。その名は――』。

「――紅口白牙(こうこうはくが)ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その名は、シンとフェニックスが進むべき新たなステージの名前。

 天高く舞う聖獣は、赤い軌跡を描きながらシンの右腕に吸い込まれた。

 すると、シンの周囲を旋回する火の粉が出現。それらは次第に数を増していく。遂にはシンを覆い隠す炎の球体となった。

 核となるのはシン。それを取り巻く赤い輝きはフェニックスが放つ炎。訓練場には眩いほどの紅蓮の輝きと、近づく者を阻むような暴風が吹き荒れている。

「……間違いねぇ。……アイツ選びやがったッ!? バカだ、最上級のバカだぜッ!?」

 大鎌を地面に突き刺し、暴風に耐えているライアン。その表情は、苦悶ではなく極上の獲物を見つけたような喜びに染まっていた。

『なんと愚かな。最も険しい道を自ら選ぶとは』

 彼の隣には四足の獣がいた。夜闇のような黒色の体躯。獅子の顔の周囲を取り囲む紫色のたてがみ。鋭くとがった爪。とぐろを巻く白色の蛇の尾。通常ではあり得ない特徴を併せ持つこの存在がライアンが持つ紋章に宿る聖獣、キマイラだ。

『ライアン。雛鳥を叩くのは忍びないと思わないか?』

 粘液性を感じる低い女性の声だ。

「嘘つけ。お前が一番楽しみなんだろ?」

『お前も嘘つきだな。一番楽しみなのは、貴様だろ?』

「違いねえ」

 ライアンたちが胸を躍らせている中、訓練場に出現した小さな太陽に変化が起きた。

「戻ってろキマイラ。……化け物が来るぜ」

 先ほどまでありありと存在感を示していたそれが、揺らめき綻びを見せ始めた。輝きは消え、暴風は止んだ。

 夕日より赤い光が一瞬生まれたかと思うと、それは消失。中から五体満足のシンが姿を現した。

「 ……シン……なのか……」

 欠損した部位は戻ったが、それ以外の外見的変化はない。その筈なのに、マリアが思わず言葉を零してしまうほど何かが違っていた。明るい笑顔が消え、戦士のような精悍さを感じさせることなのか。フェニックスのように、彼の周囲に火の粉が常に舞っていることなのか。

 シンを構成する何かが人間からズレているのだと、マリアは直感した。

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