第8話

「彼がアナタのお気に入り?」

 濡れ衣のようにしっとりとした声が響く。

 その主は、闇夜に同化するような黒い髪を腰まで伸ばす妖艶な美女だった。切れ長の瞳、長いまつげ、スラリと伸びた手足が動くたびに、人間の視線を釘付けにする魔性を秘めている。ソルとお揃いの上下黒の長袖長ズボンを纏っていた。彼女は右肩甲骨から延びるカラスのような片翼を持っていた。

「オクタビア!! お、お気に入りってそんな言い方しないでよ! シンも気にしないでね!」

「お、おう……」

 顔を赤らめるソルの圧は、戸惑うシンから同意の言葉を引き釣り出すほどだった。

「あ、あのよ~」

 オクタビアと呼ばれた女性とソルはなにやら盛り上がっているようだが、シンにはやるべきことがある。

「ソル! すまないけど、オレ急いでんだ!」

「ちょっとまっ――」

 その時、ソルの顔を掠めるように黒い影が走る。それは風を切り裂き、シンの足元に深く突き刺さる。

「えっと、シン君? ソルのお気に入りなのか分からないけど、私にとっては違うの。あまり、自由に振舞おうとは思わないでね?」

 オクタビアの黒翼が、槍のように伸び地面に深々と突き刺さっている。やはり、鉱物のようなもので地面全体が覆われているためか、ヒビのような亀裂が槍を中心に走っていた。

「うぉッ!?」

 黒光りする羽毛におおわれた翼は、シンにとっては恐怖の対象として映った。

 シンは全身から血の気が引き、目を泳がせてしまう。 

「ちょ、ちょちょちょ!? アンタちょっと待ってくれ!? オレは、家に帰りたいだけなんだよ!?」

 シンは、落ち着けと両手を使ってジェスチャーをする。

「だからそれはダメなのよ。アナタはこの状況、理解していないようね?」

「じょ、状況ってなんだよ。アレだろ、街が変わっちまったんだろう? 理由は知らないけど……」

 オクタビアは肩をすくめ、隣のソルに問いかける。

「ほんとうに、こんなおバカが気に入ったの?」

「うん、バカでも優しいからね?」

「いい? 優しさよりも大切なものもあるのよ?」

「僕には、シンの優しさがいいんだ。王様みたいなんだ、シンって!」

 ”王様”という言葉に、オクタビアの表情が険しい物に変わった。

「……そう。アナタがあの人の影を見たというのならそれでもいいわ」

 オクタビアの黒い瞳が、シンを射抜く。

「な、なんだよ! 喧嘩ならしねぇぞ! オレ、絶対に負けるからな!」

「……はぁ。どこが似てるのかしら――まあ、試してみましょう」

 オクタビアは、大声を出し恐怖心を紛らわすシンへ問いかける。

「シン君。アナタは家族のもとに帰りたいのよね?」

「お、おう!」

「それはやめたほうがいいわ」

「なんでだよ!」

「見たくないでしょう? 肉親が人間でなくなった姿なんて?」

「何言ってんだよ? 人間でなくなった? 化け物にでもなったってのか?」

「うふふ、想像力はあるのね。アナタの考える化け物がどんなモノか興味があるけど、多分違うわ。ただ、遺物によって時間を止められた姿になっただけ」

(……今だ!)

 シンは、オクタビアの一瞬のスキを見逃さなかった。

「だから――」

 しかし、それは叶わない。

「――私は優しくしないって言わなかった?」

 シンが僅かに動かした右足の甲をオクタビアの翼が貫いた。

「い”ぃぃぃぃぃぃぃ!」

 シンは痛みに耐えきれず、腰から崩れ落ちた。

 脂汗が浮かぶ喉から、地響きのようなうめき声が鳴る。鉄板が仕込まれた作業靴には穴が開き、暖かい熱が右足の甲から全体へと広がっていくのを感じる。

「アンタが……こんなことを……」

 痛みは心にストレスを与え、形容できなかった思いに明確な形を与えた。それはシンの意思を飛び越えて、言葉として現実に放たれる。

「あ、アンタがこんなにしたのか! アンタが街を変えたのか!」

「あら?」

「そうだ、街が変わったのにアンタとソルだけ……無事だった。それに――」

 オクタビアの表情が初めて喜びに染まる。

「――私たちが異形だから……でしょ?」

 シンからありとあらゆる痛みが消え去った。オクタビアの言葉は、彼が作り上げてきた全てを壊す可能性があった。だから、彼女の言葉を聞き逃すまいと、シンの脳が痛みを一時的に忘れさせたのだ。

「うふふ、聞いたわよ。いじめられていたソルを助けてくれたんでしょう? 優しいわね? 優しいのに、助けたアナタがその言葉を言うの?」

「ち、違う!? そんな意味で言ったわけじゃ――」

「あっはは、あはははははは!」

 オクタビアは、背を弓なりにのけぞらせ、弦楽器のような甲高い声で笑う。

「人間は矛盾してるわね。自分が決めた生き方すらその時の感情で否定するなんて。あぁ、面白い」

 シンは血の気が引いた顔で呆然としていた。

「あぁ、本当はもっとその表情を見たかったのだけれど……可愛そうだからいいことを教えてあげるわ」

 ソルの表情を視ることができないシンに、救いの手は差し伸べられない。

「シン君。街がこんなになったのはアナタのせいなのよ?」

「……なに言ってるんだよ?」

「だって、私たちがこの街を変えたんだもの。ソルを招き入れたのはアナタでしょう? だから、これはアナタのせい」

 心臓の鼓動が速くなる。足が震える。視界が揺れる。全ての熱が消え、血が氷水に変わったように全身に寒さが巡る。

「だとしてもだ! なんでアンタらがこの街を変えた! 目的はなんだよ!」

 シンは、過失を補って余りあるほどの犯人を突き止めた功績を手に入れるべく、感情任せな正義の言葉を振りかざした。

 それは、嫌いな大人たちとよく似ていた。

「目的は復讐だよ。僕は、大切な人を侮辱されたことが許せないんだ。だから、みんなを宝石に変えてあげたんだ」

 それに答えたのは、冷たい目をしたソルだった。

「……ソル、嘘だろ」

「……言っただろう、僕が悪さしたらどうするって?」

 ソルは、アクセサリウスの中心にそびえる炭鉱を指さす。

「あの場所ってさ、僕たちの王様の一部が利用されてるんだよね」

「……意味わかんねぇよ」

「僕たちの王様は、とってもすごい人なんだ。昔に死んじゃったんだけど、身体は腐らず、今も特殊な力を放ち続けてる」

 シンの脳裏に浮かぶのは、この街のあの炭鉱でしか取れない鉱石。

「鉱山……特殊な力……ジルコニウム鉱石」

「そう。王様の力が漏れ出して生成された物がそれだよ。許せないよね、そういうの」

 ソルの言葉に怒りがにじんでいる。

「……確かに、大切な人が好き勝手に利用されたら、オレだって許せない。でもさ――」

「大丈夫。シンは気にしなくていいんだよ。君は悪くない――悪いの僕なんだから」

 ソルの優しい言葉はシンの罪悪感を無くすため。それを感じ取ってしまったからこそ、シンの自責の念は加速度的に肥大化していった。

(……ダメだ、オレがみんなを……殺した……)

 あの時の言葉が脳裏をよぎる。

 “そいつは化け物だ”。

 “なにかあったら責任とれるのか”。

 今まで逃げてきた事たちが、負債のように溜まりシンを飲み込む。

 心拍数が増加し、発汗、身体の震え、吐き気などのパニック症状が発生する。両手、両ひざをつき、地面を眺めることしかできない。

「うっ……っはぁ、はぁ……」

 胸を押さえうずくまるシンをオクタビアは憐れんだ。

「罪悪感が精神をむしばみ、身体に異常をきたしている。まぁ、自分がこの都市全ての人間を殺したと思ったら当然ね。……もっとバカならよかったのに」

「なんで!? シンは関係ないって! シンー! 気にしないで! 悪いのは僕だから! だから――」

「ソル。そんな言葉で癒されるなら人間の医者はいらないわ」

「じゃあどうすればいいの! シンがあんなに苦しそうに――」

 シンの苦悶の表情は、ソルの嗜虐心をくすぐる。いつの間にか頬を赤く染めて、恍惚な表情を浮かべていた。

 長年一緒にいるオクタビアは、ソルの知られざる一面を見て一歩後ずさった。

「……ソル、アナタってそんな趣味だったの? ……まぁ、いいのだけれど」

「そんな趣味ってなにさ!? 僕はただ……シンって色んな表情持ってるなって思って……出来るなら――えへへへ」

「アナタ、いつか痛い目を見るわよ。例えば、シン君の大ファンの子とかに?」

「何を言ってるんだい! 僕がシンのファンクラブ第一号だよ! 他の娘なんかに――」

 宝石となったアクセサリウスで生きる命はシン、ソル、オクタビアの三つだけ。全員がそう思っていた。

『アナタの苦しみ、その時まで私が引き受けましょう』。

 落ち着きのある慈愛が込められた女性の声が空に響く。

 そして、シンの右手が赤く輝き出した。

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