第2話

「はぁ~あ、今日もいい天気だ」

 同型の茶色い建物が乱立する住宅地の中の一つ、二階の窓から足を投げ出し、背伸びをする青年がいた。

 彼の名は、シン。肩に付きそうなセンターパートの茶髪、少しだけくっきりとした目鼻立ち以外は、何の特徴もない十七歳。強いて違いを挙げるのなら、他の同級生が勉学の道に進む中、働きに出ているということだけだろう。

「ふふふ~、ふんどっと、ふんどっと~」

 珍妙な鼻歌を謡いながら、シンは手早く上下グレーのつなぎに着替え、靴を履き、リモコンを操作する。すると、窓の外からエンジン音が聞こえる。どうやら、地上に止めていた大型魔法科学原動機付き自転車、通称バイクのエンジンがかかったようだ。そして、リュックに荷物を詰めて準備完了。

 出発までの数分間を消費するため、シンはテレビのニュースをぼうっと眺めていた。

「……ふ〜ん、不具合ね。てかなんで、速度メーターとエンジンが連動してんだよ。……あれ、オレのバイクってデルシエロ製だったような……」

 働き出して約一年、勉強が苦手なシンでもニュースの内容を理解出来るようになってきた。

 すると、テレビの音を掻き消すほどのドンドンとした鈍い音が響く。

「シン―!! もう起きてるのー!」

 凛とした芯の強さを感じさせる女性の声だ。部屋の扉を思いっきり叩いている。

「うるさいうるさい。起きてるよ」

ドアがピクリと動くが開くことはない。どうやら、壊れて開かなくなっているようだ。

「あれ? なんで開かないのよ……ったく、うりゃ! うりゃ! うりゃぁぁぁ!」

 木くずを出しながら勢いよく開け放たれた扉。蹴破ったであろう細く白い右足が暗闇から勢いよく伸びていた。

「なんだ、また寝坊かと思ったわ。安心、安心」

 ゆっくり折りたたまれた足。その持ち主が部屋に侵入した。

 長い黒髪、切れ長の瞳、人形のように整った顔、内面から溢れる強気な雰囲気。”勝気”と誰もが称する美女だ。

「ねぇちゃんさ? オレのことバカにしすぎだって。オレもう十七よ? バリバリ働いてるのよ?」

「……へぇ、もう大人気取りですか。ほぉ、それじゃあ大人のシン君?」

「おいおい、なんだよ、照れるじゃねぇか……」

 頬を気持ち悪いくらいに緩めているシンの心に、姉はあえて冷や水を浴びせる。

「もうそろそろ、下に降りてもいいんじゃない? お母さんも、お父さんも気にしてないよ」

 シンの返答を待たずに続けて、

「何をするにしても、男手ってあった方が都合がいいんだけど……どう?」

 シルクのようなサラサラの前髪の中から、シンの様子をチラリと伺う。

 いつの間にか、シンの表情は抜け落ちていた。

「いや。オレがいるとみんなが迷惑する。ほら、オレって空気読めないじゃん?」

「大丈夫。何も言わせないし、何もさせないから。だから――」

「もう迷惑かけらんない。ここに置いてくれるだけでありがたいから」

 シンの乾いた笑顔は、彼女の心をこれでもかと締め付けた。

「やめて! そんな他人行儀にしないでよ!」

「おぉっと!?」

 姉は窓枠に座り、空を背負うシンの肩を強くつかむ。バランスを崩しそうになるのは、なんとか持ちこたえた。

「あの時は、私たちが間違っていたの! アナタは正しい選択をした! アナタの可能性を奪ったのは私たちなの! だから――」

「姉ちゃん!」

 シンの強い言葉に、ハッとする。

「アレは、オレがバカだったんだよ。なにもしなければ、母さんも父さんも仲間外れにされなかった。姉ちゃんだってもっといい学校に行けたかもしれないし――とぅ!」

 シンは姉の手をゆっくりと引きはがすと、リュックを背負って窓枠から飛び降り、綺麗に着地。下に停止しているスポーツタイプのバイクに跨った。

「オレは父ちゃんも母ちゃんも、勿論、姉ちゃんも大好きだから。変な心配すんなよ」

 赤いヘルメットをかぶり、原付のハンドルを握り閉めると何か思いついたようだ。黒いバイザー越しでも、しょうもうないことを思いついたであろうことが姉には容易に分かった。

「姉ちゃん、姉ちゃん。オレの心配より、自分の心配したほうがいいぞ?」

「なんでよ?」

「聞いたぞ、ミーちゃん結婚すんだってな。それに、ユーちゃん、クリスちゃんも。同級生で売れ残ってるのは……あと――」

「シン!」

「っへへ、行ってきまーす」

 窓枠に足をかけている鬼女から逃げるべく、シンは街へと駆け抜けていった。

「……やっぱりまだ……はぁ……そうよね、そうよね。当たり前よね」

 彼女は、暗い表情でリビングに降りていく。

 そこには、恰幅のいい女性がソファーでふんぞり返っていた。

「はぁ、やっと行ったかい。ようやく落ち着けるよ」

「母さん」

「分かってるよ、はいはい。アイツとは不干渉って約束だもんねぇ?」

「まったく」

 不機嫌さを増した姉は、テーブルの上の見慣れない札束を発見した。

「これなに?」

「あぁ、いらないもの売ったのさ。そうしたら、結構儲かったんだよ」

「へぇ、何売ったの?」

「そりゃ……ねぇ?」

 母親が言葉を濁すときは、大概ろくなことはない。姉は面倒ごとを先に片付けるべく、眉間にしわを寄せ原因に詰め寄る。

「母さん! 何売ったの!」

 姉が詰め寄ると、母親は渋々口を開く。

「指輪だよ、指輪。ほら、アイツが昔から持ってる古臭いルビーの奴あったろ?」

「指輪って……シンの!? 何やってるよ!? アレは、あの子が貰った――」

「ただのガラクタだろう? それに、アイツのせいで私たちは迷惑被ったんだ。その補填だと思えば――」

 額に青筋を浮かべた彼女は、札束を握りしめて外へ駆け出す。

「無駄だよ。裏の婆さんに売ったんだ、買い戻すなんて出来っこないよ。……アンタは失敗しないでくれよ?」

 背中に掛けられた嘲笑交じりの言葉を受け、姉は憤りを感じた。

 こんなのが親なのかと恥ずかしくなったと同時に、先ほどのシンの言葉を思い起こす。

“オレは父ちゃんも母ちゃんも、勿論、姉ちゃんも大好きだから”。

(……本当にこんな人たちが大好きなの…… 私は、もうダメだよ)

 姉の心は折れかけていた。

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