第28話 ポテチの味はしょっぱかった

 修学旅行初日。早朝の陽の光が雲間から覗いて、今日という日を迎えた人々を歓迎している。


 雪摩西せつまにし高校の二年生は、東京駅に集合した。まだ、スーツ姿のサラリーマンたちがせわしなくうごめく時間帯である。



 近づく新幹線に目新しさを感じるゆずるは、胸の若干の高鳴りを抑えられずにいた。遠出なんて普段はしないから、新幹線を見るのも、乗るのも初めてのことだからだ。



 席はあらかじめ先生に指定されており、同じ班のメンバーが近くに座ることになっている。



 ゆずるの座る右手の窓側に七瀬が、左手の通路側には来栖が、前方の席には夏目が座り、囲まれる形を取った。



 人とひととの距離が極端に近くなり、来栖と七瀬の肩が触れ合うことがある。その度に、気胸を疑うぐらいの胸の痛みが襲ってくる。周囲には、クラスメイトたちが非日常の空気で盛り上がっているガヤガヤとした声が満ちている。



 しばらくの時間、驚くほどの揺れの少ない新幹線で運ばれていると、右手の窓に富士山が見えてきた。


 日本の最高峰だ!



 そのことから、現在は静岡とか、山梨の周辺にいるんだなと分かった。京都までの道のりは、まだ先は長いようだ。



「あ、見て!富士山!」


 七瀬が窓の外を指さした。



 七瀬の目線を追うようにして、背後の側に流れゆく景色に目を移した。


「ああ……」という感嘆の声を、黒マスクの下で漏らした。



 だって、あれは、疑いようのない富士山だ。彼は、我ら日本の地を、人を、歴史を通して見守ってきたのだ。



 京都で政変が起こった時も、江戸に幕府が立った時も、黒船が浦賀にやってきた時も、アメリカ軍のB29※が空を切った時も、いつだって、彼は一番高いところから我々日本を見守っていてくれたのだ。



※太平洋戦争中、アメリカ軍が日本本土爆撃に用いた戦略爆撃機。



 まあ、時には、宝永噴火のように、我々に牙をむく自然の虎の姿になるのだけど。



 歴史を知っていると、感慨深いものがこみ上げてくる。



 スマホを取り出し、写真を一枚、パシャリ。帰ったら、この写真を基にCGを作ってみたり、油絵に起こしてみるのも面白そうだ。



「来栖、富士山って、高さ何メートルだっけ?」

「たしか、3600メートルぐらいじゃなかった?」


 天辺てっぺんの見事な雪化粧を見た七瀬は、ゆずるを挟んで、来栖に聞いた。顎に手を当てて「んんー」と記憶の引き出しを漁る来栖は、その数字を何とか引っ張り出そうとする。



 まあ、正確には3776 mである。それを知っていたので、来栖がスマホで検索をかけるよりも早く、その数字を声にして発した。


「3776」



 すると、七瀬がこちらにざっと振り向いた。「おお!」と言う。


「ゆずる、知ってた?」

「うん。覚えてた」



 そう言いながらポテチの袋をガサガサ言わせた七瀬。通路側の席に座る来栖も、賛辞……?を送ってきた。


「いやあ、やっぱり物知りなゆずるには、敵わないなぁ」


 

 声の感じが嫌味っぽく聞こえたが、それは聞き流しておく。来栖の表情は、いたって笑顔であった。スマホの画面を閉じて、今度は、窓辺の景色か、あるいは七瀬のほうをうっとりと見つめている。


 すると、前の座席の隙間から手が伸びてきた。白っぽい手首のあたりにヘアゴムがふたつくっ付いた腕は、夏目のものだった。



「わたしにもポテチ、ちょーだい」



 細い指がぴょこぴょこと動いた。どうやら、七瀬の腕に抱えらえた海苔塩味のポテチを欲している様子。



 七瀬は快く、ふたつのポテチを手に乗せてあげた。「はいよ」と言うと、夏目の手はポテチを軽く握って、「感謝」と短く言い残して、腕を引っ込めた。



 前方から「はい」という夏目の声が聞こえてきて、夏目は、隣の人にもポテチを分けてあげているんだということが推察された。



 そんな微笑ましい光景を視界の隅に据えて、ゆずるは読書をしている。



 表紙には、デカデカと『金閣寺』と書かれている。三島由紀夫の小説作品で、これで読むのは二週目だったが、せっかく金閣寺を見に行くのだから、読んでおきたいと思ったのだ。



 すると、文字の羅列を追う視界の隅っこに、七瀬の顔が覗いた。



「ゆずるも、食べる?ポテチ」

「うん」



 ポテチは、週末になると、母が仕事終わりの買い物で買ってきてくれるものが楽しみで、それが好きだった。もちろん、海苔塩味も好きだ。


 是非、七瀬からポテチを貰いたいと思って、本を持っていた右手を離した。しかし……



「え……」


「あーん。ほら、口開けて。これで手、汚れないでしょ」



 七瀬は、摘まんだポテチを口元に近づけてきた。その白い手と、海苔塩のあおい香りが、鼻先に迫る。


 まて、衆目の前で、何をしようとしているのかと、隣の悪気が無さそうな七瀬に尋ねたい。本を読んでるから、それへの気遣いをしてくれたのだと分かるが。


 しかし、あーんと口を開けて、素直にバリバリ食べるぐらい、心は据わっていない。




――これでは、周囲に勘違いを起こされてしまいそうだ。さらに、隣には来栖が控えている。



 七瀬と仲良しで、付き合っているなんて勘違いされた日には、金閣に火を放ってしまいそうだ。



 まあ、やらないけど。



「ほーら、早く。手汚れるの嫌でしょ」と、再三言う七瀬の手から、ポテチを指で摘まみ出して、そのまま口へと運んでパリパリと食べた。



「普通に食べるよ」と、食べながら言うと、七瀬はかわいらしくも、頬をぷくーっと膨らませた。



 と、この様子ににんまりとした笑みを浮かべた来栖は、七瀬をじっと見つめて、こう言った。



「七瀬ちゃん、オレにも頂戴。あーーーん」



 来栖は、口をぱっくり開けている。七瀬は、ちょっと吹き出して笑って、ゆずるの頭の上に手を伸ばした。



 ゆずるは、自分の頭が邪魔かなと思って、すっと頭を下げた。



「あんたのほうが甘えるんかーい……まあ、いいけど。あげますけど」

「オレは、くるみに、存分に甘えさせてもらうよ」


 頭上から、七瀬の影と来栖の頭の影が落ちる。本の文字は、黒い影によって同化してしまって、ちょっとの間、読めなくなった。



……来栖と七瀬の仲が良いことは、周知の事実。ただ、そんな様子を見ていると、なんだか、胸が痒くなる。



 来栖がポテチを食べるバリバリとした咀嚼音が、席の周辺に響いた。


「サンキュー。美味しいよ」

「よかったね♪」



 そんな仲睦まじい席の様子を旗から見たクラスメイトたちが、ヤジのような言葉を飛ばす。



「おお、らいと、最高じゃねぇか、七瀬さんにあーんしてもらえるなんて!!」

「くるみちゃんたち、仲いいね~」

「くるみちゃん、わたしにもポテチくれない?」



 新幹線の車内には、楽し気な空気が満ちている。そんな声を聞いていると、やっぱり人が空間に多く居るんだと自覚させられて、胸が締め付けられる思いだった。苦しいが過ぎることはないが、やはり、リラックスとは程遠い騒がしさだった。



 七瀬は、女子グループのほうにもポテチを分けてやっている。



 その隣で、じっくりと小説の文章と、ポテチの味をあじわう。



 ポテチの味は、妙にしょっぱかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る