第29話 船上のコンフェッサー
修学旅行初日は、移動が
兵庫といえば、阪神淡路大震災により著しい被害がでた地域だ。地震の恐ろしさを考えると、今日できること、やりたいことは、今日のうちにやっておこうと思った。
――大災害となったら、だれも絵を見たり、描いたりする暇ではなくなってしまう。
これも、一つの『脆弱性』か。
震災学習が終わって、その後の夕食は、なんと、レストランが専門の船の上でのバイキングが行われた。
船の揺れで気分を悪くしないか不安だった。車で移動するだけでも、気持ち悪くなってしまうので、酔い止め用の薬を服用するゆずる。
が、幸い、船体が巨大であったため揺れが少なく、船酔いは皆無であった。周囲の人たちも、問題なくバイキングを堪能している。
豪華客船と紹介されても遜色ない内装だ。階段の手すりには煌びやかな金の装飾が踊り、足元には赤いカーペットが敷かれている。近世ヨーロッパ的な雰囲気が漂う船内には椅子やテーブルが並べられていて、長机の上には、多種多様な料理が用意されている。……こんな華やかな食事は、初めてだ。
料理を好きに取りに行って、テーブルごとに食べ始めた。メンバーは、やはり、いつもの4人だった。
「あれ、ゆずる、もう食べないのか?」
同じテーブルを囲う来栖が、フォークでゆずるの皿を指した。そこには、デザートとして持ってきたプリンとショートケーキがちょこんと乗っている。それも、ミニサイズ。すでにメインの食事は、済ませた後だった。
まあ、普段から学校と家との行き来以外、運動をロクにしないから、食も細いまま、つまり、胃も小さいままなのだ。
「もう十分食べたよ。おいしかった」
「たくさん食べないと、強くなれないよ」
「弱い人間でも生き残れる社会になったから、大丈夫」
ケラケラ笑いながら話す来栖に、正論のナイフを突きつけた。
今、自分は、社会福祉国家日本のおんぶに抱っこで生きていると、ゆずるは自覚する。それに、親の
――こんなに生物的にも社会的にも弱い自分でも、ほら、両の脚で立って生きているぞと、社会的強者である陽キャの彼に示してやったのだ。
「はは。ゆずる君らしい答えだね」
「うん」
キザったらしく言った来栖に、短く返しておいた。
来栖は、山のように盛り付けてきたナポリタンをすっかり食べ終えて、席を立ち、別のグループと談笑する七瀬のところに歩み寄っていった。……どんだけ七瀬が好きなんだろう。
来栖が混ざっても、七瀬は友達と一緒に「きゃははは」と豪快に笑っている。
七瀬のこんな笑い方は、自分の目の前では見せない。心から楽しんでいる時に、あのように笑うのだろうか。
そう考えると、自分と居る時は、エンタメ性が足りないのかなと、憂慮に堪えないゆずるであった。
「ごちそうさまでした」
誰にも聞こえないであろう、小さい声で、今日も温かく
寒っ!?
そういえば、もう11月だったか。
階段から吹いて降りて来る風が、服の隙間を通り抜けて、恐ろしいまでの寒さを自覚させた。
席に置いておいた灰色コートを取りに戻って、今度こそ、船のデッキへ。 階段の上方からは、食事を終えた人たちが談笑する声と、船のエンジンの轟音が聞こえてくる。
きっと、瀬戸内海の美しい夜景が広がっていることだろう。そんな期待を胸に、デッキへの階段を一人、駆け上がった。
****
船の甲板に出ると、肌を突く寒さに襲われる。風が轟々と吹き抜けており、おそらく山陽地域の東部か大阪であろう海岸には、煌びやかな工業地帯の光を臨む。
風景画として是非、描きたいと思ったので、写真をパシャリパシャリと撮った。スマホの画面の中に閉じ込められた夜景も、光で溢れていて美しかった。
トントンと、肩が軽く叩かれた。これは、もしやと思って振り返ると、夏目が突っ立っていた。
「な、なに?」と詰まりながら尋ねると、夏目は、寒さからか、黒いコートを羽織りながら答えた。
「君となら、話しやすいからだよ、ゆずるくん」
馴れ馴れしいのか、よそよそしいのか分からない言葉を並べた夏目。その丸眼鏡のレンズが、対岸の光を反射して、白く光った。
まるで、白い光に見つめられているような感じがした。「そっか……」と適当に流すと、夏目は隣に歩み寄った。そんなに近寄らなくても声は聞こえるのだが、彼女は、互いのコートの裾が触れるぐらい近くに寄っている。
船のエンジンの音に紛れて、夏目は低い声で続けた。
「あと、名前で呼び合おうよ。もう二年も付き合いなんだから、もっと親しい感じで」
「……分かった。えっと……」
あれ、夏目さんの名前って、どんなだっけ?
いつも「夏目さん」という敬称付きの苗字で呼んでいたから、さっぱり分からなかった。思い出そうにも、記憶の棚は引き出しの滑りが悪い。
……たしか、七瀬が夏目のことを名前で呼んでいたような。七瀬が彼女のことを、なんと呼んでいたか、無い頭を頑張って働かせて思い出そうとした。
「
言葉に詰まるゆずるに代わって、夏目が答えを引き出した。
「うん……ごめん、ハルカさん。よろしく……」
「こちらこそ、よろしく」
夏目は、こくりと首をゆっくり傾けて頷いた。
そうだ、彼女の名前は、ハルカだ。
ようやく、記憶の引き出しから情報が引き出された。苗字には夏が入っていて、名前には春が付いている、なんとも素敵な名前を思い出した。
改めて互いを確認したゆずると夏目は、流れゆく景色に見入っていた。
風を切る音が耳をかすめ、船のエンジンの轟音が相変わらず響いている。潮の良い香りがかすかに漂っていて、鼻腔をくすぐる。空高くから、月が見守っている。
「……」
「……」
互いに無言を共有する。会話の切れぎわに「よろしく」とは言ったものの、果たして、ここからどうやって会話を広げればよいのか、まったくわからない。
そして、得意の沈黙を決めこんでしまうのである。
景色の話をしようかと、思いついた。しかし、「きれいだね」で終わってしまいそうで、やっぱりやめた。
では、レストランで食べた夕食の話か。いや、これも「~を食べた」「おいしかった」で終わってしまって、会話が続く展望を望めない。
やはり、会話を主導して展開するのは、難しい。
自分の意識の中で、あたふたと思考を渋滞させている間に、夏目の方が口を開いて、気まずい沈黙を破壊した。
「ねえ、ゆずるくん」
唐突に名前を呼ばれて「な、なに?」と言葉を詰まらせる感じに聞き返した。
「君は、くるみちゃんと恋愛的にお付き合いをしているの?」
「ええ……?」
まるで面接かの如く、低い声で、公務員然とした感じに聞いてきた夏目。恐る恐る視線を横に流すと、赤淵の眼鏡のレンズがキラリと光った。
白い光の向こうに、彼女の眼差しがあると思うと、手元が震えた。
「はい、か、いいえ。それで答えて」
まあ、恋愛的に付き合っているか否かと聞かれれば、答えは「否」だ。こちらの認識としては、友達か、幼馴染みという距離感が正しいと思っている。経験が皆無だから、恋愛的な距離感というのは、よく分からないのだが。
――本当は、七瀬のことがかなり気になるというのは、いったん、棚に上げておいて。
高嶺の花の権化のような七瀬と付き合っているなんて言った日には、恥ずかしさに潰されてしまうだろうし、また苛烈ないじめが起こる気がする。口をナイフで裂かれたとしても、絶対にそんなことは公言しない。
だから、はっきりと、風の音に搔き消されないように言った。
「いいえ」
しかし、夏目は眼鏡をくいっと上げて、首をちょっと傾げた。どうやら、納得していないご様子。
「んー?傍から見ていると、そうは思えないんだけど。できるだけ人目につかないところで、イチャイチャしているんでしょ?」
「いやあ、そんなことは……ないよぉ?」
しまった、首を指で掻く癖が出てしまった。
眼の鋭い夏目に見破られてしまうだろうか。語尾も緩んでいて、母音が腑抜けた音になっていた。
夏目は、まっすぐに見つめてきて、「嘘」と、語気を強くして言った。
「毎週金曜日に遊んでるって、毎日一緒に帰ってるって、くるみちゃんに聞いてるんだけどな~?」
「ええ……そんな……」
淡々と、聞いたことを暴露する夏目。
たぶん、法廷で検察官に追いつめられる被疑者は、こういう気持ちなんだろうな。
今の夏目は、まるで、証拠、事実を淡々と突きつける検察官である。眼差しの鋭さと、低く落ち着いた声が、まさにそれだ。証拠を淡々と語り、本当は、七瀬が気になっているのだろうという気持ちを引き出させようとしてくる。
「本当は……本音で言えば、くるみちゃんのこと、好きなんでしょう?」
困ったな。夏目検察官には、どうしても敵わない。すでに、見透かされているようだ。
七瀬のことが嫌いだと言ったとすれば、虚偽の供述となるし、七瀬に申し訳ない気がする。
かといって、素直にYESなんて言うのは、怖いし、恥ずかしい。
ただ、夏目が悪い人ではないというのは、ここ一年半ぐらいの付き合いの中で確認することができた。少なくとも、この話をクラスの中心で声高に暴露したり、いじめのネタにするような所業を為すような人ではないのだ。
――だから、できるだけ声を絞って、夏目にだけ聞こえるような囁き声で言った。
「そりゃあ、好きか嫌いかで言えば、好きだよ?もちろん。だって、性格良いし、顔も良いし、何より、俺が話してて楽しいって感じるのは、七瀬だけだし……」
「フッ。語尾が緩んでるよ。本当に、くるみちゃんのこと、好きなんだね」
勇気を振り絞っての告白は、独特な笑いを飛ばされて終止符を打った。
しかし同時に、夏目は船上の柵に寄りかかりながら、小さくため息をついた。
「はあ、いいなぁ。羨ましいなぁ」
それは、恋愛的な意味で羨ましがっているのだろうか。
話を広げるという意味でも、気になったので、聞いてみた。
「な……ハルカさんは、好きな人とか、気になる人とか、いないの?」
「夏目さん」と、苗字で呼びかけて、慌てて名前で呼んだ。さきほど名前で呼び合うと約束したばかりなのに、既にそのルールを忘れてしまいそうになっていた。
彼女は、恋愛を欲しているのだろうか。気になっている人は、どのような人なのだろうか。その答えは……
――――「君」
「え……?何言って…………マジ?」
「マジ」
どうやら、
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