第19話 最低最高の文化祭

 文化祭と聞くと、キラキラとした青春のイメージが付きまとう。



 週末の土曜日を返上しての、初めての文化祭当日……


 実際に出席してみたら、確かに景色は輝いて見えたのに、心は荒んで真っ黒に錆びてしまった。いや、もともと錆びていたかもしれないが。


 やはり、あまりに多くの人がいる空間に居ると、落ち着かず、胸がキューっと締め付けられる息苦しさがある。



「3年B組でメイドカフェやってまーす!来てくださーい!!」

「来てくださーい‼」


 黒を基調としたメイド服に身を包んだ女子三人組が、宣伝の看板を首からぶら下げ、廊下を闊歩して、キンキンと鼓膜を突く黄色い声で叫ぶ。


「おお、次お化け屋敷行こうぜ!」

「何階だっけか?一年A組って」


 男子の仲良しグループは、互いに肩を寄せ合って、どこの景品として手に入れたのか分からぬ鬼のお面を、お揃いで頭に付けている。どうやら、我が一年A組のお化け屋敷を目指しているらしい。


 生徒と、地域の人と、先生と……あまりに人が多くて、廊下が人で溢れている。


 時々、肩がぶつかってしまって「すみません……」と、人混みの声で掻き消えてしまう細い声で謝るのだった。



 行き交う人々の顔には、輝かしい笑みが氾濫していた。



 楽しそうなことは、たいへん結構。むしろ、世界全体の幸福の総量が増加していることを示しているので、喜ばしく思うのだ。日本が未だ平和で、誰かと笑い合うことができる社会であることの確認にもなって、安心できる。




 ……でも、やっぱり、羨ましくも思う。


 


 だって、自分は人間だから、他者と楽しさを共有したくもなるし、寂しさもしみじみと感じる。だが、その楽しみを知らないし、共有できる人もいない。



 どうして、自分だけが、光の無い目をして、ただ目的も無くふらふらと歩いているのだろうか。


 どうやったら、人と何かを楽しむに至れるのか、分からない。


 そもそも、友達をどのようにして作れば良いのか、分からない。




——いじめられ、頬を叩いて、暴言を吐いて傷つけて、仲直りして、同じ高校に通って、帰路を共にして、週末に一緒に遊んだら、ある程度は仲良くなれることは知っているのだが。



 フォトスポットを運営する2年生の教室をちらっと覗いて、そこで仲良く写真を撮り合う集団を見て、思う。



 友達がおらず、一人なことは、まあ許容できるのだ。一人でいると心身ともに穏やかで、落ち着くし、勉強も捗るというものだ。


 それに、一人での時間の潰し方に関しては、プロフェッショナルだと思ってる。



 スマホをいじっていれば時間は過ぎ去るし、絵を描いていればいくらでも時間を潰せる。ゲームをやればいくらでも待っていられるし、本を読んでいれば知識も語彙も増やせる。



 ただ、それは物理的な時間のやり過ごし方。



――精神的な面に目を向けると、目を背けたくなる現実を突きつけられる。


 心を許される友達が居ないという現実は、心を締め付ける種となって、誰にも見えないところで育って、毒を溜め込む。自分も相手も心を開けないという「独り」は、寂しさという毒となって、心を蝕んでいるのだ。



 「一人」は良いけれど、「独り」は毒。



 それも当然、自分は、人間なのだから。



 文章に起こせば伝わりそうだが、言葉に出して説明しろと、もし求められたとすれば、自分は、川に身を投げたい思いに駆られるだろう。寂しさという弱さを晒けだせば、小学生の時のように、また標的にされるかもしれない。




 だからこそ、「独り」の毒に対して、七瀬という存在が救いになっているのかもしれない。



 思い出すと、七瀬とハグをした時に体から抜けていったアレは、たぶん、「コドク」という毒だったのだ。



 人に心を許された事実を噛みしめて、それが解毒薬になって、今まで生きてこれたのだろう。



 だからこそ、思う。もう一度、またもう一度、七瀬にハグをされたいと思うのだ。先の見えない闇に迷って、コドクの毒に侵されて死んでしまわないように、もう一度、その解毒薬を与えてほしいと思う。


 今、胸が苦しい。父と母の優しさから得られなかったそれを求めて、七瀬と一緒にいたいと思ってしまう。




「あ……」


 周囲の喧騒に紛れて消えてしまうような、細くて、弱弱しい声が舌に絡まった。


 向かう先の廊下から、一つの大きな集団がやってくる。教室の壁から廊下の窓際まで、びっちりと人が詰まって、こちらに向かってくるのに気が付いた。


 

 総人数、約10名。


 二年生や三年生らしき先輩の姿もみえるし、さらに、来栖と夏目も、集団の一員を成していた。




――その集団の中心に、金の髪をたなびかせる七瀬の姿を見つけた。



 息が詰まった。自分でも気が付かないまま、呼吸が止まっていた。


 七瀬や来栖、夏目は、こちらに気が付いていない様子で、集団に紛れ、談笑に花を咲かせている。



 咄嗟に柱の陰に身を潜めた。教室の壁に肩を当てて寄りかかっていると、教室内の賑やかな声すら聞こえてくる。



 耳たぶが熱くなって、その瞬間、人の塊たる集団が横切った。



 七瀬は、窓側を歩く来栖に顔を向けて話していたので、教室側の柱の陰に隠れたこちらに気が付くことはなかった。


「……やらかして!」という来栖の澄んだハリのある声の後に、七瀬や周囲の人たちが「ギャハハ」と笑い声を轟かせていた。低い声、高い声、渋みのある声、ザラザラとした声……たくさんの声が、七瀬を中心に囲んでいた。



……ああ、気づかれずに済んだのだと思った。



 その時、集団の後方を歩いていた夏目と目が合った。


「あ」



 夏目は立ち止まり、聞き取りやすい声で単音を発した。柱の陰で虚ろな目をして立ち尽くしているこちらをジッと見つめてくる。


「どうも」と一言だけ言った。



「加賀美くん」

「はい」

「一緒に回る?どうせ一人でいるんでしょう」


 夏目に図星を突かれて、胸を矢で打ち抜かれたように硬直してしまった。



 腰に手を当てて、赤い淵の眼鏡越しの黒瞳で貫いてくる夏目。哀れみというか、悲哀というか、そういう負の感情に近しい色の瞳を向けられていた。


 どうしようか、決めかねている。



 今更、あの集団に紛れて回るのも、気が重い。あそこはとにかく明るくて、目が眩むほどに会話の花が咲き誇っていて輝いているのだ。


「いや、俺は、部活の人たちと回る予定があるから……」

「嘘」

「あ、バレてた?」

「目が分かりやすく泳いでたから」


 夏目は、はっきりと「嘘」と短く言って、断言してきたのだ。



 それも的確で、ゆずるは、部活なんて所属していない。誰かと回る予定なんて無かったのを、夏目に見事、推察されてしまったのだ。


 喉が急速に乾いて、背中に汗がじんわりと湧いた。


 夏目に、独りぼっちなことを見透かされてしまった。恥ずかしさから、目線がゆらゆらと泳ぐ。


 

 夏目は、小さなため息をついて、「来なよ」と言って、肩をトントンと軽く叩いてきた。



「ええ……でも」


 あんな輝かしく、楽しそうな集団に、こんな闇を抱えた人間が紛れていいものなのか?いや、そういう雰囲気を壊してしまうから駄目だろうという考えに至った。




――綺麗な水に泥が一滴でも混じったら、それは泥水だ。



 ゆずるという泥を、紛れ混ませるわけにはいかない。



「俺は、一人で見て回るから、いいよ……」

「そう。一人ぼっちで、寂しくないんだ?」


 追撃とばかりに、夏目は目を細くして言った。


「だ、大丈夫だって。俺は、一人でいるほうが楽なんだよ。そっちは、みんなで楽しみなよ」



 そう言い残して、夏目の鋭い目線から逃れるように、早足で廊下を去った。窓から吹き込む風に耳元を撫でられて、ぶるっと体が震えた。



 せっかく夏目が誘ってくれたのに、その手を振り払ってしまったような結果となった。


 だって、あんなに人で溢れた集団に混ざるなんて、とてもできる気がしなかったから。来栖と夏目と、それに七瀬と一緒に昼食を共にするぐらいが、限界だ。


 あんなに多くの人がいて、何を話せばいいか、どんな佇まいでいればいいのか、分かったものじゃない。



 行き交う人々の声を背中のほうに流して、ひたすら、静かな場所を追い求め、廊下を闊歩した。


 


 気持ち悪い。ゆずるという人間が、気持ち悪い。



 そういう人間性だから、友達もロクにできないのだろうな。



 夏目が誘ってくれたのだから、素直に付いていけばいいのに。




「っ――それでもいい」



 気が付けば一人、トイレの個室に籠ってスマホをいじっていた。



 雨音がシトシトと校舎の天井を叩く音が聞こえる。壁の小窓から吹き込む風は冷たく、しかし、何であっても誰であっても、差別なく平等に、もちろん、ゆずるも含めて包み込むのである。



 何気ない冷たい風によって、心を洗われる。


  一時間、二時間と、何も起こらず、人も来ずに、時間は過ぎ去ってゆく。スマホの画面を開く度に、文化祭が終わるまで、あと何時間かなという具合に、雨音と窓を打つ風の音を聞くだけの時間を計っている。




 あと3時間



 あと2時間



 あと1時間



 あと30分



 あと15分……




 夕日が、西の空に沈みゆく。



 文化祭の閉幕を告げる放送が流れる。


 とりあえず、出席数は確保できたから、それでいいか。





****



 文化祭は、最高に楽しかった。



 特に面白かったのは、2年C組のクラスが運営していた、モグラ叩きだった。



 クラスの運営の人がモグラを模した段ボールを穴から出すので、それを叩きまくる、という内容のゲームだった。


 グローブをつけて殴ると、中の人が「いてっ」と小さい声で呻くから、ちょっと面白かった。力が強すぎたので、気を付けながらグローブで叩くのは難しかったけれど、私が最も多くのモグラを叩いた。


「やるねぇ、くるみ」と、一緒に回っていた来栖にも褒められて、大満足だった。暇があれば、また叩きに来ようと思えるぐらい、面白かったと思う!



「体育館、行こう」と、夏目が後ろから言ってくれて、この文化祭における一大イベントを思い出した。


 昼食の時間帯、体育館にて、バンドグループの生演奏が披露される予定だった。



 体育館に到着すると、常設の椅子やテーブルに、多くの人が着いていた。



「まだかな」



 待ちきれない、ワクワクする気持ちで心が躍った。


「時間早いから、先に、お昼買ってこよう」来栖は、そう提案した。



 みんなで話し合って、席を確保する組と、お昼を調達してくる組とに分かれた。夏目と男子二人に席を確保してもらって、その間に、私や来栖が、焼きそばやら、たこ焼きやらを買いそろえてきた。


 ビニール袋両手に持って、体育館に戻ってくると、すでに、ドラムやマイク、ピアノのセットが、前方の中央の大きなステージ上に為されていた。



 みんなで一つのテーブルを囲って、バンドの演奏を聴きながら、ワイワイと喋り尽くす時間は、まるで夢のようだった。





 そう。そうだ、これが、私がやりたかった「青春」だ!





 お昼のあとは、実行委員としての仕事をちゃちゃっと終わらせて、一年A組のシフトに入って、そのあとは、午前中のメンバーで学校内の出店を巡る。



 気が付いた時には夕日が西へと傾いていて、文化祭の終了を告げる放送の声が流れてきたのだった。


 本当に、あっという間の一日だった。



「みなさん、お疲れ様でした!」


 教室に戻って、実行委員としてクラスのみんなに向けて声を張ると、ワイワイと反応が返ってきた。「ウエーイ」とか、「楽しかったぁぁ!」とか叫んで、みんなが一日の濃密さを思いだして、気持ちが未だに高まっていた。


「はい。では、全体としてはこれで終わります。みなさん、お疲れ様でした」と、A組の担任の先生が本当の終幕を告げて、解散となった。



 さて、今日は土曜日だけれど、文化祭だったから、バイトは有給を取らせてもらった。


 実行委員としての仕事もあって、結構な人数でより多く回れるように努めたから、疲れがどっと押し寄せてきた。


 そういえば、明日の打ち上げは、17時から駅前のファミレスで開催されるんだったなーと思い出した。



 文化祭の熱は、閉幕した後も、冷めやらぬまま。



 青春、万歳。




……あれ、そういうえば、ゆずるは?

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