第18話 吐き出す白い息
11月に入って、家から自転車を漕いでいると、肌を針で刺すような寒さを覚える。空は、真っ白な雲で覆われている。
長袖のワイシャツを着て、ネクタイを締めて、藍色のブレザーを身にまとって、家の周辺に広がる林みたいなところを自転車に乗って疾走する。
冷たい風を割って走って、顔がかじかみ、痛いぐらいだった。
さて、あと少しで、高校の門が見えるだろうというところで、軽快な、芯のある声が背中の側から飛んできた。
ちらっと後ろを振り向くと、七瀬が自転車を漕いで迫ってきていた。なんという速さか。
「おはよー、ゆずる!」
細っこい低い声で「おはよう」と返したのだが、彼女との間を強い横風が通り向けた。ゴーッという風の
彼女がこの時間帯に出てくるなんて、珍しいことだ。
いつもは、朝の学生集合時刻である8時30分のギリギリに教室の戸を開けて、「おはよー」とみんなから挨拶されるのが日常であったのに。
「今日、早くない?」
自転車を路肩に停めて、七瀬を隣にして聞きながら、カバンの中のスマホのホーム画面を見てみる。
なんと、まだ7時50分を回ったところだ。
「だって、今日は文化祭の準備じゃん?」
「ああ、そっか。七瀬は、実行委員だったっけ?」
「そうそう。それの準備があるからね、早起きして、学校に行かなきゃいけなかったの」
七瀬は学校のある方角を見据えながら、水筒を取り出して麦茶を一口分、口に含んだ。冬は乾燥しやすいから、自分も水分をと思って、リュックの脇に入っていた大きめな水筒の緑茶を飲んだ。
七瀬がクラスの実行委員である文化祭を、週末の土日に控えている。自分たち1年Aクラスは、お化け屋敷を教室にて運営することが決まっている。
「ここ最近、急に寒くなったねー」
水筒をカバンにしまった七瀬の口元から、白っぽい息が微かに吐き出された。それを見ると、いよいよ冬の訪れを実感した。
「七瀬の家にはコタツがあるから、ちょっと羨ましい」
「ん?ゆずるの家には無いの?」
「ないよ。冬は、灯油のストーブだけ。それだけでも十分、ありがたいんだけどね」
先週の金曜日の夕方に、七瀬の部屋に招かれたのだが、やっぱり、コタツがあったことが何より羨ましく思った。
なんだ、この抱擁感と肌触りの良いモコモコ具合は!と、驚いたものだ。
あの温かく包み込まれる感覚が、寒さに凍える今、恋しい。
しかし、自分の家にも暖房の器具はあって、灯油を餌に動くストーブさんには、毎年お世話になている。
冬に凍えずに済む、発達した文明の下に生きている幸せを実感してる。
「今週も、来る?」
白い息を吐きながら、こちらにチラッと振り向いた七瀬。金髪が風に流れて、それがまるで、夜空に輝く星々のように輝いて見えた。
ほんとうに可愛い人だなと思って、頬のあたりがカっと熱くなった。
ありとあらゆる美しさを詰め込んだようなワインレッドの色の瞳が、じっと、こちらを見つめている。
「先週も、お邪魔したばっかりじゃん」
「別に気にしないよ~♪一緒にお菓子食べたり、将棋とか、オセロとか、またやろうよ」
「俺とじゃなくって、彼氏っていうか……その、気になる人と一緒にすればいいじゃん」
コタツで仲良く足を伸ばし合いながら、彼女は、最近気になっている人について熱く語っていた。たしか、バイト先の先輩だ。
それを思い出して、なにも、話上手でない自分と一緒にいるばかりでなくともいいのではないかと、ゆずるは思う。
……ただ、本音は、七瀬と一緒に居たいと思う気持ちでいっぱいだった。
この世界で唯一、仲良くしてくれる人であるし、最も心を開いて話ができる人でもあったから。
おかしいな。小学生の頃は、あれだけ死んでほしいと願った人が、今は、隣にいて、彼女の笑顔を見ると、穏やかな気持ちを誘われる。
「ん……ゆずるは、えーと……何にも変え難い、特別な人だからね。気になる人とは、また別なの」
ちょっと考えこんだ七瀬は、白っぽい空を見上げて、そう言った。
なんだ、特別って。やけに含みのある言い方だ。自分のことを幼馴染か何かと思ってくれているということだろうか。だとしたら、嬉しい。
「あ、ヤバ。もう行かないと」
自分のスマホの時間を確認した七瀬は、自転車に跨って、それを再び漕ぎだした。
ゆずるのことをどのように特別に思っているのか、その答えを詳細に語ることなく、彼女は学校へと向って行ってしまう。
彼女の背中を追うようにして、ゆずるも学校へと向かうのだった。
いつも学校に行く時間が早いのは、予習とか復習を家でやらずに済むようにするためである。
朝、学校でそれらの面倒な勉強を済ませてしまえば、帰ってからは、すべての時間がフリーなのである。
絵を描く時間か、あるいは、週末には、七瀬と遊ぶ時間がたんまりと確保できるという算段だ。最近は、パソコンを買ったので、デジタルイラストやCGなど、やってみたいことが山積みだ。
信号待ちの時間に、ふと、空を見上げた。相変わらずの曇天。
曇り空は、ちっぽけな自分が、地球という広大な牢獄に閉じ込められているように思わせられて、あまり好きではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます