第17話 温もり
高校生になってしばらくの時間が経ったが、相変わらず七瀬は、こんな自分と仲良くしてくれている。
午後の木漏れ日、弱弱しい北風の踊る今日は、金曜日で、下校がてら、七瀬宅にお邪魔している。
彼女の部屋に招かれるのは、これで3回目だった気がする。
薄いレースのカーテンの掛かった窓を、冷たい冬の風が打ち付けている音が微かに、聞こえてくる。
そんな外気とは一つ、窓と壁を隔て、暖房がついているお陰で、とても暖かかった。
「コタツ、電源入ってるよ」
「ありがとう」
彼女に手招かれるまま、コタツに脚を突っ込んだ。対面の側には七瀬が座っていて、彼女の足裏が、太ももに触れる近さにあった。
やっぱり、七瀬は脚が長い。そして、バイトで鍛えられているのか、筋肉の締まりがしっかりとしていて、健康的だ。
脚が細く貧弱で、かつ、短い自分にとって、彼女のそれは、たいへん羨ましく思える。
テレビには夕方のニュースが流れていて、散々「衆院選について」を報じている。それを横目に、右手には将棋の駒を持ち、左手には手土産として買ってきたチョコ菓子を摘まむ。
七瀬は、手土産のチョコ菓子を「おいし~♪」という感じで、とても美味しそうに食べてくれる。それだけでも、心洗われる気分だった。
ちょっとお高めのやつを買ってきて、よかったと思う。
「王手」
現在、二人で仲良くコタツにこもりながら、将棋を打っている。
祖父がやっていたので、小学生の時に教えてもらったのだ。それの名残の駒とボードを持ってきてみたところ、七瀬は、ハマったらしい。週末に七瀬家に遊びに招かれると、決まって将棋で一戦交えることになる。
現在、七瀬側の
こういう戦略的なゲームは、少々得意だったりする。
「にゃあああ~やっぱり将棋じゃ勝てないよぉ。次はオセロやろ」
猫みたいに鳴いた七瀬は、別のボードを持ってきた。
木漏れ日で縁取られた夏の葉を彷彿とさせる緑色の盤上に黒い線が引かれていて、碁盤の目を作り出すボードだ。
将棋は得意なのだが、オセロでは、七瀬の実力に劣る。
「よし、受けて立つ」
七瀬と一緒になって将棋の駒をかき集めて、将棋専用のボードを片付けた。
七瀬はコタツから抜け出して、次いで白黒の駒が入った透明なケースを持ってきて、駒をバラバラとボードの上に広げた。
やっぱり金曜日は、定期的に、こうやって七瀬と一緒にのんびりと過ごすに限る。心も落ち着くし、何より、互いが溜め込んだあらゆる毒を吐き合うのに良い機会だ。
ゆずるが黒、七瀬が白の駒である。
「つ、やめろっ!」
「くひひひひ……隙あり」
真剣に駒を置く場所を吟味しているところ、靴下を脱がされて足裏を指先でくすぐられた。
あまりに唐突な場外からの妨害を受けて、膝をこたつの上部に、ちょっとぶつけた。
本当に油断ならないやつだ、この女子は。日常でも、ちょっとした隙を晒せば、横腹を突いてきたり、背中をくすぐってきたりする。
教室にて、他の友達にも、こうやってちょかいをかけているのを、よく目撃する。
「じょ、場外での妨害は反則だろ」
「場外での戦いも制してこそ、真の勝利でしょ?」
七瀬は、いたずらっぽく八重歯を覗かせて「ぎゃはは」と笑った。
——あれ、楽しいな。
彼女と一緒に時間を共有していると、心穏やかに、放たれた矢の如く、時間が早く過ぎ去っていく。
一緒のこたつに脚を突っ込んで、手土産のチョコ菓子を分け合いながら、雑談を交えてボードゲームを嗜む。
——これって青春っぽい?
「七瀬の部屋って、めっちゃきれいだよね?」
黒色の駒で左端の枠を占拠しながら、ふと、彼女の部屋を
机の上は、授業で使っているノートや教科書が整然と並べられていて、ブックスタンドがしっかりと有効的に使用されている。大きめのベッドのシーツや掛け布団は、きちんと整えられていている。
「そりゃね、ゆずるっていうお客様をお迎えするんだから、その時ぐらいは」
「その言い方だと、いつもは……」
「う……」
七瀬は駒を置きながら、珍しく声を詰まらせた。どうやら、図星だったらしい。
けれど、部屋がきれいになているという事実は変わらないので、それを素直に褒めたい。
「片付け、上手だね」と、机の教科書類を見つめながら言ってみると、
「そう言ってもらえると、めっちゃ嬉しいな」
と返してくれて、わかりやすく頬を緩めて微笑んだ。
他人を自室に招く時だけでも、きれいに片付けをしていること、素晴らしい心がけだと思う。
自分ならば、散らかった絵の下書きや画材、教科書とかを机や部屋の隅に重ねて、とりあえず片付けを終わらせてしまう。わざわざ棚に戻したり、引き出しにしまったりするのは、面倒だと思ってしまう。
七瀬は、ちょっと目線を逸らした。
盤上を見てみると、白い駒が満遍なく広がって置かれている。
「てか、私の勝ちじゃない?5、10、15、20…………36ね」
七瀬は、五個ずつで駒をまとめて、総数を数えた。
つまりは、彼女のコマの総数を超えれば勝ちという、簡単な理屈だ。
「じゃあ、俺が36以上あったら勝ちだな」
負けを認めたくない一心で、駒を数え始める。無意味で、勝ち目が無いとわかっていても、どうしても悔しい。
オセロのコマの総数は、64。どう数えても、七瀬の36というコマ数を超えることはできないのだ。
「へへへ、ゆずるの負けだよ。オセロのマス目は全部で64だから」
微か勝利への希望は、七瀬の淡々とした論破によって打ち砕かれた。
オセロでの勝負は、これにて決着だが、もう一度、対戦を申し込んだ。「もう一回!」
テレビでは、最近の社会情勢が紹介されている。コメンテーターと専門家が、若者の結婚意識にについて話している。
「デート経験の無い若者が4割」と言って騒いでいるが……
どうせ、また数字のマジックの類なんだろうなと思って、聞き流した。
「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」という名言は、誰が言ったかまでは覚えていない。
「ゆずるって、お付き合いしてる人とかいるの?」
七瀬がテレビの画面からこちらに振り向くと、香水らしき花の香りがほんのりと匂った。
低い声のまま、七瀬の問いに答えた。
「いない。というか、そもそも友達だって、あなたしかいないです」
即答。
恋愛対象は女性であるが、そもそも前段階である友達すらろくに存在しない状況。特段、恋愛の経験が有る無いは気にしない性格だから、正直に答えた。
「逆に聞くけどさ、七瀬は気になる人、いるの?」
彼女は、白2枚と黒2枚の初期位置に駒を置き終えて、右手の指を二本立てた。
それが何を表しているか、理解するのに少々の間を要した。
質問は、気になる人がいるか、どうか。
それに対して、彼女は指を2本立てた。ということは……?
「二人ってこと?」
彼女は、ワインレッドの色の瞳をキラキラとさせている。
そんな彼女の積極的な反応を伺って、話したがりな雰囲気を読み取る。
……もう気になる人とかいるのかよ。
まだ、高一の二学期なのに。自分は、七瀬以外の人に話しかけることすらしていないのに。
「俺に恋愛相談とかされても、経験ないから答えられないけど、オッケー?」
「おっけ。気になる人一人目はねぇ……」
人差し指を立てた七瀬は、声をちょっと上ずらせながら話し始めた。
彼女の話すことならと、耳を傾ける。
「一人目は、バイト先の先輩。背が高くてかっこいいの!それでいて、私が困ってる時にいっつも助けてくれる!シフト被ると超ドキドキしちゃう!」
「バ先って、中華のお店だっけ?」
「そうそう。めっちゃ忙しいけど、みんな良い人過ぎるところ~」
明らかに声量が大きくなって、心が昂っていることがうかがえた。誰かの話をしている時の彼女は、心底楽しそうだった。
……嗚呼、小学生の頃は、裏でこんなテンションで悪口を言われていたのかなと思ってしまって、平静の仮面の下でちょっと落ち込んだ。
まあ、今の彼女は、他人をいじめて楽しむようなことはしないから、それで心の動騒は落ち着いた。
今の彼女は、どこまでも輝かしい。
「へえ、人に恵まれたって感じか。ラッキーじゃん」
一つ、相槌を打った。
七瀬は、オセロにおける自分の番を忘れてまで、恋バナに熱中していた。
「この前、私の誕生日に、一緒にご飯行ったんだけどさ、奢ってもらっちゃって、プレゼントまで貰っちゃって……その先輩、バイク乗って来てたから、後ろに乗せてもらって家まで送ってもらっちゃったの!」
流暢に、恋愛トークへ舌が回る七瀬。こちらとしては、若干置いてきぼり気味なのだが、ふと疑問が起こった。
誕生日は何日なのかと、その先輩にどんなプレゼントを貰ったのか、である。
「誕生日って、いつ?」
「この前の日曜日……11月8日だよ」
「プレゼント、何貰ったの?見せてよ」
「いいよぉ」
もみあげの髪を指でクルクルと遊ばせながら、こたつから立ち上がった七瀬は、棚の上に置いてあったそれを手に取った。
それは、骸骨が描かれたポーチであった。
「これ貰ったの。かわいいでしょ?」
「こういう柄も好きなんだ」
七瀬は、そのポーチを手に持たせてくれた。素材がしっかりとしていて、自分が持っているような安物とは一線を画すような感じだった。丈夫そうで、手触りが良い。
布団やカーテンは、花や木々が描かれているかわいらしいデザインだったので、ポーチの放つ場違いな佇まいが、意外だと思った。
「私の好きなバンドのコラボポーチなの。凄くない?期間限定のやつを、わざわざ買ってくれたんだよ」
「いい先輩だね。付き合ったり、告白したりしちゃえば?」
「んん……でも、うまくいく自信ないよ……」
ポーチを返した。
七瀬は、そのポーチのチャックを左右に何度も引きながら、表面を撫でている。声が、喉元で籠っていた。
英国人と日本人のハーフで、人形に魂が宿ったような美しく整った容姿を持った七瀬。それなりに良い高校に所属しており、交友関係も良好。
そんな彼女に告白されて、断る人のほうが少ないのでは……?
恋愛の素人目線ながら、そう思った。
「七瀬のお願いを断る人の方が少数派だと思うよ。だって、かわいいし、頭も良いし、それを維持するための努力ができる人じゃん、七瀬って。俺とは真逆だから、うまくいくと思うよ」
恋愛や交友の面でうまくいかなかった自分とは対極にある七瀬。だから、彼女であればうまくいくだろうという理論だった。
オセロの盤面を挟んで対峙する七瀬の頬が、なんだか、少しずつ赤みを帯びてきているような?
気のせいだろうか。
「かわいい?私が?」
そうだ、あなたのことを言っていると、首を縦に一回振った。
「顎のライン綺麗すぎるし、目の色も綺麗で、かわいい。小学生より後は性格も良くて、勉強も結構できるだろ?部屋も、かわいいよ。柄とか、配置とか考えられてて、あと、きれいに整頓されてるし」
「うひひひ」
「あ、喜んでる」
某RPGのスライムみたいに、彼女の口は、端の両端がつり上がった形をした。
第一歩を踏み出せないでいる七瀬の踏み台になれればと、彼女の優れた点を列挙すると、七瀬の頰が明らかに緩んだ。
上下の歯を合わせて、目を細めるニッとした笑みが、とても可愛らしいと思った。
こんな可愛いらしい人に求められてしまえば、一撃、一言で堕とされてしまうだろう。
七瀬は、上機嫌のまま、上ずった声高らかに語り出そうとした。
「ん、どうした?元気ない?」
七瀬は、ゆずるの魂が抜けたような光なき瞳に気がついた。
「俺の知らないところで、みんなこんな感じの幸せを享受してるんだって気づいて、羨ましいなぁぁ……って思った」
知ることが必ずしも正しいのではないこと、知らぬが仏という言葉があることを再確認した。
恋愛とか、友情とかを明るく語る七瀬があまりに眩しく、同時に、自分の暗い闇のあまりの深さを自覚するのである。オセロ盤の左右で、人生の色の白黒のコントラストが、あまりに明確である。
中学時代の闇から這い上がって、友と恋とを手にした七瀬は、白い光を内包して、それを放っているだろう。
常にあらゆる不安と「コドク」の毒を引きずって、アトリエに籠るゆずるは、黒い闇に染まっているだろう。
その白い、輝かしい光が、欲しいなと思ってしまった。
「ゆずるも、友達、ほしいの?恋もしたいって、思うの?」
「まあね、俺も人間だから、当然。一人は好きだけどさ、独りは、やっぱ寂しいよ」
上手いこと言ってやった気でいたが、どうやら七瀬には微妙に伝わっていなかったらしく「どゆこと?」と首を傾げた。
また左手でチョコ菓子を摘まみながら、「漢字で書くと、一人と独りって使い分けられるじゃん」といった感じで説明すると、七瀬は理解してくれた。
同音異義語というやつだ。
「一人は好きだけど、独りぼっちは辛いよってこと?」
「そうそう」
どうやら、微妙なニュアンスまで伝わったらしい。言葉を口で伝えるというのは、難しいのだと改めて認識させられる。
「大丈夫、私が友達でいてあげるから。もっとずっと、一緒に遊ぼうよ」
「はは、ありがとう」
七瀬は、彼女の特徴的な、歯と歯を合わせて目を細める二っとした笑顔を浮かべた。
そんな七瀬を見ていると、ふと、過去の情景が思い出された。
......カラメルが焼けたような匂いが今も懐かしい、あの日の中学校、人気のない校舎の理科室にて、七瀬は「――私と……友達になってよ!」と言った。
その返事を返そうと思い立ったが、こんな朗らかな場いおいて、そんな昔の返事を出すのは、恥ずかしくって、結局、喉まで登ってきて声になりそうだった気持ちを腹の奥深くに引っ込めてしまった。
また、オセロの勝負にて、七瀬に敗北した。
穏やかで、楽しい週末だ。
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