第13話 思わぬ誘い

「アルカリ金属等を、炎の中に入れると、教科書の右下のように、金属特有の色を示す反応を、炎色反応といい……」


 ぽかぽかした陽気、窓の隙間から潜り抜けてくる秋風には、稲穂や枝木の香りが混ざっている。自然の心地よい合わせ技を食らって、眠気が大波の如く押し寄せる。



 高校の授業の4限目。そろそろ昼食の時間なので、お腹がぐーっと鳴るのを抑えながら、適当に先生の板書を書き写している。化学は理数系の科目で、苦手なので、丁寧に要点を押さえて、テストに向けた暗記に徹している。


 と、教室の隅から聴き慣れた声が聞こえてくる。



 もちろん、七瀬の声である。聞き慣れているのは、彼女の声と両親の声しかあるまい。


 その声の方向へ顔を上げて、ちらっと見た。


「ねえ、くるみちゃん、消しゴム貸してくれない?」

「いいよ~」

「ありがとー」


 静かなやり取りは、七瀬さんの隣の席の女子と交わされていた。



 教壇に立つ先生にも、七瀬の囁き声が聞こえていたはずだが、それぐらいでは注意しない性格であった。


 というか、仲が良い友達同士、コソコソと話しながらの授業であった。



 もちろん、ゆずるには仲がいい人は七瀬しかいないので、ただ一人、テストで赤点を取らないように、時々マスクの下であくびをかましながら、ノートを取り続けるのである。


 耳を澄ませば、クラスメイトたちの話す声が聞こえてくる。


「今日帰ったらゲーセン行こうぜ」とか「4時にグラウンドな」という、部活の話とか「どこ行く~?」と大胆にも、週末のお出かけ先を相談したりと、様々な声が、聞こえてくるではないか。



——つまらない。大人になって職に就くまでの道順の一つとはいえ、【学校】はつまらない。勉強は、知識も増えるし、価値観が積み重ねられるから、嫌いではないのだが。



 七瀬と話すか、絵を描いていたいなと思うばかりで、ノートではなく、窓の外の風に揺れる黄金の稲穂に視線が移る。



 綺麗だな。


 それはまるで、七瀬の髪のようだと思って、その思考を自分の中で省みて、気持ち悪い例えだったと反省した。


 金の稲穂を、七瀬の髪に例える。詩的で美しい表現かもしれないが、言葉にしてみると、自分の嗜好の濁り具合がよくわかるのだった。



『ズレてる』



 七瀬にかつて言った言葉が、やまびこの如く脳内で響き渡っていた。




****




「ねぇ、ゆずる。お昼一緒に食べよ」


 手洗いを終えて、律儀に消毒スプレーの液で手を濡らしていたところに、名前を呼ぶ声が飛んできた。


 机の横には、自分よりも背の高い七瀬が立って居た。それも、花柄のお弁当箱の包みを手に持って、隣にクラスメイトの男子と女子を引き連れていた。


「え、俺も……?」


 困惑を隠しきれなかった。まさか、このメンバーで昼食を共にする気かと、我が目を疑った。


 クラスメイトの男子の方が、ゆずるに小さく手を振った。


「そうだよ。みんなで食べたほうが、おいしく感じるって話もあるっしょ?」


 軽快な口調で言った男子は、同じA組の来栖海斗くるすかいとである。ゆずるとは対極の性格であり、社交的で、いつもニコニコ笑っているような、いわゆる「陽キャ」の人間だ。



 なんだ、そのイかした茶髪は。脱色か?染めたのか?おしゃれで、ちょっと近寄り難いなと思った。あまりにも、自分とは違いすぎる性格に見える。


 もう一人の女子は、大人しそうな印象の夏目春香なつめはるかである。黒髪のおさげと、赤淵の丸眼鏡が特徴的な、図書委員の人だ。七瀬曰く、「一番お気に入りの女の子」らしい。



 そんな夏目を見て、ふと、もしかして七瀬の好みは「大人しい雰囲気の人」なのではないかと思った。



 対面ならまだいいが、3人以上の集団となると、苦手意識が強くなる。


 辛うじて身についている会話の手法が通じなくなってしまうし、何より、意識しなければならない人が増えて、心理的負担が大きくなる。話しかけるタイミングとか、話に入るタイミングが、対面の時とはあまりに違いすぎる。



 しかし、もう断れる雰囲気ではないなと勘づいたので、仕方なく、小さく首を縦に振った。


「どこで食べる?」


 ゆずるの疑問に、来栖くるすは「そうだねぇ……」と辺りを一瞥した。クラスメイトたちが、まばらに座っているという具合だった。


「食堂はどうかな?」



 来栖は、食堂へ移動して昼食を摂ることを提案。



「わかった」

「よし、じゃあ早速、レッツゴ~」


 低い声の了承を託したゆずるの手を引いて、七瀬が一行を先導した。


『人前では、ハグとか、手を繋ぐとかも無しで』と約束していたはずなのだが……もう忘れられてしまったのだろうか。



 背中に注がれる来栖と夏目の視線が、こちらからは見えないが、ヒリヒリとして痛かった。



 違う、勘違いしないでくれ。これは、七瀬のコミュニケーション手段なのだと。



 決して、こんな自分が高嶺の花の七瀬に、好意を寄せているという訳ではないのだ!





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