高校生編

第10話 変わらぬ毒、美しくなった花

 高校生活が始まった。新たなる監獄の名前は、「県立 雪摩西せつまにし高校」



 過度に期待はしていなかったが、やはりゆずるには友達ができなかった。「どこ中出身?」と聞かれても、「西中」と答えて終わり。会話が展開されることもなく、相手は、別の話し相手を求めて去っていく。



 そして、彼ら、彼女らは、ある一人の少女に寄ってたかるのである。


「くるみちゃん、この金髪、地毛ってほんと!?」女子の数人が、物珍しい純粋なる金髪に惹かれていく。


「どこ中から来たんですか?」

「サッカー部に興味ないっすか?うちの高校、サッカー部強いっすよ!」


 別のクラスの男子も、二年生の先輩も、教室の入口の席の彼女に惹き寄せられていく。



 外見はアフロディテ※に引けを取らない美貌を持ち、明るく社交的な性格を持つ彼女「七瀬胡桃ななせくるみ」は、中学校の時の同級生だ。



 ※ギリシア神話における、美や豊穣の神



 小学校、中学校での彼女を知る人がゆずる以外にいない状況で、彼女は老若男女問わず、同級生の、先輩の、先生の興味の対象になったり、憧れの的になったり、早速、恋心を寄せられていたりする。



 おかげで、学校において、彼女と話す機会を失っていた。



 同じクラスでありながら。あんなに人が集まっていては、自分が入る隙間がない。




「おーい、加賀美くん」


 下校時刻になり、トイレ掃除を担当していたゆずるは、同じクラスメイトに呼ばれた。名前は、憶えていない。覚える気は無い。



 鏡を濡れ雑巾で拭いていた手を止めて、そのクラスメイトの方に振り向いた。


「なに?」と短く低い声で聞くと、


「七瀬さんが呼んでたよ」



 と言われた。


 ああ、いつものやつかと、勘づいた。


 たぶん、また「一緒に帰ろう」と言うのだろう。



「掃除が終わったら行く」とクラスメイトに言っておいて、便器をブラシで磨き、床を箒でさっと掃いて、与えられた仕事を終わらせる。


 まだ慣れない高校の空気感で肩が重く感じながら、一年A組の教室へと戻った。



 窓辺で、女子たちが七瀬を囲って談笑している光景を見た。


 胸の鼓動がうるさく思えた。こんなに楽しそうに話している彼女たちの気に障らないだろうかとビクビク怯えながら、手を挙げて声を絞り出した。


 彼女らの気に障れば、また「いじめられる」と思って、体の芯から震え上がった。



「七瀬……?」



 細い声は、騒々しい教室に飲み込まれて、七瀬の耳に届かなかった。


 代わりに、手を上げたゆずるのことを、七瀬のほうが発見した。ゆずるを見て、七瀬は明らかに表情を明るくさせた。


「あ、ゆずる。掃除終わった?」

「あ、ああ……」



 たどたどしい返事が、女子グループのシーンとした沈黙に重なって、低い声が奇妙に響いて聞こえた。


 心臓が破裂しそうだった。肺が悲鳴を上げていて、喉が微かに鳴った。



 顔と名前がイマイチ分からない女子グループの面々に視線で串刺しにされて、石像のように体が動かなくなってしまった。……そんな目で、俺を見ないでくれ。



「よーし。じゃあ、帰ろっか」

「ああ……」

「ええ!?七瀬ちゃんと加賀美くん、一緒に帰るの!?」


 茶髪のポニーテールの女子が、以外そうな表情をして、七瀬とゆずるを順に見た。ゆずるは、その視線に怖気づいてしまったように、視線を落とした。



——この反応、またいじめられるんじゃないか……?



 自分の片手に持つには、七瀬というのは、あまりに高貴で美しく、身の丈に合わない高嶺の花だなぁ……と、ゆずるは、身が縮む思いであった。



「おお!?七瀬さん、こいつと付き合ってるの!?」

「いやいや、そういうわけじゃなくって、小学校からの知り合いだから、仲が良いの」



 顔立ちの良いクラスメイトの男子が、野次馬のように寄ってきた。


 そんな男子にも明るい返答で七瀬は応えた。


「こいつ」呼ばわりをされたものの、それにいら立ちを覚える暇も与えられないぐらい、緊張と羞恥心に襲われていて、顔を上げられなかった。


 と、今度は別の男子が、七瀬率いる女子グループの一団に混ざってきた。


「明日、バスケ部の見学やるから、一緒に行かない?」

「おっけー。明日ね」

「七瀬さん、また明日ね~」

「うん。またね~」


 様々な人に見送られながら、七瀬は教室を出た。ゆずるは、いたたまれない気持ちを抑え込んで、彼女の少し後ろを歩いて追った。



 もう高校生になったのだから、一緒に帰るのは止めにしないかと、言いたかった。



 それでも、周囲の雰囲気と、七瀬の勢いに流されるままに、沈黙を決め込んでいたのだった。




****




「お……ぇ……」


 自宅へ向けて、自転車を漕いでいて、けっこうキツめの吐き気と腹痛に襲われた。小さいビルの影にうずくまって、うつむいたまま動けなくなってしまった。


「ちょっと、大丈夫!?」


 自転車で先を走っていた七瀬が、体調の急変に気が付いて、わざわざUターンして戻ってきた。


 自転車を隣に停めて、「吐きそう?」と聞きながら、肩を優しく撫でた。


 七瀬の鈴の音のような美声によって、曖昧になっていた意識を取り戻す。



「だ、大丈夫……うぅ……」

「大丈夫じゃないじゃん!強がらなくていいんだよ?」


 女子グループの困惑した目線を向けられた時から、あるいは、クラスメイトに「こいつ」と呼ばれた時から、不快感によって喉が支配されていた。



 気持ち悪い、恐い、恥ずかしい……そういった悪感情を抱えて隠していたが、遂に我慢ならなくなってしまった。


 腹の中ほどの奥深くが、唸っているような腹痛で腹を抱える。



「これ飲む?」と七瀬に手渡された炭酸入りのレモンジュースを一口飲むと、気分の悪さは幾分かマシになった。喉元にまで広がっていた不快感が、炭酸の弾けるパチパチとした爽快感と、レモンの酸っぱさによって浄化されていった。



 ――あれ、これ、七瀬が飲んでたやつじゃ……



「ほんと、ごめん。嫌なこと思い出すだけで、体悪くして……」


 何度も何度も押し寄せる腹痛の波の合間に、「ごめん」と繰り返して謝意を零す。弱ってすぼんだ背中を、七瀬は手のひらでさすってくれる。


「大丈夫、大丈夫。私もそういうこと、たまにあるから、分かるよ~そのつらさ」


 ほのかな熱を届ける太陽から避けた、ビルの合間の風と七瀬に寄り添われて、ようやく元の調子を取り戻しつつあったゆずるが、顔をあげた。



「もう大丈夫……ありがとう、七瀬……」

「そう?まだ顔色が悪そうだけど……」

「なんとか」


 七瀬が預かってくれていたヘルメットを頭に被って、再び自転車にまたがる。



 脚の筋肉を引き締めてペダルを漕ぎ出すと、耳元を撫でる風が爽快。木々が生い茂る緩やかな坂道に差し掛かると、陽光が木漏れ日となって、より涼しさをもたらしてくれた。


 前を走行していた七瀬が、ちらっと、背後に振り返った。どうやら、気にかけてくれているらしかった。



「私の家、来る?」

「えっ」と、言葉が詰まった。思わぬ提案を受けて、脳の回路は刹那、思考を停止させてしまう。


 お決まりの沈黙を繰り出したゆずるに代わって、七瀬はさらに提案を推した。



「うちの家なら、何でもあるから。あったかいココアも、胃腸薬も、おいしいお菓子でも、何でもあるよ」

「……じゃあ、せっかくのお誘いだし、お邪魔させてもらおうかな」

「そう来なくっちゃ!」


 林の坂道を抜けた先に、七瀬の家が見えてくる。



 灰色の屋根をしたモダン建築で、広々としたテラスや芝生の庭を塀が囲む。自転車を停めるように案内された場所にはガレージがあって、車は停まっていなかった。ただ、二台は停められそうなぐらい、大きなガレージだった。



……こんな大きなガレージ、アメリカでしか知らないのだが。日本という狭い土地で、どうやって……?



 やっぱり、マネー・イズ・パワーか。



「お邪魔します……」



 今日、はじめて七瀬の家に招かれる。


 親戚の家以外に招かれるのは、初めてだったので、左胸が痛くなるぐらいには緊張した。

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